86、偽者共
私は極小の台所を挟んだ先にある玄関で動きを停められている凪ちゃんに目を向ける。
地球上の時の流れが止められている上に、私に背を向けているのだから泣いている様を見られる心配は微塵も無いのだけれど、声が届く距離に凪ちゃんが居るのだから早くこの情けない涙を止めてしまいたい。
私が泣くのは筋では無い。
凪ちゃんの悩みで涙していいのは凪ちゃんだけだし、その凪ちゃんが今は涙を乗り越えて生活しているのだ。
こんな涙は凪ちゃんに軽蔑されるだけだ。
早く…涙を止めなくては。
けれども焦ると嗚咽が漏れ出る。
壁の薄い小さな部屋に私の啜り泣く声が響く。
「イサナが…可憐に見える…?気の所為か…?いや、可憐…だよな…。信じられない」
「…ん?」
「イサナ。イサナは泣く時には今後も必ずそうやって顔を隠して泣いて下さい。イサナとは思え無い程に上品で可憐に見えます。震える背中が愛らしい」
「……」
ワルサーの言葉に私はソファーベッドの背凭れに左腕を掛け、左半身の力だけで無理矢理身を引き起こすと眼球を下に動かして白目を剥き、下瞼を引き下げ、舌を出すという渾身の変顔を加えた涙と鼻水で赤っ鼻になったグシャグシャの顔を鏡に映し、ワルサーに見せ付けてやった。
醜悪な私の顔にワルサーが絶句しているのを尻目に私は泣き止む事に成功する。
間を置いて気を取り直したワルサーは指を鳴らして清浄魔法を用いて私の顔の汚れを消し去ってしまう。
「俺と同じ顔を汚して楽しむだなんてイサナはサディスティックが過ぎます」
「…少し反抗心を示しただけだよ。あかんべえって知らない?」
「ウーターニャがたまにして見せるので把握していますが…ウーターニャはこんなに酷い顔はした事無いですよ」
「それは…まぁ…そうだろうね」
ウーターニャの「べー」を思い浮かべてみると、想像なのに可愛い。
恐ろしくあざと可愛い仕草で「べ」とかやるんだろうなぁ。
想像上のウーターニャの仕草にときめく私だったが、指先に感じた違和感に気付き我に返る。
叶球にある私の体の右の小指の先に着信を知らせるジリジリとした痺れのある熱を感じたのだ。
「ねぇワルサー、叶球にある私の小指光ってない?何色?」
「…あぁ。気にしなくて良いですよ。この邪魔臭い通話魔法石は全て廃棄しておきます」
「えっやだ!」
私が持つ通話魔法石はウーターニャとマリルドといすずとモウとナノノと交換した5個だけ。
恐らく今回もモウからの連絡だろう。
破棄だなんてとんでもない。
私はナノノに約束したのだ。
モウの相手は任せとけと。
何がなんでも着信に応じなければ。
そう思うと途端に押さえ付けられるような体の重さから解放される。
私は前に倒れそうになり5、6歩前に踏み出して何とか転倒を阻止した。
目の前には大きな鏡とてるの助くん。
私の主導権は叶球の体に戻ったようだ。
私は輝安鉱カラーに仄かに発光する小指を口元に添えると息を吹き掛け、応答する。
「おー、イサナ」
「あれ?マリルド?」
「そだよ。今何してんの?」
「鬼に…遭遇してた」
「うはは!鬼ぃ?来てたの?うーわ、会わずに済んで良かったー。ぜってぇ会いたくねぇわ。アイツら説教しかしねぇもん。マジ意味わからん」
「それはマリルドが説教されることしかしてなかったからじゃない…?」
「してねぇし」
「してたと思うよ。見てなくてもわかる」
「うはははは、ワタの信用ねぇな」
「ねぇ、いすずは?もう合流した?」
「いやそれが大変でさぁ」
大変と言う割にマリルドの声に緊迫感は一切無く、愉快そうで笑いが漏れ出ている。
いすずも私と同じ様に美の魔法に失敗したのだろうか。
「いすずなんだけどさぁ、今5人に増えてんだよね」
「…は?」
『…は?』
いすずが増えるだなんて珍事はワルサーにとっても予想外だったらしく、ワルサーまでもが私と同時に気の抜けた声を上げた。
呼び出していた城を出て、マリルドと合流するとその側には5人に増えたいすずの姿があった。
1人は大きな岩の天辺に座って優雅に脚を組み私達を見下し、1人はお下げ髪を解いて熱心にブラッシングをするも天河石色の癖毛が思い通りにならない事に口を尖らせ、1人はマリルドを威嚇し身構え、残りの2人は向かい合いどちらかが片方の動きを真似しているようなのだが動きが完全にリンクしており寸分の差異も無く、どちらが主体の動きなのか判断不可能な程だ。
言葉を発していない3人の偽いすずに対し、口を揃える2人のいすずは姿形を同じに揃えているからなのか声質も聞き慣れたいすずの声と全く同じである。
性別が違うからなのか、私とワルサーでさえ声質だけは異なっていると言うのに。
「うわぁ、すごいね。何が…どうなってるの?」
「すごいだろ?いやぁ、全員そっくりすぎてマジでどれが本物のいすずかわかんねぇよなぁ。いやぁ、まいった」
「ちょっと嘘やろ!?わかるやろ!?明らかにあの人たちは偽者やん!せめて2択にまで絞ってよ!」
全く困ったそぶりを見せずに飄々と「わからない」と言い切ったマリルドに、言葉と動きをシンクロさせる2人のいすずが文句を言う。
「いやぁ、わからねぇなぁ。なぁイサナ」
