70、宝石の海 世界の祝福
私が黒マジョさんの毛に襲われている最中、急上昇していたマリルドといすずの2人はどうしていたのかというと──…
地上に居る黒マジョさんにだけに注意を向けていたマリルドは空への警戒を怠っていた。
マリルドが気付いた時にそれは回避出来ない程の速度を持って接近しており、風の絨毯の裏側に体当たりして来た。
「どわっ!?」
その衝撃でマリルドといすずの身は空に投げ出される。
足場を無くした2人は落下を開始する。
それでも尚眠り続けるいすずのズボンの膨らみにマリルドは爪先を引っ掻けて軽く蹴り上げる。
上に蹴り飛ばされて宙を舞ういすずのブルーグレーのシャツの背をマリルドはしっかりと掴みいすずを背に担ぐ。
風の絨毯は操縦者を失い消えてしまっていた。
「チッ」
人並みに毛が生えた程度の腕力しか持たぬマリルドは落下中であるからこそいすずの身を握れている。
地に着く際の衝撃からいすずを守る事は出来ない。
今こうしていすずの服を掴む手は既に負荷に耐え切る事が出来ずにみしみしと痛みを走らせる。
「おいこら黒マジョさん!何でワタを捕まえねぇんだよ!?」
藁にでも、黒マジョさんの毛にでも縋りたいとマリルドは周囲を見回す。
しかし黒い毛の束は何処にもない。
焦るマリルドの目の前に白い羽が舞い降りる。
「!」
マリルドが顔を上げるとそこには白衣の天使ウーターニャの姿。
彼女の背後には羽衣を背負ったナスポクの姿もある。
「ごめんなさい!ぶつかっちゃった!」
両手に羽衣を持つウーターニャはマリルドといすずの両方に羽衣を被せる。
頭を覆うように羽衣を掛けられたマリルドは羽衣を引き剥がす。
「は?ぶつかったって…さっきのはウーターニャの仕業だってことか!?」
「おいおい、許せよそんくらい。こんな可愛い天使と空で出会い頭にぶつかるとかお前運が良すぎるぜ」
「は?ナスポク?なんでお前ここにいんの?」
「オレは道案内を」
「その声…もしかしてマリルド!?なんでそんな土産物のお面なんか着けてるの?でも良かった!探したのよ!黒マジョさん探しに行くから美貌の國へ入るのは予定より大きく遅れるって1度連絡をくれて以降、こんなに長く連絡1つ寄越さないなんて酷いじゃないの!」
デレデレと鼻の下を伸ばすナスポクの言葉をウーターニャは遮り、怒りながらも眠るいすずに丁寧に羽衣を掛け直してやった。
天使の羽の風を受けいすずの体は舞い上がり、マリルドの手から離れる。
マリルドは片手に持つ羽衣で巧く風を掴んで器用に空を舞い、ナスポクの側に行き蹴りを入れる。
「ぐあっ!」
「あーあ。せっかくイサナがこの変態からウーターニャを遠ざけようとしてたのに自分からコイツに接触するなんてな」
「…えっ?えっ?何?そうなの?」
ウーターニャはマリルドとナスポクを見比べる。
「この人この國でイサナと出会って親しくしてたって言ってたんだけど…」
「おっまえふざけんなよ。なんで蹴る!?」
「怒んなよ。怪我してウーターニャの手を煩わせる事がねーように加減してやったんだから」
「あら、気が利くわね。マリルドありがとう」
「え…ちょっとウーターニャさん…?」
「ナスポクお前はモウを助けるんじゃなかったのかよ。なんでお前がここにいる」
「だから道案内を」
「モウが今どこにいるのか知ってるんだろ?お前は眠らせることしかしねぇ黒マジョさんには威勢良く立ち向う癖に、瘋癲の國に入るのは嫌なんだろうが」
「モウは…モウは俺を必要としてねぇもん」
「端から誰もお前なんかを必要としてねぇよ。弱いだけの女を囲いたいだけなら受愛の國にでも行って偽りの愛を受けろ」
「……」
険悪な雰囲気のマリルドとナスポクを尻目にウーターニャはいすずに治癒魔法を施す。
いすずは眠っていたのではく、黒マジョさんの乱暴な迄に強力な魔力に当てられて気を失っていたのだ。
いすずが獲得していた魔力耐性魔法は発動していたものの、黒マジョさんの膨大な魔力には太刀打ち出来なかったらしい。
いすずはゆっくりと目を覚ます。
上空の冷たい空気とマリルドとナスポクの2人の間に流れる険悪な空気に包まれて。
「…えっ!?ここどこ!?何でウーターニャとナスポクがいるの!?っていうかイサナは!?」
