85:老人は諫言する
反乱軍による備蓄庫の襲撃と放火──この一報は、驚きをもって王都を駆け巡った。
倉庫街の延焼は三日三晩続き、死傷者も多く発生した。
街では反乱軍に対する不満の声が相次ぎ、これまで彼等を支持していた者達も、一斉に口を噤むしかなかった。
今や、表立って反乱軍を支持する者は居なくなった。
焼けたのは、国営の備蓄庫だけではない。倉庫街そのものが炎に巻かれ、王都では深刻な物資不足が起きていた。
市場の品棚は日に日に寂しくなり、今の状況では、他の街から新たな物資が運び込まれる望みも薄い。
反乱軍への期待は、反乱軍への憎悪へと裏返った。
国境に出征した騎士団が戻ってくれば、王都を包囲する反乱軍を蹴散らし、再び元の生活に戻れるのでは──食料や生活必需品の不足に喘ぐ民衆は、ただひたすらに待ち続けるしかなかった。
当然、批判を集めたのは反乱軍だけではない。
王都の警備を担う部隊も、また矢面に立たされていた。
警備責任者は辞任に追い込まれ、民衆からは警備隊への批判が殺到した。
王都の空気は、どこまでも澱んでいた。
そんな中、一人の重鎮が王太子に面会を申し出た。
王家の剣術指南役を務める、イーデン・ダウズウェル伯爵だ。
齢六十を過ぎてなお矍鑠たるこの老人は、アランにとっても剣術の師である。
「ダウズウェル老、久しいな」
「ご無沙汰しております、殿下」
ローレンスを前に、ダウズウェル伯爵が深々と頭を垂れる。
ローレンスにとっても老人は剣の師であったが、王太子教育に追われるローレンスは、アランほど剣に打ち込んではいない。
その為、二人の間に師弟らしい親しさはなく、関係は王太子と臣下の域を出なかった。
「して、何用だ?」
「先の備蓄庫襲撃について、不審な点がありましてな」
ダウズウェル伯爵が、すっかり白くなった顎髭を撫でる。
「私が知る限り、アラン・ガザード卿は、あのような手段に出る御方ではありませぬ」
老人の黒い瞳が、じっとローレンスを見つめる。
その視線を真っ向から受け止めながら、ローレンスは不敵な笑みを浮かべた。
「人は、変わるものだ。叔父上とて、こと戦になれば手段は選ぶまい」
「いえ、人の本質は変わりません」
ローレンスの言葉に、老人がゆっくりと頭を振る。
「アラン様の本質は、剛にして直。どこまでも強く、そして真っ直ぐに進まれる御方だ」
「ならば、別の者が立案したことかもしれんな」
「それも、有り得ないでしょう」
ローレンスと向き合うダウズウェル伯爵の声は、嘆息に塗れていた。
「たとえ立案者が別人であろうと、備蓄庫を焼き払うなどという策を、アラン様が許すはずがありません」
「……何が言いたい?」
ローレンスの細められた瞳に、強い光が宿る。
それを受け止めるダウズウェル伯爵の瞳にも、仄暗い色が浮かんでいた。
「有り得ないのですよ。反乱軍が、あのような焼き討ちを行うなど」
ダウズウェル伯爵の言葉に、その場に居る侍従と護衛騎士が息を呑む。
ローレンスはと言えば、どこか愉快そうに口元を歪め、老人を見上げていた。
「証拠の品も見付かったというのにか?」
「物的証拠など、いくらでも捏造が可能でしょう」
「──はっ」
ローレンスが、声を上げて笑う。
「結局は、教え子を庇いたいだけか。老いたな、ダウズウェル」
「では、別の質問をいたしましょう」
嘲笑うような王太子の声に、落ち着いた老人の声が重なる。
「火災の一報は、炎が倉庫街へ燃え広がるより先に王城へ届いていたはず。炎を操ることに長けた貴方であれば、被害を抑えることも出来ましたな?」
ローレンスの笑顔が、ぴたりと凍り付く。
その碧眼は、まっすぐ目の前の老人を見据えていた。
「まさか、王太子であるこの僕に、燃え盛る倉庫街へ出向けと?」
「そう申している訳ではありません。ただ──倉庫街全体へ燃え広がるより先に、鎮火出来たのではないかと」
「そんなもの、結果論に過ぎん」
ローレンスが足を組み替え、ゆるりと老人を見上げる。
「どうやら、年を取ると想像力ばかり豊かになるらしいな」
「恐れ入ります」
恭しく頭を下げながらも、ダウズウェル伯爵の瞳は、なおもローレンスを真っ直ぐに射貫く。
「他に考えられんのですよ。アラン様の仕業でないのなら、誰がこの一件で最も得をするのか──答えは、貴方しか居ない」
「──っ」
ローレンスの白い肌が、一瞬で赤く染まる。
頭に上った血を鎮めるように、ローレンスはゆっくりと息を吐いた。
「もはや、耄碌した老人の戯言と聞き流す域を超えているぞ」
ローレンスの言葉に、護衛騎士達が進み出る。
そんな彼等を、ダウズウェル伯爵が一瞥する。
「未来ある若者達を危険に晒す訳にはいくまい。憎まれ役を引き受けるのは、老人の務め」
「嫌われた結果、命を落とすことになってもか?」
老いたとはいえ、相手は王国随一の剣士。
その迫力に圧され、戸惑う騎士達の前で、老人は声を上げて笑ってみせた。
「──それが、正義の為ならば」
ローレンスが、深く息を吐く。
「其奴を捕らえろ」
「はっ」
指示が出たことで、ようやく護衛騎士達が動きを取り戻す。
ダウズウェル伯爵は抗うこともなく、両腕に縄を掛けられた。
「殿下……この後、伯爵を如何なさいますか?」
老人を捕らえた護衛騎士の声には、不安が滲んでいた。
長年指南役として剣術を教えてきたダウズウェル伯爵を、慕う騎士は多い。
発言力の強い彼が真っ向から物申してきたことで、側近達の間に不安が広がっていた。
「牢にでも放り込んでおけ──あぁ、いや」
ふと、ローレンスの内に歪んだ感情が浮かび上がる。
──この老人を殺せば、如何に温厚なあの男とて、平静ではいられまい。
「──ダウズウェル老を、謀反の一味として処刑する」
一度思い付けば、決断は早かった。
どす黒い感情が、愉悦となって全身を駆け巡る。
「処刑は、南門広場で行う。大々的に喧伝するがいい」
民衆の血を見ることを厭うてか、王都を包囲しながらも、これまで直接攻め込んで来ることはなかった。
だが、恩人の死を前にしてはどうだろうか。
民衆を巻き込む覚悟で王都へ攻め込むか。
それとも、恩師を見殺しにするか──。
「叔父上には、こちらから招待状を送ってやらねば」
薄暗い王城の一角に、乾いた笑い声が響いた。




