98、
「うーわ、しまった。これも分離体だったのかぁ」
私が兵隊のビーズ人形を返した際に、ウクドが親指の爪の中に家付き虫を取り込まなかった時に気付くべきだった。
ウクドは「分離体では家付き虫を呼べない」と言っていた。
それはつまり、「分離体では家付き虫の出し入れが出来ない」という事だ。
どうやら私は家付き虫をウクドに返すタイミングを間違えてしまったらしい。
ウクド本体は、他に呼び出している家の中に隠れていたのだろう。
「大丈夫。まだ…大丈夫」
私の手の内にはウクドが「患者」と呼んだハートがある。
私の目には見えはしないがウクドが隠れている家も、ウーターニャといすずが匿われている家も、その他患者が収容されている家も全て診療所内に存在している。
『瀕死の患者の治癒が可能な天使が間違いなくこの場に居る』と知る私が、診療所内にハートを『提出』した場合、世界の理は救命活動を怠ったとして私を裁くのだろうか。
それとも患者を診療所に届けた者が居る事を知りながら、隠れて治療を拒否したウクドを裁くのであろうか。
もしも後者だった場合、私が診療所内にハートを取り出して見せた時点でウクドは再び私の前に姿を現すのではなかろうか。
「可能性はなくもないけど…、一か八かに賭けるにはまだ早いかな」
私はウクドが呼び出した小屋を出て、診療所内へと再び戻ったのだが、無人だった筈のそこに人の姿があった。
鈍色の制服を纏った人物がゆっくりと私の方へ顔を向ける。
「いやいやいやいや。困る。悪いですけど、私は天使じゃないですよ。なーんにもできない魔法無獲得者ですからね?」
天使と間違えられて、新たな患者を私に与えられても困る。
私は無意識に両手を挙げて降参のポーズをとった。
「イサナ様。無事に御1人になられた事を御慶び申し上げます。さぁさぁさぁ、モウ様が御待ちです。御送り致しましょう。御任せ下さい」
濃い灰色とくすんだ緑色が混ざる髪のその人は深々と頭を下げた。
同時に診療所が揺れ、みしみしと軋み、ウクドの家付き虫の力で修繕されたばかりの天井が再び破壊されていく。
取り払われた天井に見えたのは2段オールの巨大なガレー船の姿であった。
「…天井ぶっ壊れるイコール、マリルドが戻ってきたって思っちゃったな。マリルド以外にも他人の家を破壊する人っているんだね…」
「さぁさ、こちらを御使い下さいませ」
違う。あなたに渡す必要がないから渡さないだけです。あなたに彼らの治療はできない。治療できるのは…ウーターニャちゃん、なんでしょう?」
ワルサーのことを忘れると誓いなさい!
診療所にいても臓物を浴び続けるだけよ…
悔しくて悔しくて恨めしくて文字通り歯噛みし続けたわ
噛み締めすぎて虫歯もないのに歯が痛むの
アタシが美貌の國に行ったのは削れてしまった歯を治したのよ
歯をきれいにして羨望の國であの女を羨まない人間になるつもりだったの!
『イサナ、ウーターニャが治癒する者共の思考は読んではいけません。瘋癲の國を乗っ取ったあの女に洗脳され兼ねません。事後報告に成りましたが奴等の思考に関する記憶の共有は停止させました。許して下さい』
「ええぇー…洗脳?モウってそんな悪役っぽい魔法が使える人だったの?」
『いいえ。2691年の間に瘋癲の國の土着した依存性が腐敗して國民の多くが自我を失った頃合いにあの支配欲に塗れた若さと安っぽい美しさが武器のあの女が寄生小天守の主に近付き、運良く懐柔に成功しただけの事。あの女自身の持つ魔法に洗脳魔法の様な高度な種は有りませんね。其処で治癒されている主従の國の民等が洗脳を望んでいるんです。思考を止めた彼等の空っぽな頭を覗けば』
イサナ、モウに連絡
ウーターニャの魔法を封じる
次に同じことをした場合殺人に抵触して消失したくなければやめろ
大丈夫、封じさせた私も(ワルサーも)治癒できないウーターニャもモウもきっと同罪
一緒に世界から消えてあげるよ
ワルサー、珍しいな。質実の國や丁寧の國では育児を行うことが多いので親子の情を持つケースが多いと聞くが、この世界では親を知らぬ人間が大半なんだ。マリルドは親に会ったことがあるんだな→「マリルド、親御さんに会ったことあるの?ってワルサーくんが聞いてる」→聞いてはいないが→無視→あぁ、うん。子供の國で育ったけど運動の國に10才の時に行ったらそこで偶然父親に会えた。意外にも有性出産で産まれたらしいよ、私。おもしろいんだよ、子供には親の基本情報が全部丸見えなんだよ。顔を見た瞬間に頭の中に情報が流れ込んで来たわ。親ってわかったからとりあえずご馳走をねだったら「は?」って顔された(笑)→へー、そうなの?→僕は本人が隠していない情報なら誰のものでも見れるが、普通は親の情報以外は読み取ることはできないな。出会えること自体が稀だが、出会えたら子供には情報を全部読み取られてしまうという→ワルサーくんは親御さんに会ったことないの?→ない→
明日は豪奢の國か→うん→お前達には不釣り合いな國ではないのか→だからおもしろそう だよね→明日も大いに笑うのだろうな→そうなるといいな→穏やかな時間
先程モウが溢した情報と一致するウーターニャの話にマリルドが感嘆を漏らすので脇を小突いて窘める。
です。あの新國の下品な城主の命令がウーターニャの足止めなのでしたら、死の淵をさ迷うリスクを負ってでもウーターニャにしか治癒が出来ない怪我を負う必要があるんでしょう』
「だったら他の天使に治療を任せればウーターニャちゃんの足止め狙いの自傷者はいなくなるんじゃないの?」
「無理なのよ」
私の提案を即座に退けたのはワルサーではなくウーターニャだった。
「最高位治癒魔法の獲得者は私の母テルシニャと私だけだもの」
欠損量を問わず、肉体に脈動が残っていれば治癒が可能な魔法
しかし、最高位治癒魔法を必要とする場合、連れて来られる患者は家付き虫に預けられた状態でやって来る。
略奪を許される鬼以外の人間が人間の身を家付き虫に預ける場合は事前に相手の了承を得る事が必要になる。
何故なら家付き虫に預けられた人間は記憶の一切を失ってしまうからである。
無断、又は当人に僅かにでも記憶に未練が有るにも関わらず家付き虫に人の身を預けると記憶を『窃盗』した事になり、世界の理に抵触してしまう。
つまり、治療院を訪れて最高位治癒魔法を受ける為には記憶を失う事を




