第三十七話 空飛ぶ目(ドローン)と、森の戦略司令室
引きこもり生活九十一日目。
夏のゲリラ豪雨が森を洗い流してから、一夜が明けた。
空には一点の雲もない。
昨日の一時的な涼しさを嘲笑うみたいに、暴力的な真夏の日差しが、村――ログハウス周辺へ容赦なく降り注いでいる。
朝だというのに、空気はすでに熱を含み始めていた。
湿った土と木々から立ち上る匂いは、むせ返るほど濃い。
だが、そのぶん雨をたっぷり吸い込んだ森は、生き物みたいに瑞々しかった。
葉の一枚一枚が朝日を受け、きらきらと輝いている。
いかにも、夏の森は今日も元気です、と言わんばかりの朝である。
だが。
タープの下に集まった三人の顔つきは、森の生命力とは真逆に、いつになく真剣で重苦しかった。
「……土の匂いが違う」
ロエンが低く唸るように言った。
その手には、森の入り口付近から拾ってきたらしい太い木の枝が握られている。
彼はそれを、テーブルの上にどん、と置いた。
「それに、木々の削られ方が異常だ。動物同士の縄張り争いなどという生ぬるいものではない」
枝の樹皮は、何か巨大なヤスリか、あるいは鋼鉄の刃で乱暴に削り取られたみたいに、無惨にえぐれていた。
生々しい木肌が、ざっくりと露出している。
しかも、ロエンの説明によれば、同じような削り痕が彼の背丈よりずっと高い位置まで続いていたらしい。
「こりゃあ……暴走牛だねぇ」
ガランが腕を組み、いつもは快活そのものの顔に、珍しく渋い皺を寄せた。
「マッドブル、とも呼ばれる厄介な魔物さ。本来ならもっと深い森の奥、山岳地帯の近くにいるんだが……昨日のあの嵐で縄張りを追われて、この浅い階層まで降りてきたのかもしれないね」
「階層って、ダンジョンみたいに言うな。ここ、森なんだよな?」
「森だよ。でも深いとこは、もうだいたいダンジョンみたいなもんさ」
「聞きたくなかった現実だな……」
「マッドブル?」
俺が聞き返すと、木陰のハンモックで寝そべっていたシルフィが、珍しく漫画をぱたんと閉じて身を起こした。
その長い耳は、警戒を示すみたいにぴんと張り詰めている。
「四本のねじれた角を持つ、巨大な牛の魔物だ」
シルフィが静かに説明を始めた。
その声には、明らかな緊張が混じっている。
「装甲のように分厚く硬い皮膚を持ち、並の刃では傷一つつかない。一度突進を始めれば、大木すら容易くへし折って進む。性格は極めて凶暴で、視界に入る動くものすべてを敵とみなして排除しようとする」
「うわあ、めんどくさい」
「めんどくさいで済ませるな。森の生態系を物理的に破壊する、厄介極まりない獣だ」
「言い換えてくれたけど、やっぱりめんどくさいな」
「畑が……」
ロエンの耳が、ぴんと立った。
その目に、鋭い殺気が宿る。
農夫である彼にとって、手塩にかけて育てた畑を荒らされるというのは、命を狙われるのとほぼ同義だ。
マッドブルの突進が畑を一回かすめるだけで、ロエンが丹精込めて育てた野菜たちは、一瞬で泥に還るだろう。
「アタシ一人でも仕留められない相手じゃないが……森の木立の中で不意に突進を食らえば、ただじゃ済まないねぇ」
ガランが愛用の大斧の柄を、ぽんぽんと肩に当てながら言う。
「ああ。私が木の上から狙撃するとしても、あの硬い皮膚を抜くには、首筋や関節のわずかな隙間を正確に射抜く必要がある。動き回られている状態では、かなりやりにくい相手だ」
「つまり、強い、硬い、速い、うるさいの四拍子か」
「最後の一つは知らんが、だいたいそうだ」
「厄介さにおいて満点だな……」
ガランは元Aランク冒険者の女戦士。
シルフィは森を知り尽くしたエルフの狙撃手。
ロエンは寡黙な農夫――のように見えて、森の気配を読み、獣の足を止め、必要なら農具一本で魔物を仕留める実力者らしい。
その三人が顔を揃えて、なお警戒している。
となれば、俺の平穏な引きこもり生活と、美味い飯の源泉である畑を脅かす存在を、放置するわけにはいかなかった。
