第三十三話 麓の商人と、百円のオーパーツ
引きこもり生活五十五日目。
固有スキル《快適生活お取り寄せ》がレベルアップし、生活通販がLv.2になって一週間と少し。
俺はベッドの上で半透明ウィンドウを呼び出し、寝ぼけた頭でお気に入り欄を開いた。
【名称:いつもの朝食セット】
・食パン一斤
・厚切りベーコン
・卵六個パック
・インスタントコーヒー
・紙フィルター
・砂糖
・ポーションミルク
「うん、完璧だな」
以前なら、起き抜けの脳みそで一つずつ検索していた食材たち。
だが、今の俺には生活通販Lv.2で解放された新機能――お気に入り登録とセット購入がある。
しかも、お気に入り登録した商品は消費MPが少し安い。
たった数パーセント。
されど数パーセント。
塵も積もれば、引きこもりの余裕になる。
「よし……召喚。ぽちっとな」
ボタンを押すと、テーブルの上に青白い光の粒子が集まり、パンやベーコン、卵のパックが、ぽん、ぽん、ぽん、と軽快な音を立てて現れた。
「おお……これはいい。かなりいい」
現代日本では当たり前すぎた“いつもの注文”の偉大さを、まさか異世界の森の中で噛み締めることになるとは。
俺はすぐにキッチンへ立った。
フライパンで厚切りベーコンを焼く。
ジュワァァ……と脂が溶け、その旨味の上へ卵を落とす。
白身がふわりと固まり、黄身がぷるりと震える。
トースターからは香ばしい匂い。
ペーパーフィルター越しに落ちるコーヒーの苦い香り。
完璧だ。
異世界だろうが何だろうが、この瞬間だけは文明に守られている気がする。
「コウタ、いいにおい!」
案の定、一番に匂いを嗅ぎつけたのはミリィだった。
扉を勢いよく開けて飛び込んできた小柄な獣人少女は、ぴんと立てた耳と、ぶんぶん振れる尻尾で全身の期待を表現している。
「なんのにおい? パン? たまご? おにく!?」
「全部だよ。朝飯だ」
「やったぁ!」
「……肉の焼ける匂い。完璧な朝だ」
続いて、畑の水やりを終えたロエンが入ってきた。
朝露に濡れた髪を指でかき上げながら、満足げに鼻を鳴らす。
こいつは普段クールぶっているくせに、飯時だけ感情が耳と尻尾に出るから分かりやすい。
「畑はもういいのか?」
「一通り見た。今日は日差しが強くなりそうだから、午前のうちに追加で水をやる」
「そっか」
「……その前に、腹を満たす」
「正直でよろしい」
俺はベーコンエッグ、トースト、コーヒーを並べた。
厚切りベーコンの焼き目。
半熟の黄身。
サクサクのパン。
自分で言うのもなんだが、かなりいい出来だ。
「すごい……なんか、えらいひとのあさごはんみたい」
「異世界に来てから一番いい朝飯かもしれないな」
「毎日これでいい」
ロエンがさらっと無茶を言った。
「お前、毎日ベーコンエッグを要求するな」
「だめか」
「だめじゃないけど、MPと健康の問題がある」
「健康」
「野菜も食えって言ってたのお前だろ」
「……それはそうだ」
ロエンは少し考え込む顔をした。
農夫としての理性と、飯への欲望が戦っているのだろう。
だが正直、俺も気持ちは分かる。
セット購入のおかげで、朝の準備が目に見えて快適になった。
生活通販Lv.2。
想像以上に優秀だ。
そんな新機能の恩恵を噛み締めながら、俺たちはいつもより少しだけ優雅な朝食を満喫した。
*
朝食後。
食器を片付け、俺が食後のコーヒーをすすっていた時のことだ。
ログハウス脇の高い木に登っていたミリィが、枝の上から声を上げた。
「コウタ!」
「どうした?」
「だれかくる! エルフじゃない、におい!」
「エルフじゃない?」
「うん! ガランみたいなにおいだけど、もっとおじいちゃん! あと、ロバ!」
