80、魔法の世界の陰
鬼は親指を弾いて蓮の花の上に座る小さな木像に宿った家付き虫を呼び出す。
「この子を頼むね」
副腕であやされてきゃっきゃと笑うリナイトを愛しそうに見詰めたまま鬼が命じると家付き虫はこくりと頷く。
「やめて…!連れて行かないで!」
シソキの叫びも空しく家付き虫は命を受けるや否や、リナイトの頭上に移動して高速回転をしリナイトの姿を消してしまう。
「…今…あの人何をしたの…?人を…人の子を家付き虫に託すだなんて…」
転移魔法が禁術に制定され、何人にも転移魔法の獲得が不可能になったこの世界でも、家付き虫に預けた物ならば何時何処にでも出現させて貰うことが可能となる。
しかしそれは家付き虫だけに転移魔法の獲得・使用が許されていると言う訳では無い。
恰も別地点に存在する物を取り出したかのように見えているだけなのだ。
家付き虫は託された物を即座に量子レベルにまで分解し、主の周囲に漂わせる。
そして主が望んだ時にその場にある量子を使用して再構築するのだ。
つまり家付き虫に託された物は1度世界から消失している事になるのだ。
それ故に生き物を、況してや人間を家付き虫に預けるだなんて行為は心ある人間は決して行わない。
つまり、この鬼はリナイトを物扱いしたも同然なのだ。
仮にドジャスとシソキがリナイトに虐待を加えていたと判断され、隔離措置が行われたのだとしても家付き虫に人の子を預けるというのは非人道が過ぎる。
あまりの衝撃に打ち震える私に鬼が気付いた。
「…キミ、ボクのことを何か勘違いしてる?えーとキミは確か…そうそう。1月入國区域のワルサー君だよね。キミはとても出来が良い子だったはずだけど…記憶でも消しちゃったのかな?それにしても…ふふ、大胆に顔を変えたね。いいお顔だねぇ」
私の顔の変化魔法はまだ解いていない。
だというのに鬼は私の素性の判別が出来ているかのような口を利く。
その上この顔を褒めるとは。
なんというか…幼児が作った完成度の低い工作物を褒め称える保育士のような口振りだ。
優しく、親切。
だけれども…其処は彼と無く恐ろしい。
「…あなた…誰なの?」
「ん?」
問い返す鬼の笑顔にぞわりと背を撫でられた恐怖を感じた私はその場にへたり込む。
ぬかるむ地面に手を着く間際、鬼に見詰められる恐怖で私は初めて叶球に居る事を恐ろしいと感じた。
視界が真っ白になる。
目を開いているのに立ち眩みを起こしたかのように…何も見えない。
浅い呼吸で瞳を動かし、1つ1つを確認する。
上下左右に首を振ると左の体が重く、右の体の感覚がない。
つまりこれは私は地球の体に入ったと言うことだ。
叶球の体は今ワルサーが動かしているらしい。
落ち着いてくると視野が開けてきた。
地球の体に移った私は自分の部屋のソファーに横たわっている。
玄関口には私の部屋に置いていた赤いスーツケースを室内に持ち込む前に除菌シートでピカピカに拭きあげている凪ちゃんの丸くなった背中が見える。
大好きな凪ちゃんを間近に見ても癒せぬ緊張、不安、そして恐怖で私の呼吸は浅い。
体は脂汗を滲ませている。
「イサナ落ち着いて下さい」
「ワルサー…その人…なんなの…?」
「この人は…」
ワルサーが鬼に目を向け、そして不愉快そうに続ける。
「…義理の親ですよ。…お久しぶりです、先生」
え…?
親?
先生?
どっち?
