84 、悪姫
鬼がこの場に居たことを知らぬ新しくやって来た観光客で周囲が賑わいだす。
泣き崩れるシソキ、そして彼女を抱き締めるドジャスの姿も何時しか人混みに消えていった。
「イサナ…この地は湿気が多くて不快です。今日の分の顔の変化は失敗に終わりましたし、移動します。良いですか?」
ワルサーは私の返事を待たずに親指を弾いて家を呼び出し、ヘプタグラム城の中に入る。
そしてサロンに置いてある彼のお気に入りの革張りのソファーにゆったりと座るとてるの助くんに命じて城の中でも1番大きな鏡を自身の前に出現させた。
同時に地球の体の前にも同じ鏡が出現し、私の体を映す。
右の目にはワルサーの姿が映る鏡が見え、左の目には私の姿が映る鏡が見える。
自分の姿を鏡で確認しながら会話をするのは不愉快だが下手に私の肉体の左半身の力でワルサーの肉体の右半身を引き摺り動かそうとすると肉体が引き千切られるような痛みを伴う為、鏡から逃げる事は叶わず為されるが壗となる。
鏡越しだと思うと違和感があるが、よくよく考えればビデオ通話と似たようなものかと考え直す。
スマホと違いエフェクトを使えない為、ありのままの自分と向き合わなければならないけれど。
「ねぇ…ワルサーは…叶球の世界を怖いって思ったことある…?」
「怖い?思ったことありませんが」
「ワルサーは…まぁそうだよね」
「…他者の魔法を1度も喰らわず、一切の苦難に遭った事も無い人間だなんて魔法を使わずに過ごす質実の國に僅かばかり存在する程度です。この世界の人間にとって、他者の魔法に振り回される事は蚊に刺された程度の些細な出来事なんですよ。本気で【願い】さえすれば魔法を弾く事は可能なのですから。…先程の騒がしい夫婦も直ぐに子供の喪失を忘れ、幸せに過ごす事でしょう。子供が居た記憶を消すのか、他の悦びで喪失感を埋め合わせるのかどちらを選ぶのかは分かりませんが…まぁ、彼らの性質であれば直ぐ様魔法に縋る事でしょう」
「…あの人たちリナイトのことを忘れるの…?」
ワルサーはYESともNOともつかぬ顔を向けるだけで答えはしない。
「…リナイトはどうなるの?まだあんなに小さいのに…」
「鬼は育児のエキスパートですから心配無用ですよ。それに家付き虫が再生出来るのは肉体のみです。再生された人間は記憶を一切持ちません。あの子供の人生はリスタートされます」
「そんな…!…え…?だってワルサーもマリルドも子供の國の出身者だよね…。え、だったらワルサーにも家族の記憶はないってこと…?」
「有りませんね」
「魔法って…怖いんだね」
ワルサーは家族と言う関係に大した思い入れは無いようで、家族を突然失ったリナイトに情けを掛ける私の心情が微塵も理解出来ないと首を傾げている。
「ワルサーは魔法が怖くないんだね。慣れ…なのかな…?」
「さぁ?あぁ、そう言えば魔法は使えば使う程、感情が麻痺していくとも言われていますね。その所為でしょうか」
「こっわ」
「…イサナ。地球に魔法を持ち帰る計画は断念するのですか?」
「…えっ?なっ?えっ!?」
ワルサーの問い掛けに私は言葉を失くし、魚のように口を開いては閉じる事しか出来無くなる。
「隠していたつもりだったのですか?でしたらもっと巧く隠して下さい」
ワルサーは呆れたと言わんばかりだ。
「…いつから気付いていたの?」
「ウーターニャからこの世界に病が無いと聞かされて以降、イサナは俺の記憶を探ってどの様に【願い】、どの様な魔法を獲得すれば地球を叶球と同じ病の無い世界に出来るか模索していましたよね」
「最初からバレてるじゃん。隠してたつもりだったのに…」
と言うことは何だ?
