63:双子の姉は異変に見舞われる
次期公爵として教育を受けたディアナは、日々の鍛錬に加えて規則正しい生活を心がけている為、目覚めは良い。
蜜月の間は起きられない日が続いていたものの、今では夜の生活にも慣れて、普段通りの生活を送れるようになっている。
そんなディアナが珍しくベッドの中に留まり、起き上がれずに居た。
先に目覚めたアランは、無言のまま妻の目覚めを待っていた。
そっと、ディアナの顔に掛かる前髪を掬う。
普段のディアナならばこれだけで薄目を開けるところだが、今日はその気配はない。
アランの胸にもたれ掛かるディアナの顔は、いつもより青ざめて見えた。
異変を察したアランは、ディアナの肩まで布団を引き上げ、そっと抱き寄せた。
そこでようやく、ディアナの意識が浮上する。
「あ──」
目覚めてすぐ、ディアナは自らの口元を手で覆った。
何かを堪えるように、唇を噛みしめる。
「どうした、具合が悪いのか?」
「大丈夫です、少し気持ちが悪いだけで……」
心配そうに顔を覗き込むアランに対し、ディアナがゆるりと首を振る。
「もう少し休んでいるといい」
「はい……」
アランがディアナを抱き寄せ、再び布団の中へと引き戻す。
夫の胸に甘えるようにして、ディアナは再び瞳を閉じた。
アランは腕の中で眠る妻を、注意深く見つめた。
商会長として、日頃の疲れもあるだろう。
だが、それにしては顔色が良くない。
目の下には、うっすらと隈が滲んでいる。
無理をさせすぎただろうか──そんな後悔が、アランの胸を締め付ける。
ディアナが二度目の眠りに就いた後、彼女を起こさぬよう静かに寝台を抜け出し、医師を手配させる。
ディアナが目覚めたのは、太陽が空高くまで昇った頃だった。
「おめでとうございます」
「え……?」
目覚めてすぐ診察を受けたディアナは、医師の言葉に瞳を瞬かせた。
「ご懐妊です」
「かい……」
医師の言葉が、急速に遠のいていく。
長年ガザード家に仕えたお抱え医師だけではない、その助手もまた、祝いの言葉を述べる。
そのどちらの声も、ディアナの耳には届いていない。
(懐妊──つまり、子供を授かったということ……?)
先ほどの医師の言葉が、じんわりと染み渡っていく。
子供を授かった。
その意味を理解した瞬間──ディアナの身体は、小刻みに震えだした。
『子供を産めぬ女と、結婚などするのではなかった』
真っ先に浮かんだのは、前世で夫から浴びた、冷ややかな視線。
オドノヒュー侯爵家の後を継がせる為に、マイルズは子供を求めていた。
そうして授かった子供は──三度も、流産してしまったのだ。
「──っ」
咄嗟に、口元を押さえる。
食べていないはずなのに、喉の奥まで酸っぱいものがせり上がってくる。
胃の中は空に近いはずなのに、吐き気だけが容赦なく込み上げた。
「かはっ」
「ディアナ様!」
慌てて駆け寄った医師が、ディアナの背をさする。
喉が、焼けるように痛い。
水を持ってくるようにと指示を出す医師の声が、どこか遠くに聞こえる。
次に浮かんだのは、懐妊を祝い、好物を差し入れてくれた妹──コーデリアの笑顔。
何も知らずに、妹を信じて毒を口にしていた、愚かな自分。
波のように何度も押し寄せる記憶が、ディアナを嘔吐かせた。
心の縁にこびり付いた記憶が、身体を蝕んでいく。
落ち着こうとしても、自然と奥底に澱んだ膿を吐き出すかのように、喉元までこみ上げてくる。
「──ディアナ!!」
不意に、懐かしい声が響いた気がした。
いや、懐かしいと感じたのは一時のこと。
今朝も聞いたはずの声だ。
懐妊という言葉を聞いてからというもの、ディアナの心はすっかり前世の記憶と混濁してしまっている。
「アラン……さ、ま……」
自分を見上げるあまりに弱々しい表情に、アランは思わず息を呑んだ。
ガザード公爵邸の執務室。
静かな部屋に、足音が響き続けていた。
普段ならば執務机に鎮座している部屋の主が、落ち着かない様子で室内を歩き回っている。
足音を掻き消すかのように、ガチャリと扉が開いた。
長年の親友であり、今となっては入り婿でもあるアランがやって来たのだ。
「ディアナの様子は?」
「今、寝かし付けてきたところだ」
「そうか……」
ドサリと、アランがソファーに腰を下ろす。
どうにかディアナを寝かし付けた後も、アランの胸のざわつきは収まらなかった。
二人とも、暫し無言のまま。
執務室に、重苦しい空気が流れていた。
「……もっと、喜ぶべきなのだろうが」
先に口を開いたのは、アランの方だ。
「辛そうな表情を見てしまうと、心配の方が先に立つな」
「それは、そうだろう」
ウェズリーが、重々しく頷く。
彼自身、双子が誕生したその翌日に、妻を亡くしている。
出産が命懸けであることを、身に染みて理解していた。
「妊娠初期は、特に心身共に不安定になると聞く。少しすれば、落ち着くはずだ」
「だと、良いのだが……」
ソファーに座ったまま、アランが俯き、目を閉じる。
愛おしい妻が、懐妊した。
心の奥底に、小さな火が灯ったような感覚。
湧き上がる喜びは、確かにある。
だが、それ以上に大きな不安が押し寄せていた。
(ディアナ──)
妊娠を知った時の、ディアナの反応。
妻の顔に、隠しきれぬ恐怖が浮かんでいる気がして……我知らず、アランが髪を掻き毟る。
その表情が、何を意味するのか。
今のアランには、予想すら出来なかった。









