88、ブルチワ柴マルゴルチャウダックス
ウーターニャに連絡を取るべく私が右手の小指を口元に運ぶと2人のいすずも慌てて通話の用意をする。
マリルドだけは通話をする素振りは見せず、地辺田に腰を下ろし、にんまりと笑みを浮かべて猛禽類の物と同じ瞳を2人のいすずに向けている。
ウーターニャの身に最悪の事態が生じているのではないかと考えていたが、通話はあっさりとウーターニャに繋がる。
「イサナに…いすず?同時通話だなんて珍しいわね。一体どうしたの?」
恐らく診察中だったのであろう。
10を超える人々が生み出す騒めきと共に聴こえるウーターニャの声は寧ろ私達の身を案じているようだ。
「えと…ウーターニャちゃんのことが心配で連絡したんだけど…今のところ無事…みたいだね」
「え?無事も何も…いつも通り仕事をしてるところよ?」
「あ…そっか。ならいいの。ごめんね、忙しい時間に連絡したりして。えーと…さっきの天の声は聴いた?」
「ええ、もちろん。女性の患者さんたちが今年2度目の天の声に大喜びしていたわ。子宮が喜ぶぅー、ですって。ふふ。確かにシロハさんの声って改めて聴くとテストロン値が高そうな声をしてるものねぇ。私も声フェチだから気持ちはわかるわ。でも私の好みの声は少年っぽさがありつつも知性と艶のある…あ…。やだぁ、もう恥ずかし…」
姿は見えないので想像でしかないけれどウーターニャは可愛く恥じらっているのだろう。
多分、猫の手で火照る頬を抑えている筈。
想像の中のウーターニャは今日も仕草があざと可愛い。
「えっと、イサナの用件って私が天の声を聴いたかどうかの確認?」
「あ、いや、連絡したのは今回の天の声で案内されたあのモウって新しい城主がさ、どうもこないだ森羅の國で出会った私らの知り合いっぽくてさ」
「やっぱりそうだったのね。なんだか聞いた名前だなとは思ってたの。最近毎日イサナと通話してる子のことよね?」
「あはは、当たり。よく覚えてたね。あのね、さっきの天の声でモウがワルサー絡みの嫉妬でもしかしたらウーターニャちゃんに嫌がらせを仕掛けているんじゃないかって思ったんだけど…何も…ないの…かな?」
「何も無くはないわよ。イサナは一体どこにいるの?昨日会いに行こうとしたけど、いすずとマリルドしかいない家にしか行けなかったんだから!」
そう言うとウーターニャは患者を其方退けにして不満を捲し立てる。
昨夜ウーターニャが呼ばれた家は普段より多めの13軒。
親指の爪の中で光る呼び出し色は13軒の内、5軒がワルサーの髪色と似た白系だったと言う。
爪の中の小さな灯りではどれが私からの呼び出しなのか見分けが付かず、已むを得ずウーターニャは近い家から順に呼び出し先に向かったそうなのだが、其処に居たのはいすずとマリルドの2人だけ。
両人共に挙動不審であった為、偽者だと気付く事ができ、即刻退却したので実害こそは無いもの、昨夜巡った家の全てが成り済ましだったものだからウーターニャは昨夜、独りきりで不安な夜を過ごしていたらしい。
「ここは美貌の國だし、マリルドたちの容姿を模倣する人がいてもおかしくはないなと思うんだけど…どの扉を開けても言葉遣いがやけに丁寧なマリルドとバカ笑いをしない上品ないすずがいるんだもん…。さすがに怖かったわ…」
「え…わたってバカ笑いとかするっけ…?」
己の特徴的な笑い方に気付いていなかったらしい2人のいすずがウーターニャの言葉に首を傾げる。
「でも何よりも怖かったのはイサナの偽者よ。1軒だけイサナの偽者もいる家があったの。イサナの…と言うより、ワルサーの姿はワルサーの最上級妨害魔法が効いていて模倣できないんでしょうね。無理矢理容姿を模倣しようとして失敗したって感じの偽者だったんだけど…とんでもなく酷い顔でね…」
「え…そんなに酷かった?」
「ええ。ワルサーの容姿を模倣しようとした報いを受けたのかな?ってくらい酷かったわ」
「えぇー…そっか…。そっか…残念だな…」
「…え?どうしてイサナが落ち込むの?」
「なはははは!だってその酷い顔のイサナは本物のイサナやもん!」
