第三十五話 初夏の水浴びと、エルフの狙撃手(スナイパー)
トムじいという、麓の街との物流ルートが開通してからしばらく。
俺の村――ログハウス周辺の生活基盤は、かつてないほどの安定期を迎えていた。
通販では手に入りにくい異世界の調味料。
異世界の道具。
異世界の食材。
そういったものが、定期的にトムじいの荷車で届くようになったことで、俺の引きこもり生活はますます盤石になりつつあった。
《快適生活お取り寄せ》の生活通販Lv.2。
エルフたちとの貸本屋兼銭湯ルート。
トムじいとの物々交換による街の物流ルート。
ロエンの畑。
ガランの狩猟能力。
シルフィの森情報。
ポテトの着火能力。
ミリィの食欲。
最後だけ能力と言っていいのか微妙だが、とにかく村は順調だった。
順調だったのだが。
季節というやつは、こちらの快適さをそう都合よく尊重してはくれない。
引きこもり生活七十日目。
その日の午後。
ログハウスの分厚い断熱壁と二重窓に守られた室内は、かなり快適だった。
だが、一歩外に出た瞬間。
むわっ、とした熱気が全身にまとわりついてきた。
「……夏だなぁ」
初夏特有の、湿気をたっぷり含んだ重い空気。
日差しそのものより、この逃げ場のないぬるさがきつい。
空は青い。
森は濃い緑に染まっている。
鳥の声も虫の声も、実に異世界らしく爽やかだ。
だが、暑いものは暑い。
異世界だろうがファンタジーだろうが、湿気は人類共通の敵である。
「……あついー」
タープの下に置かれたキャンプチェアで、ミリィがぐったりと溶けていた。
普段ならぴんと立っている獣の耳は、ぺたんと垂れ下がっている。
自慢の尻尾も、地面に投げ出されていた。
毛皮を持つ獣人にとって、この湿気と暑さは人間以上にこたえるらしい。
「だっははは……こりゃあ、鎧なんて着てられないねぇ……」
ガランもプレハブ小屋の影で大の字になっていた。
すでに金属製の防具はすべて外し、薄手のタンクトップのような部屋着姿になっている。
鍛え上げられた体格がやたら健康的に目立っていて、こちらとしては視線の置き場に少し困る。
いや、見るな。
見るんじゃない。
俺の中の現代日本人が、全力で紳士的な姿勢を保とうとしている。
「……土が乾くのが早い。少し、異常な気候だな」
畑の水やりを終えたロエンも、毛皮から湯気でも立ちそうな勢いで戻ってきた。
彼に至っては、珍しく口を開けてハァハァと犬みたいな体温調節をしている。
普段の無口でクールな雰囲気が、暑さで全部溶けていた。
唯一涼しい顔をしているのは、木陰のハンモックで漫画を読んでいるシルフィくらいだ。
エルフは森の気候変動に強いのか、多少の暑さでは動じないらしい。
だが、よく見ると、傍らに置いた麦茶の減りがいつもより早い。
つまり、平気そうな顔をしているだけだ。
このままでは、俺の貴重な労働力――もとい、大切な仲間たちが本格的にバテる。
熱中症で誰か倒れでもしたら、俺の平穏な引きこもり生活にまで深刻なダメージが及ぶ。
それは困る。
非常に困る。
「よし、お前ら。今日の午後の作業は全部中止だ」
俺がパンッと手を叩くと、溶けかけていた面々が薄く目を開けた。
ミリィは「たすかった……」という顔をし、ガランは「待ってました」とばかりにニヤつき、ロエンは「妥当だ」と言いたげに静かに頷いた。
「労働免除かい……? 坊や、ついにアタシたちの暑さに同情したか……」
「お前は引きこもってゲーム三昧だろ」
「暑い中でゲームするのも体力を使うんだよ」
「使わないとは言わないけど、畑仕事と同列にするな」
ガランがだらしなく笑う。
