76:双子の姉は葛藤する
国境の小競り合いは、いまだ続いていた。
隣国エルウッド王国は、歴史上絶えず紛争を繰り広げてきた相手だ。
近年小康状態を保っていたとはいえ、両国の関係がすぐに良くなる訳ではない。
国境を守るカーナル辺境伯家は、平穏が長く続いていた今でも、軍備に余念がないと言われている。
紛争の火種は、先代辺境伯が一方的に取り決めた通行税にあった。
長年燻っていた問題を、カーティスが突いて表沙汰にした──ただ、それだけのことだ。
だが、カーナル辺境伯家も、隣国エルウッド王国の国境を守るベンフィールド公爵家も、一歩も引かぬまま今に至っている。
「はぁ……」
そう割り切れるほど、ディアナは鉄面皮では居られなかった。
彼女の心に、重い呵責が伸し掛かる。
(こうしている間にも、戦場では一人、また一人と犠牲者が生まれているかもしれない……)
遠く王都の地にあって、戦況は漠然としか伝え聞くことは出来ない。
──小隊同士の衝突で勝利。
──砦を制圧。
その言葉の裏には、実際に血を流し戦う多くの兵士達が居るのだ。
ガザード公爵邸の、第二執務室。
次期当主として、父を補佐するディアナに与えられた部屋だ。
その部屋で書類を前にしながらも、ディアナの唇からは幾度となく重苦しいため息が零れていた。
(確かに王都を守る部隊が国境に赴くのは有難いことなのだけれど、自分達が有利に働く為に、罪のない多くの兵士達を犠牲にするなんて……)
理知的な紫色の瞳が、文字の上を滑っていく。
そんな心ここに在らずといった様子の妻を、アランは傍らでじっと見守っていた。
「……ディアナ?」
「ひゃっっ」
アランが声を掛けた瞬間、ディアナの肩が跳ね上がる。
憂慮に耽るあまり、アランが入室したことにも気付いていなかったのだ。
一瞬で心臓が早鐘を打ち、体温が上昇する。
「あ、アラン様──」
「驚かせてしまったか?」
声を押し殺して笑うアランに、ディアナが赤面する。
「もう、居たのなら声を掛けてください」
「ははっ、すまない」
執務机に座るディアナの傍らに、アランが立つ。
太く節くれ立った指が、銀色の髪を掬った。
「……で。我が妻は、何をそんなに思い悩んでいるのかな?」
アランの柔らかな瞳が、ディアナを覗き込む。
心の奥まで見透かされるような感覚。
ただ年齢差があるというだけではない──彼の瞳を前にすると、ディアナはいつだって、子供の頃に戻った気がしてしまう。
「……紛争で犠牲になった兵士達のことを思っていました」
その一言で、アランには十分に伝わったようだ。
整った眉が僅かに歪み、口元が弧を描く。
「それは──」
「必要なことだとは、理解しています。大義を成す為の、その第一歩なのだと」
自分に言い聞かせるように、ディアナが声を振り絞る。
「けれど……だからといって、簡単に割り切れる訳でもなくて……」
凜々しく張ったつもりの声が、尻すぼみに沈んでいく。
そんなディアナの髪を、大きな掌が優しく撫でた。
「気にするな……とは、とても言えないな」
「はい……」
この紛争にディアナの協力要請を受けたカーティスが一枚噛んでいることは、アランも知っている。
自分達を守る為──とはいえ、犠牲はあまりに大きいことも。
「ただ、ディアナが気にする必要はない」
アランの声に、ディアナが顔を上げた。
優しく穏やかな、夫の顔。
いつもと同じ笑みに、確固たる意思が潜んでいた。
「簒奪者となるのは、俺だ。全ての業は、俺が背負う」
「アラン様、それは──」
ディアナの言葉を遮るように、アランがゆるりと首を振る。
「君だって、知っているだろう。俺は自分の身を守る為に、何度も戦ってきた。その大半は、ただ命令されただけの相手」
穏やかな瞳には、寂寥も、後悔さえも滲んではいない。
彼にとっては、ただの事実。
全てが、生きる為に歩んできた道のりでしかない。
「そんな俺を、罪深いと思うか?」
「……いいえ」
一瞬だけ俯き、唇を噛んだ後、ディアナが顔を上げる。
その瞳は、真っ直ぐにアランを射貫いていた。
「アラン様が簒奪者としての道を歩むならば、妻である私もまた、その業を共に背負いましょう。いいえ、背負わせてほしいのです」
「ディアナ……」
アランの声が、僅かに揺れる。
冷徹と称される年若い妻は、自らが紛争の引き金を引いたことで、心を痛めていた。
冷徹とはほど遠い心優しい女性なのだということは、一緒に居るアランが一番良く知っている。
妻の心の負担が少しでも和らげばと思って、掛けた言葉。
その言葉を正しく理解した時──彼女は、共に背負うことを選んだ。
凜々しいディアナの姿に、アランの目が細まる。
「そうだな。ただ──」
「ただ?」
アランの声が途切れ、ディアナが首を傾げる。
そんな些細な所作、全てが愛おしい。
「今は、自分の身体を何よりいたわってほしい。戦場に立つのは、俺の役目だ」
アランの大きな掌が、ディアナの細い腹を、そっと撫でた。
今はまだ膨らみは目立たないが、その中には、確かに新しい命が宿っている。
「……残念です。アラン様の隣で共に戦いたかったのに」
「そんなことがあっては、俺もウェズリーも気が気ではなくなってしまう」
勇ましい妻の言葉に、アランが苦笑を浮かべる。
ディアナの勇ましさは、既にアランも知るところだ。
だからこそ、身重な彼女が自ら剣を振るうことがないように、しっかりと守らなければならない。
「君とお腹の子が、安心して暮らせるように……必ず、平穏を手に入れてみせるから」
「……勿論、アラン様も一緒に、です」
念を押すように、ディアナがアランの名を付け加える。
己の心を見透かされたようで、再びアランの面に苦笑が浮かんだ。
「……アラン様が戦場に立ってくださるならば、私も、それに備えなくては」
「無理のない範囲で、頼みたいのだが……」
「勿論。ただ、防具を発注しようと思っただけです」
肌が触れ合うほどの距離。
しかし、その内容は甘い言葉とはおおよそ縁の無いものだった。
そんな新婚夫婦の空気を切り裂くように、廊下に慌ただしい足音が響いた。
「──ディアナ様! 王城から、御触れが出されました!」
ガザード家に仕える文官が、一枚の紙を手に、第二執務室に駆け込んでくる。
そこに記された文言を目にした瞬間、ディアナだけでなく、アランの表情までもが強張った。
「クライド・エルドレッドが処刑──?」









