第三十九話 招かれざる貴族と、森の賢者のハッタリ防衛戦
夏の強烈な日差しが、鬱蒼とした森の木々の隙間から暴力的に降り注いでいた。
木漏れ日、なんて言葉でごまかせるレベルじゃない。
もはや、太陽が森に対して殺意を向けている、と言った方がしっくりくる暑さである。
だが、そんな真夏の圧力とは無関係に、俺の村――ログハウス周辺は今日も平和で、怠惰で、最高に引きこもり向きの空気に包まれていた。
タープの下に広げたキャンプチェアへ深々と腰掛け、俺は氷をたっぷり入れた冷たい麦茶をストローでちゅうちゅう吸いながら、手元のタブレット端末をぼんやり眺めていた。
画面に映っているのは、上空数十メートルで自動ホバリングしている小型ドローン二号機からの空撮映像である。
先日のマッドブル討伐で、初代ドローン一号は名誉の戦没を遂げた。
なので、これは新しく取り寄せた予備機だ。
予備とは何か。
安心である。
安心とは何か。
引きこもり生活の生命線である。
先日マッドブルを討伐したことで、森の直接的な脅威はだいぶ減ったはずだが、それでも念のための警戒だけは続けている。
とはいえ。
あくまで警戒しているのはドローンであって、俺ではない。
俺自身は、エアコンの冷気がほんのり漏れてくるログハウスのドア付近という、完全なる安全圏に陣取ったまま、冷たい麦茶を飲み、ついでに日陰まで確保しながら森を監視しているだけである。
「……異常なし、と。引きこもり生活九十七日目。今日も平和だな」
これぞ、進化した引きこもり生活の極致だった。
危険は空飛ぶ機械に任せ、俺は涼しい場所でお茶を飲みつつ、必要なら偉そうに指示だけ飛ばす。
自分で言うのもなんだが、人類の怠惰と知恵が生んだ理想形にかなり近い。
視線を外へ向ければ、ガランはプレハブ小屋に引きこもって、朝からアクションゲームのハイスコア更新に挑戦していた。
時折、中から「うおおおっ!」とか「今のは当たってないだろ!」とか、だいぶ感情的な叫びが聞こえてくるので、平和なようでいて小屋の中だけは戦場らしい。
シルフィは木陰のハンモックで、少女漫画のすれ違い展開に頭を抱えていた。
ページをめくるたびに、「なぜそこで言わない」「今の沈黙は悪手だ」「いや気づけ、鈍感にも限度があるだろう」などと、作品に対して逐一ツッコミを入れている。
もはや読者というより、恋愛戦略アドバイザーの顔つきだ。
ミリィとポテトは、レジャーシートの上で腹を出して無防備に昼寝していた。
片方は猫系獣人。
もう片方は火竜の仔犬。
だが、こうして並んで寝ていると、毛の多いクッションと、丸い湯たんぽにしか見えない。
見た目だけなら癒やしの極みである。
そしてロエンだけが、昨日通販で買ってやった麦わら帽子を律儀にかぶり、黙々と畑の土をいじっていた。
真面目すぎる。
このメンバーの中で、唯一、夏の午前中にやるべきことをちゃんと理解している男である。
誰にも邪魔されない、完璧なスローライフ。
このまま昼寝に移行しても誰にも怒られないだろうし、なんなら今この瞬間に寝落ちするのが最も生産的な気すらする。
そう思って大きな欠伸を噛み殺した、その時だった。
『ピーッ! ピーッ! ピーッ!』
突然、手元のタブレットから鋭い警告音が鳴り響いた。
「ん? なんだ?」
俺は反射的に上体を起こし、画面を覗き込んだ。
ドローンの広角カメラが捉えている映像の片隅。
村から南へ二キロほど離れた迷いの森の獣道を、何かが集団で移動している。
魔物の群れかと思ってズームを上げた俺は、次の瞬間、思わず顔をしかめた。
「……おいおい、冗談だろ」
画面に映っていたのは、魔物ではなかった。
銀色に輝くフルプレートの鎧に身を包み、剣や槍で完全武装した二十名ほどの人間の騎士たち。
さらに、その集団の中央には、森の悪路にまったく似合わない豪奢な馬車がどっかりと陣取っていた。
赤いビロードの布。
金糸で縫い込まれた、妙に偉そうな紋章。
