92、 ups and downs
飛行高度を上げると霧と化していた世界随一の落差を誇る色めきの滝の水の粒が徐々に大きくなり、肌に当たり始める。
美の女神の魔力を既に含んでいるこの水滴は肌に当たると虹色に輝いて美しく弾ける。
けれど見とれてはいられない。
出現させたままにし、風の絨毯に突き立てた大槍を握る右の手に力が入る。
私達の進むべき先では水滴は束となり、雄大かつ壮大な姿が見えているのだ。
重量と落下速度を失っていない膨大な水流は岩肌に沿って全てを叩き落とす。
滝から距離を取って上昇を続けることにしたのだが、色めきの滝は周囲に強風を生み出す。
畝るように吹き荒ぶ規則性の無い風を躱しては往なして先を進むマリルドを必死に追って風の絨毯を操る。
轟々と唸るような風の音が邪魔をして、間近にいても互いの声が届かない為、私とマリルドといすずは通話魔法を介して会話をしている。
偽いすずとは魔法石を交換していない為、声は届いていない筈なのだが、偽いすずは自動的に本物のいすずと同じ所作をとってしまうので4人で会話を交わしているかのように錯覚してしまう。
序盤では飛行ルートを頻繁に相談していた私とマリルドであったが、次第に口数が減っていく。
しかしそれは風の絨毯を操ることに集中したから…ではない。
振り落とされぬように必死になって風の絨毯の操縦者の脚にしがみ付き、只管悲鳴を上げていたいすずが高高度を飛行する恐怖心を上回る危機が迫っている事に気付いたようで顔を上げる。
「ううう…。ねぇ、なんか寒くない?…って!ちょ、なはははは…!」
2人同時に笑い出した私の風の絨毯とマリルドの風の絨毯に分かれて乗っている各々のいすずは大きく開いてしまった口内に水分を含んだ猛烈な風を受け入れてしまい、口を限界以上に抉じ開けられて口を閉じる事は叶わなくなる。
言葉を発する事はおろか、強風で骨格の形が窺い知れる程に頬は圧迫され、または捲られて、形相は酷く歪む。
私とマリルドと同じように、だ。
「あーはっはっは!!」
「…えははははえへ」
口を開きっぱなしの状態で尚もバカ笑いを続けるいすずに感心して「いすずすごいね」と伝えたつもりなのだが、残念ながら正しく声を発することは出来ない。
『あ』と『え』と『か』と『は』と『へ』と『ん』は頑張ればなんとか発音できる事は分かったが、この知見は得ても微塵の感動もなければ今後活かす機会も一切ないと確信できる。
「あああっえ!あはあはへ」
「はぁ!?」
何を言ったのか分からないが、マリルドが先行して滝の中へと突っ込んで行くので私は後を追いかける。
水が途切れる合間を縫い進むのだがマリルド程の風の絨毯の操縦技術が無い私は時折滝に打たれてしまう。
右身で滝を受け、痛みに耐え突き進むと淡い紫色の煙の中に入る。
目当てであった日に2便しか運行していない内の本日の最終便である魔法式鉄道の煙だ。
マリルドは見事な操縦で魔法式鉄道の最後尾にある展望デッキに滑り込む。
マリルドと共に風の絨毯に乗っていたいすずの片割れが列車に激突しないように、マリルドは展望デッキに入り込むより僅かに早く風の絨毯から飛び降ることで風の絨毯を絶妙なタイミングで消し去り、座面を失ったいすずの片割れは惰性で流れつつ落下し展望デッキ内で尻餅を搗く形で着地させられた。
魔法で空調が整えられている魔法式鉄道に降り立ったマリルドは色めきの滝の水と風からも、高高度の寒冷した空気からも無事に逃れ、鋼色の髪を手櫛で整えながら「こっちこっち」と手を降っている。
私は私の右足にしがみ付いていたこちらのいすずを引き剥がすと思い切り放り投げる。
「はぁ────!?」
展望デッキ内に向かって投げ込んだつもりだったのだが、いすずの軌道は上方に逸れてしまう。
しまった、いすずが展望デッキの屋根に激突する!と私が焦るより早くマリルドはぽんと床を蹴り、展望デッキの屋根を支える支柱の上部に両の手を付くと、足先にいすずの身を絡め取って勢いを殺しつついすずを展望デッキ内に蹴り入れた。
「うはは!あっぶねー。イサナはノーコンだなぁ」
「な…何が起きたのかわからんっちゃけど!めっちゃ怖かったんやけど!」
