68、夕間暮れの三日月
いすずを餌にして黒マジョさんを孤島へ引き連れる作戦は上手くいく可能性がかなり高い。
この場で魔法石を受け取ってもいいのだが、その後黒マジョさんが以前住んでいた島へ戻ってくれるかどうかは分からない。
北の孤島の住処に黒マジョさんを帰すには孤島に辿り着いてから接触する事が一番確実な策であろう。
物欲の國の國境で再び東に國を越える事が出来るようになる5年が過ぎるのを待たず、私がいすずと旅を開始した事で黒マジョさんがこの國の本土に上陸して御迷惑をお掛けしているのならば最後の後始末まで終えてこの地を去りたい。
そう考えるのはこの旅の事を振り返った時に良い旅だったと心から思えるようにしたいという私のエゴだ。
「ワタは別にどっちでもいいよ」
「ありがとうマリルド」
追われている身であるいすずは兎も角、マリルドがこんな私の自己都合に付き合ってくれると言ってくれた事がとても有難い。
獣は稀人であるいすずを慮るものであるし、いすずの側に居る限り私達が眠らされることはないだろう。
フリケルが単身で黒マジョさんの対応に当たるよりずっと安全な筈だ。
しかしいすずが稀人である事を他人に打ち明ける訳にはいかないので、この作戦は私達3人のみで極秘裏に行うことにする。
黒マジョさんは2日前にマリルドとフリケルの両人を捕縛した後、フリケルの身を空中に固定したまま森の中を移動をしてしまい、森の中の1本の大木に髪を絡ませてしまっていた。
黒マジョさんが操る黒い毛は強くしなやかで、何千tという負荷が掛かろうと刃物を使わない限り切れる事はない。
絡んだ木々を解き取ることなく前進し続けた為、絡め取る木々は増え、今や黒マジョさんが引き摺る木々は小高い丘のような大きさにまで膨らんでいた。
その大きさは50㎞以上離れた沖からも目視することが可能な程である。
私達3人は用心して陸地が見える限界の沖合いで黒マジョさんの到着を待ち続けた。
私とマリルドは風の絨毯の上に家を呼び出して交替で睡眠を取った。
数日が経過してもフリケルとは連絡が取れず、ゴジャに聞いても彼の現在の状況は分からないと言われた。
「おっさんは何度も繰り返し眠らされてるだけだよ。黒マジョさんに危害を加えたら眠らされるんだぜ?応戦できず苦戦してるに決まってるよ」
マリルドは取り出したゼリップルにむしゃりとかぶり付いて言う。
ゴジャからの情報に拠ると森羅の國の人々は巨大化した黒マジョさんが北の海に向かって進んでいる事に気付き、鼓笛隊の行軍に待機命令を出し今はただ遠くから見守る事にしているそうだ。
私達が海上で待ち構えてから11日が経過した三日月の夜。
マリルドといすずに早めの睡眠を取らせて、私は1人で西の空に浮かぶ猫の爪のような細い月を眺めていた。
『イサナ』
ワルサーの静かな声に私は立ち上がる。
少しずつ少しずつ此方へ近付いていた黒マジョさんが最後の丘を越え、再び私達の前に姿を現す時がやって来たのだろう。
黒マジョさんの魔法の効果範囲内に入り、眠らされる事を防ぐ為、50㎞より近付くことはあってはならない。
黒マジョさんを北の孤島へ誘導するには付かず離れずの距離感をキープする必要がある。
私はいすずとマリルドを起こす為に声を掛けようとした。
刹那、風の絨毯は消され海中から黒く長い毛が飛び出し襲い掛かって来た。
大量の毛にぞわりと悪寒を走らせるより早く私の身は黒い髪に捕らえられる。
いすずとマリルドの2人は呼び出していた家を消され、家から放り出された所を拘束された。
私の身は逆さ釣りにされ、何をすることも出来ない。
いすずはと言うと鼻提灯を作って呑気に熟睡し続けている。
「どういうこと、これ」
足首を捕らえられ私と同様に逆さ釣りされたマリルドが余裕の欠伸をして言う。
「ごめん、黒マジョさんが50㎞圏内に侵入する前に2人を起こすつもりだったけど…ここってあの丘からジャスト50㎞だったみたいだね。いやぁ、健闘虚しく見事に捕まりましたな」
『何が健闘ですか。愚策の末の当然の結果ですよ。お気付きではないようですが、捕らえられた直後、イサナ達は眠らされてましたよ』
