97、Let's negotiation
ウクドは抵抗を見せない。
私は診療所の中央に立ち、ウクドへと向き直ると兵隊のビーズ人形の家付き虫を摘まんでウクドの目の前で揺らして見せ付ける。
兵隊のビーズ細工人形は頭部の帽子から顔の表情、靴のデザインに至るまで様々な幾何学的なデザインのステッチが組み込まれ、複数種類のシードビーズを用いてあり、素人目にも一点物の貴重な作品であることが分かる。
「かーわいいですね。じたばたと暴れてる」
「お願い…乱暴にしないで」
【ビーズ細工作家イリアマイファーズ・ベータが手掛けたオリジナル作品コレクションの完全なる保全】
これが、ウクドの【終極の願い】。
私の手の中にあるビーズ人形の破損を彼女は恐れているのだ。
「3人を返して下さい。そうすれば私は優しくなれます」
「…誤解しないで。ワタシはお姫サマに危害を加えているわけではないの。逆よ。先に今の状況を説明するから…オーブに乱暴するのはよして」
ウクドは生み出してしまったちびウクドを1体を残して他は全て消し去ると、新たに別の家付き虫を召喚し、古い木の扉の中へと私を招いた。
1畳程度の広さしかない子供の秘密基地のように小さな小屋の中にはランプの置いてある小さな丸い机と椅子が2脚。
どうやら対話の場を用意してくれたようだ。
ちびウクドが椅子を引き、私とウクドに着席を促す。
私は用心深くビーズの兵隊を手に握り締めて、ウクドに逃げられぬように出入口に近い席を選んだ。
私の背後に立つちびウクドが家付き虫を取り戻すべくして私の手から無理に抜き取ろうとしたならば、ビーズの人形は引き千切れてしまうだろう。
私の警戒に気付いたウクドは不快を露にする。
「…アナタ、学がない割に用心深いのね。では最高位治癒魔法のことはどう?さすがに知っているんじゃないの?」
「ハイランク?…ん、待ってください。あ、知ってま」
「ハナから知らないのに思い出そうとするフリをするのはやめて。見苦しいわ」
最高位治癒魔法についてワルサーの知識を探り出したので理解できている筈だが、本来の私が無知であると見抜いているウクドがとくとくと説明を開始する。
―――最高位治癒魔法―――。
治癒魔法が欠損した肉体の一部を再生させる魔法であるのに対し、最高位治癒魔法は指の先の肉の欠片であったとても本来そこに含有されているべき5%以上の腐敗していない血液が残されていたならば、完全再生を可能とする超再生魔法である。
ただし、この最高位治癒魔法を獲得している人間は回復の國の城主、天使テルシニャのみ。
対外的にはそう周知されている。
「けれどもそうじゃなかったの。もう1人、最高位治癒魔法獲得者はいたのよ」
「ウーターニャですね」
「…お姫サマから知らされてたの…?」
私が知らされていた訳ではない。
ワルサーが知っていただけだ。
「アナタはお姫サマに信頼されている人物なのね。…追い払ったりして悪かったわ」
「続きを」
「謝罪されたからって優位に立った気にならないでくれる?あ、違うの、ヤダごめん。話すわ。話すわよ。だからできればそれ以上オーブに手の脂を付けないで。くすんでしま…わかった。睨まないで。…お姫サマがワタシの診療所を手伝いにやって来た翌週のことだったかしら…。最高位治癒魔法を必要とする患者が1度に10名も連れて来られたの」
ちびウクドが応対していた客が「お前の存在を赦さない」という言葉を発しながら家付き虫から放出させたそれは患者と呼ぶのも憚られるような肉片と化した物であった。
診療所内にばら蒔かれた肉片は1名の物なのか、複数名の物なのか、そもそもどの部位が持ち込まれたのかすらも判別不能であった。
