51、まほろみ
この國は全域の9割以上が鬱蒼とした原始林に覆われている。
標高が3000m以下となる龍の背から広がる森の中には太古から今もなお繁り続ける大木や各種の珍しい草花が生え、さらに遭遇できることは滅多にないが希少な魔法石を持つ動物や幻獣も生息しているとウーターニャのノートには記載されている。
諸説あるが、遊戯の國で私達が購入した青い猿面のモデルとなったピスルリや黒マジョさんと呼ばれる最長の毛を持つ魔法使いもこの國を棲み処としていると謂われているらしい。
因みに希少生物が存在するという情報はいすずには伏せてある。
いすずのことだからこれらの生物まで引き寄せてしまうと思われるけれど…いすずが小動物の気配を察知して騒ぐのはいつものこと。
遭遇前に何食わぬ顔でいすずに捧げる動物鉱石を受け取ってやりさえすれば例え神獣といえども危害を加えることもなく去っていくことはもう分かっている。
いすずに近付いてくる動物がこの國では希少な動物や幻獣に変わるだけのことだ。
この國の希少な野性生物の動物鉱石は高値で売れるということなので今後の旅の資金のためにも是非とも手に入れておきたい。
いすずには森羅の國のことは「この地を訪れた人々はみな息を飲んで感激の声をあげる絶景の地」「この小さな星の中で人の侵食から守り続けられた奇跡の地」という情報のみ伝えている。
マリルドのボディーチェックを行いながらまだ私達に追い付かないいすずの様子を窺うと私の企みなど露知らず、いすずは懸命にガレ場の山道を下って来ている。
いすずには申し訳ないがバレさえしなければ…まぁ良かろう。
「やっぱりマリルドめ、お猿を連れて来てたな。どうしてバレないと思った?」
「バレないとは思ってねーよ。かわいいから連れてきただけ」
「ばかたれ」
私はマリルドのTシャツのポケットに入れられていた小さなお猿を救い出して逃がしてやる。
「やっと追い付いたぁー!」
「いすずにもちっちゃい猿を見せてやりたかったのに」
「見せんで宜しい」
少しの休憩を挟んで鬱蒼と茂る森林の中に突入する。
今後は深い森が延々と続くのだろうと思っていたのだが、
この國の龍の背は余り広くはないらしく、少し進むと切り立った崖が姿を現した。
木々に抱かれた中に突如広がる広大で幻想的な景色に私達は言葉を失くした。
先を見ると龍の背は狭いのではなく、一部が深く抉り落ちている事が分かる。
深い谷を挟んだ向こうには龍の背の続きが存在するからだ。
対岸の山肌の斜面にはひっそりと眠っているかのような数多の大小様々な静かな池が連なる。
しかし水は確かに満ち溢れては下へ下へと流れ落ちているようだ。
「…これってウーターニャちゃんのノートにあった『棚海』ってやつじゃない…?」
『…その通りかと。美しいですね』
棚海の全ての池の水は最終的に谷底にあるこの國最大、そして世界一の深さを誇る湖である『幻海』へと注がれていくと言うがその姿はこの場所からは良く見えない。
谷の深さがそうするのか、水温がそうするのか、谷底にはうっすらと靄がかかっているからだ。
しかしこの景観をより印象的にしているのは棚海の彩色だ。
棚海とはこの大小様々な池の総称。
山頂から中腹にかけて広がるの淡いピンクの『桜海』、中腹から山麓に広がるラベンダーカラーの『藤海』、そして谷底の靄ではっきりと見えないがおそらくアイスランドブルーの『幻海』が作るグラデーション。
その上、谷底からは桜の花びらが止めどなく舞い上がり続けている。
大自然の中に居てなんとも予想外の彩りだ。
「突然のゆめきゃわゆい世界…」
「どうする!?写真撮る!?」
「あ、そか。いすずの持ってる普通のカメラなら写真撮れるのか」
「マリルドも一緒に写真とろー…よ…あれ?」
いすずが声を掛けるも私達の中央に立っていた筈のマリルドの姿がない。
いすずと共に振り返りマリルドを探すと、すすすと後退しているマリルドに気付く。
不審に思いながら見ていると、マリルドが勢い良く駆け出す。
「わ、やめ…!!」
マリルドがやろうとしていることに気付いて制止しようとするも間に合わず、マリルドは躊躇なく崖を飛び降りる。
「うそやろー!?」
「どう見てもこの谷が神域じゃない!あぁ…だめだ、あの子また捕まる…」
「え、他人のふりしよう」
「…そうしたいけど迎えに行くよ。私の服にくっついてた虫を取ってもらった恩があるし」
「善行って積んでおくものやね…」
「防犯カメラみたいなもので録画でもされていたら私らは共犯者に見えてるかも知れないなぁ…。音声まで拾ってくれていることを願うしかないね」
「わた達も捕まると!?どうしよう!?」
「捕まらないように頑張って交渉してみるよ」
『俺は助けてやりませんからね』
「ワルサーには期待してないよ」
翌朝。
マリルドを回収に行った先の景色も素晴らしかった。
満開の桜の木々に囲まれた幻海の湖水もひっそりと音もなく静謐にたゆたい、山頂から見た靄は幻だったのかのように幻海は陽光を浴びて水晶のようにきらきらと輝く。
透明度の高い水は深さを増すほどにサファイアブルーからエメラルドグリーンへと色を変えている。
谷底のこの場所から棚海の湖底は見えない為にゆめかわいいファンシーな色味は姿を見せず、その湖面は鏡面のように空の青を映している。
同じ場所なのに高地から見た景色と、低地から見た景色が異なるのだ。
『幻海』という名が付けられた事に成る程と頷く他ない。
美しい風景に彩られ絵画の中に溶け込んだような気がするが、視界に捕獲済みのマリルドの様子が確認され、脱力する。
厳重に縛られたマリルドは首から下は縄で縛られ、まるで蓑虫の様だ。
「縄を外せっつーの!マジふざけんなよ」
「なんでマリルドめっちゃキレとると?信じられんっちゃけど」
「イサナ!いすず!なぁ、あの湖を泳いじゃダメとか誰も知らねーよな!?」
「ダメってなんとなく分からないものかなぁ…。この谷が最初に言った神域なんだよ。泳ぐとか以前にこのエリアには許可なく入っちゃダメだったんだよ」
「イサナ達も入って来てんじゃねーか」
「マリルドを引き取りに来たんだよ。谷に入る前にちゃんと手続きは踏んだよ」
「君達がこの猿の連れか?」
マリルドのことを「猿」と言ったのは矛の先だけで1mは有りそうな大槍を手にした獣の毛皮を身に纏うマタギのような衣服の人物であった。
しかし足元にある爪先が二股に別れた靴は体に不釣り合いな程小さく、まるで動物の蹄のよう。
やけに大きな頭は豚…いや、ごつごつとした顔の下顎から大きく伸びた牙が生えているから恐らく猪型だ。
体毛は人と同じように頭部にのみ髪として存在している。
肩より下程の位置で一纏めにした黒が斑に残る白髪の縮れ髪は、左側頭部の1房のみが紅色に染まる。
「…マリルド…ブタにサルって言われとる…!」
笑いを必死に噛み殺そうとするいすずに猪型の人物は冷たい視線を投げ付ける。
笑う余裕があるということは獣型であろうとその正体が人間であるならばいすずは平気ということであろうか。
思わず安心してしまいそうになるが、今のいすずの発言は猪型の人物の気を逆撫でしたのではなかろうか。
マリルドの解放に向けて私だけは気合いを入れて対処しなければならない。
…私には荷が重いけど…。
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