「へっ!?私達、眠らされてたの?え、てことはいつの間にか24時間以上が経過してるの?」
「そうなのか?元々寝てたからわかんねーわ」
先程まで眺めていた月を見てみると、確かに僅かながら太くなっている。
「で、ワルサーは私達を助けるでもなくこの1日の間、何をして過ごしていたの…?」
『特には何も』
「ホントだよな。ワルサーは何をやってたんだよ。助けろっての」
マリルドの言葉に左目に見えるワルサーが不快な表情を見せる。
『この状態のイサナと入れ替わったら俺が逆さ釣りになるだろうが』
「うわぁー…流石ワルサーと言うべき理由…。不思議と納得しちゃうな」
美意識高く、自分本意なワルサーの御意見に拍手を送りたくなる。
『イサナとの約束を守ったんです。褒めてください』
「約束?あ、私が寝ている間にいすずを置いて逃げないでってお願いのことか…!あは、そうか。ありがとう。ワルサーえらい」
私が述べた感謝の意にワルサーは満足そうにして、電車の中に設置したソファーベッドの上で足を組み替える。
「だけど困ったな…。今はまだいすずが寝てるから良いけど、こんなすんごい大量の長い毛に捕まってるっていすずが知ったらパニック起こしちゃうよ…。いすずだけでも解放して貰えないものかなぁ」
この様な1本1本が意思を持っているかのように動く大量の長い毛を目にしたならば、いすずでなくたって悍しく感じる筈だ。
動物の毛を苦手とするいすずならば気絶で済むかどうか…。
そう思案していると拘束していた毛が収縮し始め、私達を浜の方へと高速で連れ去って行く。
私は眠るいすずに腕を伸ばしたのだが届かない。
いすずは高速移動で生じる激しい潮風を受けても気持ち良さそうに眠り続けている。
やがて浜辺に辿り着くと締め付けていた黒い毛がその力を緩め、私達を解放してくれた。
咄嗟に右半身で受け身を取るも、小石だらけの浜に打ち付けた衝撃は覚悟していたよりずっと痛い。
思わず仰向けに転がり顔を顰める。
「…いっったぁ!ワルサー、いすず大丈夫?」
『ありがとうございます。俺の体は問題ありません』
「良かった…いすずは?」
見ればいすずは黒く長い毛にそっと優しく降ろされている。
小石の浜に寝かせると起きてしまうとでも思ったのか、私の腿をいすずの枕にされた。
『膝枕とは巫山戯るな!』
「毛が逃げてくぞ」
怒り狂うワルサーの声をマリルドが掻き消す。
同じく毛から解放されたマリルドは難なく着地をし、黒マジョさんを追おうとする。
「待ってマリルド」
「待ちたくない」
そう言いながらもマリルドは追い掛けるのを止めて此方に顔を向けてくれる。
「もしかしたら、だけど…黒マジョさんは言葉を理解出来るんじゃない…かな」
「それがどした?犬猫だって人の言葉は理解するよ」
「私が口にした要望以上のことをしてくれたよ。これってつまり…ねぇ、ワルサーはどう思う?」
私が口にしたのは『いすずだけでも解放して』だ。
言葉のまま受け取ったのならば黒マジョさんはいすずのみを陸地に連れ去り解放した筈。
しかし黒マジョさんは私とマリルドの2人も解放してくれた。
その上、体を痛めないようにいすずだけは私の膝の上にそっと置いてくれた。
『今の行為には僅かに知性を感じました。しかしイサナが考えているような心配は有りませんね。黒マジョさんは闇獣とは思えない』
闇獣…。
叶球の神獣の一種、ドラゴンのことだ。
「もし黒マジョさんが闇獣だとしたら、いすずをお嫁さんにする気かもしれないんだよね?」
私の言葉にマリルドの理解が追い付かずぽかんと口を開ける。
【ちょっぴり補足】
■イサナ達が待機した沖合い地点について
地球の1/4しかない叶球でイサナの身長165㎝から見える水平線は2㎞ちょっとしかありません。
地球で見える水平線の半分です。
それ故イサナ達は風の絨毯で海抜700m程の高い地点から50㎞以上先の陸地を監視していました。
しかし黒マジョさんが訪れるのを待つ間に風の絨毯は少しずつ潮風に流されてしまい、岸に近付いてしまっていたのです。