「まあ、同情もあるけど、これ以上やっても効率が悪すぎる。それに俺だって、暑さで何もしたくない」
「珍しく正直だねぇ」
「俺はいつだって正直だよ」
すると、そこでミリィががばっと上体を起こした。
「じゃあ、みずあそびしよう!」
「は?」
「みず! つめたいの! ばしゃーってするの!」
「いいねぇ!」
ガランが即座に乗った。
「川だよ、川! こう暑い日にゃ、冷たい水に飛び込むのが一番だ!」
「……ここから三十分ほど歩いた場所に、泳ぐのに適した流れの緩やかな浅瀬がある」
ロエンまで冷静に補足してくる。
嫌な流れだ。
「ちょっと待て」
俺は片手を上げて制した。
「なんで外なんだよ。ここには露天風呂があるだろ。あれに水を張って、簡易の水風呂にすれば十分じゃないか」
「却下だねぇ」
ガランが秒で言った。
「なんで!?」
「狭いからさ。アタシとシルフィが少し暴れたら終わりだよ」
「暴れる前提で考えるな」
「それに、風呂は風呂だ」
シルフィが漫画から目を離さずに言った。
こいつ、話はちゃんと聞いていたらしい。
「川には流れと地形と木陰がある。風呂桶に水を張っただけでは、自然の冷気による多層的な涼感が再現できん」
「何その理屈っぽい却下」
「事実だ」
「あと、はしっこにカエルもいない」
ミリィが真顔で言った。
「カエルが必要条件なのか?」
「たのしいから」
「そうか……」
俺は気を取り直した。
「なら、ビニールプールを出す。大型のやつを通販で買えばいいだろ。空気入れて、水入れて、タープの下に置けば快適だぞ。家から近いし、移動しなくて済むし、俺も椅子から動かなくていい」
「却下だ」
今度はロエンだった。
「お前まで!?」
「水がぬるくなる。流れもない。足元も単調だ。自然の川の方が、体温を奪う効率が高い」
「なんでそんなに分析が進んでるんだよ」
「暑いからだ」
「説得力があるな……」
「あと、ビニールぷーるって、さかなとれないでしょ?」
ミリィが当然のように言う。
「魚を取る前提になってるのか」
「うん」
「決定事項だったか……」
「坊や」
ガランがにやにやしながら肩を組んできた。
暑い。
「アンタ、ほんとは外に出るのが面倒なだけだろ?」
「当たり前だろ。わざわざ暑い中、森を歩いて、川まで行って、濡れて、戻ってくるんだぞ。引きこもりにとっては苦行だ」
「でも、たまにはいいじゃないか。夏の川遊びってやつを教えてやるよ」
「露天風呂の水張りで十分だって」
「だめ」
「ビニールプールで」
「だめ」
「ログハウスで扇風機回して漫画読むとか」
「それはシルフィしか喜ばない」
「私はかなり喜ぶが」
「お前は黙ってろ」
どうやら全員、完全に川に行く気になっているらしい。
俺一人がどれだけ合理的で怠惰に満ちた代替案を提示しても、誰一人乗ってこない。
理不尽だ。
「コウタ」
ミリィが、とてとてと寄ってきて俺の服の裾を掴んだ。
「いこうよ。みんなでいったら、たのしいよ?」
「……その誘い方はずるい」
「ずるいってなに?」
「可愛いってことだよ」
「やったー!」
だめだ。
包囲網が完成している。
さらにロエンが追撃してきた。
「お前も、たまには外の涼しい空気を吸った方がいい。ログハウスは快適だが、今日は森の風の方が理にかなっている」
「お前、最近ちょっと俺を健康にしようとするよな」
「不健康な家主が倒れると、畑の収穫物の消費先が減る」
「理由が現実的すぎる」
「よし、決まりだね!」
ガランがばんっと両手を打った。
「坊やは拉致。アタシらは水遊び。これで全員幸せだ!」
「俺の意思は!?」
「ない!」
「ひどい!」
こうして俺は、全会一致で“川へ連れて行かれる側”に決定した。
