77:王太子は完璧をもって座す
ローレンス・ラトリッジは、幼い頃から神童と呼ばれていた。
父譲りの美貌。
神童と称されるに相応しい知性。
誰もが“ローレンス殿下が、あと少し早く生まれていたら”と囁いた。
それもそのはず、ローレンスには二歳年上の兄が居たのだ。
長男のジョザイアは決して凡愚ではなかったが、凡庸な容姿と合わせ、人々は揃ってローレンスばかりを褒め称えた。
それでも、ローレンスは決して満足することは出来なかった。
二歳の、年の差。
その差が、二人の間に大きく横たわっていた。
長子であるというその一事において、王位はジョザイアが継承することが決定していたのだ。
望めば、何もかもが手に入ると思っていた──そんなローレンスが、唯一自分の思い通りにならなかったもの。
至高の地位。
権力そのものに魅せられていた訳ではない。
ただ、自分の思い通りにならぬものがある──それが、彼には許せなかった。
そうして邪魔な兄を始末してからは、ローレンスは至高の存在となった。
彼が七歳の頃だった。
ラトリッジ王国の王太子となった後も、ローレンスはその俊英ぶりで多くの人々を引きつけた。
王立アカデミーでは、常に首席。
魔力に目覚めてからは、勉学でも、実戦でも、彼の右に出る者は居なかった。
稀少な魔法の才まで備え、天はローレンスに二物も三物も与えたのだと、人々は囁き合った。
事実、後に才女として誉れ高いディアナ・ガザードが入学するまでの間、ローレンス・ラトリッジは首席の地位と天才という呼び名を思うがままにしていた。
凍てついた美貌、冷たい視線を思わせる、ディアナ・ガザードの氷魔法──それとは対照的な、ローレンス・ラトリッジの炎魔法。
全てを焼き尽くす地獄の業火が、彼の得た魔力だった。
そして、もう一つ──目覚めた能力。
誰も知らぬ、知られてはならぬ、彼が完璧な王太子として生きて行く為の力。
(エルドレッド家が持つ、浄化の力──これがもし僕の力にまで及ぶのだとしたら、クライドを生かしておく訳にはいかない)
病床にある父王の代行として、そして次期国王として──神聖なる玉座を占有しながら、ローレンスは小さく息を吐いた。
能力が弱まっていると感じたのは、出征式におけるエイブラム・ジョーセフの発言だけではない。
彼が玉座に座ることに顔を顰める重鎮も居た。
……少し前では、考えられない事態だった。
誰も彼もが、ローレンスの言いなりだった。
臣下は勿論のこと、父王でさえ例外ではない。
全てが思うままになっていたはず。
それがいつから綻びを見せ始めたか──全ては、エルドレッド家の長男を城の牢に幽閉してからだ。
(もはや、処刑はやむを得まい)
ケイリーを妻とすることで、エルドレッド家の持つ異能を王家に取り込むつもりだった。
だが、こうなってはそれも望み薄だ。
罪人の妹を、王太子妃には出来ない。
ケイリーとの婚約は破棄、エルドレッド家は褫爵──爵位を剥奪した後に、新たな婚約者を選ばなければならない。
「……はぁ」
ローレンスにとっては、煩わしい話だった。
その美貌と才気、そして彼の持つ能力によって、多くの女性達がローレンスに恋をした。
中には既に意中の相手が居るなどして、ローレンスの虜にならなかった相手も居るが──それもごく僅か。
多くの女性達はローレンスに見惚れ、媚びへつらい、少しでも彼に気に入られようと互いを蹴落とし合っていた。
誰も彼もが、くだらない。
ローレンスが情を寄せる価値がある女性など、ほんの一欠片も居ないというのに。
(どうしたものか……)
幾度目にもなるため息を吐いた、その時──侍従が、来客を告げた。
「──コーデリア!!」
「ご無沙汰しております、殿下」
久方振りに王城を訪れたコーデリア・ガザードは、儚げな美貌に微かな笑みを浮かべ、ローレンスに一礼した。
コーデリアは、長らくガザード家に引き籠もっていた。
それ全て、フィデス商会に対して仕掛けた罠が露呈し、父のウェズリー・ガザード公爵に引き留められてのことと思っていたが──。
「コーデリア、お前……」
目を見張るローレンスの前で、コーデリアが弱々しく微笑む。
ふっくらとした紅色の頬は痩せこけ、滑らかな肌はまるで老女のように荒れ果てていた。
「どうして、そのような……っ」
「申し訳ございません、私の不徳の致すところでございます」
絶句するローレンスに対し、再び深く頭を下げる。
長らく、コーデリアは病で伏せっている為に登城は出来ぬと言われていた。
それ全て、ウェズリーとディアナによる指示とばかり思っていたが──。
(本当に、病だったのか……?)