ガランみたいな匂いで、もっとおじいちゃん。
情報が雑すぎる。
俺が首を傾げていると、プレハブ小屋の方から、寝不足顔のガランが大欠伸をしながら出てきた。
どうやら昨晩も格闘ゲームを徹夜でやっていたらしい。
「ふぁ〜あ……なんだい、朝から騒がしいねぇ。人間かい? この森の奥にそんな物好きが来るわけ……」
ガランが森の入口へ視線を向けた。
その直後。
「ひぃっ! ぜぇ、はぁっ……! な、なんだこの森は……っ! 魔物よけの香を焚いているのに、何度も死にかけたぞ……っ!」
木立をかき分け、ボロボロのローブを着た老人が転がるように飛び出してきた。
後ろには、ロバの引く小さな荷車。
老人は汗と泥にまみれ、杖を突き、肩で息をしている。
だが、その目だけは妙にぎらついていた。
「おや」
ガランが一気に目を覚ました。
「トムじいじゃないか。麓の街の道具屋の。どうしてこんなところまで来たんだい?」
「おおっ! ガ、ガラン殿! ご無事でしたか!」
トムじいと呼ばれた老商人は、ガランを見るなり泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「あなたがいつまで経っても街の宿屋に帰ってこないものですから、てっきりこの迷いの森で命を落としたのかと……っ!」
「だっははは! アタシがそんなヤワなわけないだろう!」
「いえ、ご無事なのは知っております!」
「知ってるのかい」
「問題は、なぜ無事なのかの方です!」
「今はここが快適すぎて、宿を引き払おうか迷ってたところさ!」
「か、快適……?」
トムじいは、ガランの言葉を壊れたオウムみたいに繰り返しながら顔を上げた。
そして、俺の村の全景を見て完全に固まった。
黒い板を屋根に乗せたログハウス。
森の景観を無視した真っ白なプレハブ小屋。
玉ねぎみたいな巨大ベルテント。
畑。
ソーラーパネル。
タープの下のキャンプチェア。
奥ではヒノキ風の露天風呂が湯気を立て、木陰のハンモックではエルフの美女がだらしない姿勢で漫画を読んでいる。
迷いの森のど真ん中にあるには、あまりにも生活感が強すぎる光景だった。
「こ、ここは……妖精郷ですか!? いや、違う、もっと俗っぽい! なんだこの、神秘と生活臭の絶妙な配合は!?」
「幻覚じゃないよ。アタシも最初は自分の目を疑ったがね」
「疑った結果、なぜ適応しているのですか!?」
「風呂と飯とゲームがあるからさ」
「俗物!!」
トムじいの悲鳴が、初夏の森に響いた。
「ほら、紹介してやるよ」
ガランが笑いながら、俺の肩を叩く。
「ここの村長で、とんでもない魔法の道具を次々と呼び出す、人間の坊やのコウタだ」
「どうも。コウタです」
「あなたが……!」
トムじいは俺を上から下まで観察した。
顔、服、足元、腰回り、手元。
完全に商人の目だ。
この男は何を持っているのか。
何を隠しているのか。
どれだけ稼げるのか。
それを一瞬で見極めようとしている。
「あなたが麓の街で最近、密かに噂になっている“姿なき森の賢者”……!」
「なんだよ、その厨二病みたいな二つ名は」
「噂になっているのですよ!」
トムじいが食い気味に言った。
「最近、あの気高きエルフの集落の者たちが、街の市場に高価な月光茸や精霊草を持ち込んでは、布や食料や日用品を爆買いしていくのです!」
「爆買い」
「しかも妙に顔がつやつやしている!」
ああ。
思い当たる節しかない。
「そして決まって言うのです。『森の奥に素晴らしい文化の聖地ができた。あそこの湯と、続きの気になる紙の束のために、我らは惜しみなく対価を払う』と!」
「……あいつら、もう隠す気ゼロだな」
