7、欲を掻く
「…となると、一体どうなってしまうのでしょうか?」
思いもしない事態を告げられて遅れて私もウーターニャと同様に慌て出すと
『別にどうも?』
とケロリとした声が返ってきた。
『この程度、吾にとっては大したことないです』
「えーっと、ワルサーが大したことないとか言ってるけど、どうなの?」
ワルサーの言葉をいまいち信用しきれない私。
ウーターニャは私の手の中からワルサーの長い髪だけを拾い上げて惜しそうにする。
「確かにワルサーは欲が深いし、髪もすぐに伸びるのかもしれないけれど…すごくもったいないわ」
「欲?」
欲が深いと髪が伸びるのが早い?
エロい人ほど髪が伸びるのが早いとは聞いたことがあるけれど。
所変われば迷信も異なるものみたい。
あと、先程からウーターニャが口にする真珠の髪という表現がすごい。
確かにワルサーの髪ってとても綺麗だけれど。
「魔法って欲求を満たすために使うものだから、満たせない欲があればあるほど魔力は強くなっていくものでしょう?髪の長さは欲の深さと比例するから持っている魔力の目安にもなるの」
でしょう?と言われたけれど初耳です。
とりあえず頷くけど。
「ただでさえ魔王を倒すために強い魔法を獲得してずいぶん短くなっているのに。昨日までのワルサーほど長い髪を持つ人だなんていなかったのよ。黒マジョさんって呼ばれている人の方が長いらしいけれど、実在するのかどうかは怪しいもの。…ワルサーの髪は國を越えて美しいって評判なのよ。真珠そのものってわけではないけれど、最高品質の真珠の色を宿した髪だもの」
今もワルサーの髪は床に届きそうなほど長いけれど、もっと長かったんだ。
きっとウーターニャはワルサーくんの長い髪に憧れていたんだろうな。
真珠の色、ね。
確かにそんな感じの色だ。
髪の毛が真珠そのものなわけないけどね。
補足してもらわなくったってさすがにわかるよ。
さっきからちょいちょい変わったことを言うよね。
黙って最後まで話を聞くけどさ。
いやしかし、私はとんでもないことをしでかしてしまったんだね…。
『体が半分になっているから、髪の伸びる速さは此方の世界と其方の世界の体で異なるかもしれないし、どうなるのかは未知ですがまぁ大丈夫だと思いますよ。其方の体はイサナの欲望の影響を受ける可能性もまだ捨てきれないな。イサナの髪は短いし、欲がほとんどなさそうですよね。髪が伸びる事は無さそうです』
何を仰る、ワルサーさん。
私だって欲深いとも。
「欲なら私にもたっぷりあるよ。食欲旺盛だし」
「もうイサナ、食欲なんて大した欲じゃないじゃない」
蔑まれた。
でも食欲って三大欲求の1つだよ?
性欲はいまいちぴんと来ないけれど、睡眠欲だってしっかりある。
朝から掃除などの家事を気合い入れて頑張っていたから今もわりと眠い。
「いい?見ててね?」
そう言ってウーターニャが唐突に空を引っ掻いた。
何もない、何でもない場所を。
なぜ急に引っ掻きつく真似をしたのかと思っていると、手の軌跡と同じ幅で空間が裂けた。
その裂け目から皿の上に乗せられたショートケーキが1切れ飛び出す。
当たり前のようにウーターニャはショートケーキをキャッチして「ね?」と私にそのケーキを差し出した。
「食べ物なんてこうやって空を掻くだけで出てくるものでしょう?誰でも持っていて当たり前の欲求だから人類が誕生して間もなく整えた世界の魔法じゃない。自分で魔法を獲得しなくてもこうやって簡単に満たせるのよ。こんなの魔法のうちにも入らないわ。食欲を魔力に変えるだなんて不可能よ」
おおおおお。
ものすごくすごいことが起きている。
魔法だ!
魔法のうちに入らないとか言ってるけど魔法だよ、これは!
お金を払わなくてもケーキを食べられるの?
この世界では毎日の料理をしなくていいの?
食材の買い出しの時間のロスも存在しないの?
すごすぎる!
「なにそれなにそれ、私もやる!」
ウーターニャの真似をして私も空を引っ掻いてみる。
すると私が掻いた軌跡をなぞって空間に掻き傷が現れ、その隙間からバナナが1房現れた。
バナナが現れたあとの空間の傷はすぐに塞がっていく。
「バナナ出た!さっきまで食べてたけど!」
「食べ物は指定できないのよね。フルーツだとか、軽めのものだとか、ガッツリ系とかまでなら決められるけど。量は掻き傷の大きさで調節できるわ」
まさかの魔法初体験に大興奮。
バナナはさすがに今すぐに全部は食べられそうにないけれど、とりあえず1本は食べちゃう。
傷んでいないバナナだ。
柔らかくないし、どこも黒くもなっていない新鮮なバナナ。
うれしい、おいしい、すごくおいしい。
『イサナはバナナが好きなんですか?』
ワルサーが興味深げに聞いてくる。
ううん、安かったから今夜の夕食に買って食べてただけ。
わりと好きではあるけれど。
「しかし食欲が大した欲ではないとは困ったね。あとは睡眠欲か」
「睡眠欲だとかなりの期間、寝るのを我慢しなくちゃいけなくなるわよ」
そんなのできるわけがないとウーターニャが呆れている。
確かにね。
寝ちゃいけないと言われると急に眠くなってくるしね。
「なんかわかんないんだけど、さっそく眠くなってきた気が…する…」
伝えるが早いか、私の意識は急に落ちていく。
ウーターニャが慌てて駆け寄ってくれているのがわかる。
抱き止めようとしてくれたのかもしれないけれど、間に合わないだろうな。
床に激突する痛みを覚悟していたけれど…なんだろう…これは温かいお布団の中のような心地よさ。
興奮して疲れていたのかやけに体を重く感じる。
だめだ、どうにも身を起こせない。
抗えなさを感じながら私は完全な眠りについてしまった。