最大で片足1本の再生が限度の治癒魔法しか持たぬウクドでは処置ができないと断る間も無く、患者を運び込んだ人物は無責任にも診療所から立ち去ってしまった。
ちびウクドの救援信号を受けて駆け付けたウクドは、場に残された患者の状態を見て、自分の家付き虫に肉片を回収させ、回復の國に居る城主テルシニャの元へ自分が送り届ける他ないと考えた。
迷い悩む猶予は無かった。
叶球のありとあらゆる物は欲する者が存在しなければ消滅してしまう。
目の前に差し出された患者は持ち込んだ人物から所有権を放棄されてしまった。
放置していては目の前の肉片は消え失せてしまう。
家付き虫に回収させて、ウクドが次の所有者になれば即時消失を防ぐ事は出来る。
けれどウクドはこの患者がどの様な人物なのかという為人どころか、人数さえも一切知り得ていない。
その為、思い入れの持ちようが無く、散乱する肉片の全てに対して所有感を維持する事が困難なのである。
肉片の幾つかは存在を忘れ、消滅させてしまう事になるであろう。
もし仮に肉片が複数名の物だった場合、回復の國へ向かう道中で完全消滅させてしまう人物があるかもしれないのだ。
完全なる『無』からの『再生』はテルシニャであっても対応出来ない。
如何なる人物であろうとも、禁術である『蘇生魔法』は獲得出来ぬのだ。
ウクドは世界の理に裁かれる恐怖に震えながら、肉片の状態を忘れぬよう、目に焼き付けては次々と家付き虫に預からせた。
極度の緊張がウクドを襲う最中に、ウーターニャが肉片の1つを前に最高位治癒魔法を発動してみせたのだ。
肉片は結び付いていた組織を構成する成分を叶球中の大気中、或いはウクドの家付き虫に預からせた肉片の中から少しずつ呼び寄せては、結合させ、肉塊へと成長した。
遅々とした進みではあったが肉塊の中に骨が作られ、肉塊は皮膚で覆われ、脈動を甦らせ、人の形へと再生させていった。
85%の治癒が進んだ段階でウクドが完治に至るまでの治癒魔法を引き継ぎ、ウーターニャは次の患者の治癒に移行した。
そして一晩を要して、10名の患者の治癒が完了したのだ。
「でも無事に、とはいかなかったの。翌朝目を覚ました患者達が次々と自傷を行ったの」
家付き虫に預けられた人間は代償として記憶の全てを失う。
叶球では現代言語及び、飲食手段の2点については世界に満ちた魔法が自動的に知識を与えてくれる仕様になっているが、家付き虫から取り出された直後の人間は体の動かし方から学び直さなければならない程、日常生活を送るのも困難な状態に陥る。
その筈の患者が、自らの身を傷付けたのだ。
「考えてみれば当たり前の事よね。世界の理に守られているこの世界で致命傷を負わせる事が出来るのは自分自身に対してだけだもの。彼らは己に対して自身を損傷させる魔法を施してたの…」
完治と同時に自傷魔法が発動し、患者達は再び致命傷を負う。
更に悪いことに最高位治癒魔法を要する患者が翌日に16名、次いで翌々日には12名がウクドの診療所に届けられたのだ。
ウーターニャが長い髪と交換に、患者を眠りに就かせる入眠魔法を獲得したが、即効性と強制力は強いが、その分持続時間は短く2時間が限界であった。
「入眠魔法?ウーターニャちゃんはなんで自傷魔法の解くための魔法を稼得しなかったんですか?」
そんなこともわからないのかとウクドは瞳をぎゅうっと閉じて深い溜め息を吐き捨てる。
「…あのねぇ、魔法の解除を得るためには、元の魔法、今回の場合は自傷魔法を獲得する必要があるのよ。お姫サマの髪長さじゃ、自傷魔法と自傷解除魔法の両方を獲得するには足りなかったのよ」
「そうなんですね」