そして、私は身分が高いので道など選びません、と言わんばかりの、過剰なまでの存在感。
「うわ、絶対めんどくさいやつだ……」
魔物なら、まだいい。
脅威判定が分かりやすい。
倒せば終わる。
素材にもなる。
肉になる可能性すらある。
だが、武装した人間。
それも騎士と馬車付きの貴族っぽい一団となると、話は別だ。
面倒くささの質が違う。
社会的に。
「おい、お前ら! 起きろ! 森の南側から、武装した人間の集団がこっちに向かってきてるぞ!」
俺の叫び声に、村の空気が一瞬で張り詰めた。
「敵襲かい!?」
プレハブ小屋のドアが勢いよく開き、愛用の大斧を担いだガランが飛び出してくる。
ゲーム中でも敵襲には即反応できるのか。
戦士としての性能が無駄に高い。
「……人間の軍勢だと? 森の奥深くになぜ」
ロエンが鍬を置き、低い姿勢で南側の森を睨みつける。
シルフィもハンモックからひらりと飛び降り、すでに弓へ矢をつがえながら、俺の持つタブレットを覗き込んできた。
「シルフィ、この馬車の紋章に見覚えはあるか?」
俺が画面を拡大して見せると、エルフの射手はわずかに眉をひそめた。
「……剣と百合の紋章。間違いない。麓の街を治める領主、アラリック子爵の家の紋章だ」
「子爵」
「この馬車に乗っているのは、おそらく本人か、それに連なる高位の貴族だろうな」
「うわ、めんどくささの本体が来た……」
俺は頭を抱えた。
原因は明白だった。
麓の街の商人であるトムじいとの物々交換ルート。
彼に流した百円ライターやマヨネーズといった現代日本のオーパーツが、街の商人ギルドで噂にならないわけがないのだ。
トムじい自身は、森の奥に住む大賢者のことは秘密にする、と言っていた。
だが、秘密というものは、隠そうとするほど匂いが強くなる。
ましてや、自動で火がつく小さな道具と、ただの卵と油からはどう考えても生まれない白い悪魔のソースである。
そんなものが流通すれば、嗅ぎつける奴は必ず出る。
「だっははは! 領主様直々の御出馬とは大したもんだねぇ!」
ガランが斧を肩で回しながら、好戦的な笑みを浮かべる。
「だが、ここはアタシたちの縄張りだ。丸焼きにされたくなきゃ、とっととお帰り願おうか!」
「……畑を荒らす者は、人間であろうと容赦はしない」
ロエンの喉の奥から、低い唸り声が漏れた。
「馬車で畑に乗り込まれたら、土が死ぬ」
「お前の怒りポイント、やっぱりそこなんだな」
「ストップ! ストップ、お前ら!!」
俺は慌てて血の気の多い戦闘職どもを制した。
「絶対に手を出すな! 相手は貴族だぞ! ここで騎士団を皆殺しにでもしてみろ、次は王国軍の数千人がこの森を焼き討ちに来るぞ! 俺の平穏な引きこもり生活が完全に終わる!」
「だが、向こうが先に手を出してきたら?」
ガランが不満げに言う。
「その時はその時だが、初手皆殺しはダメだ! ファンタジー世界の常識がどうであれ、俺の中では最悪の選択肢だからな!」
「……なら、どうするのだ」
シルフィが弓を引いたまま、すごく嫌な顔で聞いてきた。
「森の民の隠れ家を人間に知られれば、遅かれ早かれ略奪の対象になる。……私が、あの馬車の中の指揮官だけを音もなく射抜こうか?」
「選択肢が物騒すぎる!!」
「気づかれねば問題あるまい」
「気づかれなくても俺の精神に問題がある!」
俺はぎりっと奥歯を噛み締めた。
殺してはダメだ。
だが、おとなしく出迎えて、はい、私がライターを作りました、なんて名乗り出れば、絶対に王都の城へ連行される。
一生アーティファクトを量産させられる社畜生活が待っている。
朝から晩まで、次は火のつく箱を百個だ、次は白いソースを樽で作れ、王家の晩餐に間に合わせろ、みたいな命令を受ける未来。
いやだ。
死んでもいやだ。
引きこもりとしての尊厳が死ぬ。
「……よし、決めたぞ」
俺はゆっくりと立ち上がった。
「戦わずして勝つ。相手の心を完全に折って、二度とこの森に近づこうと思わなくなるレベルのトラウマを植え付けて追い返す」