「よし。なら、お前ら三人で狩りに行ってこい。村の留守番と防衛は、俺とミリィとポテトで何とかする」
俺がわりと合理的な判断を口にすると、シルフィが少しだけ眉をひそめて首を振った。
「私たちで向かうのはいい。だが、森は広い。あの暴走牛が今どこにいるのか、正確な位置を特定するだけでも半日はかかる」
「それに、その間にまっすぐ村へ向かってこない保証もないからねぇ」
ガランも肩をすくめる。
「索敵中に不意打ちされるのが、一番イヤな相手さ。真正面から殴り合うより、見失う方が怖い」
「それは分かる」
敵の位置が分からない森の中を歩き回るのは、目隠しをして地雷原を歩くようなものだ。
しかも今回は、地雷の方が走ってくる。
最悪である。
だが――。
「索敵なら、俺に任せろ」
俺はにやりと笑い、空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを呼び出した。
「その顔、だいたい碌でもない時の顔だねぇ」
ガランが半眼で言う。
「ひどいな。今回はかなり真面目だぞ」
「前回もその顔で、水鉄砲を出してきた」
「それはそれ、これはこれだ」
実は、昨日のゲリラ豪雨の後片付け中に、また例のシステムメッセージが表示されていた。
【《快適生活お取り寄せ》の利用実績が一定値に達しました】
【進化ポイント +1】
【新たな機能候補が解放されました】
あの、妙に気の抜けた電子音つきのやつである。
前回は生活通販Lv.2を選び、お気に入り登録とセット購入という、引きこもり生活にとって極めて重要な機能を手に入れた。
今回は少し悩んだ。
交流通販を上げれば、エルフたちやトムじいとの取引に使える便利アイテムが増えるかもしれない。
それはそれで魅力的だ。
だが、最近は村の規模が大きくなってきた。
ログハウス。
畑。
プレハブ小屋。
ベルテント。
露天風呂。
貸本屋兼銭湯ルート。
トムじいとの物流ルート。
快適さが増えれば増えるほど、守るべきものも増える。
俺自身は剣も魔法も使えない。
だからこそ、拠点そのものの防衛力と監視能力を上げるべきだと判断した。
そして俺は、進化ポイントを使って拠点通販をLv.2にした。
【拠点通販 Lv.1 → Lv.2 にレベルアップしました】
【設置系アイテムの安定性が向上】
【監視・通信・簡易偵察カテゴリが拡張されました】
表示された時は、かなり地味な進化だと思った。
だが今は、その地味さが頼もしい。
防御とは、地味であればあるほどいい。
派手な爆発より、静かに危険を見つける目の方が、引きこもり生活には向いている。
「お前らに、現代日本の情報戦ってやつを教えてやるよ」
「その言い方が、もう不穏なんだよなあ」
「安心しろ。今回は攻撃用じゃない。見るためと、喋るための道具だ」
俺がセット購入で手配したのは、二つのアイテムだった。
一つは、四つのプロペラが付いたカメラ搭載型の小型ドローン。
もう一つは、耳に引っかけるタイプの骨伝導インカムを四つ。
青白い魔法陣の光とともに、ぽんっという軽い音を立ててテーブルに現れたそれらを見て、異世界組は一斉に胡散臭そうな顔をした。
「……なんだい、これは?」
ガランが、おそるおそるドローンのプロペラをつつく。
「鉄と樹脂でできた奇妙な鳥の模型と……黒い耳飾り?」
「耳飾りじゃない。通信機だ。ほら、全員これを右耳につけてみろ」
「コウタ、毎回思うんだが、お前の出す物は説明の前に見た目で不安になる」
「大丈夫だって。今回は爆発しない」
「今回は、と言ったな?」
「言ったねぇ」
「聞こえてたか……」
俺が指示すると、三人は警戒しつつも骨伝導インカムを耳につけた。
獣人であるロエンや、耳の形が人間と違うシルフィには若干つけにくそうだったが、フレキシブルなアームを少し調整すると、何とかこめかみ付近に固定できた。
「よし、テストするぞ」
