78:双子の妹は螺旋階段を降りる
深夜の王城。
薄暗い中、闇を照らす微かな灯りだけが揺れている。
本来であれば、王城の廊下は深夜でも燭台が焚かれていた。
国の中枢であり、王族が暮らす象徴でもある建物に、灯りが絶えることはない。
ただ、ここは唯一の例外と言えた。
永遠に続くかと思えるほどの螺旋階段を降りた先。
頼りない蝋燭の炎が、冷たい石畳を照らし出す。
濁った空気の中、静かな足音を響かせるフード姿があった。
身を隠すようにゆったりとした外套を纏いながらも、その細さと優美さは際立っている。
王宮の華やかさとは対照的な、見放された場所──地下牢獄には、とても似つかわしくない姿。
時折、罪人達が好奇の視線を向ける。
冷やかしの声には耳もかさず、真っ直ぐに歩を向けるその先。
地下牢獄の最深部に、目当ての囚人は居た。
「──っ」
鉄格子越しに牢内の様子を確認して、フード姿が一瞬息を呑む。
僅かな気配に、檻の中の囚人が僅かに顔を上げた。
「……?」
「はやく──一刻も早く、ここから出ましょう!」
フード姿が、鉄格子に縋り付く。
フードの下から、長い銀髪がはらりと舞った。
「君は……」
囚人──エルドレッド公爵クライドを真っ直ぐに見つめる、アメジストの瞳。
姉と同じ、意思の強さを感じさせる眼差しが、僅かに揺らいだ。
「コーデリア嬢? どうして、こんなところに……」
「貴方を助けに来たのです」
コーデリアが、フードの下から鍵束を取り出す。
王城に潜入するより先に、ガザード家の密偵を動員して鍵の在処と牢番の交代時間は突き止めておいた。
深夜番に酒と料理を差し入れることで、僅かな時間を得たのだ。
「貴方には、返しきれない恩があります。処刑されるのを、黙って見ている訳にはいきませんっ」
焦る手つきで、カチャカチャと何本もの鍵を一つ一つ鍵穴に差し込んでいく。
こうしている間にも、酒と料理を平らげた牢番がやってくるかもしれない。
コーデリアの気は逸るばかりだ。
「暫く見ない間に、随分とお痩せになりましたね」
それとは対照的に、クライドの声は、まるで世間話でも持ちかけるかのようだった。
「……自分の愚かさを、思い知らされましたので」
コーデリアが痩せ衰えたのは、病のせいではない。
長年に渡るローレンスの洗脳は、弱い毒のように、コーデリアの肉体を蝕んでいた。
ローレンスのことを第一に考え、彼の言うことを疑わず、結果自らを顧みることもない。
そのような荒んだ生活からようやく解き放たれた後──コーデリアは“真実”を知ってしまった。
(私がディアナを苦しめ、そしてこの手にかけた──)
偶然立ち聞きしてしまった、姉夫婦の会話。
あまりの衝撃に、あの日から食べ物もまともに受け付けられなくなってしまった。
口にして飲み干した瞬間、胃液がせり上がってくる。
魂の片割れ、生まれた時から一緒に居た分身とも言うべき存在。
そんな彼女に毒を盛って中絶させた挙げ句に、最後には刺し殺したのだ。
そんなこと、するはずがない──なんて、言えはしない。
クライドに洗脳を解いてもらう前の自分ならば、間違いなくローレンスの命令ならどんなことでも従っていただろうから。
(私は、許されないことをしてしまった……)
カチャリと、掌の中で金属片が音を立てた。
「良かった……」
ホッと、コーデリアが安堵の息を吐く。
「城の裏門から出て真っ直ぐ進んだ先に、馬を繋いであります。どうか、これを着てお逃げください」
そう言って、コーデリアは自らが纏っていた体に合わぬほどの大きな外套を脱いだ。
露わになった素顔は、痩せ細ってはいても、社交界の華と呼ばれるに相応しい──いや、そう呼ばれていた頃よりも際立った美しさだった。
「貴女は、どうするつもりなのですか?」
「私は……」
自分のことを問われ、コーデリアが苦笑する。
「ここで私が戻っては、ガザード家に迷惑がかかるでしょう」
