85、天上天下唯クールビューティー
初めは凪ちゃんが幼稚園児の頃だった。
さらさらとした真っ直ぐな凪ちゃんの髪の一部が抜け落ちた。
病院に行くも一時的な脱毛症だと診断された。
しかし塗り薬でも治らず、髪が抜け落ちた箇所は数を増やした。
小学生に上がる頃には抜け落ちた箇所は3箇所に増え、長い髪を結ぶのでは隠せなくなってしまい、凪ちゃんは魔法少女に憧れて伸ばしていた髪を短く切った。
そしてステロイドを注入する処置がとられたが、頭皮に刺す注射は大人でも泣き喚くと言う程の激痛を伴った。
1ヶ所につき3本…計9本の注射を小さい凪ちゃんは髪が生えると信じて母に体を押さえ付けられながら痛みに耐えて打って貰った。
注射薬の薬は効果が有り、髪は無事に生えてきたものの、半年後にはまた次の箇所の髪が抜け落ちる。
その度に凪ちゃんは注射を打って貰いに病院に通った。
成長した凪ちゃんは朝に枕に落ちた髪を見て、夜に髪を洗った際に流れ落ちる髪を見て、新たな脱毛が始まったことを悟り泣き叫ぶようになった。
私は凪ちゃんの気を紛らわそうと中学校での楽しい日々の話を面白おかしく語ってやった。
凪ちゃんは中学生になることを楽しみにしているようだった。
けれど凪ちゃんが楽しみにしていた中学校での生活は私が語った日々とは雲泥の差があった。
嘲笑と孤立に苦しめられたのだ。
中学に上がって直ぐに耳回りの髪までも失った凪ちゃんは自身の髪で脱毛箇所を隠す事が出来なくなりウィッグを使うようになった。
けれど当時手に入れたウィッグは100万円という値に見合わず質が悪く、聡い子にウィッグを使用していることを見抜かれたのだ。
学校に相談しても「脱毛症とは一過性のもので治るものである」と言う誤った常識から「治療に専念なさい。そんなに気になるのならば1ヶ月程休学をし、完治させてから登校をすればいいよ」と頓珍漢なアドバイスを与えられるのみで終わらされた。
しかし凪ちゃんの症状は繰り返されるものであり、完治する気配は無い。
調べに調べ尽くした頃に凪ちゃんのタイプの脱毛症は完治する事は無いと知った。
不治の病でありながら『命に関わる事が無い』という事で研究も理解も進まない残酷さに絶望した。
子供のみならず大人からの理解も得られず、浅はかな笑いの為に『ハゲ』と嘲られる耐え難い日々で憔悴した凪ちゃんが夢で魘されて夜中に泣き叫ぶ声が私の部屋の隣から聞こえるようになった。
それでも。
凪ちゃんは決して学校を休む事は無かった。
級友が雑談に花を咲かせる間にも勉学に勤しみ、徹底して己を磨き続けた。
髪の為にと固く誓った摂生は容姿を鋭い程に美しく整え、人前で髪を揺らす事の出来ない凪ちゃんは幽霊部員しか居なかった剣道部に1人真面目に通い詰めて隙の無い佇まいを習得した。
同時期に両親が探しに探して凪ちゃんと同じ症状を持つ人々を専門にカットする小さな美容室を見付け、その美容師さんからオススメのウィッグを紹介して頂き、凪ちゃんに合わせてカットして貰える事になった。
前年度に購入した大手メーカーのウィッグの1/3以下の値段しかしないのに高品質な新しいウィッグは美しくなった凪ちゃんをより一層美しく引き立ててくれた。
そうして氷の女王の如く美しく、そして冷徹に変貌した凪ちゃんは中学2年生の半ばには凍てついた睨み1つで嘲り笑い向ける子ら全てを黙らせ退ける事に成功したのだ。
「…信じられる?うちの凪ちゃんはたった1人でイジメに立ち向かったんだよ…。痺れる程カッコイイっしょ?」
「1人で立ち向かわずともイサナに相談したならば手段を選ばず報復してくれたでしょうに。スクールハラスメントについて調べ上げ、アカハラに詳しいNPOに単身で相談にも向かい、お母様にレコーダーを持たせてナギちゃんが嫌がらせを受けた日時を詳細に記録したり…他にも色々と影ながら行動を起こして居たのは誰ですか?」
「…嫌がらせについても、脱毛についても私は今も一切知らない事になってるんだよ」
「イサナのお母様はナギちゃんとの約束を破ってイサナに全て話しているではないですか」
「あははっ。うちの母が1人で抱え込める問題じゃないからね。うちの両親はよく頑張ってたと思うよ。母が独自に伝手を使って探してきた少し怪しげな高額な治療を全て受けさせる為に父はお酒も遊びも一切せずに仕事を頑張ってくれてたし。母は自力で立ち向かいたいっていう凪ちゃんの意思を尊重しつつも、いざという時のために水面下で何かできることはないか私に相談してたんだよ。適材適所の役割分担だね」