俺は自分のインカムのボタンを押し、ログハウスの陰に隠れるように少し離れた場所まで歩いていく。
そして、小声で話しかけた。
『あー、あー。テスト、テスト。聞こえるか、お前ら』
「「「っ!!??」」」
三人が、雷にでも打たれたみたいに一斉に飛び上がった。
ガランは反射で大斧を構え、シルフィは目にも止まらぬ速さで弓を引き、ロエンは低い姿勢で周囲を睨みつける。
「こ、コウタの声が……っ! 私の頭の中に直接響いてきたぞ!?」
シルフィが、インカムを押さえながら、珍しく本気で狼狽した声を出す。
「だっははは! なんだこりゃあ! 気配がないのに耳元で喋られてるみたいだ! テレパシーの魔道具かい!?」
「……驚いた。全く魔力を感じないのに、これほど鮮明に届くとは」
「その反応が欲しかった」
「楽しむな」
俺は得意げに戻ってきて胸を張った。
「魔法じゃない。電波っていう見えない波の力だ。これで森の中でどれだけ離れていても、小声で俺と、そしてお前ら同士で会話ができる。敵に声を悟られずに連携が取れる」
「見えない波、便利すぎないかい?」
「現代文明は、見えないものにだいたい頼ってる」
「怖い話みたいに言うな」
「本当のことだ」
さらに俺は、手に持ったスマートフォン――ドローンのコントローラーを三人に向けた。
「そして、こいつだ」
画面を操作すると、テーブルの上に置かれていた小型ドローンの四つのプロペラが、キィィィィン……という甲高いモーター音と共に高速回転を始めた。
「なっ……鉄の鳥が、宙に浮いた!」
シルフィが目を見開く。
「ガウッ!」
同時に、ポテトが獲物の虫かなにかと勘違いして飛びつこうとした。
それを、ミリィが後ろから必死に抱えて止める。
「だめだよポテト! それ、たべものじゃない!」
「ガウゥ……」
「ポテト、それは食えない。たぶん美味くない」
「ガウ」
納得していない顔だった。
俺のスティック操作に合わせて、ドローンは空き地の上空へ静かに、だが驚くほど安定して垂直上昇していった。
数秒後には、木の高さを超え、村を見下ろす位置まで達する。
「こいつには空飛ぶ目がついてる。上空から森を見下ろして、その映像を俺の手元の画面にリアルタイムで送ってくれるんだ」
俺はスマホの画面を三人に見せた。
そこには、俺たちの村を真上から見下ろした、まるで鳥になったみたいな鮮明な映像が映っていた。
「こ、これは……っ」
シルフィが震える指で画面を指す。
エルフ特有の冷静な仮面が、完全に剥がれ落ちていた。
「上空からの視界を、居ながらにして完全に掌握できるというのか……!? これほどの広域索敵能力、森の精霊と深く同調した高位のエルフにしか不可能な離れ業だぞ……!」
「つまり、文明はエルフの上位互換……?」
「殺すぞ」
「冗談です」
「今のはギリギリ本気が混ざってたねぇ」
ガランが笑った。
「だろ?」
俺はドヤ顔で続ける。
「俺はこの家――できれば扇風機と冷たい飲み物のある安全圏から一歩も出ずに、空からターゲットを探す。お前らはインカム越しの俺の指示に従って動け。これで、奇襲されるリスクはかなり下がる」
「堂々と引きこもり前提で作戦を組むな」
「後方支援の美学だよ」
「ただ外に出たくないだけだろう」
「それを美学と呼んでるんだ」
こうして、俺の引きこもり生活の真骨頂――安全圏からの完全後方支援が始まった。
*
三十分後。
完全武装したガラン、ロエン、シルフィの三人は、森の中を足音一つ立てず慎重に進んでいた。
一方の俺はというと。
ログハウスのリビングにキャンプチェアを持ち込み、タブレット端末へミラーリングしたドローン映像を凝視していた。
テーブルには、簡易地図。
ホワイトボード。
予備バッテリー。
冷たいコーラ。
ポテチ。
そして、真剣な顔で隣に座るミリィ。
足元には、ポテト。
完全に即席の戦略司令室である。
「うん。最高だな……」
「なにが?」