「おや」
ガランが口元を吊り上げる。
「坊や、顔が悪い時の顔だねぇ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてないが」
「褒めろよ、そこは」
俺はにやりと笑い、空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを呼び出した。
進化を遂げた拠点通販Lv.2の真価を、ファンタジー世界の貴族様にたっぷり味わわせてやろうじゃないか。
現代日本のイベント会社が本気を出したら、たぶん中世ファンタジーの連中には神罰にしか見えないはずだ。
*
一方その頃。
森の獣道を無理やり進む豪奢な馬車の中で、麓の領主――アラリック子爵は、汗だくになりながら苛立ちを隠せずにいた。
「ええい、なんと不快な森だ! 道はぬかるみ、虫どもが顔の周りを飛び回る! 私のような高貴な者が、自ら足を運ぶような場所ではないぞ!」
ふくよかな体を上等な絹服で包んだアラリックは、扇子で顔を仰ぎながら毒づく。
馬車の中には香油の匂いがきついほど漂っていたが、それでも森の湿気と汗臭さは完全には誤魔化せない。
貴族様にとっては、生きているだけで不快な環境だろう。
「申し訳ございません、閣下。しかし、商人ギルドで出回っているあの“自ら火を生む魔法の箱”と“白き秘薬”の出所は、間違いなくこの森の奥だと情報が上がっております」
馬車の横を歩く騎士団長が、恭しくそう答える。
「分かっておる! だからこそ、私が直々に赴いているのだ!」
アラリックの目に、ぎらりと強欲な光が宿った。
「森の奥に隠れ住む大賢者だか何だか知らんが、そのような国宝級のアーティファクトを、街の薄汚い商人に卸すなど宝の持ち腐れにもほどがある!」
扇子をぴしゃりと閉じる。
「私がその賢者を保護し、技術を独占し、王家に献上すれば――私は念願の伯爵、いや、侯爵にすらなれるやもしれんのだ!」
「はっ」
騎士団長は、一切の感情を見せずに頷く。
慣れている。
この人、だいぶ苦労人の顔をしている。
野望のためだけに、アラリックは領地の精鋭騎士二十名を率いて、危険な森へ足を踏み入れた。
途中、数体の低級モンスターを蹴散らしながら進み、ついに森の木立が不自然に開けた場所へと到達する。
「閣下! 前方に、建造物が見えます!」
「おおっ! ついに見つけたか!」
アラリックは馬車から転がり出るように降り立ち、その建造物を見た瞬間、完全に言葉を失った。
「な……な、なんだ、あれは……!?」
それは、ファンタジー世界の常識を根本からひっくり返す光景だった。
木造でありながら、寸分の狂いもない幾何学的な美しさを持つ謎の館――ログハウス。
その屋根には、太陽の光をぬらりと反射する巨大な黒い鏡板――ソーラーパネル。
隣には、継ぎ目のない白い四角い小屋――プレハブ小屋。
そして少し離れた場所には、玉ねぎみたいな形をした巨大な天幕――ベルテント。
どれも、魔力を感じない。
なのに、見れば見るほど、既存の人類の建築技術では絶対にありえない、と理解させてくる異質さがあった。
「……これが、賢者の住処……」
騎士たちも声を潜める。
「まるで神代の遺跡だ……」
「いや、遺跡にしては新しすぎるぞ……」
「魔力を感じないのが、逆に恐ろしい……」
誰一人として、軽々しく前へ出ようとしない。
未知への恐怖が、鎧の中の汗を一気に冷やしていた。
「ええい、怯むな!」
アラリックが自らを鼓舞するように怒鳴った。
「相手がどれほどの魔法使いであろうと、たかが森の隠遁者一人! こちらは王国の精鋭騎士団だぞ!」
そして大きく胸を張り、空き地の中央へ声を張り上げた。
「大賢者とやら! 姿を現せ! 私はこの地を治めるアラリック子爵である! 貴様の持つ未知の技術、この私が直々に管理し、庇護を与えてやろうというのだ! 光栄に思って平伏し――」
その言葉が最後まで続くことはなかった。
シュゴォォォォォォォォォォッ!!
