75:王太子は決断する
「お、王太子殿下……」
エイブラムが振り返った先には、王太子ローレンスの爽やかな微笑みがあった。
凍てつき、張り付いたような笑顔。
「して、僕と陛下にどんな問題があると言うのだ? もう一度、申してみよ」
「は、それは──」
エイブラムは彫像のようにその場に立ち尽くした。
その身体が、やがて小さく震え出す。
無理もない、彼は王家に対する不信をアランに打ち明けようとしていたのだ。
その現場を押さえられては、もはや弁解の余地はない。
“不敬罪”
その一言で、貴族といえど処罰は免れない。
しかも今回の言動は、王弟アランと第三騎士団の騎士達を巻き込むものでもあった。
不敬に留まらず、他者を唆したとして内乱罪まで問われかねない。
「おい」
「はっ」
ローレンスが手を上げると、彼の背後から現れた近衛騎士達が、エイブラムを取り囲む。
「王太子殿下、わ、私は──」
両腕を近衛騎士に掴まれたエイブラムが、声を震わせた。
「連れて行け」
もはや弁明を許す気などないとばかりに、ローレンスは指示を出した。
「殿下、お待ちください殿下!!」
ホールの床を引き摺られるようにして、エイブラムが連行されていく。
その姿を、アランも第三騎士団の隊員達も、呆然と見送ることしか出来なかった。
「とんだ反逆者が居たものだ」
何事もなかったかのように、ローレンスが穏やかな笑みを浮かべる。
いつもと同じ、泰然とした態度。
その落ち着きが、かえって不気味さを醸し出していた。
「叔父上があの愚か者の口車に乗ることがなくて、安心しました」
「あ、あぁ……」
ローレンスの言葉に、アランが小さく息を吐く。
(きっと、何か言っていたなら──俺もまた、彼と一緒に連行されていたのだろうな)
あるいは、ローレンスもまたそれを望んでいたのかもしれない。
華やかなパーティーだからと、気を抜くことは出来ない。
いつだって、刃は喉元に突きつけられているのだ。
「叔父上も、身重な奥方がさぞ心配なことでしょう」
ローレンスの、穏やかな笑顔。
しかし彼の碧眼は強い光を湛え、真っ直ぐにアランを射貫いていた。
「どうぞ安静にお過ごしいただきますように」
──痛烈な皮肉だった。
お前に何かあれば、身重なディアナにも被害が及ぶぞと言いたいのだろう。
彼の父オスニエルに幼少期から言われていた言葉を思わせる。
現王オスニエルのことを思い出した瞬間、アランの口元に小さな笑みが浮かんだ。
「ご忠告、痛み入る。活発で有能な妻を持つと、気苦労が絶えなくて困ったものです」
苦笑を返すアランに、ローレンスが眉を顰める。
この程度の皮肉には、慣れたものだ。
これ以上の言葉の刃を突きつけられたことは勿論、刺客に命を狙われたことさえあるのだ。
些細な言葉など、児戯に等しい。
「……ふん」
面白くもなさそうにローレンスが小さく鼻を鳴らして、踵を返す。
立ち去るその背中を見て、第三騎士団の隊員達が、一様に息を吐いた。
「──アラン様!!」
ローレンスと入れ替わるようにして現れたのは、騒ぎを聞きつけたディアナだ。
先ほどまでこの場にローレンスが居たことを知って、ディアナの顔には緊張が滲んでいる。
「一体、何の騒ぎですか。誰かが近衛騎士に捕らえられたと聞きましたが……」
「ああ、少し色々あってな」
愛おしい妻の姿に、アランの表情が自然と綻ぶ。
ディアナもまた、夫の無事を確かめるようにその身を寄せた。
仲睦まじい二人の姿に、目のやり場に困った騎士達は、自然と視線を逸らしていた。
「本当に大丈夫ですか?」
どこか拗ねたようなディアナの声に、アランが声を上げて笑う。
「ああ、問題ない。相変わらず、とても居心地が良いとは言えない場所だが──」
アランのブルーグレーの瞳が、華やかなパーティーホールを見渡す。
自分達に向けられる、幾つもの目。
好奇、警戒、同情──そこに宿る色は様々だ。
「どうやら、前とは違う空気が流れ始めているようだ」
小さく呟いたアランの言葉に、ディアナが首を傾げた。
一方、面白くないのは王太子ローレンスだ。
連行したエイブラム・ジョーセフを投獄するように命じはしたものの、それだけで彼の気が収まるはずはない。
王城で、このような騒動が起きること自体、予想外であった。
誰も彼も、言うことを聞く──それが当たり前だったと言うのに。
能力に目覚めてからというもの、王城は彼の支配下にあった。
高官も、騎士も、使用人も、国王である父でさえ、誰も逆らう者など居なかった。
それが、今はどうだ。
小さな綻びが、指に刺さった棘のように不快感を誘う。
「やはり、あいつしか考えられない……」
ぽつり呟いた言葉には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
どうして、自分に異を唱える者が現れ始めたのか。
考えられる原因は、一つしかない。
「──やむを得まい。クライドを、処刑する」
一度は生かすと決めた、婚約者の兄──その処遇が、覆ろうとしていた。