「…え…?嘘。だって昨日私が見たイサナは顔面がとんでもなく崩壊してたわよ?」
「なーっはっはっはっはっは!」
2人のいすずが同時にぱたりと倒れて笑い転げ出す。
私の変化魔法が下手くそ過ぎたせいでウーターニャに偽者扱いされた事が笑いのツボに嵌まったらしい。
服が汚れる事を厭わず土を拳で叩いては息苦しそうに顔を赤くしながら笑っている。
更には笑っている最中にもう1人の自分が声も掠れ掠れになり、痙攣しているかの様になる程大笑いしている事に気付き、今度は互いを指差して2人のいすずは互いを指差して改めて笑い始める。
「ねぇマリルド…。この2人…お互いのバカ笑いに釣られ笑いを繰り返してこのまま一生笑い止まらないとか…ないよね?」
「うはは。それ、すげぇアホすぎる。いすずの偽者の方はいすずを模倣したことを今、超絶後悔してんだろうなぁー。すーげぇアホだなぁ」
マリルドはマリルドで笑いの永久機関と化した2人のいすずを交互に見比べてにやにやと笑っている。
この2人のいすずの珍妙な笑い声はウーターニャにも届いたらしい。
「…あら?気のせいかしら?いすずのバカ笑いがハモって聴こえるような気がするんだけど…」
「あ。実は今、いすずが2人に増えててさ。分身っぽいんだけど」
「違うって!わたが本物!この人は偽者!」
2人のいすずは同時にそう言うと、指差した手を何度も激しく振り回してお互いを否定する。
「まぁ、こんな感じでお互いに相手が偽者って主張してるんだけど、見分けがつかなくって」
「偽者がそこにもいるの?ワルサーならすぐに見抜けるんじゃないの?」
「ワルサーは何が起きているのか分かってるとは思うけど…協力してくれる感じではないなぁ」
『当たり前です。稀人がどうなろうと俺は知りません』
左目に見える鏡越しのワルサーは私の本から目を離しもせずに冷たく言い捨てる。
ワルサーの思考解読の力を借りればどちらが本物のいすずなのかは容易に判明すると思っていたのだが、偽者の思惑を知ろうとしても私の目にはどちらも本物のいすずにしか見えないせいか、2人のいすずのどちらの思惑も私には見えない。
『この俺が監視しているんです。心配しなくともどちらの稀人にも悪事を成させはしません』
「本物のいすずは悪事なんか働かないと思うけど」
『どうだか』
自身が行った複数の暴挙を棚に上げて人畜無害の塊であるいすずを警戒するワルサーの傲慢さに私は呆れるも、気持ちを切り替えてウーターニャとの会話に戻る。
「ここにいるいすずのどちらかはウーターニャが見た偽者の中の1人なのかもしれないね。今残ってる子以外にも6…違うな、7人のいすずとマリルドの偽者がさっきまでいたんだよ。マリルドが脅したら犬型の獣人の姿に変身してあっという間に逃げてったんだけどね」
「犬型の…獣人…?え…?本当にその人たちって犬型だったの?」
「うん、犬だったよ。ブルドック、チワワ、柴犬、マルチーズ、ゴールデン・レトリバー、チャウチャウ…あと何がいたかな…?」
犬型の獣人は7人居た筈だが6人しか思い出せない。
口に当てていた指を折り、6まで数えたものの最後の1人の姿を思い出せず、薬指を立ち上がらせる事が出来ずむずむずと動かす私。
その私の薬指をひょいと摘まみ上げてマリルドが言う。
「ダックスフント、な」
「それー!」
スッキリしたと笑う私の声に掻き消されそうになる位のぽそりとした小さな声でウーターニャが呟く。
「狼の見間違いじゃ…なさそう…ね」
「もちろん」
「だったらその人たちは森羅の國出身者の獣人じゃないわね。森羅の國の獣人は野生の動物の型にしかならないもの。人の都合で生み出された愛玩種は森羅の國には存在しないわ。…犬型の獣人…。もしかしたら…」
「あれ?ウーターニャちゃんあの人たちに心当たりでもあるの?」
「んーと…たぶん…だけど。私たちが出会った偽者たちは『影盗人』なのかも…」
「影…盗人…?」
初めて耳にする単語だ。
思わず首を傾げた私と同様に、2人のいすずもマリルドも首を傾げ影盗人について説明を求めるべきか、取り敢えず1度聞き流してしまうべきか迷っている顔をしていた。