それに…。
母が凪ちゃんの言葉を全て伝えてくれたお陰で私は私が過去に吐いた嘘と無頓着なお喋りで凪ちゃんを傷付けていた事を知り得たのだ。
何も知らなければ私はきっと無理矢理にでも仲直りしようとして凪ちゃんにしつこく付き纏い、より一層凪ちゃんにストレスを与えてしまっていた事だろう。
「イサナのストーカー気質をお母様は見抜いて牽制したのでしょうね」
「あははっ。そうかも」
「…ナギちゃんを元の天真爛漫なナギちゃんに戻したいのですか?」
「ううん。今の凪ちゃんも素敵だもん。戻したいとは思わないよ。私は凪ちゃんがなりたい自分でいられるように…それから…半年前に美容室を通じて知り合ったっていうお友達と凪ちゃんが気兼ねせずテーマパークに出掛けられるようにしたいだけ」
「…イサナ…ナギちゃんの友人に対する嫉妬で今、酷く醜い顔になっています」
「だって…!凪ちゃんのテーマパークデートの本命の子だよ!?めちゃくちゃ羨ましい!」
「羨ましいとは烏滸がましい台詞ですね」
「だよね」
凪ちゃんがテーマパークに一緒に行きたいと望んでいた『ヤマダさん』は違う学区に通うという凪ちゃんの1歳年上の女の子。
ヤマダさんは幼い頃からメディカルウィッグを作るために必要な髪の寄付をしており、ずっと昔から凪ちゃんと同じ美容室に通っていたのだそうだ。
私が凪ちゃんと自分の学生生活が大きく異なる事に気付きもせず、呑気に楽しく中学に通っていた間にもヤマダさんは凪ちゃんのような子供達の為に行動してくれていた。
私が妬むのも烏滸がましい程にヤマダさんは凪ちゃんの信用に足る人物なのだ。
私は伊都ちゃんのように視界に入るだけで癒されるような愛らしい容貌も持たず、ヤマダさんのように立派な志しも持たない。
私は同じ血を分けた姉でありながら健康な体を持ち、凪ちゃんが過ごせなかった平穏な日々を楽しみ、更には純真無垢な幼い頃の妹に嘘を吐き続けるという愚行を犯す…凪ちゃんからしてみれば憎んでも憎みきれない存在でしかないのだ。
「イサナは愚かですね」
「ほんとにね」
「ナギちゃんに好かれようと必死になる余り、ヤマダさんの真似をしてヘアドネーションの為だけに髪を伸ばし始めたり、イトさんの真似をして似合いもしない甘いの服に手を出したりした結果、折角の類い稀な美貌を殺してしまうだなんて愚かですよ。先程は…あぁ思い出したくも無い…あんな奇天烈な顔面になる始末ですし…」
「私って美的センスが狂ってるのかな?」
「其れも有りますが」
「あるんだ…ふっ。はは、あはははは」
「…イサナ?笑いながら泣いて…?何故?」
「ごめん。笑ったら涙出なくなるかと思ったけどダメだね」
私はソファーベッドの背凭れに顔を埋めて不細工な泣き顔を隠す。
「人に…凪ちゃんのイジメと病気の事を話してしまったから…。私の口からは情報を漏らさない事だけが私に出来る唯一の事だったのに…」
「NPOに相談をしているではないですか」
「あれは匿名でやってる事だからセーフなの」
「…イサナ」
「なに?」
瞳を閉じていても右目が捕らえる叶球の映像。
渾身の煌めくワルサーの笑みを見せ付けられる。
「俺を誰だと思っているのですか?疾うに俺はナギちゃんの心の内も全て読み取っています。故にイサナが情報を漏らしたとはカウントされる事は有りませんよ」
「…は?」
きらきら輝く笑みを湛えてこの美少年は何を言ってくれているのだろう。
「…うちのクールビューティ凪ちゃんの神聖な思考と記憶も読んだの!?」
「安心して下さい。ナギちゃんも『イサナの親しい人』ですから読み取った内容はイサナには漏らしません」
「このスケベ」
「誉め言葉ですよね?」
「違うよっ」
「…ナギちゃんの為に何をするべきか。考える時間はたくさん有ります。時間をかけて覚悟を決めれば良いですよ。地球の価値観を壊す覚悟と…それから俺に深く愛される覚悟を」
「……!やっぱりスケベじゃない!」
「期待に応えられるよう努力しますね」
叶球に在る右手の甲に温かく柔らかいしっとりとした感触と共に軽いキスの音が聴こえる。
私は髪をぐしゃぐしゃに掻いてそのまま頭を抱え「…とりあえず保留にさせて…」と呟くので精一杯であった。