突如として、ログハウスの周囲の地面から、凄まじい勢いで真っ白な霧が噴き出し始めたのだ。
「な、なんだこの霧は!? 毒霧か!?」
「閣下、お下がりください!」
騎士たちが一斉に剣を抜き、アラリックを庇うように前へ出る。
だが、その霧――通販で買ったイベント用の大型スモークマシンによる煙は、あっという間に空き地全体を覆い尽くした。
白い煙が膝の高さまで滞留し、足元が完全に見えなくなる。
まるで雲の上に立っているみたいな、ひどく現実感のない光景だった。
そして。
『……愚かなる人の子よ』
空き地全体を震わせるような、腹の底に響く轟音の声が響き渡った。
「ひぃっ!?」
アラリックが情けない悲鳴を上げる。
騎士たちも、その声の主がどこにいるのかまったく掴めず、顔を引きつらせた。
*
よし。
スピーカー出力最大。
ボイスチェンジャーも問題なし。
重低音エフェクト、完璧。
ログハウスの窓の隙間から外を覗き、俺はにんまり笑った。
今回用意したのは、野外フェスなどで使う超大型PAスピーカー。
ワイヤレスマイク。
音声を野太く加工するエフェクター。
さらに大型スモークマシン。
高輝度LEDフラッシュライト。
マルチカラー・レーザープロジェクター。
つまり、やっていることはだいぶ本格的な肝試しである。
ただし、相手は貴族と騎士団だ。
中途半端な演出では効かない。
やるなら、森の奥に住む大賢者というトムじい発の雑な噂を、全力で現実にしてやる必要がある。
『神聖なる森の不可侵領域に、鉄の武器を携えて踏み入るとは……』
重低音が大気をびりびり震わせる。
『貴様ら、自らの魂が永遠の虚無へ落ちる覚悟があってのことだろうな』
姿なき声の圧倒的プレッシャーに、騎士たちの剣を握る手がカタカタと震え始めた。
アラリックも顔面蒼白だ。
さっきまで侯爵どうこう言っていた男とは思えない。
「ひ、怯むな! これはただの幻惑魔法だ!」
アラリックが声を張る。
だが、その声は明らかに震えていた。
「大賢者よ! そのようなハッタリで、このアラリック子爵が誤魔化されると――」
おっと。
ハッタリと言われては、こちらとしても引けない。
なら、視覚にも絶望を刻んでやろう。
「くらえ、現代の光の魔法――パリピセットを」
俺は手元のタブレットから、空き地に設置した複数の機器のスイッチを一斉に入れた。
バチィィィンッ!!
突如、ログハウス周囲に設置された超高輝度LEDフラッシュライトが、地上に太陽が落ちたみたいな凶悪な閃光を放つ。
「ああっ!? 目が、目がぁぁっ!!」
「うわあああっ!」
「な、何も見えん!」
暗い森の環境に慣れていた騎士たちは、暴力的な光量を真正面から叩き込まれ、一斉に目を押さえて悶絶した。
しかも、その光は一発で終わらない。
間を置いて、また光る。
嫌がらせとして極めて優秀である。
さらに追撃。
白い煙の海へ向かって、マルチカラー・レーザープロジェクターの光線が放たれる。
赤。
緑。
青。
鮮烈なレーザーが、煙をキャンバスにして空中へ複雑な幾何学模様を描き出した。
円環が幾重にも重なり、直線が縦横無尽に走り、光の紋様が恐ろしい速度で回転し、交差し、増殖していく。
「な……ななな、なんだあれは!!」
「空中に、数千もの多重魔法陣が一瞬にして展開されているだと!?」
「無詠唱で、これほどの高位術式を……!?」
「神だ……神の怒りだ……!!」
ディスコみたいなレーザーショーは、ファンタジー世界の騎士たちには、自分たちを消し飛ばすための超広範囲殲滅魔法のロックオンに見えたらしい。
解釈がだいぶ都合いいな、とは思った。
だが、この際なんでもいい。
大事なのは、怖がって帰ることだ。
すでに数人は腰を抜かしていた。
剣を取り落とし、地面に這いつくばる者まで出ている。
よしよし。
パニックは順調に育っている。
「怯むな! 隊列を――」
騎士団長が立て直そうとした、その瞬間。
「みんな、やれ!」
俺はインカムへ叫んだ。
『だっははは! そらよっ!!』
茂みに隠れていたガランが、抱えきれないほどの巨大な岩を、馬車のすぐ横へ全力で投げつける。
ドゴォォォォンッ!!
隕石でも落ちたみたいな轟音と共に地面が爆ぜ、豪華な馬車が大きく跳ね上がった。
御者が悲鳴を上げ、馬が泡を吹いて暴れ出す。
『……風よ』
ヒュンッ!