エルフたちは本格的に、俺の村の貸本屋兼銭湯システムの常連になるため、森のレアアイテムを換金しているらしい。
種族の誇りとは一体。
「私は商人です!」
トムじいは鼻息を荒くして、一歩前へ出た。
「商人ギルドの長として、エルフたちをそこまで狂わせる聖地とやらを、この目で確かめずにはいられなかったのです!」
言いながら、目線はログハウス、プレハブ、露天風呂、ハンモック、ソーラーパネル、クーラーボックスへと忙しく動いている。
完全に現地調査モードである。
「……とりあえず、座って休んでくれ。麦茶でも出すから」
「む、むぎちゃ?」
俺はトムじいをキャンプチェアへ案内し、ウォータージャグから氷入りの麦茶を紙コップに注いだ。
カラン、と氷が鳴る。
その音に、トムじいの目がぴくりと反応した。
「ど、毒などは……?」
「入れないよ。ガランの知り合いなんだろ?」
「それはそうですが、この森の奥で、紙の器に入った冷たい飲み物を手渡される状況が理解不能で……」
ぶつぶつ言いながらも、トムじいは恐る恐る一口飲んだ。
「……っ!!??」
見事なまでに、エルフ長老と同じ反応だった。
目が限界まで見開かれ、喉仏がごくりと動き、肩がぶるっと震える。
「こ、氷!? 初夏のこの時期に、なぜ氷が!? しかもこの飲み物、雑草を煮出したような素朴な味ですが……っ、この恐ろしいほどの冷たさと合わさることで、歩き疲れた体に異常なほど染み渡る……!」
「だろ? 暑い日の麦茶は最強のポーションだからな」
「ぽ、ポーション……! たしかに回復している気がする……!」
トムじいは一気に飲み干し、「ぷはぁっ!!」と実に庶民的な声を漏らした。
そして次の瞬間、顔つきが変わる。
パニックも感動も一度脇へ追いやられ、そこに現れたのは、値踏みと計算を仕事にしてきたプロの商人の目だった。
「……コウタ殿。単刀直入に伺います」
「なんだ?」
「あなた、この森で商売を始めるおつもりですか?」
声の調子が違う。
冗談ではない。
本気の探りだ。
「これほどの設備、これほどの未知の技術。もしあなたが麓の街にこれを持ち込めば、既存の商人たちは一日で破滅します。氷。紙の器。透明な容器。均一な加工品。保存技術。建築資材。未知の調味料。光る灯り。湯を安定して沸かす設備……あなたは何を企んでいるのです?」
「企んでない、企んでない」
俺は慌てて両手を振った。
「俺は街になんて行かないし、この森から一歩も出る気はない。ただ、自分が快適に引きこもって暮らすために便利な道具を取り寄せてるだけだ」
「……本気ですか? これだけの力がありながら、ただ引きこもるためだけに?」
「本気だよ。俺は労働と面倒な人間関係が大嫌いなんだ」
「そこまで堂々と言い切りますか」
「言い切る」
トムじいはしばらくぽかんとしていた。
やがて、腹の底からこみ上げてきたように笑い始める。
「ふっ……くく……ははははは! なるほど! あなたは欲がないのではない。ただ、欲の向く先が権力でも名声でもなく、究極の怠惰に全振りされているのですな!」
「人聞きの悪い言い方をするな。究極の効率化と言ってくれ」
「同義ですな!」
「違うわ!」
商人は口がうまい。
トムじいは笑いながらも、すでに何かを決断した顔で荷車へ向かった。
そして、一つの木箱を抱えて戻ってくる。
「コウタ殿に王都を揺るがすような野心がないと分かって安心しました。では、ここからは純粋に一人の商人として、取引を持ちかけたい」
「取引?」
「はい」
木箱の中には、香辛料の小袋、乾燥薬草、上質な布、金属製の小物、街の保存食らしきものが丁寧に詰められていた。