「風の絨毯の止め方はわかんねぇままなんだから多少荒っぽい着地になるのはしゃーないだろ?通話に応答しないフリケルのおっさんが悪い」
「イサナもマリルドがやったのと同じように着地させてくれたらよかったやん!」
「無理くね?イサナは運動音痴だもん」
「いやいやいや。イサナ走るの速いやん。運動神経いいやん!」
「いすずの足がクソ遅いだけだろ。ワタから見たらイサナも運動音痴だよ」
「いや、それはマリルドが規格外なだけって。…ていうか、イサナはどこにおると?」
「あの人?落ちてったよ。うははは」
「…うははって…笑い事じゃないやん!!」
そう。
私は落下していた。
いすずを魔法式鉄道にぶん投げた反動で私は風の絨毯から落ちてしまったのだ。
高所では勝手にぶるぶると震えるワルサーの左脚では踏ん張りが一切利かなかった。
「イサナぁー!!」
2人のいすずが展望デッキの手摺りから身を乗り出すようにして私の名を呼ぶ声が耳に届く。
私は悴み出した手にと寒さに震える体に気合いを入れる。
衣服に施されていた体感温度調整機能をコーセルに消されてしまっていた事に私達が気付いたのはつい先程。
高度が上がり、周囲の空気が冷えて漸く私達の衣服から防寒性能が失われている事に気付いたのだ。
低体温で身動きが取れなくなってしまうのは時間の問題であった。
仕方なく風の絨毯でウーターニャの元へ向かう事を断念し、最終便の魔法式鉄道に途中乗車をする算段を講じたのは良かったが、私は魔法式鉄道への乗り込みに失敗したのだ。
事態を打開できるであろう唯一無二の万能魔法使いであるワルサーは飛行移動を嫌い、叶球にある体の感覚の伝達を遮断してしまっている。
現状を打開できるのは私以外に存在しない。
「うや────!!」
我ながらまぬけな奇声を発して私は四方に大槍を振り回す。
振り回せば振り回す程、風の絨毯は生み出されるのだが、色めきの滝の爆風で落下速度を増している私から風の絨毯は次々と引き剥がされる。
それでも尚、大槍を振り回し続けて私はタイミングを計る。
そして私は大槍を振り回して生み出されたばかりの風の絨毯に大槍を突き立てて、大槍の柄にぶら下がりもがくように乗り込んだ。
絶対パンツ丸出しだ…けれど気にしてはいられない。
瀑布の中に於いて風の絨毯の推進力では飛行は儘ならない。
その為私は再度上方に大槍を振って新たな風の絨毯を作っては無様によじ登る。
けれども…これでは先を行く魔法式鉄道に追い付くことは到底不可能だ。
落下死を防げただけでも良し、色めきの滝壺へと戻り始発の魔法式鉄道を待つべき…そう思うけれど…私は大槍を振る事を止められない。
振い、刺して、よじ登る。
幸いにして私の半分は地球にある為に冷えを感じるのは右半身だけ。
まだ動ける。
「っ…!?」
諦めの悪い私が今し方よじ登った風の絨毯は大槍で2枚の風の絨毯を貫いて縫い止めてあった事に気が付いた。
大槍で縫い付けたられた2枚の風の絨毯は私が乗ると色めきの滝の瀑布の中でも僅かではあったが上昇をしてくれた。
「あはっ」
私の足場となっている2枚重ねの風の絨毯から大槍を引き抜くと、縫い止められていた下段の風の絨毯は消えてしまい風の絨毯は推進力を落として上昇を止めてしまった。
気にせず続けて大槍を素早く振い、新たな風の絨毯を幾つも生み出すと私は大槍を思い切り風の絨毯に突き立てて、幾度かの失敗の後に4枚の風の絨毯を縫い止める事に成功する。
4枚が重なった風の絨毯へと飛び移ると、風の絨毯はぐんと上方へと飛行を開始する。
着衣は乱れに乱れ、滝の水なのか、鼻水なのか涙なのか訳がわからない程に私は全身ずぶ濡れだ。
みっともない自分に、そして足掻いて見付けた明光に笑いが込み上げてくる。
もっと風の絨毯を重ねられたなら…きっと。
「イサナは死なんよね…!?え、死ぬとかある?」
「どうだろなぁ」
「あはっあはははあははは!!!!」
「…え、ちょっと嘘やろ…?なんか狂ったような笑い声が聴こえるんやけど…え?何?亡霊?イサナの亡霊キモくない?」
「んー…?おおー。うはは、良かったな。イサナが戻ってきてんよ」
「亡霊となって!?」
「ああああああ!へんはへへはへは!へへはへはへはんはへあへ!あああ!」
やばいやばい!