木の上に潜伏していたシルフィが放った矢が、アラリック子爵の手にあった扇子を粉砕し、そのまま背後の大木へ深々と突き刺さった。
「ひっ……!」
アラリックの顔から血の気が消える。
『ガァァァァァァァァァッ!!』
さらに、ロエンの恐るべき狼の遠吠えが森を揺るがした。
地鳴りのような咆哮が木々の間を走り抜け、騎士たちの背筋を凍らせる。
「ガウッ!! ガウゥッ!!」
追い打ちとばかりに、ポテトが前へ出て、めいっぱい胸を膨らませた。
ベビードラゴンの小さな口から吐き出されたのは、まだ成竜のような巨大火球ではない。
だが、オレンジ色の火の粉をまとった握りこぶしくらいの小さな火球が、ぽんっ、ぽんっと二連続で空へ撃ち上がった。
パシュッ!
ボンッ!
火球は木立の少し上で弾け、小さな爆炎と火花の雨を散らす。
規模は小さい。
だが、今のこの場ではそれで十分だった。
白煙。
閃光。
レーザー。
咆哮。
そして空中で炸裂する小さな火球。
知らない側から見れば、どう考えても次に巨大魔法が来る流れである。
「りゅ、竜までいるのか!?」
「子竜だとしても十分おかしいぞ!」
「いや、子供でこれなら大人はどうなるんだ!?」
「逃げろ! 今すぐ逃げろ!」
うん、いい反応だ。
火力は控えめでも、演出としては百点満点である。
むしろポテトがベビードラゴンらしい未熟さを見せつつ、場の恐怖だけはきっちり上積みしているのが、妙にリアルで効いていた。
これで十分だろう。
最後の一押しだけしてやる。
『……去れ』
ボイスチェンジャー越しの俺の声が、空き地全体へ落ちる。
『十秒以内に我が視界から消えねば、貴様らを塵一つ残さず消し炭にする』
アラリック子爵のプライドは、そこで完全に砕けた。
侯爵への野望も。
賢者の捕縛計画も。
アーティファクト独占の夢も。
全部まとめて蒸発したらしい。
彼の頭の中に残ったのは、たぶん、死にたくない、の一言だけだった。
「ひ、ひぃぃぃぃぃっ!!」
子爵は自らの騎士を突き飛ばしながら叫ぶ。
「た、退却だ! 全軍退却! 馬車を捨てろ! 走って逃げろぉぉぉっ!!」
「閣下、馬車が!」
「知らん! 命の方が大事だぁぁぁ!!」
騎士たちも、もはや統率も何もなかった。
剣を持ったまま転び、鎧を鳴らし、悲鳴を上げながら我先にと森の奥へ逃げていく。
豪華な馬車も、交渉用らしき金貨の箱も、立派な外套も、全部その場へ置き去りだ。
ドローン映像で、彼らが完全に森の彼方へ消え去るのを確認してから。
「……ふう。ミッションコンプリート」
俺はマイクの電源を切り、レーザーライトとスモークマシンも停止した。
静けさが戻る。
さっきまでの大惨事みたいな演出が嘘みたいに、森はまた夏の虫の声に包まれた。
*
十分後。
煙が完全に晴れた空き地で、ガランが腹を抱えて転げ回っていた。
「だっははははは! 傑作! 傑作だねぇ、コウタ! 見たかい、あの偉そうな貴族の顔! 空中の光の筋を見ただけで、魂が抜けかけてたよ!」
「笑いすぎだろ」
「だって、あんな見事に腰砕けになるんだよ!? もうちょっと気骨ってものを見せてほしかったねぇ!」
「いや、俺でもあれを知らない状態で見せられたら、たぶん逃げる」
「坊やは自分の仕掛けに対して客観的すぎるんだよ!」
「……見事な心理戦だった」
シルフィが木の上からふわりと飛び降り、呆れたように、しかし感心したように言った。
「血を一滴も流さず、恐怖だけで軍隊を敗走させるとはな。あの光と音の魔法陣……使い方次第では、本当に国を滅ぼせるかもしれん」
「やめろ。物騒な方向に評価するな」
「だが事実だ。少なくとも、あの子爵と騎士たちは二度とこの森へ近づきたくなくなるだろう」
「それが狙いだからな。理想的な成果だ」
ロエンは、騎士たちが逃げていった方角をしばらく見つめてから、短く言った。
「畑は無事だ」
「一番大事な報告みたいに言うな」
「一番大事だ」
「ぶれないな、本当に」
俺は苦笑しながら、アラリックたちが置き去りにしていった豪華な馬車と、ずしりと重そうな金貨の箱を見た。