「あなたが街へ出たくないのなら、私が定期的に街から物資を運びましょう。塩、香辛料、布、金属器具、薬草、保存食、その他ご希望のものを、可能な限り揃えます」
「それはありがたいな」
「その代わり――あなたの未知の道具を、いくつか私に卸していただけませんか?」
なるほど。
俺の《快適生活お取り寄せ》で手に入る現代日本の品を、トムじい経由で街へ流す。
悪くない。
エルフたちからもらう月光茸や精霊草は価値が高いが、日々の暮らしに必要な異世界側の細かい物資は、街の商人ルートがあった方が圧倒的に便利だ。
ただし、問題はある。
調子に乗って現代品を大量に流せば、面倒な連中が必ず寄ってくる。
貴族。
商人ギルド。
王都。
神殿。
軍。
そういう名前だけで胃が重くなる相手たちだ。
「……条件がある」
俺は指を一本立てた。
「俺の名前と場所は絶対に伏せること」
「もちろんです」
「大量に売らないこと。珍品として、少しずつだ」
「承知しました」
「武器になるもの、危険なもの、変に権力者の目を引くものは出さない」
「よろしいでしょう」
「面倒な客が来たら、取引は即打ち切り」
「肝に銘じます」
返事が早い。
商人として、そのあたりのリスクは分かっているのだろう。
「よし。なら、取引成立だ」
「ほ、本当ですか!」
トムじいの顔がぱっと明るくなった。
ついさっきまで死にかけだったのに、商談成立の一言で十年若返ったみたいだ。
「ではまず、どのようなものを――」
「そうだな」
危険すぎず、価値が分かりやすく、持ち運びしやすいもの。
かつ、異世界人が見たら腰を抜かしそうなもの。
俺は《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開き、MPをほんのわずかだけ消費した。
そして、あるアイテムを一つ呼び出す。
コンビニでも百均でもどこにでも売っている、透明なプラスチック製の百円ライターだった。
「……なんですか、これは」
トムじいが目を細める。
「透き通るような美しい素材の小箱……? 中に水のようなものが入っている。香りは……油? しかし、こんな小さな入れ物に何の意味が」
「まあ見てろ」
俺はライターを受け取り、親指でフリントを回した。
カチッ。
シュボッ。
小さく、だが安定した炎が、先端から立ち上がる。
「なっ……!!??」
トムじいが椅子から転げ落ちそうになった。
「ほのお!? 呪文の詠唱も、魔石の触媒も、火打ち石もなしに!? しかも片手で一瞬にして!?」
「ただのライターだよ。火打ち石と燃料が一体化してるだけだ」
「ただの、とは!?」
トムじいは震える手でライターを受け取り、恐る恐る試してみる。
カチッ。
シュボッ。
「ついた……」
もう一度。
カチッ。
シュボッ。
「また……!」
完全に沼に落ちた顔だ。
「すごい! 毎回つく!」
ミリィが目を輝かせる。
「そりゃライターだからな」
「いや坊や、この世界じゃ“そりゃ”じゃ済まないんだよ」
ガランが腹を抱えて笑う。
すると、足元で寝ていたポテトが、不満げにライターの火を見上げた。
「ガウゥ……?」
その顔は、どう見ても“俺の仕事が奪われるのか?”と言っている。
次の瞬間。
「ぶぇっくしょい!」
ポテトがくしゃみみたいな音と共に、焚き火台へ小さな火球を吐いた。
ぼふん、と薪が派手に燃え上がる。
「だっははは! 坊や、ポテトが対抗心むき出しじゃないか!」
「安心しろポテト。お前はかわいいから、仕事がなくても価値がある」
「ガウッ!」
得意げに胸を張るポテト。
その横で、トムじいの視線は完全に百円ライターへ釘付けだった。