全てを諦めきったかのような笑顔だった。
「どうして?」
「だって、誰が手引きしたか丸わかりではないですか」
「私が逃走した時点で、おおよそ透けているのでは?」
「だとしても──」
理詰めのクライドの言葉に、コーデリアが息を詰まらせる。
「私は……もう、ディアナに合わせる顔がないのです」
かさついた唇から、弱々しい声が漏れた。
そんなコーデリアを、じっとクライドが見つめる。
コーデリアが長年洗脳状態にあったことは、洗脳を解いたクライドが一番良く知っている。
その間、彼女は姉と敵対もしただろう。
だからと言って、ここまで思い詰めるほどのことがあったのだろうか。
コーデリアが抱える闇を、彼はまだ知らない。
だからこそ──。
「くだらないことを言っていないで、貴女も来てください」
「ええぇっ!?」
クライドに手を引かれ、コーデリアが声を上擦らせる。
地下牢に収監されていたクライド以上に、コーデリアの手首は細く手折れそうなほどだ。
力を籠めすぎないようにと意識しながら、クライドがコーデリアの手を引いて、地下の監獄を歩く。
「私が居なくなれば、ガザード家の叛意が明るみに出てしまいます!」
「結構、もう合戦の仕度は進めているのでしょう?」
「でも……」
アランとウェズリーが内乱の準備を進めていることは、コーデリアも知っていた。
クライドが処刑されると聞いて、いても立ってもいられずに屋敷を飛び出してきたまでのこと。
コーデリアが出しゃばらずとも、ガザード家とアランは内乱を起こしていた。
それは理解している。
理解しながらも、自ら引き金を引く勇気は、彼女にはない。
「でもではありません。貴女に何かあっては、私は貴女のお父上に顔向けが出来ません」
「どうして……」
強引に腕を引くクライドに、コーデリアが足をもつれさせながら着いていく。
二人の足が、一瞬ピタリと止まった。
「貴女達ガザード家には、多大なる恩がありますから」
「恩? 恩ならば、私が受けたはずでは……?」
エルドレッド家の兄妹の身に起きた不幸を知らぬコーデリアが、瞳を瞬かせる。
自分を見上げるあどけない視線に、クライドは思わず苦笑を漏らした。
「このままここに残っては、貴女の身に危険が及びます。さぁ、行きましょう」
訳が分からないまま、コーデリアはクライドに手を引かれて歩いた。
彼女が身に纏っていた外套は、クライドが身に付けたまま。
元々客人として王城を訪れた公爵令嬢コーデリアは、出入りを制限されることもない。
……ガザード家の謀反が表沙汰になるまでは。
結局二人は裏門から王城を抜け出し、コーデリアはクライドと共に馬に跨がる形で街道をひた走っていた。
夜風を受け、長い髪が靡く。
手を引かれるままに、慌ただしく城を抜け出してしまった。
罪人を逃がした以上、ローレンスはコーデリアを許さないだろう。
二度と、彼に会いに王城を訪れることはない。
(さようなら、私の初恋……)
そっと、コーデリアの指が、自らの唇をなぞる。
たった一度──一度だけ、触れ合った唇。
初めての恋。
そして、初めての口付けだった。
じわりと、熱いものがこみ上げてくる。
コーデリアの瞳に、涙が浮かびそうになったその瞬間──。
「しっかり捕まっていてください、何かあったらどうするんですか」
あまりに無神経な声が響いた。
「あ──」
「せっかく一緒に王城を抜け出して来たんですから、落馬で死亡だなんてごめんですよ」
縁起でもないことを言うクライドに、一瞬呆れた後──コーデリアの唇から、笑みが零れた。
「今回は貴女に助けられましたが、我々とて、ただ処刑される日を待っていた訳ではありません」
言いながら、クライドが馬の足を緩める。
王都郊外、王城から離れた場所に、見慣れぬ光景が広がっていた。
「これは──」
街道沿いに広がる光景。
そこには、王都を目指して進軍するエルドレッド公爵家の騎士達の野営地が広がっていた。