電車見えてきた!
止まり方わかんないのに!
やばい!
こんな私の叫びは奇声にしかならない。
不揃いの向きで縫い止めた風の絨毯はコントロールも定まらず、ジグザグと暴れるように進む。
やばい、それは分かっているのだけれど完全お手上げ状態が過ぎて笑ってしまう。
すると、どん!という衝撃に襲われた。
よろめく私は大槍にしがみつく。
何事?と考える隙を与えられず、風の絨毯は飛行角度を修正する。
急に真っ直ぐ飛行するようになった風の絨毯は魔法式鉄道の展望デッキ向かって突き進む。
正面には柵から身を乗り出してこちらに向かって何かを叫ぶ2人のいすずの様子が見える。
というか、みるみる内に接近していく。
このコースで飛び込むとあの2人にぶち当たるのでは…。
慌てて私は風の絨毯を蹴り、魔法式鉄道の屋根の上に飛び移る。
「…あっぶな…!」
「マリルドすご!マリルドが電車から飛び降りたときはこっちの心臓が止まるかと思ったよ!なんであんな危ないことできるとよ!?よくイサナの風の絨毯に飛び移れたね!」
「いや別にあのくらいの距離、大したことなくね?」
「大したことあるって。スゴすぎるって!絶対」
「大袈裟だなぁ」
「イサナもよく戻ってこれたね!嬉しいけどなんで生きとると?スゴすぎん!?」
どうやら先程の衝撃はマリルドが私の風の絨毯に乗り込んだ際のものだったらしい。
私が魔法式鉄道に無事に乗り込めたのはマリルドが風の絨毯の操縦権を拐ってくれたおかげであったのだ。
マリルドら3人の手を借りて魔法式鉄道の屋根から引き摺り降ろして貰った私は礼を言う。
「マリルドありがとう。私じゃどうにもならないところだった。魔法式鉄道を追い抜くどころか、下手したら迷子になってたかも。ほんと…おかげで助かったぁ」
「うはは。イサナもすげーじゃん。さっきのあれ何?風の絨毯何枚重ねてたの?すんげー速かったな」
「私もよくわかんないけど…7、8枚とか?」
「無茶したんだろ?」
「んーまぁ…どうかな…」
「ワタ達だけで先に行かせるのって、そんなに信用ならねぇかんじ?」
「…んー。てゆうか…置いて行かれるとこう…どうにも不安、みたいな」
「不安?ノーブレーキ、ノーコントロール高速飛行で魔法式鉄道に突っ込もうとしてたヤツが心配性ぶんなよ」
「あのスピードで魔法式鉄道に突っ込んでたらイサナ死んでたよ?」
「…そうね」
「うはは、ハイになったんだろ?」
「…はい」
「……」
急に何も聴こえなくなったかのように私が無意識に放ってしまった駄洒落に完全無視を決め込むマリルドと2人のいすず。
けれどもいすずの真顔は5秒と持たない。
肩を震わせて「ダジャレってほんっと全くおもしろくなさすぎて…無理…ウケる」と矛盾する言葉を口にすると吹き出して笑いだす2人のいすず。
うるさいなぁ、と言う代わりに私は右の腕を伸ばし2人のいすずの頭をぽんぽん、ぽんぽんと2度ずつ撫でた。
「…車内販売で体感温度調整機能付の服が売ってっといいなぁ」
「売ってなかったら『車内に体感温度調整魔法を持ってる人はいませんかー?』って叫ぶしかないねぇ。命にかかわるもん」
「ねぇ、それ誰がやると!?わたはイヤ!」
「私もやだよ。いやだけど、それをしなきゃ魔法式鉄道から下車した途端に凍傷になっちゃうよ?…じゃんけん、しとく?」
いつになく真剣な勝負の結果、惨敗したのは私であったが幸いにして車内販売に体感温度調整魔法石があり、私達は各々が髪を5㎝短くするのと引き替えに再び衣服に防寒機能を備える事が出来たのであった。
【補足】
魔法式鉄道内で販売されていた体感温度調整魔法石の価格は通常の5倍の値です。