「200歳を越えているワタシの髪は伸び終えてしまっていて、新たに魔法を獲得することなんかできないし…。お姫サマにばかり負担をかけている状況に申し訳なく思ったわ。幸いにしてワタシは複数の家の所有者。ワタシは診療所内に予備の家を呼び出すことで、ワタシ達自身の身を診療所内に隠したの。新たな患者の受け入れを止めるだけで精一杯よ」
回復の國のテルシニャに応援要請を送ったのだが、今は國から離れる事が出来ないと断られてしまった。
テルシニャの元にも連日、同様の患者が送られて来ているのだと言う。
「なんとか耐え凌ぎなさいと言われたけれど、ここにいるのは天使が2人だけなのよ?一晩を要して治療を終えた患者は翌朝には自傷を開始して、時間を追う毎に患者の数は増すばかり…。限界なんかとっくに超えてるわよ!逃げれるものなら逃げ出してしまいたいわ。だけど存在を認知してしまった負傷者の治療を天使は拒否できない。そしてこの診療所の所有者であるワタシはこの診療所から遠く離れる事も許されていない。そんなことをしたら天使は『殺人』認定をされて世界の理に消されてしまうもの…!」
ウクドも、そしてウーターニャも、ウーターニャが最高位治癒魔法取得者であることを知っている人間がここへ患者を送っている事を察していた。
無論、患者を送り届けた者が残した「お前の存在を赦さない」というメッセージが誰に向けられているのもなのかも理解していた。
「できることならお姫サマに患者の全てを押し付けて、お姫サマ共々追い払いたいわよ。それをしていないのはワタシに良心があるからよ」
ウクドとウーターニャの2人は自身に疲労回復魔法を施しながら治療を行い続けた。
そんな状況下で肉体的疲労はないが精神的に追い詰められたウーターニャは朦朧としながらワルサーに連絡を取り、助けを求めたのだ。
知人に助けを求めた事を知らされていなかったウクドは、匿っていたウーターニャが呼び出した家から這い出て診療所を訪れた私達の前に姿を現してしまった事に驚愕した。
私達が最高位治癒魔法を必要とする患者を連れて来た様子はないと分かったが、応対する余裕もない為、ウクドは私達を追い返そうとしたのだと言う。
「…つまりアレですか。私も悪くないし、ウクドさんも悪くないってことですか」
「自分は悪くないって言い切る若さが憎らしいわね」
「家付き虫をお返しします。乱暴にしてすみません」
私は椅子から立ち上がると深々と頭を下げて謝罪し、両手でビーズの兵隊を差し出した。
ウクドはちびウクドにビーズの兵隊を回収させると、2度と私に奪れる事の無いように即座にちびウクドを小屋から退室させた。
そして私を睨み付ける。
「アナタがしたことは許せない。償いなさい」
「…つぐな…え?」
「この状況をなんとかして」
「ウクドさん…何言っちゃってるんですか?ウクドさんが私たちに名乗り出る時間をくれていればこんな無駄なやり取りせずに済んだんですよ?」
私は右手を伸ばしてウクドの左手を掴むと指を絡め取った。
そしてウクドの肩に向けて押し込む。
「いたぁ…!」
ウクドの細い指と手首が折れる。
キノコの容姿のせいだろうか。
心は痛まない。
「ウーターニャちゃんを隠す理由は分かりました。でもいすずは?」
私はウクドの耳元に顔を寄せる。
仮に相手がウクドであろうとも怒る自分の醜悪な顔を見られたくはなかった。
「返せ」
低く小さく唸るように囁く。
けれど私に私の都合があるように、ウクドにはウクドの主張がある。
ウクドは痛みを感じていないかのように静かに私を睨み返す。
私に折られたウクドの手がどろりとした黒い液体に変わる。
「話し合いは平行線ね。私は巻き込まれた立場だと言ったじゃない。最高位治癒魔法持ちの存在が悪いのよ。あれは癒しの魔法じゃないわ。厄を呼び込む害悪な魔法なのよ」
ウクドは全身を黒く溶かすと、姿を失くした。