「……馬車は後で解体して使えるものだけ回収するとして、この金貨はどうしようかな」
「ガウガウ!」
ポテトが、俺も火を吐いて活躍したぞ、と言わんばかりに足元へすり寄ってくる。
「おう、お前も偉かった。空への火球、いい感じに終末感出てたぞ」
「ガウッ!」
「褒められるとほんとに分かりやすいな」
「ガウゥ♪」
「金貨はトムじいに渡して、また日用品でも仕入れてもらうか」
俺が箱を軽く持ち上げてみると、想像以上に重かった。
「うわっ。これ絶対かなり入ってるな……」
「交渉用だったのだろう」
シルフィが淡々と言う。
「力ずくで従わせられぬ相手なら、今度は金で釣るつもりだったのではないか」
「貴族って面倒だねぇ」
ガランが肩をすくめる。
「脅して、だめなら金で買う。わかりやすい連中だ」
「分かりやすいのはありがたいけど、こっちからすると迷惑極まりないな」
「お疲れ様、ポテト。みんなも、完璧なタイミングだったぞ」
俺は改めて仲間たちを見回した。
「おかげで俺の引きこもり生活は守られた」
「感謝の対象が生活様式なの、毎回ぶれないねぇ」
「そこが一番大事だからな」
とはいえ。
俺は大きく息を吐き、改めて森の境界線へ目を向けた。
今回はハッタリで追い返せた。
それは間違いなく大勝利だ。
だが、今後も同じ手が毎回通じるとは限らない。
噂がさらに広まれば、今度はもっと大規模で、もっと慎重で、もっとハッタリの効かない相手が来るかもしれない。
森の賢者こわい、で済まない、本物の調査隊や討伐隊が来る可能性だって普通にある。
「……やっぱり、防犯カメラやスモークマシンだけじゃ限界があるな」
俺はぼそりと呟く。
「物理的にこの村を外から見えなくするような、本物の結界みたいなものが必要だ」
「結界か」
シルフィが小さく反応する。
「精霊術や迷いの森の術式に近い発想だな」
「俺が欲しいのは、もっとこう……自動で、手間いらずで、メンテも少なくて、できれば安くて、あと夏でも快適なやつ」
「注文が多い!」
ガランが吹き出した。
「坊やの理想、だいたい全部“楽したい”に繋がってるじゃないか!」
「その通りだよ!」
俺は胸を張った。
「引きこもりの理想を舐めるな。快適と安全は妥協しない」
「妙に立派なことを言ってるようで、中身がだいぶ怠惰なんだよな……」
シルフィが呆れたように言う。
「だが、否定はできん」
「できないのかよ」
次の騒動。
あるいは、出会いの足音は、すでにすぐそこまで迫っていたのだが。
この時の俺には、そこまで気を回す余力は残っていなかった。
精神的にはだいぶ消耗していたし、何より腹が減っていた。
「よし! とにかく今日は完全勝利のお祝いだ! お前ら、腹減っただろ!」
俺が手を叩くと、ミリィがぱあっと目を輝かせた。
「ごはん!!」
ロエンも無言のまま尻尾をゆらりと揺らす。
こいつ、感情の出し方が毎回そこなんだよな。
「今日のメニューは、現代日本が誇る最強のジャンク飯――特大ハンバーガーと、例の黄金の悪魔的果実だ!」
「おおっ!」
ガランが真っ先に食いついた。
「はんばーがー!」
ミリィは聞き慣れない言葉の響きだけでテンションが上がっている。
「また新しい単語が出たな」
シルフィは警戒半分、興味半分。
ただし、その耳はすでにぴくりと反応していた。
「……黄金の悪魔的果実ということは、あれも出るのか」
「そうだ」
俺はにやりと笑った。
「フライドポテトだ」
その言葉を聞いた瞬間、場の空気が一段変わった。
「フライドポテト!」
ミリィの尻尾が跳ねる。
「あれ! あつくて、サクサクで、しょっぱくて、てがとまらないやつ!」
「説明が完全に正しい」
「だっははは! あの芋かい!」
ガランも豪快に笑った。
「初めて食った時は驚いたねぇ。芋を油に沈めるなんて、最初は何をしてるのかと思ったが……あれは危険だ。腹が減ってなくても食える」
「それはもう普通に危険なんだよ」
「……芋を油で揚げ、塩を振る」
ロエンが静かに呟く。
「単純だが、芋の甘みと香ばしさを最大限まで引き出す調理法だ」
「農夫としての評価が高いな」
「あれは、土が報われる味だ」
