84:王太子は業を煮やす
王都南部を流れる川縁の一戦でラブキン男爵が反乱軍の捕虜となって以降、王国軍と反乱軍の衝突は、全てが反乱軍の勝利に終わった。
箝口令が敷かれた王都。
兵士達が厳しく目を光らせる中でも、民衆の口に反乱軍の話題が上らない日はない。
どれほど言論を統制しようとしても、人々の口から口へ、噂は伝播する。
王弟アランは、勇猛をもって鳴る騎士だった。
その彼が剣をとり、王都を取り囲んでいるのだ。
不安に慄く者も居れば、興奮に目を輝かせる者も居た。
「アラン殿下は、他の王族の方々とは違う。民衆に寄り添ってくださる方だ!」
そんな期待に満ちた声が、場末の酒場で上がる。
現国王オスニエルは公式の場から姿を消して久しく、王太子ローレンスもまた、民衆の前に立つことはほとんどない。
だが、アランは違う。
王弟という身分に驕らず、一人の騎士として王都の治安維持に努め、日夜見回りに立っていた。
「そうだ、それにガザード家だって、思い返してみろ。スラムの病気を取り除いてくれたのは、一体誰だ!?」
そんなアランが婿入りしたガザード公爵家。
王都に暮らす大半の庶民は、貴族に良いイメージを持たない。
その中で、数少ない例外として彼等が信頼を寄せる貴族──それが、ガザード公爵家だった。
民衆が思う貴族とは、綺麗に着飾って、お高く止まった連中だ。
庶民を見下し、彼等とは一線を画そうとする。
働かずして利益を享受し、平民達から甘い汁を啜って生きている癖に、少しでも気に障ることがあれば、身分を笠に着て罰を与える──そんな連中だと思っていた。
だが、ガザード公爵家は違った。
後継者である令嬢自らが現場に立ち、陣頭指揮を執った。
汚泥に塗れたスラムの下水に自ら足を踏み入れ、そこで働く一人一人に声を掛けてくれていた。
病で苦しむ者の為に屋敷を開放し、手厚い看病も受けさせてくれた。
薄汚れた街に女神が現れた──そんな噂は、瞬く間に王都中へ広まった。
流行り病が爆発的に広がる前に収束したのは、ガザード家の尽力によるものだと、王都に住む者ならば誰もが知っている。
貴族達は、それを“売名行為”だと口々に罵っていた。
だが、民衆は違う。
平民が暮らす賑やかな区域から少し奥へ進めば、すぐそこにスラム街が広がっている。
彼等にとって、スラムで流行する病は他人事ではないのだ。
率先して国の為に動いていたのは、誰か。
民衆は、それを事実として知っているのだ。
王都の外では、今も反乱軍と王国軍の戦が続いている。
そんな中で、王家の求心力は少しずつ衰えを見せていた。
「一体どうなっている!!」
王城の執務室で、王太子ローレンスが苛立たしげに机を殴りつける。
貴公子然とした美貌は醜く歪み、その瞳は赤く血走っていた。
報告を運んだ従者が、身を縮こまらせる。
こんなやりとりも、もう何度目になるだろうか。
連戦連敗──彼等の脳裏に、そんな文字が浮かび上がる。
王都を包囲した反乱軍だが、民衆に危害を及ぼすことを避けているのか、今のところ攻城戦を仕掛けてくる様子はない。
王国軍は王都に立て籠もり、各地から到着するであろう援軍を待つのみ──と、最初は高をくくっていた。
だが、蓋を開けてみたらどうだ。
援軍が到着しないばかりか、物資の輸送さえままならない。
先王の血を引くアランと、二大公爵家による反乱。
戦力を保有する貴族達は、ローレンスの招集に応じるより日和見を選んだのだ。
セオドアの策略によって、王国軍はじりじりとその兵力を削られている。
王城に詰める文官達の顔にも、疲労が色濃く滲んでいた。
「国境に派遣した兵が戻る迄に、どれくらいかかる?」
「は、おそらく最低でも二十日はかかるかと……」
王城と軍の備蓄だけなら、二十日間持ち堪えることは難しくない。
下手に兵を出さず、籠城を続ければよいだけだ。
だが、王都で暮らす民衆はそうはいかない。
反乱軍は王都を包囲しながらも、無理に攻め込んでくることはしない。
最初こそ王都が焼け野原になるのではと不安に怯えていた民衆は、やがて反乱軍にその意思はないと気付いたようだ。
貴族だけではない。
民もまた、王家と二つの公爵家を秤に掛けている。
そして民衆の心情という点では、既に天秤は大きく傾いていた。
やむなく導入した治安維持部隊。
不満を口にし、王家への反感を煽る者は全て投獄したはずだった。
しかし一人の口を封じた結果、その様子を見ていた二人が声を上げる。
取り締まりを強めれば強めるほど、民衆の反発は激しくなっていった。
「……まぁ、良い。やりようはいくらでもある」
舌打ちと共に、ローレンスが呟く。
「おい、王都のガザード邸はどうなっている?」
「既に一人残らず引き上げており、誰も残ってはいないと聞いておりますが……」
「鎧飾りや旗の一つは残っているだろう、家捜ししてこい」
「はっ」
ローレンスの命に従い、従者が執務室を出て行く。
「何かお考えですか?」
「ああ。奴等を支持する輩が増えているというなら、その評判を落としてやればいいだけの話だ」
傍らの護衛騎士に、ローレンスが鷹揚に頷く。
その面には、残忍な笑みが浮かんでいた。
「備蓄庫を焼き払え。襲撃犯を目撃させることも忘れるな」
──その夜、王都西側倉庫街にある備蓄庫が襲撃された。
襲撃犯達は倉庫に火を放ち、燃え盛る炎はたちまち倉庫街を飲み込んだ。