ミリィが横から画面を覗き込んでくる。
「現場は命懸け、司令官は涼しい部屋でコーラ。完璧な分業だ」
「わるいひとみたい」
「否定しづらい」
ポテトが足元で「ガウ」と鳴く。
「お前もそう思うか」
「ガウ」
「司令官は座って全体を見るのが仕事なんだよ」
「ガウゥ」
「なんか納得してない顔だな……」
『コウタ。こちらシルフィ。現在、村から北西へ一キロ地点だ。マッドブルの真新しい痕跡を見つけた。足跡の縁がまだ崩れていない。かなり近いぞ』
インカムから、ノイズ一つないクリアなシルフィの声が響いた。
「了解。ドローンの高度を上げる。その周辺を上から見る」
俺はコントローラーを操作し、ドローンを森の樹冠すれすれまで移動させた。
高解像度カメラが、鬱蒼とした森の隙間を舐めるように映し出していく。
さらに表示モードを切り替えると、木々の熱とは別に、生き物の体温が赤や黄色の塊として浮かび上がった。
「……見つけた」
画面の端。
木々が不自然になぎ倒されている獣道の奥に、異常に巨大な熱源の塊がのそりと動いている。
ズームを上げる。
そこにいたのは、四本のねじれた角を持ち、全身が筋肉と装甲じみた皮膚で覆われた黒茶色の巨獣だった。
まるで牛というより、角の生えた岩の塊だ。
間違いなく、暴走牛――マッドブルである。
「シルフィ、ガラン、ロエン。ターゲット発見。現在地から十一時方向、距離およそ四百メートル。風下に向かってゆっくり移動中。周囲に他の大型反応は……今のところない」
『だっははは! 本当に空から丸見えなんだねぇ! まるで神様の目だ!』
ガランの声が弾む。
『風下か……好都合だ。我々の匂いは向こうに届かない』
ロエンは相変わらず実務的だ。
ただし、今日の彼が手にしているのは剣でも槍でもない。
柄の長い鍬と、腰に差した草刈り鎌。
完全に農具である。
だが、その持ち方に隙はない。
畑を耕す道具でありながら、ロエンの手にあると、妙に恐ろしい武器に見える。
いや、実際たぶん恐ろしい。
農夫を本気で怒らせると怖いのだ。
『位置も歩速も分かるのか。……これ、戦争の道具だろう』
シルフィが低く呟く。
「やめろ、怖いこと言うな。今は平和利用だ」
「いま、まものがりしてるよ」
ミリィが素直な疑問を口にする。
「……平和寄り利用だ」
「より?」
「よりだ」
俺は咳払いして、タブレットの地図表示と映像を見比べた。
「よし、フォーメーションを組むぞ」
ホワイトボードに簡単な森の地形と三人の位置を描き、指示を飛ばす。
「ガランは正面から大回りして、奴の注意を引け。ロエンは右側面の茂みで待機。意識がガランに向いた瞬間、後脚の関節を鍬で叩いて崩せ。シルフィは左手の大木の上から狙撃ポイントを確保。首筋の急所が見えたら射抜け」
『了解』
『任せな!』
『……承知した』
画面越しに見る三人の動きは、さすが歴戦の猛者と言うべき無駄のなさだった。
しかも今回は、それぞれが勘と経験だけで動いているわけじゃない。
空から俯瞰する俺のナビゲーション付きだ。
いわばチートつきパーティプレイである。
「シルフィ、大木の上に到着したな。ターゲットとの距離、約四十メートル。射線は?」
『問題ない。首筋の動脈を射抜ける』
「ロエン、位置は?」
『右側面、茂みの中。風下。気取られていない』
「農具の準備は?」
『問題ない。鍬は刃ではなく重さで使う』
「農具の使い方じゃないな」
『畑を荒らす獣には十分だ』
「説得力がある」
「ガラン、突入準備」
『いつでも行けるよ! 血が滾ってきたねぇ!』
「俺は逆に胃がきりきりしてきた」
だが、やるしかない。
「――作戦開始!」
俺の合図と同時に、ガランが茂みから勢いよく飛び出した。
「だっははは! デカい牛のステーキ肉、もらいに来たよ!」
ガランはわざと大声を張り上げ、大斧の平で近くの木を、ガンッ、と叩いて派手な音を立てる。
ブモォォォォォォッ!!!