「あー…。そういえばイサナはどうしたんだろな。うはは、黒マジョさんに捕まってんのかもしれねーな」
「イッ、イサナー!!!」
いすずは地上に向かって声を上げる。
私は膨れ上がった黒マジョさんの中に取り込まれていた。
黒マジョさんが絡め取っていたのは木々だけではなく大きな岩も含まれていた。
合間を縫うように私は右に左に体を振られる。
その間ワルサーは左手の指先を自由に動かして黒マジョさんの毛の感触を確かめていた。
最後に私の体から毛が一気に巻き取られるとワルサーは左半身から抜け出る。
私は左手に持つ大槍を両手で握り直すと地に突き刺した。
私の体は大槍を軸にして駒のように勢い良く回転する。
遠心力がかかり、最終的に投げ出されるも幸い黒マジョさんの大量の毛がクッションになり怪我することはなかった。
私はふらふらになりながら立ち上がる。
「…うぇぇ酔った…」
恐らく目の前には黒マジョさんの本体があるのだろうけれど黒い毛に包まれているせいか光は届かず、何も見えない。
そう思っていた。
しかし見えないのではない。
その時私は意識を失っていたのだ。
倒れ込む叶球の体にワルサーが入り込む。
体は男性に代わり、髪は短い真珠色へと変わった。
ワルサーは私の右半身を巧く使い転倒を阻止する。
「…お前が黒マジョさんか。信じられない魔力だな」
ワルサーは立ち上がり、正面を見据える。
黒マジョさんは毛を寄越し、文字を作って言葉を伝える。
トモダチニナロウ
「イサナは気を失った。こんな膨大な魔力に包まれて意識を保てる奴がいるわけないだろう」
アナタハヘイキ トモダタニナロウ
「俺に懐くな。俺に友人は必要無い。お前が親しくなりたいのは稀人だろうが」
ワカッタ マレビトトトモダチニナル
「だったらその暴力的な魔力を抑え込め。この魔力を抑えぬまま近付けば稀人は確実に死に至る。お前もそれは理解しているのだろう」
マリョクヲオサエコム ワカラナイ
「…魔法の使い方を知らないとでも言うのか?巫山戯るな」
マホウッテナニ
「今度は魔法を知らないと言うのか」
そんな筈がないだろうとワルサーが怪訝な顔をする。
「お前は何度も人を眠らせ、魔法を弾いているだろうが。魔法の使い方を知らない訳が無い」
マホウッテナニ オシエテ
「はっ。教えを乞うつもりか。人間のような事を言いやがって。ふざけ…」
マホウッテナニ シリタイ
文字を象った黒い毛の奥からぬるりと青みを含んだ鈍い銀が2本生え出てくる。
それはだらりと垂れる人間の右腕と左腕。
「手…?…お前まさか…人間じゃないよな…?」
ワルサーは絶句する。
この瞬間までワルサーが黒マジョさんを【人では無い】と判断していたのには理由がある。
人であれば赤ん坊の時に必ず宝石の海の石を授けられる。
そうしなければ人の体は朽ちてしまうからである。
生命の源であり、魔力の源でもある海で生成された宝石には優しい魔力が蓄えられている。
赤ん坊に授けても良い安全な魔法は宝石の海の石を髪に宿らせるこの『祝福』以外には無い程だ。
何十万年も前に叶球に魔力が発生して以降、時が経つに連れて濃度を増すこの星の魔力の為に多くの生物が死に絶えた。
現在叶球に生存している生物は魔力に耐え得る体質と肉体へと変異した特殊な個体の生き残りなのである。
一方、人類は魔力に耐えられない多くの仲間が淘汰される事態を良しとせず、進化に頼らず魔法を掛け合う事で魔力に身を慣らし、魔力に満ちた世界で全ての人間が生き残っていく道を選んだ。
故に人類は産まれて直ぐに魔法の力で生成された海の宝石を髪に宿らせるという優しい魔法を受けて肉体に魔力を馴染ませる必要がある。
しかし先程ワルサーが触れて確かめた黒マジョさんの黒い毛には鉱石は宿っていなかった。
故に黒マジョさんは人間ではない、魔法に満ち溢れた世界に合わせて体質を進化させた獣だろうと彼は判断していたのだ。
ワルサーは辺りを包む黒マジョさんの黒い毛を見る。
「…祝福を受けず何故お前は生き長らえている…?」
宝石の海の石を授からなければ世界に満ちる魔力に耐えられず人間の体は朽ちる。
しかし黒マジョさんは生きている。
それもワルサーでさえ得た事もない程の膨大な魔力を保持して。




