79、ツノなし鬼
※【終極の願い】とは叶えると代償に命を差し出すことになる強い願いの事です。
両親が荘厳な色めきの滝に見入っている最中に白い紗の入った濃い橙色の髪を持つ2歳くらいの子供はとてとてと歩き出し、水気の多いぬかるむ地面に足を滑らせて転倒する。
あ、と声を上げそうになった私であったがおチビさんは上手に腕を伸ばして顔面強打を防いだ。
服は泥だらけになったが怪我はなさそうだ。
おチビさんは泣くこと無くゆっくりと立ち上がり、手に付いた泥に興味を持つ。
やがておチビさんは地面の彼方此方に出現している水溜まりに気付き覗き込む。
土砂を撹拌し、濁る水溜まりは覗き込む人の姿形を反射させ鏡のように映し出す。
おチビさんは楽しそうにきゃっきゃと笑うと、自分の顔を水溜まりに映しては隠れ、また顔を映すを繰り返す。
一見微笑ましい光景だが、おチビさんが自分の顔を見ては繰り返す言葉に私は唖然とした。
「ぶちゃいく!ぶちゃいく!」
そう言ってこの子は笑っているのだ。
聞き間違いかと思っていると水鏡で遊ぶ我が子に気付いた母親が共に水鏡を覗き込みながら「ほんとだー。お水の中に不細工がいるねぇー」と声を掛けた。
まるで水の中を泳ぐ魚を見て「ちゃかな」と言う我が子に正しい発音を教えるかのように優しく甘く我が子を貶める言葉の使用を肯定する。
母親が口にした言葉に私は胃が潰されるかのような痛みと頭をがんと殴られたかのような衝撃を受ける。
「うふふ、不細工はわかったから早く美の女神様の魔法をもらいに行こう」
「ママみたいな顔になりたいって願うんだぞ」
視界の悪い濃霧の中に入る事を嫌がって懸命に足を踏ん張る小さな子供を両親は引き摺って無理矢理色めきの滝壺の中に連れて行こうとする。
「あ…」
何と声を掛ければ良いのか思い付かぬまま、霧の中から飛び出して親子の行く手を阻んでしまった私に両親が不快な視線を向ける。
「あっぶねぇな!急になんだテメェ!つかキメェ!」
カッと頭に血が上った父親が私に暴言を浴びせたのだが当然の事である。
急に飛び出した私の行動は危険である上に、私の今の顔面のパーツは福笑いのように散乱しているのだから。
幼い子供に不細工と称させている親に対して『違うよね!?不細工って言うのは!不細工って言うのはさ…!』と憤慨した勢いで私の顔面のパーツが美の女神の力を受けて自由行動を開始してしまったのである。
具体的なイメージを持っていなかったせいか今も尚、私の顔のパーツは顔面を泳ぎ続けている。
この顔面のどうしようも無さにワルサーはショックを受けて失神してしまった。
兎にも角にも親子が先に進むことを止めたい私はじりと親子に近付く。
その間も私の顔のパーツは動き回り、口が額に、鼻は逆さにと忙としない。
「は?近寄んなよ!」
私の事が怖いのか父親が私の太腿に蹴りを入れる。
足の指先を返して堅くした脛で上から殴り付けるかのような容赦ない攻撃に私は崩れ落ちる、筈だった。
残念ながら父親が狙ったのは左足。
強力な防護魔法で守られているワルサーの肉体である。
その為、父親の蹴りはこの体に届く5㎝手前で止められてしまう。
確かに入った筈の蹴りに平然とする私に父親は軸足を変えて身を捻り、今度は私の鳩尾を狙って蹴りを入れて来た。
これは当たるとヤバいと右足で地を蹴り、足蹴を躱す為に後退した瞬間、私と父親の間にぬかるむ地面がぼこぼこと泡立ったかと思うと地中から細身の黒いスーツに身を包んだ珊瑚色の肌を持つ人物が現れ出た。
「…へ?」
「ぐっほ!」
私の代わりに父親の鳩尾に蹴りを食らったその人物が吹き飛び、地面に尻から叩き付けられると乾いた肉のような色の短い髪が乱される。
「いてて…」
「鬼!?なんでここに!?」
「鬼…!?逃げろ!」
私達の周囲に僅かに居た観光客らは突然現れた人物に気付き一斉に慌て逃げ去って行く。
この場に残ったのは状況が把握出来ていない私と幼子とその両親のみ。
「鬼だなんて…何かの間違いでしょ?」