「両方です。『鬼』は蔑称です。正しくは『傅』。彼らは子供の國に引き取られた子供達の親代わりで在り、教師でも在ります」
「おや、変化魔法は解いてしまったの?素敵だったのに」
「何処が素敵ですか。下手に自信を与えてイサナのやる気を伸ばそうとしないで下さい。イサナ、やる気を出したところでイサナには2度と変化魔法は使わせませんからね」
「…イサナ…?ふうん。ワルサー君、キミはキミの内側にもう1人別の人格でも飼っているのかな?」
「…いけませんか?」
「ダメじゃないさ。ボクら育ての親は幼い子供への心的外傷以外には一切干渉しない。知ってるだろ?」
この会話の間にも自由の利かぬ体を懸命に動かし、少しずつ躙寄っていたドジャスが漸手が届く距離に接近し、腕を伸ばす。
鬼に掴み掛かろうとしたのだろうが鬼に睨まれ再度威圧されてしまった。
ドジャスは伸ばした両腕の指先を震わせて嗚咽を漏らす。
「オレの、オレたちの何が悪かったって言うんだよ…!!子供を返せ!」
「うっかりさんだなぁ、ドジャス君は。ボク達先生はちゃーんと教えたじゃないか。『この叶球では世界の理に抵触さえしなければあらゆる行いが赦されている。けれど世界の理の他にもう1つ禁じられている事があるよ』ってね」
「…は?」
「あれぇ?覚えてない?ほんとに?ほら、ボクら子供の國が独自に禁じている【大人に縁る子供への精神的危害】だよ。子供の國の使者はあらゆる地に潜み、子供への危害を監視しているって。もし使者が子供に害が及ぶと察知したら仮にそれが善意から来る行為だったとしても、無意識だったとしても、ボクたち先生が必ず子供を奪いに行くよって」
「…危害ですって!?アタシ達があの子を害する訳がないでしょ!?顔を美しくしてあげようとしたのよ!」
指先ひとつ動かせぬシソキが脂汗と涙でぐじゃぐしゃになりながらも反論する。
そんなシソキの額に鬼は指をとんと当てる。
腰辺りから伸ばした1番長い副腕を使って、だ。
「だってキミの終極の願いは【自分の子には容姿で悩んで欲しくない】だろ?」
「…終極の願い。…あ…」
私は短く声を漏らす。
そうだ。
この世界には【終極の願い】が存在する。
それは命と引き換えにすれば叶えて貰うことが約束されるこの世界の魔法。
シソキが終極の願いを使おうとしていた証しに、鬼がシソキの頭に触れて整髪魔法を奪った事で彼女の究極願いを叶えるに足る床に着く程の長い髪が現れ出る。
「シソキ…そうだったのか…?」
「何よ!それの何が悪いの!?子供が悩みの種を抱えたまま過ごす辛い日々を憂うことの何が悪いのよ!美貌は心の支えになるわ!自分の子供にアタシと同じ悩みを抱えさせずに済むのなら私は死んでも構わないのよ!」
「顔を変えること自体は悪くないよ。だけどね…『自分がきっかけで愛する人が死ぬ』って言うのはね、幼い子供にとってとても酷な事なんだよ」
鬼は空になった腕の中にまだリナイトが居るかのように抱いた形を崩さない。
そして続ける。
「幼くして愛する人を失った子供は失った人の蘇生を試みるんだ。けれど蘇生魔法は今や禁術だろ?叶わぬ願いを叶える為に子供たちは『禁忌の國』に踏み入ってしまう…。小さな子供が、さ。幼い子なんか、禁忌の國に多く潜む殺人鬼の恰好の餌食だよ。蘇生を志した子供の殆どが入國間も無く命を落とす。仮に蘇生に成功したとしても禁忌を犯した者は2度と禁忌の國から出られない。だというのに蘇生を願って禁忌の國に踏み入る子供の数は一時期出生総数の4割を超えた…。ボクらが保護したならば子供も親も命を落とさずに済むんだ…少なくとも10歳…長くても15歳になるまでは、だけれども」
私の頭の中にワルサーが読み取った鬼の思考の一部が流れ込む。
この鬼は遠い昔に【終極の願い】で親を、そして禁忌の國で10歳になって間もない妹弟を亡くしている。