少なくともコーデリアが心身に不調を抱え、疲弊しきっていることは事実なようだ。
社交界の華、ガザード家の太陽とまで評された美貌が、今は見る影もない。
「これほど迄とは……もっと、気遣ってやるべきだった」
「いいえ、殿下から何度も見舞いの手紙が届いていたと、父から聞いております」
見舞いの手紙と言いながらも、その大半は使える駒であるコーデリアを登城させる為の命令でしかない。
恐る恐る近付くローレンスに、コーデリアは弱々しくその身をもたれ掛けた。
「……大丈夫か?」
ローレンスの指が、コーデリアの頬を撫でる。
見上げる瞳は、前と変わらぬアメジストの輝きを誇っていた。
「お恥ずかしい話です。ずっと、道ならぬ恋に身を焦がしておりましたもので……」
「そうか……」
道ならぬ恋。
コーデリアが長年婚約者の居る王太子に片思いしていたことは、周知の事実であった。
当然、当の本人──ローレンスも知っている。
「僕のせいで、そのような……?」
「いえ、決して殿下のせいではありません」
コーデリアが、ゆるりと首を振る。
「私が愚かだったのです。そう、何もかも……」
呟き、俯いたコーデリアの顔は、苦渋に満ちていた。
美しく晴れやかな彼女の姿からは、遠くかけ離れている。
(それほどまでに、思い詰めていたのか──?)
ローレンスの目は、コーデリアの仕草一つも漏らすまいと、じっと注がれていた。
ケイリーという婚約者との関係が壊れた今、新たな王太子妃候補を選ぶ必要がある。
王太子妃として社交の中心に立てる者。
将来の国母となるだけの基盤を持つ者。
そして──。
(エルドレッド家の異能は取り込めなかったが、代わりにガザード家の異能が取り込めるなら……悪くはない)
計算より先に、自然と身体が動いていた。
「あっ……」
ローレンスに抱き竦められ、コーデリアが小さく声を上げる。
「可哀想に、こんなに痩せ細ってしまって」
「お恥ずかしい限りです……」
コーデリアは、パーティーの席で何度もローレンスと踊ったことがある。
元々貴族らしい細くたおやかな女性だったが、枯れ枝のような手足は、少し力を入れたら折れてしまいそうだ。
「大丈夫だ。もう、君に辛い思いはさせない」
「殿下?」
ローレンスの言葉に、コーデリアが顔を上げる。
ディアナと同じ、アメジストの瞳。
意思の強さを感じさせる双子の姉とは違って、コーデリアはどこか憂いを帯びた目で長年の思い人を見つめていた。
「僕には、もうコーデリアしか居ないんだ」
ローレンスの甘い声が、コーデリアの耳を震わせる。
長年、求め続けた言葉。
恋焦がれ続けた男の声が、じんわりと痩せ細った身体に染みていく。
「僕の妃となってくれないか」
「はい……っ」
コーデリアの声は、微かに震えていた。
弱々しく震える華奢な身体を、ローレンスが力強く抱きしめる。
長年、募らせてきた想いを叶えた瞬間。
コーデリアの瞳からは、一筋の雫が零れた。