母親にも鬼と呼ばれたその人が髪を掻いて斜めに分けた短い髪を後ろに流すと分け目に沿って頭髪を一部細く刈り上げている事が分かる。
鬼と呼ばれていたものの、その人の頭部に角らしきものは一切見当たらない。
少しばかりの危険な雰囲気が加わった端正な顔立ちは僅かにワルサーに似た雰囲気を持っているように見受ける。
『俺が誰に似ているですって?』
「あ、起きたんだね。良かった」
『良くありません。俺は顔を変える許可は出しましたが、美の範疇を越えて良いとは言っていませんよ…?』
ワルサーが静かに、そして最大限に立腹している。
怖い。
「いやこの顔はただの事故…」
狼狽える私の事は目に入らないかのように鬼はしっとりと微笑んでゆっくりと立ち上がると父親と母親に話掛ける。
「やぁ。ボクがやって来たと言うことはどういう事かもうお分かりだよね?」
「…いやよ、私達ちゃんと愛情を込めてこの子を育てているわ!何よ!何が気に食わないって言うのよ!」
「シソキも俺もこれ以上ないほどリナイトに尽くしてやってる!お前ら鬼のせいで子供の頃に俺たちがさせてもらえなかった事をテメェの子にはさせてやりてぇんだよ!子供の幸せを奪うんじゃねぇよ!鬼は引っ込んでろ!」
父親はそう言うと鬼に殴り掛かる。
大振りの拳は容易く避けられそうなものであったが鬼は微動だにせず、頬に打撃を受け止めて衝撃そのままに殴り飛ばされる。
「パパすご!鬼をぶっ飛ばすなんて強いじゃない!これ鬼よ!?」
「行くぞリナイト。時間が無ぇ」
父親は子供を抱きかかえて霧の中へと立ち去ろうとする。
しかし父親は1歩踏み出した途端、体を硬直させる。
それは殴り飛ばされた鬼の介抱に向かおうとしていた私も同じであった。
「うご…けない…?」
『鬼の目が放つ特殊魔法です。鬼の目の畏怖魔法と奪取権限は、天使の羽の飛行魔法と自由越境権限と同等に同種の魔法の中では最高峰の魔力を持ち、尚且つ彼らにしか取得が許されない魔法です。鬼の睨みを受けて動ける者はそう居ませんよ』
「へぇー。…でもワルサーは動ける、と?」
『当然です』
ワルサーの言葉を受け左半身を動かすと私はずりずりと右足を引き摺って鬼の前へと進み出る。
近付いてくる私に気付いた鬼だったが、目を僅かに此方に向けただけで直ぐに両親へと向き直る。
どうやら再び畏怖魔法を受けた私は恐怖で体の動かし方さえ分からぬ様になってしまった。
「ドジャスにシソキ、…大きくなったね」
しっとりと優しく語りかける鬼の表情は魅入ってしまいそうになる程の穏やかな笑み。
だというのに対面するドジャスとシソキの顔からは脂汗が次から次へと吹き出している。
「約束、覚えてるよね?」
そう囁くと鬼は軽く手先を振ってゆったりと魔法陣を出現させると、中指から1つの魔法石を取り出し爪弾く。
魔法石が魔法陣に取り込まれると鬼の背から長い副腕が次々と生え出した。
長さの異なる4対8腕の腕。
肩から腰に掛けて生えた4対の腕は1段下がる程に1m長くなっている。
中でも最も長い、腰付近から生えた腕がドジャスとシソキの手を払い除け、引き摺られていたキャラメル色の髪の幼子を優しく抱き上げると、順に短い腕に幼子を渡しては役目を終えた長い腕から順に消え去る。
そして幼子は鬼の主腕に抱き止められた。
「うん、いい子だね」
「やめて!人攫い!この鬼!」
「返…せ!」
悲鳴のような叫び声を上げるシソキに促されるようにドジャスが畏怖魔法を弾き返し、1歩1歩と重い枷を着けたかのように歩き出る。
しかしその遅い歩みでは鬼からリナイトを奪い返す事は出来ないであろう。
「何で…あの人はあの子を拐うの…?」
引き離される親子を見ても平然としているワルサーを責めるように私は問うたのだが、この問いに答えてくれたのはワルサーではなく鬼の方であった。
「…キミは自分のせいで家族が死んでも平気?」
副腕でシャボン玉を吹いてリナイトと遊ぶ鬼がさらりと溢した言葉の意味が理解出来ず私は顔を顰めた。