*
「ほら、コウタ。荷物まとめろ」
「なんで俺が」
「言い出しっぺはアンタじゃないけど、文明の利器を出せるのはアンタだけだろ?」
「ぐっ……」
それはその通りだった。
結局、俺が空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを呼び出し、水遊び用の装備一式を検索する羽目になる。
「ええと……夏の川遊びセット。大判レジャーシート。ポータブルクーラーボックス。氷点下保冷剤。棒アイス詰め合わせ。タオルセット。着替え用の大きめシャツ……」
そこで、俺は少し考えた。
川に入るなら、服のままではまずい。
濡れた服で帰るのも嫌だ。
というか、川遊びをするなら専用の服があった方が安全だ。
「……あと、水着だな」
水着。
その単語を入力した瞬間、通販ウィンドウにずらっと商品が並んだ。
メンズ用サーフパンツ。
女性用スポーツ水着。
ラッシュガード。
子ども用水着。
水遊び用サンダル。
簡易更衣テント。
防水バッグ。
「おお……一気に夏休み感が出たな」
俺は全員のサイズ感に合わせて、露出が多すぎない無難なものを選ぶ。
俺用には黒のサーフパンツ。
ガランには動きやすいスポーツタイプの水着。
シルフィには濃紺の競泳風水着。
ミリィには子ども用の明るい色の水着。
ロエンには膝丈の水着と、ラッシュガード。
ついでにポテト用の小型犬向けライフジャケットも候補に出たが、本人が川に入るか分からないので一旦保留にした。
「手際がいいじゃないか」
ガランがにやにやする。
「諦めが早いとも言う」
「それで? その“みずぎ”ってのは何なんだい?」
「水に入る時に着る服だよ。濡れても重くなりにくいし、動きやすい。あと、着替えの問題が減る」
「なるほど。坊やの世界は、水遊びにも専用装備があるのかい」
「だいたい何にでも専用装備がある」
段ボール箱がぽんぽんと空き地に現れた。
俺は簡易更衣テントを設置し、水着とタオルを配っていく。
「男女別で順番に着替え。ミリィはガランかシルフィに手伝ってもらえ」
「わかった!」
「これが、みずぎ……」
「布が少ないようで、意外としっかりしてるねぇ」
ガランが布地を引っ張って感心する。
「伸びる素材か。水を含んでも動きを妨げにくいよう作られているのだな」
シルフィは、いつものように構造を分析していた。
「お前は何でもまず分析から入るよな」
「道具の性質を理解するのは当然だ」
「まあ、いいけど」
そして、しばらく後。
全員が水着に着替えて出てきた。
ガランは、いかにも戦士らしいスポーツタイプの水着姿だった。
普段の鎧姿とはまったく違うが、鍛えられた体つきのせいか、むしろビーチバレーの競技者みたいな迫力がある。
シルフィは濃紺の競泳水着で銀髪を一つに束ねていた。
いつもの森の守り手というより、妙に涼しげな水辺の妖精みたいに見える。
ミリィは明るい色の子ども用水着で、フリルが付いて完全に夏休みの子どもだった。
本人はくるりと回って、尻尾をふりふりしている。
「コウタ! これ、うごきやすい!」
「よかったな」
「にあう?」
「似合う似合う」
「やったー!」
ロエンは無言で水着姿になっていたが、どこか落ち着かなさそうだった。
「……足が出る」
「水着だからな」
「不思議な服だ」
「濡れても乾きやすいぞ」
「なら、悪くない」
そして足元では、ポテトが全員の姿を不思議そうに見上げていた。
「ガウ?」
白くふわふわした火竜の仔犬は、自分だけ普段通りなのが納得いかないのか、俺の足元をぐるぐる回っている。
「お前はそのままでいい。水着を着せても、たぶん毛で見えない」