マッドブルが、突然現れた侵入者を認識し、地鳴りみたいな怒号を上げた。
巨大な前足で地面を掻き毟り、赤い目を血走らせる。
そして四本の凶悪な角を前へ突き出し、暴走する重戦車そのものみたいな勢いで突進を開始した。
「うわ、速っ」
「ガラン、がんばれー!」
ミリィはお気楽に応援しているが、俺の掌は汗でじっとりだった。
『おっと、直線的な動きは読みやすいねぇ!』
ガランはギリギリまで引きつけ、突進が命中する寸前で身をひるがえして躱した。
すれ違いざま、大斧の柄でマッドブルの脇腹を強かに打ち据える。
ゴツンッ!
まるで樫の木を殴ったみたいな鈍い音。
だが、あの分厚い皮膚と筋肉に阻まれて、致命傷には程遠い。
それでいい。
ガランの役目は、あくまで注意を全部引き受けることだ。
「ロエン、今だ! 右から後脚を崩せ!」
『承知』
マッドブルの意識が完全にガランへ向いた瞬間、ロエンが右側面の死角から音もなく飛び出した。
彼は爪ではなく、両手で握った鍬を低く構える。
畑の土を起こす時と同じ、無駄のない動き。
だが狙いは土ではない。
マッドブルの右後脚、その関節部。
装甲のような皮膚に覆われた巨体の中で、わずかに動きの継ぎ目が見える場所だ。
『畑を踏む足は、ここで止める』
ロエンが短く呟いた。
次の瞬間、鍬の重い刃が、横薙ぎに関節へ叩き込まれる。
ガギィンッ!
金属と骨がぶつかったみたいな硬い音が森に響いた。
ブモァッ!?
巨体を支える脚に衝撃が走り、マッドブルの体勢が大きく崩れる。
さらにロエンは腰の草刈り鎌を抜き、膝裏の柔らかい部分へ引っかけるように振り抜いた。
ざくり、と鈍い音。
マッドブルの右後脚が沈む。
その首が、一瞬だけ無防備に上を向いた。
「シルフィ! 撃て!」
『……風の精霊よ、貫け』
ヒュッ!
木の上から放たれた矢は、音すら置き去りにするような速度で飛び、マッドブルの首筋――最も装甲が薄く、太い動脈が走る急所へ狂いなく突き刺さった。
ドゴォォォォンッ!!
