65:王弟は全てを受け止める
アランの腕に抱かれて、ようやくディアナの震えが止まる。
細い身体を抱きしめる度に、その身にどれほどの重責を抱えていたのかと、胸が痛んだ。
(あの時──確かに、ディアナが来てくれなければ……俺は討ち死にしていただろう)
思い出すのは、北方への遠征。
ディアナ率いるガザード公爵家の兵は偽の命令により本隊から引き離され、アランが率いる第三騎士団の兵もまた、近衛騎士達により分断されていた。
野営地で、寝込みを襲われたあの時。
単身応戦したものの、多勢に無勢。
あのまま戦闘が長引けば、どうなっていたか──結果は、火を見るよりも明らかだ。
(俺は……ディアナに、救われたんだ……)
腕の中で小さく鼻を啜る妻の背を、そっと撫でる。
ディアナの先見の明に救われたのは、あの時だけではない。
王都で流行り病が蔓延しそうな時も、真っ先に動いたのはディアナだった。
ディアナにとって、父ウェズリーの存在がどれほど大きなものか。
長年間近で二人の絆を見てきたアランは、十分に理解している。
親の居ないアランには、時にそれが眩しくもあった。
どうして一人で無茶をするのかと、ディアナを叱った時もあった。
それ全て、前世で失った絆を取り戻す為だったのだと思えば、狂おしい程の痛みと焦燥、そして愛おしさがこみ上げてくる。
もっと早くに打ち明けてくれていれば……なんて、今更言えはしない。
このような話、何も知らぬままに打ち明けられても、とても信じられるものではない。
コーデリアの身に起きた異変と、建国に携わった名家の持つ能力。
それらを目の当たりにした今だからこそ、こうも素直にディアナの話を受け入れられるのだ。
ガザード家が持つ力が明らかになった今だからこそ、ディアナも打ち明ける気になったのだろう。
「……ありがとう、ディアナ」
こつんと、ディアナの額に自らの額を寄せる。
すぐ目の前にあるアメジストのような潤んだ瞳が、大きく見開いた。
「アラン様は……信じて、くださるのですか……?」
ディアナの声は、震えていた。
その揺らぎごと飲み込むように、そっと唇を重ねる。
「当たり前だろう……事実、助けられた身だというのに」
ディアナの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。
雫を指で拭えば、ディアナの身体から力が抜け落ちた。
自分の胸に甘えるようにもたれ掛かる妻を、優しく撫でる。
真実を明かすことに、どれだけの勇気を振り絞ったのだろう。
不安を乗り越え、全てを話してくれた妻が、いじらしく、そして愛おしかった。
「俺は……あの森で、死んだのか」
「そうなる、はずでした」
ディアナが助けに来てくれなければ、今世もそうなっていたのだろう。
腹の底が、ゆっくりと冷えていく。
怒りなのか、憎しみなのか、感謝なのか……今はまだ、自分の感情を推し量ることさえ出来ない。
踏み躙られるばかりの人生だった。
あの時、近衛騎士に囲まれていたアランを助けにやって来たディアナは──月の女神の如く光り輝いていた。
ディアナが助けに来なければ、アランは恋も知らずに生涯を終えていた。
前世の自分は、なんと哀れなのだろう。
身を焦がすような想いも、こみ上げてくる愛おしさも、理性を揺さぶる熱情も……何一つ知らずに、この世を去ったのだ。
全ては、彼女が教えてくれた。
空っぽだった人生に、生きる意味を与えてくれた──。
「今まで、一人で立ち向かっていたんだな」
優しい声音に、再びディアナの瞳が潤む。
「これからは、俺も共に背負おう。決して、ディアナを一人で苦しめたりはしない」
「アラン様……っ」
胸の中、崩れ落ちたディアナは、子供のように声を上げて泣いた。
彼女がこのような姿を見せるのは自分だけと思えば、胸の奥に熱いものが満ちていく。
扉の向こうに、微かな気配があった。
誰のものか察しながらも、アランはあえて顔を上げなかった。
やがて、小さな足音が静かに遠ざかっていく。
泣き疲れたディアナが再び静かな寝息を立てるまで、アランは何も言わず、ただその髪を撫で続けていた。