「ガウッ!」
なぜか得意げだった。
俺は全員を見渡して、少しだけ感慨にふけった。
異世界転移。
森のログハウス。
仲間たち。
初夏。
水着。
川遊び。
そして、女の子の水着。
……これは、あれだ。
たまにはこういう、ラノベっぽいサービス回があってもいいのではないだろうか。
いや、もちろん健全なやつだ。
俺の中のレーティング管理者はちゃんと働いている。
ただ、普段は畑だの、防災だの、風呂釜だの、物流だのをやっているので、こういう“異世界転移作品らしい夏イベント”が急に来ると、少しだけ満足感がある。
「……うん。異世界生活、たまにはこういうのもいいな」
「コウタ、何を満足げに頷いている?」
「いや、こっちの話だ」
「怪しいな」
「怪しくない」
シルフィが訝しげに目を細める。
俺はそっと視線を逸らした。
こうして俺たちは、水着と川遊び道具を抱え、ロエンの案内で森の奥の浅瀬へ向かった。
*
ロエンの案内で森を少し進むと、木立が開け、透き通るような清流が姿を現した。
川底の白い小石まではっきり見えるほど、水は澄んでいる。
木陰が直射日光をほどよく遮り、森の冷気を含んだ風が川面を撫でていた。
そこだけ、別世界みたいに涼しい。
「おおおっ……! 水の音がするだけで生き返るねぇ!」
ガランが歓声を上げ、さっそく浅瀬に足を突っ込んだ。
「ひゃあ! 冷たくて最高じゃないか! 坊や! 正解だったろ!?」
「まだ俺は認めてない」
「往生際が悪いねぇ」
「……わたし、みず、あんまりすきじゃない」
ミリィは川岸で少し躊躇していた。
猫系の獣人だからか、毛が濡れて重くなるのを本能的に嫌がっているらしい。
だが、その目は明らかに川の中を気にしている。
水は嫌だが、興味はある。
複雑な獣心だ。
「まあ、無理に入らなくてもいいぞ。足をつけるだけでも涼しいからな」
「……あしだけ」
「うん。足だけ」
俺はトートバッグからレジャーシートを取り出し、木陰に広げた。
そこへクーラーボックスを置き、タオルを並べる。
ベースキャンプ完成である。
正直、俺はこれで十分だった。
ここで椅子でも出して、冷たい麦茶でも飲みながら、みんなが遊ぶのを眺める。
最高だ。
だが、そうはならなかった。
「……コウタ」
「なんだ」
「お前も入るのだぞ」
「は?」
「何を驚いている。お前だけ岸で干物みたいに寝転がるつもりだったのか」
「そのつもりだったが」
「却下だ」
「ここでも却下!?」
ガランまで笑いながら追随する。
「そうだよ坊や! ここまで来て見学だけなんて、一番ずるいじゃないか!」
「俺は見学担当で十分だろ」
「だめ!」
ミリィまで便乗してくる。
「コウタも、あしだけでもいいから! みんなでやるのがたのしいんだよ!」
「……その言い方、やっぱりずるいな」
「えへへ」
結局、俺は靴を脱がされるようにして浅瀬まで連行された。
冷たい水が足首に触れた瞬間、思わず肩が跳ねる。
「うわっ、冷たっ」
「だろう?」
ロエンが珍しく少し得意げだった。
「だから言った」
「……まあ、これは……たしかに悪くない」
「はい、認めた」
「認めたな、坊や」
「うるさい」
*
「さて、ただ水に浸かるだけじゃつまらないだろ。文明の利器を貸してやる」
俺はトートバッグから、現代日本の夏遊びの定番――大型のポンプ式ウォーターガンを取り出した。
川に来た以上、これくらいはやらねば損だ。
「なんだいそれは? 奇妙な形の筒だが……武器かい?」
「まあ、水遊び用の武器だな」
俺はタンクに川の水を入れ、レバーを前後させて圧力をかける。
「こうして、引き金を引くと……」
プシュッ!
