62、Oooh きっと来る
ワルサーの話に注意深く耳を傾けようとするとワルサーが貸し切りにした電車の中に私の部屋を作り込んでいることに気付く。
やけに縦長になった部屋の中に無理矢理家具が配置されているのに上部には吊革がそのまま残されている。
長座席に座る凪ちゃんの付近には何も手を加えていないようで、それがより一層奇妙に映るのだがそれについてツッコミを入れる余裕など今の私にはない。
ワルサーは黒マジョさんが北の孤島から出てきたのはいすずのせいのような言い方をしたけれど、いすずがこの國に入ったのは10日前のことだ。
けれど森羅の國ではそれよりずっと前から被害が発生している。
『稀人が質実の國の國境を越えた時点で黒マジョさんは不明瞭ながらも稀人の気配を察知していたのでしょう。獣人の家の地図に記載された黒マジョ被害地点の日付と移動方角はイサナ達が徒歩で移動した方角と一致しているように見受けました。汽車や飛行魔法、遊戯の國の乗り物を使用した移動は他の魔力に覆われて稀人の気配が薄れていたのでしょうね』
「え…」
『稀人が森羅の國に入った事で黒マジョさんは漸く尋ね人の正確な位置が把握出来るようになったのでしょう。ピスルリの影響を大きく受ける棚海からイサナ達が脱して以降、黒マジョさんは稀人を追い求めて着々と我々に迫って来ていましたよ。2日前には直ぐ側に迄やって来ていました』
淡々と語るワルサーだが、今とんでもない事を口にした。
「え、待って。私達のすぐ近くまで来てたの?」
私はぞわりと身を震わせる。
『ええ。最接近時には30mの距離を切っていました。けれどイサナ達があの下卑た元女の奇声を1時間に1度響かせて動物達と共に黒マジョさんを追い払っていましたよ。お見事です』
「ええぇ…」
黒マジョさんが近くに現れたら眠らされるものだと思い込んでいたので、ワルサーから知らされた情報に血の気が引く。
しかしそれだ疑問が生じる。
何故黒マジョさんはこの場所から1度離脱してまでモウとナノノを、続いてマリルドとフリケルを眠らせたのだろうか。
『奇声の主を排除しに行ったのではないでしょうか。チビと獣人は黒マジョさんが此処へ戻る道中に偶然出会わせて眠らされただけかと』
「あぁー…そうなんだ」
だとしたらこの事態は全部私達の責任なのではなかろうか。
「ねぇ、黒マジョさんって幻獣の類いってことでいいんだよね?」
『稀人に吸い寄せられるのですから獣でしょうね』
「動物ならいいんだけど…もし黒マジョさんが人間だったらいすずへの執着心が怖すぎる…」
『あのちんちくりんが人間に好かれる訳がないでしょう』
「それはワルサーのとんでもなく偏った好みによる判断であり、一般的な意見じゃないよね?」
「人であれ獣であれ、黒マジョさんは俺より強い魔力の持ち主なのですから警戒して貰わないと困ります。叶球にある俺の体の危機です。稀人の事は捨て置いてイサナはこの國から脱してください』
「そんなことできません」
『出来ないのであればイサナは俺にその身を託して眠って下さい。さぁ…おやすみなさい』
ワルサーは甘く優しく眠りに就くように促す。
「寝てる間にいすずを置いて移動するつもりでしょ?今の話を聞いてたら余計に目が冴えたよ」
『安心して下さい。動向から察するに黒マジョさんは余り知能が高くない生き物のようです。稀人が嫁に娶られる事はありませんよ。その辺の犬猫と同じように稀人に魔法石を捧げたいだけでしょう』
「はい?娶られる?そんなことあるの?」
『闇獣であるドラゴンは稀人を娶ると言います。しかし黒マジョさんの無計画な足取りは智の王と名高いドラゴンのものとは到底思えない』
「待って。ドラゴンって獣の定義に入るの?えっと毛は生えてないよね?ドラゴンって言ったら鱗だよね?」
私は漫画や映画に登場したドラゴンのデザインを思い出す。
毛って生えてたかな?
生えてたような気もする。
駄目だ、具体的なドラゴンのデザインが全く頭に浮かんでこない。
『ドラゴンは美しい体毛を持つと言われていますよ』
「そうなんだ…。えええー、いすずってドラゴンのお嫁さんになるかも知れないの?なんかスケールが大きすぎて…うわぁー」
『だから稀人に構うなと言っているのです。稀人の存在は其れ程迄に獣にとっては魅力的なのですよ。恐らく黒マジョさんとやらも稀人が何処へ逃げようとも果てしなく稀人を追い掛け続けるでしょうね』
「うわー…。黒マジョさんがどこまでも追い掛けて来るとか…字面だけで見るとホラーでしかないよね…」
ファンタジーの世界に居ると思っていたのに、突然のホラーな展開に私は頭を抱える。
『さ、見捨てましょう』
ワルサーが鏡越しにインチキ臭い笑顔を見せる。
そんな笑顔を見せられて「うん」と応じれる訳がない。
「…少し考えさせて。あと私が寝てる間にいすずを置いて逃げるのはナシね」
『理解できないです。イサナは矢張稀人に甘いです』
「そうかなぁ」
『そうですよ』
「ワルサーのせいじゃない?『見捨てろ』と言われると、人情的にそれだけはできなくなるものじゃない?」
『俺の親切を無下にするとは』
「天の邪鬼なもので。ごめんね」
さて、どうしよう。
黒マジョさんの正体がドラゴンではないって確証が取れれば、安心なんだけれど。
いすずに魔法石を捧げたいだけならば私が預かってしまえば黒マジョさんはまた北の海の孤島に帰って行くかもしれない。
だとしたらジタバタする必要はないのかな。
「ワルサー、黒マジョさんはあとどのくらいで此処にやって来ると思う?」
『元女の居る場所迄の移動に2日要していたので、あと46時間強かと思います』
「46時間かぁ」
それは果たして長いのだろうか、短いのだろうか。
モウとナノノが眠らされてから24時間後、一先ず存分な睡眠を取った私といすずの2人はモウとナノノに連絡をとった。
先ず最初に応答があったのはモウであった。
「誰か…誰か助けて!黒い恐ろしい毛に捕まったの!見てよ気持ち悪い!なんなのよ!アタシに勝手に触れるだなんて非常識よ!触りたいなら魔力を捧げなさいよ!」
見てと言われても小指の通話魔法に映像を共有する機能などはない。
取り敢えずこんな大きな声を出せると言うことはモウに大きな怪我はないということでいいのだろうか。