地球から全ての病を消し去るに確実な手段を模索する為にも私が今の時点では【ワルサーを死なせたくない】と強く願っているだけだという事も全てワルサーはお見通しなのだろうか…。
ワルサーは私の事を『他者を切り捨ててでも己の希望を押し通す卑しさを持つ』って言ってたし…私の考えなんか…全部…分かってるんだろうな…。
私は気まずさと羞恥で頭を抱える。
「強い想いは隠し難いものですからね。思い立った瞬間は特に。けれど遊戯の國でイサナが『私の望みを叶えるための魔法なんて獲得しない』と宣言して以降は巧みにイサナの【願い】を隠せていましたよ。俺に隠しているのではなく、地球に魔法を持ち帰る事を諦めたのかと思っていたくらいです。けれど先程の思い詰めているイサナの様子を見てこれは諦めてないなと気付く事が出来ました。ふふ、他人の顔色を読んだのは初めてです。案外顔色だけでも感情は読み取れるものなのですね」
「あー、顔色…」
考えを読まれないように気を配るばかりで、平静を装う事を失念していたようだ。
自分の詰めの甘さに脱力する。
「で、どうするのですか?イサナは地球から病を消し去りたいのでしょう?」
「ちょっ…具体的に言わないで…恥ずかしいからっ」
「世界に蔓延しているCOVID-19どころか全ての病から人々を救おうだなんてイサナは神々しい魔法を望むのですね」
「言わないでったら」
心の内でひっそりと暖めていた私らしくもない壮大な願望を知られてしまった羞恥心で私は上気する。
いっそこのまま煮上がってこの身を溶かしてしまいたい。
しかしそれは叶わないのでクッションに顔を埋めて赤くなった顔だけでも隠す事にする。
「イサナは病魔退散魔法を地球に与えて地球の救世主になるつもりでいるのでしょう?」
「そんなものになりたいわけじゃないんだけど…」
「知っています。ナギちゃんを助けたいだけですよね」
「…助けるだなんておこがましいよ。私にはお医者さんとか医薬品開発者になる頭もなければ、そうなる努力も一切してきてないわけだし…」
「自分を追い込み、ストレスを抱える“努力”は美肌の敵ですからね。イサナの選択は俺にとっては正しいです」
「…努力しないことを褒めれたのは初めてだよ…」
「イサナが本当に【魔法の力で地球から永遠に全ての病を失くしたい】と【願う】のでしたらイサナの【終極の願い】を使わずともこの俺が地球に魔法を与えてあげても良いですよ」
「…ほんとに?」
「俺の【終極の願い】を遂げる前にイサナを失う訳にはいきませんからね。それに下手な魔法では何れ綻びが生じます。この俺に委ねたならば完全無欠の魔法を地球に与える事が出来ますよ?」
ワルサーが無条件で魔法を使ってくれるだなんて…胡散臭くて信じられないという疑念が頭をよ過る。
クッションに顔を埋めていても視える叶球の右目が捉える鏡の中のワルサーの表情を確認してみると妙ににこやかな面持ちだったものだから不信の念が膨らむ。
「…何?その晴れ晴れとした顔は…」
「今現在、俺がイサナの世界で一時的に使用している時間停止魔法と違い、永久的に病魔退散魔法を施す為には地球全体を魔力で満たし、そして定着させる必要が有ります」
「うん…」
「しかしイサナが懸念しているようにこの世界の【魔法】を地球に持ち込む事が地球の人類とって必ずしも善い結果を齎す訳では無いでしょう。魔力に耐性の無い者は魔力に触れ続ければ一晩で朽ち果ててしまいます。仮に魔力耐性を与えてやったとしても、地球上の誰しもが命と引き替えに自由に魔法を使える環境に変わるとなれば…結果は目に見えています」
「……」
代償の事も知らぬまま地球の人々が魔法を得たならば全人類の多くが即座に【終極の願い】を叶えて命を差し出すことなるのではないだろうか。
今は特に人々の鬱憤が蓄積されている時期だし…『死んでもいいから』という【願い】を持つ人は多い事だろう。
…やば。
人類が絶滅の危機に瀕するかもしれない。
「…それって呪いでしかないじゃない。バッドエンドじゃん。叶球では【願い】と引き替えに死ぬ事はメリーバッドエンドって受け止められてるみたいだけど、地球の感覚だとごりごりのバッドエンドだよ…」
「奇跡的に耐性持つ人間は居るものですし、地球の出鱈目な総人口から換算すると少数の人類はしぶとく生き残りますよ。気にする事は有りませんよ。悪運強く生き残った恩知らずな人民は俺とイサナを救世主では無く、悪魔と称する事でしょうけれどね。ふふ、俺達2人が揃いの愛称で呼ばれるのかと思うと楽しみで心が踊ります」
「…悪魔…」
「失礼しました。イサナは悪魔と呼ぶには美し過ぎますね。イサナに相応しい呼び名は『悪姫』でしょうか?」
「…はい?」
「ああ、イサナが『悪姫』ならば、俺も悪魔のような三下ではなく『邪神』を名乗るべきですよね」
「…んん?どうした?中二病かな?そんな痛々しい呼び名はいらないよ?」
「俺とイサナの婚姻を以て地球と叶球を統合し、地球を混沌に陥れ、2人で世界の覇者に成りましょう」
地球に起きている困難を何とかしたいとひっそりこっそり願っていただけなのに、何で地球を破滅させるという形で話が進み出しているのだろうか。
意味が、わから、ない!