「その感想、前にも聞いたな」
そして、ポテト。
「ガウッ!」
白い火竜の仔犬は、自分の名前が呼ばれたと思ったのか、足元で元気よく返事をした。
「いや、お前じゃない。食べ物の方のポテトだ」
「ガウ?」
「ややこしいな、この名前」
そもそもこいつがポテトという名前になった原因も、昨日――いや、だいぶ前の収穫祭でこぼれたフライドポテトの匂いに釣られて段ボールに潜り込み、そのまま居座ったからである。
つまり、フライドポテトはこの村において、単なる揚げ芋ではない。
第一回収穫祭の主役であり、火竜の幼生を引き寄せた、ある意味では村の歴史を変えた食べ物だった。
「ただし、今日はそれだけじゃない。主役はこっちだ」
俺は生活通販を開き、大量のバンズ、分厚い牛肉一〇〇パーセントのパティ、とろけるスライスチーズ、レタス、ピクルス、そして大量の冷凍フライドポテトと揚げ油をまとめて呼び出した。
ついでにケチャップとマスタードも忘れない。
ジャンク飯において、赤と黄色は信頼の色だ。
「今日は、いつものフライドポテトに加えて、ハンバーガーという新しい悪魔を投入する」
「悪魔を増やすな」
シルフィが眉をひそめる。
だが、その視線はすでにバンズと肉へ釘付けだった。
「エルフは肉食を好まんと言っているだろうに……」
「まだ焼いてもないのに予防線を張るな」
「確認だ」
「何の?」
「私が堕落する前の、最後の抵抗だ」
「負ける前提じゃねえか」
鉄板でパティを焼き始めると、牛肉の強烈な脂の匂いが一気に立ち上った。
じゅううっ、と音を立てて表面が焼け、肉汁が泡のようににじみ出る。
そこへバンズも軽く焼きつけると、小麦の香ばしさが合流して、もう周囲の理性がだいぶ危うい。
「この時点でうまい匂いしかしないじゃないか……!」
ガランが鉄板の前でうろうろし始める。
「待て、まだ完成してない」
「でも匂いがもう完成してる!」
「気持ちは分かる」
こんがり焼いたバンズに、シャキシャキのレタス。
その上へ、肉汁あふれる分厚いパティを、どん。
熱でとろけたチーズを重ね、ケチャップとマスタードをたっぷり。
最後に上のバンズをかぶせると、それだけで勝ったな、という気分になる見た目だった。
さらに別鍋では、高温の油で冷凍フライドポテトをカリッと揚げる。
油の中で踊る細長い芋が、きつね色へ変わっていく。
この光景を見るのは初めてではない。
第一回収穫祭で、採れたてのジャガイモを細く切って揚げた時にも、みんな同じ顔をしていた。
だが、人間――いや、異世界人も獣人もエルフも女戦士も火竜も、美味いものの前では学習しない。
知っているからこそ、余計に待てなくなるのだ。
「コウタ、まだ?」
「ミリィ、さっきから三回目だぞ」
「だって、しってるにおいする!」
「知ってる匂いは強いよな」
仕上げに塩を強めに振る。
山盛りのフライドポテトが、湯気と一緒に黄金色の誘惑を放ち始めた。
横でポテトが鼻をひくひくさせる。
「ガウ……」
「お前は塩なしな」
「ガウゥ……」
「不満そうにするな。安全第一だ」
「さあ、食え! これが地球のハンバーガーだ! 両手で持って、大きな口でかぶりつくのが作法だぞ! ポテトはもう説明いらないな!」
「だっははは! いただきだねぇ!」
ガランが、自分の顔ほどもある特大ハンバーガーを両手でわし掴みにし、ためらいなくかぶりついた。
バンズが潰れ、肉汁がじゅわっとあふれ、チーズがびよんと伸びる。
次の瞬間、ガランの顔がぱあっと輝いた。
「……ッ!! んまァァァァァァァァイ!!」
肉汁が顎を伝って滴り落ちる。
「柔らかいパンに、これでもかと肉の旨味が詰まったこの塊! そこへチーズのコクと、赤いソースの酸味、それに黄色い刺激が脂を全部まとめ上げてる! これは肉料理の一つの到達点だよ!!」
「だろ?」
「坊やの世界、たまに本気で危険だねぇ! 揚げ芋だけでも危なかったのに、肉までこうして挟んでくるとは!」
「ジャンク飯の基本構成だ」
「基本が強すぎるんだよ!」
「あつい! サクサクする! やっぱりおいしい!」
