64:双子の姉は全てを告げる
ウェズリーとの話し合いの末、別邸は引き払い、しばらくはガザード公爵家本邸で過ごすことになった。
今は何より、ディアナの体調が最優先だ。
本邸の方が守りを固めやすいとまで言われては、アランに断る理由はなかった。
音もなく寝室に戻り、ベッドで眠る妻の顔を覗き込む。
大柄なアランが腰を下ろすと、ベッドがぎしり……と軋んだ。
微かな気配に、ディアナが薄目を開ける。
暫く焦点の合わなかった瞳は、やがて、心配そうに覗き込む夫の姿を映し出した。
「大丈夫か?」
アランの指が、頬に張り付いた髪を掬う。
「アラン……様……」
どうにか絞り出した声は、酷く掠れていた。
一度立ち上がったアランが、サイドテーブルに置かれた水差しからグラスに水を注ぐ。
からからに渇いた喉に潤いを得て、ディアナがホッと息を吐いた。
そんなディアナの様子を、アランはじっと見つめていた。
子供を授かったことは、嬉しい。
自分は生涯子など持てぬと、長年諦めていた。
幸せを追い求めることなど、出来るはずがないと思っていた。
それが、今はどうだ。
自分を慕ってくれる妻と一緒になり、子まで授かった。
以前ならば考えられない状況だ。
幸せを手に入れたからこそ、失うのが怖い。
子供はほしい、だが出産にはリスクを伴うのもまた事実。
こみ上げてくる喜びと同じくらいに、不安と恐怖も、また重く伸し掛かっていた。
「ご心配をおかけして、申し訳ございません……」
そう言って笑みを浮かべるディアナの顔は、窶れていた。
「謝る必要はない」
アランが、ゆるりと首を振る。
再び視線が交差する。
ディアナの揺れる瞳には、隠しきれない不安が滲んでいた。
「ディアナ……」
再びベッドに腰を下ろし、妻の頬を撫でる。
どうしてそんなに怯えているのか。
君は今、何を感じているのか──問い質したい反面、聞くのが恐ろしい。
双子の母は、出産の翌日に命を落とした。
ディアナが出産に不安を覚えるのは、ある意味では当然のことと言えよう。
しかし、今の彼女の取り乱しようは、あまりにも痛々しく──それだけではない気がして。
母が居ない寂しさは、己が一番よく知っている。
その傷に、触れるべきか否か──アランは、いまだ計りかねていた。
いつも真っ直ぐなアランの瞳が、僅かに揺らいでいる。
彼を悩ませているのは、自分のことだろう──ディアナには分かっていた。
分かっていて、なお唇が強張ってしまう。
「ガザード家の能力について……お父様から聞きましたか?」
「ああ、時を巻き戻す能力だと聞いた。にわかには信じがたいが──」
信じられなくて、当たり前だ。
ディアナとて、自身で経験していなければ、とても頭から信じる気にはなれなかっただろう。
あまりに荒唐無稽、現実味のない話。
しかし──。
「……全て、お話します」
ディアナが、震える声を絞り出す。
夫が躊躇している事柄。
自分の身に起きた事実を伝えなければ──ディアナが抱いている恐怖は、理解出来るはずがない。
与太話だと笑われるかもしれない。
気でも触れたのかと、目を逸らされるかもしれない。
それでも──アランにだけは、知っていてほしかった。
自分が、子を望んでいない訳ではないこと。
アランの子を授かり、確かな喜びが胸の内にあること。
ただ──それを上回る恐怖が、手に入れた喜びを失ってしまうのではないかという不安が、拭い切れないことを。
「私は──一度死んで、時を遡ってきました」
小さく、息を呑む音が聞こえた。
「私が一度経験した未来では、アラン様もお父様も亡くなり、私がガザード公爵として実務をこなしていました。しかし、王太子殿下からの圧制は止まらず……最期は、コーデリアの手で殺されたのです」
「な──っ」
アランの顔を、まともに見ることが出来ない。
彼は、今どのような顔で聞いているのだろう──それを知ることが、恐ろしかった。
「目覚めた時には、卒業式典の朝でした……あの時から、私は妹を警戒して生きてきた」
たった一人、時間の流れを遡ってきた。
同じ時、同じ生涯を歩んできた双子に殺されて、誰も信じることなんて出来ないと、そう思っていたあの頃。
「卒業式典……?」
小さく呟いたアランの声に、ディアナが頷く。
「私が知る未来では、アラン様は──北方の魔獣討伐で、大恐慌に巻き込まれて亡くなられました」
今度は、言葉もない。
沈黙に耐えられず、ディアナが言葉を続ける。
「その未来を変える為に、私はガザード家の兵を率いて、アラン様と共に北方に向かったのです」
現実は、もっと残酷な物だった。
前世でアランが命を落としたのは、大恐慌によるものではなく──近衛騎士による謀殺だったのだ。
ディアナが僅かに顔を上げて、アランの表情を窺う。
整った眉間には、深い皺が刻まれていた。
「俺だけでなく、ウェズリーも……?」
「お父様は──王都で病が流行した際に、最後まで対策に尽力されて……病の終結と引き換えに、命を落とされました……」
ベッドが、微かに震える。
布団の上に置いたアランの掌が、シーツを握りしめていた。
「前世では、旧友のオドノヒュー侯爵令息がガザード家に婿入りしました」
今となっては、忘れたい過去。
ディアナを縛り付けていた言葉が、脳裏に浮かんでくる。
「私は、三度子を身籠もり──三度とも、我が子をこの手に抱くことは、叶いませんでした」
ディアナの声が、低く掠れる。
その顔には、自嘲気味な笑みが浮かんでいた。
「愚かな私は、妹を──コーデリアを、信じていたから……彼女に勧められるままに、彼女の作った物を口にして……」
自然と、視界が霞んでいく。
自分が涙を浮かべていることにさえ、気付いていない。
ディアナの肩は、小さく震えていた。
「全ては、ガザード家の血を絶やす為だったのでしょう……あの頃の私は、何も知らず、何も気付かず、何も見えていなかった……」
唇から、微かな嗚咽が漏れた。
「嬉しいはずなのに、喜びたいのに、でも──恐ろしくて、仕方が無いのです。私は、また──この子を失ってしまうのではないかと……っ」
ディアナの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。
「私は──」
その涙ごと包み込むように、アランがディアナの身体を強く抱き寄せた。
「もういい、ディアナ」
アランに抱きしめられ、身体の震えが止まる。
全身を包み込む夫の温もりに、ディアナはようやく息を吐くことが出来た。
「もう、いい……これからは、一人で抱え込まないでいいんだ……」
夫の優しい声に、再びディアナの瞳から涙がこぼれ落ちる。
逞しい腕に身を任せ、目を閉じる。
卒業式典の朝に目覚めてから、ただ一人で背負ってきた重荷を──今ようやく、下ろすことが出来た気がした。