「ん…?今しれっと婚姻って言ってなかった?私と結婚なんかしたらワルサーが【終極の願い】を叶えて死んじゃうんじゃ…?」
「そうですよ。そして半身を結合させた状態で俺に先に死なれた後のイサナも生命活動を持続出来ず死ぬ事に成ります。けれど悪い話では無いでしょう?俺を頼らずともイサナは死ぬつもりでしたよね?それも不完全な魔法の為に。けれど死ぬ前に俺と愛し合う行程を挟む事で完全無欠の魔法を地球に与えられるんですよ?最高でしょう?」
口にする言葉の内容の物騒さに反してワルサーは口調は軽やかだ。
「何で…そんなに嬉しそうなの?」
「いえ、イサナの弱味を突いて懐柔するのも悪く無いなと」
「悪趣味に磨きがかかってるね」
「ご安心を。俺の美学には反していません」
「…それはなによりだね…」
私は呆れた溜め息と共に考えを巡らさせる。
地球全土に魔力を定着させると言うのはデメリットが大き過ぎる。
魔法を『永遠に』では無く、『一時的』に発動させる様にする分には地球上の人々が魔法に振り回される心配は無いんだよね…。
だったら現在地球上に居る人々に対して病を発症しない魔法を掛けるというのはどうだろう?
でも…それでは魔法を掛けてあげれない今後生まれる子供達の間で病が流行してしまう。
凪ちゃんを含む年配者は病魔退散魔法の効果で病を発症する事は無くとも、保菌者には成り得る。
若者間でのパンデミックを防ぐ為にまた今のような行動規制が必要になる可能性は消えはしない。
年を重ねた凪ちゃんが自由に過ごせないと言うのは頂けない。
であれば病を退けるのでは無く、全て病原体を根刮ぎ消してしまうとか…。
ん?
あら?
これ良いんじゃない?
病原体の全抹消を願えば解決出来ちゃうんじゃない?
「全抹消を願うのは危険です。【禁忌】の『殺人』は判断が非常に曖昧で人以外の過度な殺生には適用される場合が有ります。病原体にも命が宿っていますから【禁忌】の『殺人』に抵触する可能性が有る故、叶球にも病魔抹消ではなく病魔退散の魔法を与えられているのでしょう。それに人類の進化には細菌やウイルスの存在は必要不可欠ですよ。魔法で環境を安定化させてある叶球と違い、天体規模で環境が年々変化する地球で人類が環境に適応する唯一無二の可能性まで抹消するつもりですか?人類の完全絶滅が確約されるだけですよ。さぁイサナ、今から悪姫と称されるに相応しい衣装を揃えましょう」
「そんな服は要らないですよ。…そっかぁ…魔法ってややこしいなぁ」
私がこの世から消えて以降も病から凪ちゃんを護るためにはやはり叶球と同じ環境に作り変える必要があるのだろうか…。
「…ナギちゃんがそんなに大切ですか?」
「大切だよ。あの子は世界一痺れる程カッコいい自慢の妹だからね。ワルサーは…もう知ってるでしょ?」
私があらゆる病気から凪ちゃんを護りたいと願うのは凪ちゃんが長く…それはもううんと長く病気と闘っているからなのだ。




