89:元夫は立ち上がる
「な……っ」
オドノヒュー侯爵家の騎士団。
新たな軍勢の登場に、王国軍だけではない、ガザード家とエルドレッド家の連合軍も動きを止めた。
翻る旗は、確かにオドノヒュー侯爵家のもの。
次男のマイルズはガザード家の双子と幼馴染みとして知られるが、同時に王太子ローレンスの側近でもあった。
王家は各貴族家に参戦を命じている。
一方で、ガザード家とエルドレッド家からも、各家へ援軍要請が送られていた。
果たして、どちらに味方する軍なのか──誰もが一瞬、息を呑んだ。
「あれは──!?」
先頭の騎士が、兜を脱ぐ。
はらりと揺れる茶色の髪と、透き通るような碧眼──オドノヒュー侯爵家次男マイルズの姿がそこにあった。
「良く来た、マイルズ!!」
元側近の姿に、ローレンスが声を上げる。
皆がじっと視線を送る中、マイルズは南門広場に馬を進めた。
「ご無沙汰しております、王太子殿下。蟄居の身でありながら王都へ参りました非礼、どうかご容赦を」
「そんなのは構わん! ああ、嬉しいぞ。やはり、こういう時に駆けつけてくれる相手こそ、重用すべきなのだ」
援軍の到着に浮かれた様子のローレンスとは対照的に、マイルズがゆっくりと息を吐く。
「オドノヒュー騎士団、ここに馳せ参じました」
馬上で、マイルズがすらりと剣を引き抜く。
鈍い光を放つ切っ先が向けられた先は──壇上のローレンスだった。
「は……?」
「我等オドノヒュー侯爵家は、ガザード家、エルドレッド家と共に、乱れた国を在るべき姿へ戻す所存です」
「──マイルズうぅぅぅぅぅ!!」
マイルズの宣言に、ローレンスが目を見開く。
彼にとっては、幼い頃からの忠臣。
能力を自覚するより先に心酔し、ローレンスの言うことならば何でも聞いてくれる相手だったはずだ。
そのマイルズが、何故。
「──マイルズ殿!」
マイルズは行く手を阻む騎士達を馬上から次々と打ち払い、アランの元へと駆けつけた。
「遅くなりましたが、加勢いたします」
「あ、あぁ……それは有難いが、どうして君が?」
援軍に沸き立つ連合軍。
そんな中でも、指揮官のアランの顔には喜びよりも戸惑いが滲んでいた。
「エルドレッド令嬢が、俺の目を覚ましてくれました」
「ケイリー嬢が?」
アランの問いに、マイルズが頷く。
「援軍を要請する為に、南部まで行くとは聞いていたが……そうか……」
ケイリーの浄化能力は、兄クライドには及ばない。
だが王都を離れて領地で蟄居していたマイルズならば、ローレンスの影響は薄れているのではないか──マイルズを味方に引き込むことは、一種の賭けでもあった。
「進め、騎士達よ! 王弟殿下の手を煩わせる迄もない!!」
「おお!!」
マイルズの号令に、オドノヒュー侯爵家の騎士達が一斉に刃を振り上げた。
新手の騎兵が王国軍の側面へ雪崩れ込む。
正面にはアラン率いる連合軍、側面にはオドノヒュー騎士団。
挟撃を受けた王国兵の隊列は、瞬く間に崩れていった。
数で勝っていたはずの王国軍は、いつしか連合軍に押されるようにして後退を続けていた。
「マイルズ、貴様……っ」
護衛騎士に囲まれ、王城への道を進みながら、ローレンスが憎々しげにマイルズを睨み付ける。
「王都を離れて、ようやく俺は自分を取り戻しました」
ローレンスの視線を真っ向から受け止め、マイルズが笑う。
王太子の隣に在り、その最側近として働き続けていた日々。
誰もが愚かしく、取るに足らない相手に思えていた。
地位も名誉も、全てが手中にある。
ディアナと結婚すれば、ガザード公爵家の婿として、マイルズの立場はより強固なものになるはずだった。
──それが、どうだ。
ディアナはマイルズではなく、アランを選んだ。
十七歳も年上の、国王と王太子に敵視された男を。
そんなディアナが、許せなかった。
憎らしかった。
自分の手に入らないならば、いっそ壊してやる──そうまで感じていた。
(あの頃の俺は、どうかしていた……)
マイルズには、ローレンスが持つ能力など知る由もない。
だが、当時の自分が明らかに正気を失っていたことは、理解している。
その原因が──おそらく、彼にあることも。
(俺は、ただディアナが羨ましかっただけなんだ)
誰よりも美しく、誰よりも強いディアナ。
マイルズがどれだけ噂を流そうが、周囲がどれほど冷たい目を向けようが、ディアナは凜として立ち続けた。
彼女が強くあればあるほどに、悪意ある噂を流すことしか出来ない自分が惨めだった。
(俺はディアナに憧れ、ディアナに認められたかった──ただそれだけだったはずなのに)
いつから、道を誤ってしまったのだろう。
今更、やり直すことなんて出来やしない。
もう彼女の隣には、別の男が居るのだから。
それでも──。
「貴方は、王位に就いてはならぬ人だ」
低い声が、戦場に響き渡る。
かつての暗く澱んだ表情とは違う。
マイルズは澄んだ瞳で、じっとローレンスを見据えた。
「くそっ、退け、退けえぇぇ!!」
ローレンスの命に従い、王国軍が退却する。
王城には、まだ多くの兵が配備されている。
籠城し、国境から帰還する兵を待てば、まだ勝算はある──そう考えてのことだ。
「マイルズ殿、加勢感謝する」
「いえ」
ようやく剣を下ろしたアランの前で、マイルズは深々と頭を垂れた。
「これまでの数々のご無礼、お許しください」
「……気にするな」
生真面目に頭を下げるマイルズに、アランが苦笑する。
アランにとって、マイルズは因縁浅からぬ相手だ。
ディアナと同い年で、親友とも呼べる彼の存在に、心掻き乱されたこともある。
前世では夫婦関係にあったと知って、今も心中は複雑だ。
それでも──今世は、ディアナは自分を選んでくれた。
彼女が自分に注いでくれる愛情を思えば、嫉妬心など抱いてもいられない。
今までのマイルズの行き過ぎた行動が、全てローレンスの影響だったと思えば、なおさらだ。
「過去のことを今更どうこう言うつもりはない。それよりも、だ」
アランが、大きな掌でマイルズの肩を叩く。
「暫く、部隊を任せても良いだろうか」
「は? 俺──いや、私に、ですか?」
突然のアランの申し出に、マイルズが目を見張る。
援軍として駆けつけはしたものの、そこまで信頼してくれるとは予想もしていなかったのだろう。
「別に構いませんが……殿下はどうなさるおつもりですか?」
問われたアランが、顔を上げる。
「兄上に、会いに行く」
視線の先には、王都中央に高く聳える、かつての居城──ラトリッジ王城があった。