一直線の水流が、川面を切り裂くように飛んだ。
「おおっ!」
「これを撃ち合って遊ぶんだよ。ほら、ガランとシルフィに一つずつ。ミリィには小さいのな」
「わーい!」
渡した瞬間、エルフと女戦士の目の色が変わった。
まずい。
これは絶対、遊びの範疇に収まらない。
「……なるほど。圧縮した空気の力で水を押し出しているのか。単純だが理にかなった構造だ」
シルフィが冷静に構える。
その姿勢が、完全に弓を構える時のそれだった。
「だっははは! 面白いじゃないか! この水流を当てれば勝ちってことだね!」
ガランは嬉々としてポンピングを始めた。
そして案の定、数十秒後には水鉄砲サバイバル戦が始まっていた。
ガランは腕力任せの突撃型。
浅瀬を踏み荒らしながら、正面から豪快に撃ち込んでくる。
対するシルフィは、岩陰と木立を使って姿を消す。
そして、木漏れ日の影から、狙った相手の額や首筋にだけ正確に水を撃ち込んでくる。
「ひゃっ!? 冷たっ!」
ガランの首筋に、水弾が命中した。
「どこから撃った!?」
「背後だ」
「背後ぉ!?」
「立ち位置が甘い」
さらに次の瞬間、俺の耳元を細い水流がかすめた。
「うわっ! 俺を狙うな!」
「狙ってはいない。警告射撃だ」
「水鉄砲で警告射撃とか言うな!」
「次は当てる」
「完全にスナイパーじゃねえか!」
シルフィは涼しい顔で、木陰からこちらを見ていた。
水着にラッシュガード。
手にはポンプ式ウォーターガン。
だが、空気は完全に森の狙撃手だった。
「遊びだよな!?」
「遊びだ」
「遊びの圧じゃないんだよ!」
「うるさい。遮蔽物を使え」
「初心者に戦術を要求するな!」
ガランが大笑いしながら突撃する。
「だっははは! 面白いじゃないか! ならアタシは正面突破だ!」
「単純だな」
「単純な力は強いんだよ!」
ガランの水流が、豪快にシルフィのいた岩陰を撃ち抜く。
だが、そこにシルフィはいない。
次の瞬間。
ガランの背中に、ぴしゅっ、と水が当たった。
「冷たっ!?」
「横が甘い」
「アンタ、水遊びでも容赦がないねぇ!」
ミリィは最初こそ小さい水鉄砲を握っていたが、途中で川魚を見つけた瞬間、武器を投げ捨てて素手漁へ移行した。
「さかな! いた!」
「ミリィ、戦線離脱が早い!」
「さかなのほうがだいじ!」
ロエンは少し離れた深みに腰を下ろし、耳と鼻だけ水面から出して無になっていた。
「ロエン、お前も参加しろよ」
「今、冷えている」
「返事が省エネすぎる」
「邪魔をするな」
「水浴びへの集中が深いな……」
そして俺はというと、浅瀬で巻き込まれないように後退していたはずなのに、気づいたらガランの流れ弾とシルフィの警告射撃の両方を食らって、膝下どころか太ももまでびしょ濡れになっていた。
「ちょっ、おい! 俺を撃つな!」
「すまん、遮蔽物かと思った」
「人間を遮蔽物扱いするな!」
「だっははは! 坊や、動きが鈍いから当たり判定がでかいんだよ!」
「ひどい!」
こうして、俺の“川に行きたくない”という意思は、最終的に“結局けっこう濡れている”という最悪の形で踏みにじられたのである。
いや。
最悪というほどではなかった。
冷たい水。
木漏れ日。
笑い声。
水着で川遊び。
水鉄砲を構えたエルフの狙撃手。
大笑いしながら突撃する女戦士。
魚を追いかける獣人少女。
水面で無になっている狼獣人。
そして、荷物番のつもりだったのに結局巻き込まれている俺。
……うん。
これはこれで、かなりラノベっぽい。
俺は顔に飛んできた水を拭いながら、ほんの少しだけ満足してしまった。
*
一時間後。
全員が肩で息をしながら、レジャーシートへ戻ってきた。
ずぶ濡れのガランは満足そうに笑っている。
シルフィは「まあまあだった」と言いながら、少しだけ頬を上気させていた。
ミリィは魚を二匹も捕まえて得意満面。
ロエンは相変わらず一番静かだったが、たぶん一番しっかり涼んでいた。
「ふぅーっ! やっつけられたねぇ! シルフィのやつ、水遊びでも容赦がないじゃないか!」