「信じられん……。この透明素材の均一さ、発火機構の精緻さ、燃料の安定性……! これ一つあれば、野営、鍛冶、調理、灯りの確保、すべてが劇的に変わる……!」
トムじいはライターを両手で包み込んだ。
「コ、コウタ殿! この超古代遺物、いえ神造の火器、金貨何枚でお譲りいただけますか!?」
「金貨なんていらないよ。当面の異世界の調味料と日用品の定期便と交換でいい」
「て、定期便と!? この神器一つで!?」
「お前、今、頭の中で相当な利益計算しただろ」
「しました! そして恐ろしく儲かると確信しました!」
正直でよろしい。
「ただし、大量に売るなよ。まずは試供品として一本だけ。扱いを間違えると火事になる」
「もちろんです。火を扱う道具は、慎重に扱わねばなりません」
「あと、子どもには売るな」
「心得ております」
「説明書も作る。勝手な使い方をされると困るからな」
「説明書……! なんと丁寧な……!」
百円ライター一つで、ここまで感動されるとは。
文明の段差は怖い。
「よし、ついでにもう一つ。お前の舌も試させてもらう」
「舌……?」
「商人なら、売れる味も分からないとな」
俺はクーラーボックスから、赤いキャップのマヨネーズと、銀色のホイルに包まれた板チョコを取り出した。
「今日は特別に、俺の村の人気商品候補を味わわせてやる」
「人気商品候補……!」
トムじいの目が爛々と輝いた。
まずはロエンの畑で採れた新鮮な野菜をスティック状に切り、そこへマヨネーズをたっぷり絞って渡す。
「この白い、どろりとした液を……野菜につけて?」
「そうだ。食ってみろ」
「毒では」
「またそれか」
「商人は用心深い生き物なのです!」
ぶつぶつ言いながらも、トムじいは意を決して野菜をかじった。
「……っ!!!!」
今日一番のリアクションだった。
目が見開かれ、肩が跳ね、空いた手で口元を押さえる。
「な、なんだこの……濃厚な卵のコク! 爽やかな酸味! そして全てを包み込む暴力的なまでの旨味は!? 野菜の青臭さが消え、むしろ甘みだけが浮き上がってくる……っ!」
トムじいは震える手で野菜スティックを見つめた。
「これは、野菜を食わせるための調味料ではない! 野菜を口実に、無限にこの白い悪魔を舐めさせるための罠だ!!」
「マヨネーズへの理解が早いな」
「お、おかわりを……!」
「商談中だぞ、お前」
トムじいは涙目で野菜スティックをもう一本握りしめた。
商人ギルド長の威厳が、音を立てて崩れていく。
「さらに、食後のデザートだ」
俺は板チョコをパキッと割り、その一片をトムじいに渡した。
「今度はなんです?」
「黙って口に入れろ」
「は、はい」
トムじいが、そっと口に運ぶ。
一秒。
二秒。
三秒。
「あ、あまぁぁぁぁぁぁい!!」
次の瞬間、トムじいは天を仰いだ。
「なんという滑らかさ! なんという溶け方! 芳醇な香りと、圧倒的な甘美……! それでいて後味にほんの僅かな苦味があることで、甘さがしつこくならない!」
トムじいは頭を抱えた。
「くっ……なんだこれは……王都の貴族どもに献上すれば、間違いなく屋敷一つ建つ……いや、伯爵級の地位すら夢では……!」
「だから、そんな面倒なことはしないっての」
「面倒……!? 今、爵位を面倒と申しましたか!?」
「そりゃ面倒だろ」
「この男、本当に欲が怠惰方面にしかない……!」
トムじいは感動と困惑の入り混じった目で俺を見たあと、チョコの余韻にうっとりしながら、そっともう一片に手を伸ばした。
「……どうだ、トムじい」
俺は麦茶を飲みながら、にやりと笑う。
「俺の村の物流を担う気になったか?」
「やります! やらせてください!!」
トムじいはキャンプチェアから立ち上がり、地面に額をこすりつける勢いで頭を下げた。