ミリィはハンバーガーよりも、まずフライドポテトに心を奪われていた。
細長い芋のフライを、リスみたいに次々と口へ放り込んでいる。
前に食べた時より手つきが速い。
知っている味だから、遠慮も警戒もない。
「ミリィ、ゆっくり食え。火傷するぞ」
「でもとまらない!」
「知ってる」
「おいも、あまい! しょっぱい! カリカリしてる!」
「久しぶりの芋と油と塩の暴力だな」
「さいこう!」
「……やはり、芋を油で揚げるという調理法は完成度が高い」
ロエンも無表情のまま、猛烈な速度でフライドポテトを咀嚼していた。
「収穫祭の時は、採れたての芋の力が強かった。今日のこれは通販品だが、形と火の通りが均一だ。これはこれで、料理として安定している」
「農夫兼評論家みたいになってるぞ」
「どちらも大事だ」
「そうかもしれないけど」
ロエンは一本、また一本とポテトを口に運ぶ。
「素材の個性を味わうなら収穫祭の芋。手軽さと均一な食感なら、こちらだな」
「まさかフライドポテト比較論が始まるとは思わなかった」
「どちらも悪くない」
「最高評価じゃん」
「エルフは肉食を好まんと言っているだろうに……」
シルフィはいつものように文句から入った。
だが、その両手にはしっかりハンバーガーが握られており、すでに二口ほど減っている。
「しかし、この複雑に絡み合う味の階層は認めざるを得ないな」
口元にケチャップをつけたまま、妙に真面目な顔で分析している。
「パンの甘み、野菜の瑞々しさ、肉の暴力的な旨味、乳のコク、酸味、辛味……下品なようでいて、全体は妙にまとまっている」
「褒めてるんだよな?」
「褒めている。……あと、その細い芋をもう少し寄越せ」
「素直にフライドポテトって言えよ」
「名前はどうでもいい。うまい」
「前にも似たようなこと言ってたな」
「味に罪はない」
「便利な言葉だな、本当に」
シルフィはハンバーガーを一口。
フライドポテトを一本。
さらにコーラを一口。
その一連の動きが、あまりにも自然だった。
「お前、完全にジャンク飯の食べ方を覚えてるな」
「覚えていない」
「いや、今の流れ、現代人並みに自然だったぞ」
「読書に必要な塩気の応用だ」
「今ハンバーガー食ってるだろ」
「うるさい」
足元では、ポテトが塩なしの素揚げポテトをもらい、尻尾をぶんぶん振っていた。
「ガウッ!」
「お前、本当にこれ好きだな」
「ガウガウッ!」
「そりゃ名前になるくらいだもんな」
「ガウ?」
ポテトは自分の名前を呼ばれたと思ったのか、首をこてんと傾げた。
やっぱりややこしい。
誰も怪我をせず。
誰も殺さず。
ただ圧倒的なハッタリと光のショーだけで貴族の軍隊を追い払い、その後に最高のジャンクフードを囲んで笑う。
俺の望む平和な引きこもり生活を守るには、意外と多くの苦労と機転が必要らしい。
だが、そのぶん勝った後の飯はうまい。
「ふう……美味い」
俺はコーラでハンバーガーを流し込みながら、夕暮れの空を見上げた。
炭酸が喉を刺し、肉の脂を気持ちよく洗い流していく。
ああ、これだ。
この瞬間のために生きてる気がする。
ハンバーガー。
フライドポテト。
コーラ。
現代日本が誇る、栄養バランスを後回しにした幸福の三点セットである。
ロエンの畑で採れた芋を揚げた収穫祭。
その匂いに釣られて、段ボールの中から現れたポテト。
そして今、貴族を追い返した勝利祝いとして再び並ぶ黄金色の揚げ芋。
こうして考えると、この村の歴史、妙に芋に支配されている気がする。
いや、悪くない。
芋はうまい。
うまいものに支配されるなら、まだ許せる。
いつか、この騒がしい日常を完全に外の脅威から守ってくれる、そんな都合の良い結界の使い手でも現れてくれないものだろうか。
森を隠し、敵を迷わせ、できれば維持費も安くて、ついでに夏は涼しく冬は暖かい感じの便利なやつ。
そんな都合の良すぎる妄想をしながら、俺は最後のポテトを口に放り込んだ。
この時の俺は、まだ知らなかった。
その都合の良い結界に繋がる面倒ごとが、案外すぐ近くまで来ていることを。
まあ、それを知るのは、もう少し後の話である。