「遊びだからこそ容赦しない」
「理屈が怖いよ!」
「お前も人のことは言えん」
「それはそう!」
「おなかすいたー」
ミリィが、濡れてひんやりした体のまま俺の背中に寄りかかってくる。
冷たくて気持ちいいが、服までしっとりするのは勘弁してほしい。
「コウタ、なにかないの?」
「ある」
俺はクーラーボックスの蓋を開けた。
「限界まで遊んで火照った体に、最高のご褒美をやろう」
中に入っていたのは、強力な保冷剤に囲まれた大きめの氷。
それから、赤、青、緑、茶色の小瓶。
さらに、白いプラスチック製の妙な機械。
上に氷を入れる透明な器があり、横には手で回すハンドルがついている。
「……なんだい、それは」
ガランが真っ先に眉を上げた。
「氷を入れる箱かい? いや、横に取っ手があるねぇ」
「かき氷機だ」
「かきごおりき」
「氷を削って、ふわふわの冷たい菓子にする道具だ」
ミリィの耳がぴんと立った。
「こおりを、けずる?」
「ああ」
「ゆきにする?」
「だいたい合ってる」
「ゆきのおかし!?」
「そうだ」
ミリィの目が一瞬で輝いた。
「わたし、ゆきのおかし、たべたい!」
「前に食べたアイスとは違うのか?」
シルフィが、濡れた銀髪をタオルで押さえながら近づいてくる。
漫画より優先する価値があると判断したらしい。
「違う。アイスは凍らせた菓子だけど、かき氷は氷そのものを細かく削って、そこに甘いシロップをかける」
「氷そのものを菓子にするのか」
「そうだ」
「……お前の世界は、冷気の扱い方に妙な執念があるな」
「夏を生き延びるための知恵だよ」
「で、その小瓶は何だい?」
ガランが色とりどりのシロップを覗き込む。
「いちご、ブルーハワイ、メロン、抹茶。あと練乳とあんこもある」
「ぶるーはわい?」
「説明が難しい。青くて甘くて、夏っぽい味だ」
「雑だねぇ」
「実際そうとしか言いようがない」
俺はレジャーシートの上にかき氷機を置き、器をセットした。
クーラーボックスから氷を取り出し、かき氷機の上部に入れる。
蓋を閉め、横のハンドルを掴んだ。
「よく見てろよ」
くるくる。
ハンドルを回す。
最初は少し重い。
氷が刃に当たり、シャリッ、と涼しげな音を立てた。
くるくる、くるくる。
俺がハンドルを回すたびに、下の器へ白い氷の粉がふわふわと降り積もっていく。
「おおおっ……!」
ガランが身を乗り出した。
「本当に氷が雪になってるじゃないか!」
「すごい! こおりが、ふわふわ!」
ミリィが両手を握りしめて跳ねる。
「コウタ! もっと! もっとゆきふらせて!」
「はいはい」
くるくる。
くるくる。
シャリシャリ、シャリシャリ。
川のせせらぎと、かき氷機の音が木陰に響く。
異世界の森の中で、手回し式かき氷機を回している。
冷静に考えると意味不明な光景だが、暑い日の川遊び後には、これ以上ないほど正しい行為だった。
「……単純な構造だが、面白い」
シルフィがかき氷機を横から観察する。
「刃で氷を薄く削り、細かい結晶にしているのか。氷魔法の応用に似ているが、魔力を使わない分、誰でも扱える」
「子どもでも回せるぞ」
「危険は?」
「刃に指を入れなきゃ大丈夫」
「なら、後で私もやる」
「気に入ったのか」
「構造を理解したいだけだ」
「絶対食いたいだけだろ」
「それもある」
素直だった。
最初の山ができあがる。
俺はそこに、赤いいちごシロップをたっぷりかけた。
白い氷の山が、鮮やかな赤に染まっていく。
最後に練乳を細く回しかける。
赤と白が混ざり合った、完璧な夏の姿が完成した。
「はい、ミリィ。いちご練乳」
「わぁぁぁ……!」
ミリィは両手で器を受け取り、まるで宝物でも見るようにかき氷を見つめた。
「これ、たべていい?」
「いいぞ。ただし、勢いよく食べると頭がキーンってなる」
「わかった!」
絶対に分かっていない顔だった。
ミリィは木のスプーンで山盛りすくい、ぱくっと口に入れた。
「……っ!」
一秒。
二秒。
「つめたぁぁぁぁい!」
予想通り、ミリィは尻尾をぶわっと膨らませた。
