86:双子の姉は動く
風光明媚なガザード領。
広大な領地は、避暑地として知られる高原地帯と、交易で栄える領都を併せ持つ。
その中央に位置するガザード公爵邸で、ディアナは王都に思いを馳せていた。
戦地の喧騒も届かぬ、静かな場所。
自分だけが安全な場所に身を置いていることに、胸が痛む。
夫であるアランが前線に立っているだけではない。
王城から逃げ出した双子の妹まで、戦地に近い駐屯地に身を置いているのだ。
今のディアナは、戦場に立つことは出来ない。
それを理解していてなお、何も出来ぬ我が身を口惜しく感じてしまうのだった。
(アラン様は、大丈夫かしら……)
戦地の報告は、絶えず屋敷に届けられる。
とはいえ、王都とガザード公爵領の間には、距離がある。
伝令が出立してから、状況が変わっている可能性も否めない。
アランの実力は、ディアナも良く知っている。
彼が優れた戦士であることは、疑いようがない。
(でも、アラン様は優しすぎる──)
敵が魔獣や犯罪者であれば、容赦なく剣を振るうことが出来るだろう。
だが、対峙する相手は、同じラトリッジ王国の民だ。
ローレンスの洗脳がどの程度解けているかは分からないが、王国軍の兵士達にとって、アランは紛れもない反逆者だ。
何の罪もなく、邪心も抱いていない相手まで、彼の前に立ち塞がることになるだろう。
無辜な民衆が大勢暮らしている王都を、果たしてアランは攻め落とせるのだろうか。
仮に王都を陥落したとして──多くの犠牲を出した己を、彼は許せるのだろうか。
そんな想いが、ディアナの胸を締め付ける。
誰よりも強いけれど、誰よりも優しい夫。
そんな夫を、一人戦場に立たせてしまった。
(アラン様……)
不意に、腹の内側で小さく揺れる気配がする。
膨らみ始めたお腹の内側で、小さな命が自己主張しているようだった。
「貴方も、お父様が心配なのね」
そっと、ディアナが腹を撫でる。
戦地の夫を思えば胸が張り裂けそうになるが、己の中で育まれている小さな命が、彼女の心を癒やしていた。
「お嬢ー」
乱暴なノックが響いたかと思うと、返事を待たずに扉が開いた。
「どうしたの、イアン」
「手紙が届いてますよ」
護衛騎士のイアンから手紙を受け取り、机の引き出しからレターオープナーを取り出す。
「ミリアムからだわ」
そこに書かれた友の名に、自然とディアナの表情が綻んだ。
アカデミー時代からの友人ミリアムは、今、フィーラン王国の海軍提督カーティスと共に各国を巡っている。
(今頃、カーティスもミリアムの才能に気付いた頃かしら)
ミリアムからの手紙には、彼女が訪れた国とその美しさ、そして珍しい体験が事細かに綴られていた。
「あと、これも一緒に」
「あら、ありがとう」
イアンから手渡されたのは、ミリアムが手紙と一緒に届けてくれた赤子用の外套だった。
ラトリッジ王国では見たことのない布地で織られている。
友の気遣いに、ディアナの顔に笑みが浮かぶ。
が、その笑みは、再び手紙に視線を戻した時に凍り付いた。
「これは──」
そこに書かれていた言葉。
ミリアムが諸外国を回る中で、小耳に挟んだ話。
『先日立ち寄った港で、ラトリッジ王家の使者が複数の商会から大量の爆薬を買い付けていたと聞いたの』
──爆薬。
物騒な単語に、ディアナの心臓がヒヤリと縮み上がる。
ラトリッジ王国は、現在内乱の真っ最中だ。
内乱に備えて王家が武具を買い集めていたとしても、それ自体は不自然ではない。
(でも、それが爆薬だなんて……)
防衛戦でも、城門や橋を破壊する為に爆薬を用いることはある。
だが、ミリアムの手紙に記された量は、あまりに膨大だ。
ディアナの脳裏に、戦乱の炎で赤く染まった王都の光景が映し出される。
王太子ローレンスが得意とする術は、ディアナと正反対の属性──炎。
彼が爆薬を手に入れたなら、王都全域を炎で焼き尽くすことも容易いだろう。
「……お嬢?」
我知らず、ディアナの身体は震えていた。
その震えに気付いたイアンが、訝しげに声を掛ける。
「イアン──準備して」
「準備って、一体何を……」
ディアナの言葉に、イアンが目を瞬かせる。
「私も、王都に向かうわ」
「……は?」
何を言っているんだとばかりに、イアンが声を上擦らせる。
「この情報を、すぐアラン様に届けなければ」
「なら、伝令を──」
「駄目よ。爆薬がどう使われるか分からない以上は、私の氷魔法が必要になるかもしれないもの」
イアンにとっては、これまでに何度も見てきたディアナの姿。
“あ、これ本気だ……”と、瞬時に悟ってしまった。
こうなった時のディアナは、梃子でも動かない。
そのことを身に染みて知っているイアンは、途方に暮れて、天井を仰いだ。
一方、王都近郊の駐屯地では、アランが天幕の机に広げられた地図を前に、険しい顔をしていた。
「どうか、一刻も早く、攻城のご決断を」
「うむ……」
セオドアの言葉に、アランが眉を顰める。
王都を包囲した軍勢。
彼等の目的は、王都の制圧と御璽──現王オスニエルが持つ国王の印を確保することだ。
兄と甥を敵に回したことに、後悔はない。
彼等がアランを目の敵にするならば、アランもまた愛する妻と生まれてくる子を守る為にも、戦わなければならないのだ。
だが、ここで攻め入れば、王都で暮らす民はどうなる?
王国軍と、ガザード・エルドレッド連合軍──両者の争いに巻き込まれ、どれほど多くの民が犠牲になるのだろうか。
機を逃さず、攻め入るべきだとセオドアは進言する。
アランとて、このまま時間が経てば国境から王国軍の援軍が駆けつけることは分かっている。
分かっていてなお、民衆の血が流れることに躊躇していた。
「失礼します」
そんな中、エルドレッド公爵クライドが天幕を訪れる。
「城内に潜ませた間者から、報告がありました」
「そうか……」
報告書を受け取り、視線を走らせる。
アランにとっては、懐かしい名前──その名前を見付けた瞬間、彼は思わず腰を浮かせた。
「ダウズウェル伯爵が、処刑──?」
その言葉に、傍らのセオドアも目を見張る。
アランだけではない、何人もの騎士達を育ててきた指南役が、王都の広場で斬首に処されるという。
しかも罪状は、“反乱軍への加担”と書かれていた。
そのような事実を、アランは一切知らない。
師であるダウズウェル伯爵と最後に会ったのは、ディアナとの結婚式の日だ。
それ以降、手紙の一つもやりとりしたことがない。
事実無根、完全なる濡れ衣であった。
「どうして、こんなことを──っ」
ぐしゃりと、アランが紙を握り潰す。
いつもは穏やかなブルーグレーの瞳は、怒りの炎に揺らめいていた。
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