数トンはありそうな巨体が、断末魔と共に地面へ倒れ伏す。
森の土と枯れ葉が爆発したみたいに巻き上がり、周囲の木々がびりびり震えた。
太い四肢が何度か痙攣し――やがて、完全に止まる。
『……対象の沈黙を確認した』
インカム越しに、シルフィの声が響く。
少しだけ興奮が混じっていた。
『見事な急所だった。完璧な連携だな』
『だっははは! アタシ、こんな楽な狩りをしたの初めてだよ!』
ガランが景気よく笑う。
『敵の位置も動きも全部事前に分かってて、誰がどう動くかまで頭の中に聞こえてくるんだから、そりゃ負ける気がしないね!』
『コウタの空飛ぶ目と通信機の恩恵だ。恐ろしいほどの戦術的優位だった』
ロエンも珍しく素直に評価した。
その手には、血と泥のついた鍬が握られている。
『それと、鍬はやはり優秀だ』
「そこで農具の評価を入れるのか」
『土にも獣にも効く』
「用途を広げすぎだろ」
タブレットの画面には、三人がマッドブルの巨体の前に集まり、勝利のハイタッチを――正確には、ガランが無理やりやらせている様子が映っている。
ロエンは微妙に嫌そうで、シルフィはもっと嫌そうだったが、とにかく勝利は勝利だ。
「お疲れ様。見事な連携だったぞ」
俺は氷入りコーラを一口飲み、最大限リラックスした姿勢でねぎらう。
「俺は涼しい部屋でお菓子食いながら見てただけだけどな」
「さいてー」
ミリィが言う。
「司令官の特権だ」
『悪い大人の言い訳だねぇ』
インカムの向こうでガランが笑った。
「聞こえてたか!?」
――その時だった。
『……待て』
突然、インカムからシルフィの鋭く凍った声が響いた。
その一言だけで、俺の背筋に冷たいものが走る。
『まだ血の匂いが……違う。別の方角から、もう一つの気配が急速に接近している!』
「何だって……!?」
俺は慌ててタブレットの画面に顔を寄せ、ドローンのカメラを旋回させた。
広角モード。
熱源表示。
周辺スキャン。
次の瞬間、森の深部から猛スピードで接近してくる、もう一つの巨大な熱源が映った。
しかも――でかい。
「おい、冗談だろ……!」
その熱源は、今倒したマッドブルより一回りどころか、二回りは大きかった。
並の個体じゃない。
親玉か。
つがいか。
あるいは、この辺りの生態系に存在してはいけないレベルのボス個体だ。
「ガラン、ロエン! 六時方向からもう一頭来てる! さっきのよりずっとデカい!」
『なんだって!?』
ガランが大斧を構え直す。
『くっ――!』
ロエンも即座に鍬を構え直した。
だが、遅い。
二頭目のマッドブルの突進速度は異常だった。
三人が、勝利の余韻と獲物の確認に気を取られた、ほんの一瞬。
その隙を、森の王者は見逃さなかった。
バキバキバキッ!!
太い木々をマッチ棒みたいになぎ倒しながら、小山のような黒い巨影がガランの背後へ迫る。
あまりにも速い。
あまりにも重い。
あれが直撃すれば、さすがのガランでもただでは済まない。
「くそっ、間に合わないか……!」
『射線が被る!』
シルフィが木の上から二本目の矢をつがえるが、ガランの体と敵の進路が重なっていて撃てない。
ロエンも距離が離れすぎていて、農具を振るう間合いに入れない。
このままじゃ、ガランが背後からあの巨大な角の餌食になる。
俺の額から、つうっと冷たい汗が流れた。
「どうする……! 俺に何ができる……!?」
安全なログハウスの中から、ただモニター越しに仲間が蹂躙されるのを見ているだけなのか。
俺が誇っていたはずの安全圏からの完璧な後方支援は、想定外が一つ来ただけで、こうも脆いのか。
ミリィが不安そうに俺の袖を掴む。
「コウタ……!」
足元のポテトも、何かを感じ取ったのか、低く「ガウゥ」と唸った。
俺の指が、タブレットの上で震える。
だが、止まるわけにはいかない。
まだ手はある。
現代アイテムのポテンシャルは、こんなものじゃない。
俺はドローンの操作画面へ視線を走らせた。
高度。
バッテリー残量。
カメラ角度。
特殊機能。
警告ブザー。
高輝度ライト。
農地用の獣害対策モード。
それを見た瞬間、頭の中にひとつだけ、無茶な手が浮かんだ。
戦える。
俺も、この安全圏からなら。
手のひらに汗が滲む。
喉がからからに乾く。
それでも、俺はコントローラーを握り直した。
「……耐えろ、ガラン!」
俺は叫び、ドローンの高度を一気に下げた。
迫りくる巨獣とガランの間へ、その小さな機体を割り込ませるために。
その一瞬。
俺のログハウスは、ただの快適な引きこもり拠点ではなくなった。
空から森を見下ろし、仲間の声を拾い、敵の動きを読み、次の一手を決める場所。
森の戦略司令室。
そして俺は、外へ一歩も出ないまま、初めて本当の意味で戦場に介入しようとしていた。