「でも、あまい! ゆきなのに、あまい! 赤いところ、すごいあまい! しろいの、とろっとしてる!」
「練乳な」
「れんにゅう、ずるい!」
「また出たな、ずるい判定」
「おいしいものはずるいの!」
そう言いながらも、ミリィは止まらない。
しゃく、しゃく、と小さな音を立てて、赤い雪山をどんどん崩していく。
「次はアタシだね!」
ガランがわくわくした顔で前に出た。
「一番派手なやつを頼むよ、坊や!」
「じゃあブルーハワイだな」
「青いやつかい! いいねぇ!」
俺は再び氷を入れ、ハンドルを回した。
くるくる。
シャリシャリ。
白い氷が器へ降り積もる。
そこへ青いシロップをたっぷりかけると、まるで小さな湖みたいな色になった。
「はい、ブルーハワイ」
「おおっ! なんだこの色! 食べ物の色じゃないねぇ!」
「だが食える」
「最高じゃないか!」
ガランは豪快にスプーンを突っ込み、そのまま口へ運んだ。
「っっっ、くぅぅぅぅっ! 冷たっ! だがうまい!」
さっきまで水鉄砲で大暴れしていた女戦士が、今度は青い氷に殴られて目を見開く。
「口に入れた瞬間、雪みたいに崩れて消える! それなのに甘さだけはしっかり残る! しかもこの青いやつ、なんだかよく分からないのに妙に爽やかだ!」
「だから説明が難しいんだよ」
「これは夏の勝利って味がするねぇ!」
「前にも似たようなこと言ってたな」
「うまいものは勝利なのさ!」
ガランは一気に食べ進めようとして、次の瞬間、額を押さえた。
「っ、頭に来た!」
「だから勢いよく食うなって」
「戦士として、この程度の冷気に負けるわけには……!」
「食い物相手に戦うな」
次にシルフィが、静かに前へ出た。
「私は、緑のものを試す」
「メロンか?」
「いや、その茶と緑の粉の気配がする方だ」
「抹茶か。渋いな」
「甘いだけのものは、味の輪郭がぼやける。苦味がある方がいい」
「お前、本当に食レポが板についてきたな」
俺は氷を削り、抹茶シロップをかけ、さらにあんこと練乳を少し添えた。
「宇治金時風だ」
「うじきんとき」
「抹茶、あんこ、練乳。大人向けの組み合わせだな」
「なら、私向きだ」
シルフィは上品にスプーンですくい、口に運ぶ。
目を閉じた。
しばらく動かない。
「……なるほど」
やがて、低く呟いた。
「冷気が舌を刺す。しかし、すぐに抹茶の苦味が追いかけてくる。その奥に豆の甘みがあり、最後に練乳が全体を丸める」
「分析が細かい」
「前のアイスは魂を溶かす菓子だったが、これは違う」
「どう違うんだ」
「魂を冷やしながら、少しずつ削ってくる」
「怖い表現やめろ」
「だが、美味い」
「最初からそれでいいんだよ」
シルフィは、次の一口を迷いなくすくった。
かなり気に入ったらしい。
「ロエンは?」
「小豆のものがいい」
即答だった。
「やっぱりあずきか」
「甘すぎない方が好みだ」
「じゃあ、ロエンも宇治金時系でいくか。練乳は少なめな」
「頼む」
俺はもう一度、かき氷機へ氷を入れた。
くるくる。
くるくる。
何度もハンドルを回していると、さすがに少し腕が疲れてくる。
「コウタ、代わる」
ロエンが横から言った。
「え、いいのか?」
「ああ。仕組みは見た」
ロエンはハンドルを掴み、淡々と回し始めた。
くるくる、くるくる。
力加減が一定で、やけに滑らかだ。
氷が均一に削れていく。
「……お前、こういう単調な作業うまいな」
「農作業と同じだ」
「何でも農作業に接続するな」
ロエンは自分で削った氷に、あんこを乗せ、少しだけ練乳をかけた。
それから静かに一口。
「……悪くない」
尻尾が大きく揺れた。
「かなり気に入ってるな」
「小豆の甘さが、氷で締まる。暑い日の畑仕事の後に良い」
「完全に実用目線だ」
「実用は大事だ」
結局、全員が一杯ずつでは済まなかった。
ミリィはいちごのおかわり。
ガランはブルーハワイに練乳を追加。
シルフィは抹茶をもう一杯。
ロエンは黙って二杯目のあずきを削っていた。