「イサナはわかるやろ!?」
これは…どうするべきなのだろうか。
なんてね。
迷ったりするわけない。
「全員偽者なんじゃない?」
「!!」
「あー。その可能性は考えてなかったなぁ。やるなイサナ」
「嘘やろ!?本物はわただよ!ちょっとやめてよ!真似せんで!ほんとあんた誰よ!?もう同時に喋らんでよ!もー!」
全く同じ仕草で怒る2人のいすずの様子を見守っていた私とマリルドは目配せをして同時に唇を噛む。
吹き出してしまわないようにするためだ。
本物のいすずがこの5人の内の誰なのか、それはワルサーは既に見抜いている筈だ。
仲間内に答えを知る人がいる安心感に甘えて、私とマリルドの2人は結託し、この状況を楽しむ事にしたのだ。
色めきの滝壺の湿気をワルサーが嫌がっていたので少しばかり離れた地にある岩場に移動をし、私はいすず5人と向き合う。
美の女神の魔力を使って変貌したのであろう偽者達の姿は笑える程にいすずにそっくりだ。
内2人は元々が美形の者だったのか、全ての仕草の優美だ。
麗しい仕草の2人とマリルドに敵意を剥き出しにしているいすず風の人物は明らかにいすずの偽者なのだが、面白いので指摘はしない。
この3人と異なり、常に挙動をシンクロさせる2人はこの短距離移動での息の上がり方まで完全一致しているのだから大したものだと感心してしまう。
「いすずたちの事はひとまず置いておくとして…。マリルドが引き連れてるその人達は…どちら様?」
「ぜぇー、はぁー、ぜぇー、はぁー。ほんと…それ!ねぇこの着ぐるみっぽい人達は…誰!?」
2人のいすずが声を重ねて私の疑問に同調する。
気が付いたらマリルドの後ろを無言で付いて来ていたふさふさとした毛並みの体を丸めて並び立つ犬型の獣人4人。
進む道が同じ観光客なのかと思い、1度道を譲ってみたのだが犬型の獣人は私達を追い越す事なく、この地まで付いて来たのだ。
耳も尻尾も垂れ下げる彼ら全員が元の顔立ちが分からなく成る程負傷している。
「あぁ。こいつらね、ワタに化けてやがったんだよ。意味わかんなくね?怖かったわぁー」
「何が怖いだ、この狂人が!身を潜めてた吾らを次々見付け出しては鈍器みてぇな靴で吾らのことをメタクソに蹴りやがって!犬型の吾らより優れた身体能力を持つってお前バケモンか!?それにお前のその靴!一体何で出来てんだよ!」
マリルドに化けていた事で制裁を受けたらしき4人の内の1人がマリルドに噛み付く。
彼の開いた口から覗く歯の何本かは折られてしまっているようだ。
「いいだろ?これ今期発表されたばっかのチョーカーの最新超硬合金製の靴なんだよ」
「チョーカーって『発明の國』のか!?技術は確かだが実用不可能なもんばっか作るっつー愚かなる天才が作ったもんを愛用してるとかお前…規格外が過ぎる…!作る方も作る方だけどな!超硬合金製のハイヒールだなんて需要ねーだろ!」
「この靴さぁ、丈夫だし、撥水性があるから全く汚れねぇの。すごくね?つか、ああもう。まだ新しいっつーのにお前らがワタの前に飛び出してきたりしたからうっかりお前ら4人にぶつけてしまって、なんか血生臭くなってしまってもう…がっかりだわ。今後も封印するしかねぇんかな」
「うっかり…なの?」
痛々しい4人の顔を眺めながら私が呟くと、4人が同時に叫ぶ。
犬の獣人4人とマリルドの会話を聞いて以降、明らかに偽者であろういすずのそっくりさん3人の顔色が悪くなる。
「うっかりじゃねぇだろ!?的確に吾らの顔面を潰しに来ただろ!?」
「うはははは!」
「ねぇ…マリルド?この中にいるわたの偽者が誰なのかが判明したら、その犬の人たちと同じようにその鈍器靴で拷問にでもかけるつもり…だったりするの?」
「いや?」
マリルドの返答にいすず達全員が安堵する。
「とりあえず全員蹴り倒しちゃえって思ってる」
「嘘やろ!?意味がわからんっちゃけど!わたのことまで蹴るつもりと!?」
「いすず悪りぃ」
「悪いと思うならやめてよー!」
2人のいすずが同時に叫ぶ。
何処までもシンクロする2人の動き。
どうやっているのかは分からないが仕草のみならず、発する言葉まで一言一句違わず全てが同じだ。
いすずが分身したかのようにも思える程、他の3人と違いシンクロする2人のいすずのリアクションの全てがいすず特有のものだ。
この2人のいすずのどちらかが本物のいすずである可能性は高い。
マリルドがふっと息を吐き地を蹴り、空高く跳ねる。
攻撃力が極めて高い蹴りが迫るとマリルドに化けていたと言う犬型の獣人4人組が悲鳴を上げて逃げ出す。
彼等が逃走した姿を見て、防御するべきか逃げ出すべきか迷っていた5人のいすず達の内の明らかに偽者である3人が急ぎ本来の犬型の獣人の姿に戻ると彼らのトップスピードを出せる4足走で散り散りに逃げ失せる。
逃げ遅れた2人のいすずは反射的にぎゃー!と叫んだのだがその悲鳴は別の声に掻き消された。
頭の中に得も言われぬ美声が響く。
低く太いが包み込むような色気の有る声。
「シロハさんだ!」
マリルドが宙で大きく振り上げた脚を収め、すとんと着地したのだがそのマリルドの瞳は見た事が無い程きらきらと輝いていた。