「私トム! 商人ギルド長の名に懸けて、コウタ殿の村への補給線を死守いたします!」
「補給線って言い方が急に軍事っぽい」
「この神の火起こし器と、悪魔の調味料と、黄金の甘味があれば……私は世界一の大商人になれる!」
「大商人になるのは勝手だけど、俺のことは絶対に秘密にしてくれよ。面倒な連中が押し寄せてきたら、取引は即刻打ち切りだからな」
「もちろんです! コウタ殿は“森の奥に住む気高き大賢者”として、徹底的に情報を秘匿いたします!」
「だから、その厨二病設定を勝手に盛るな」
すると、今まで黙って漫画を読んでいたシルフィが、ハンモックの上からぼそりと口を挟んだ。
「いや、そのくらい盛っておいた方が都合はいい」
「お前まで何を言い出す」
「“だらしない引きこもりの人間が、風呂と絵本で森の民を篭絡している”などという真実を広められるよりは遥かにマシだ」
「その言い方やめろ」
「事実だろう」
「事実でも言い方ってもんがあるだろ!」
「あと、七巻を出せ」
「話が飛びすぎだろ!」
トムじいが呆然とシルフィを見上げる。
「……エルフの戦士殿まで、完全にここに染まっておられる」
「何を今さら」
ガランが肩をすくめた。
「風呂に入って、牛乳飲んで、漫画を読んだら、だいたいみんなこうなるのさ」
「恐ろしい村だ……! 武力ではなく、快適さで人を落とす……!」
「やめろ、人聞きが悪い」
「ですが売れますぞ、コウタ殿! その思想は! 快適さは常に売れる!」
「頼むから俺を事業家にしようとするな」
こうして、俺の引きこもり村に、人間の商人という新たな補給ルートが開拓された。
エルフの集落とは、貸本屋と風呂によるレアアイテムの物々交換。
麓の街の商人とは、百円均一グッズと調味料による日用品の定期便ルート。
俺が一人で静かに引きこもるために建てたはずのログハウスは、気がつけば異世界の種族と街を結ぶ、最強の隠れ家リゾート兼貿易ハブへと進化しつつあった。
「……ますます一人になれなくなってきたな」
俺がぼやくと、シルフィが漫画のページをめくりながら、実に冷静な声で言い放った。
「自業自得だ。お前の妙な道具の数々が、人を惹きつけてやまないのだからな」
「正論を言うな」
「それよりコウタ、この六巻の最後だが」
「またかよ」
「なぜここで主人公は記憶喪失になる。これまでの積み重ねがすべて無駄ではないか」
「それがラブコメの引き延ばしっていう伝統芸能なんだよ。文句があるなら読むな」
「……文句は言うが、読む。七巻を出せ」
「読む気満々じゃねえか」
俺は深く、深くため息をついた。
スキルがレベルアップして便利になったとはいえ、完全無欠の平穏な引きこもり生活の達成は、まだまだ遠そうだった。
だがまあ。
マヨネーズを舐めて涙を流しているトムじい。
ライターの火を見て対抗心を燃やすポテト。
漫画に一喜一憂しているシルフィ。
ベーコンエッグの余韻で尻尾を揺らしているロエン。
俺の膝の上で「チョコ、まだ?」と期待の目を向けてくるミリィ。
そして、格ゲーの続きをやりたそうにうずうずしているガラン。
そういうものを見ていると、こういう騒がしい日常も、案外悪くないと思えてしまう。
それがたぶん、俺の引きこもり生活が、もうとっくに俺一人のものではなくなっている証拠なんだろう。
俺は空中に《快適生活お取り寄せ》のウィンドウを開き、チョコレートをもう一枚だけ追加で呼び出した。
お気に入り登録済みなので、消費MPは少しだけ安い。
……便利になるほど、騒がしさも増えている気がする。
気づかないふりをして、俺はチョコを小さく割り始めた。