途中から、みんな自分でハンドルを回したがるようになった。
「わたしもやる! くるくるする!」
「ゆっくりな。指を入れるなよ」
「わかった!」
ミリィは両手で一生懸命ハンドルを回す。
少し不格好だが、白い氷がちゃんと器に降っていく。
「ゆきつくってる! わたし、ゆきつくってる!」
「夏に雪を作る子どもか。なかなかすごいな」
「えへへ!」
ガランは力任せに回そうとして、俺に止められた。
「壊れる! 力を入れすぎるな!」
「だっははは! つい全力で回したくなるねぇ!」
「かき氷機相手に筋力を見せつけるな」
シルフィは構造確認と称して、分解しようとしたので止めた。
「開けるな」
「刃の角度を見たい」
「後でな」
「約束だぞ」
「何でそんなに真剣なんだよ」
木漏れ日の下、異世界の虫の声を聞きながら、全員でかき氷を食べる。
さっきまで川の中で大騒ぎしていた連中が、今は冷たい甘味を前にすっかり大人しい。
いや、正確には口が冷たさでふさがっているから静かなだけで、顔はみんなかなり幸せそうだった。
俺もいちご練乳のかき氷を一口食べ、ようやく肩の力を抜く。
しゃく。
氷が舌の上でほどける。
甘い。
冷たい。
溶ける。
そして、川遊びで火照った体に、すっと涼しさが戻ってくる。
露天風呂に水を張る案も、ビニールプールで済ませる案も、結局みんなに却下された。
その結果、こうして森の川辺まで引っ張り出されたわけだが――。
「……まあ、たまには悪くないか」
ぽつりと呟くと、すぐ隣でミリィがにこっと笑った。
「でしょ!」
「調子に乗るな」
「えへへ」
ガランが青く染まった舌を見せながら笑った。
「でも坊や、最初はあんなに嫌がってたのに、今はずいぶん満足そうな顔してるじゃないか」
「してない」
「してる」
「してない」
「してるねぇ」
「舌が青いまま言うな。説得力が変な方向に強い」
「……少なくとも、露天風呂に水を張って済ませるよりは、今日はこちらの方が正解だったな」
ロエンが静かに言った。
珍しく、はっきりと俺の代案を切り捨ててくる。
「お前、さらっとひどいこと言うよな」
「事実だ」
「反論しづらいのが腹立つ」
シルフィは抹茶の残りを丁寧にすくい、それからいつもの無表情気味の顔で言った。
「ビニールプール案も悪くはなかったが、川には流れと匂いと木陰がある。さらに、ここで食べる削った氷には意味がある」
「お、珍しくまともなこと言うな」
「それに、お前が連れてこられて不機嫌そうにしている顔も、少し面白かった」
「最後の一言が余計だ」
「事実だ」
「お前ら今日、そればっかりだな」
「よし、かき氷を食ったら、風邪を引かないうちに村に帰って、今度こそ露天風呂を沸かすぞ」
俺が言うと、ガランが豪快に笑った。
「おおっ! 川遊びのあとに風呂! そこは坊やの案が採用されるのかい!」
「最初からそういう順番ならよかったんだよ」
「でも川もたのしかった!」
「……それは認める」
「認めたな」
「認めたねぇ」
「うるさい」
ミリィは食べ終わった器を両手で持ったまま、満足そうに尻尾を振っている。
「つぎは、もっとおさかなとる! それで、かえって、おふろはいって、またゆきのおかしたべる!」
「欲望に正直すぎるだろ」
「だめ?」
「いや、だめじゃないけど」
「じゃあいい!」
夏はまだ始まったばかりだ。
俺の《快適生活お取り寄せ》と、こいつらの妙な行動力があれば、この異世界の暑い季節も、たぶん騒がしく、それなりに快適に乗り切れるだろう。
少なくとも、初めての冷たい菓子に驚く段階はもうとっくに過ぎている。
これからは、どの味が好きだの、どのシロップの組み合わせがうまいだの、誰が一番うまく氷を削れるだの、そういう贅沢な悩みが増えていくはずだ。
こうして俺たちは、甘い氷の余韻を口の中に残したまま、笑い声と水気を引きずって、俺たちの城――ログハウスへと続く森の道を歩き出した。
結局、引きこもりたかったはずの俺が、一番しっかり夏を満喫させられている気がしたが。
それはたぶん、気のせいではなかった。




