42、キス
私がワルサーからの要望を承諾するとワルサーは僅か一瞬だけ現れてウーターニャからのプレゼントを受け取ると礼も言わず、困ったような笑みだけを浮かべた。
そして中身も確認しないままてるの助くんにプレゼントを託すと直ぐ様叶球から姿を消してしまった。
ウーターニャが用意したケーキの蝋燭も消さぬまま。
慌ててマリルドが私を主役に据え替えて誕生日祝いの歌を歌い、蝋燭の火を吹き消すように仕向ける。
私はワルサーに成りきって何とか無表情を作って火を吹き消す。
「皆、ありがとうだぜぃ」
私なりにワルサーに寄せる為に出した必要以上に太い声にウーターニャが吹き出す。
「もうイサナ…ふふっ、似てなぁーい」
笑ってくれたのなら何よりだ。
主役を欠いて仕切り直した誕生日パーティーと言う名の暴飲暴食パーティーを済ませた後、私はワルサーの要望に応える為に6階層にある自分の部屋に向かう。
クローゼットから親戚の結婚式の為に母が買ってくれていたシックなデザインの赤みがかったブラウンのワンピースを取り出すとそれに着替えた。
緊急事態宣言で結婚式は延期になり、このワンピースに袖を通すのは試着のとき以来。
ドローイング・ルームへ移動すると私の部屋にあった雑誌を参考にいすずが髪を結い上げてくれる。
「いすずが髪の毛をセットできるだなんて思わなかったよ」
「下に妹弟が5人おるけんねぇ。毎日のように結んであげとったらそれなりに上達するよ」
「へぇー」
「なんか少し雑誌と違うけどできた」
「あはははは!そりゃモデルと顔が全く違うんだから仕方がないよ」
「メイクをするなら手伝うわよ」
「うはは!ウーターニャがめっちゃ張り切ってる」
「いやぁ、メイクはいいかな…」
「せめてこのスカーレットブラウンのリップだけでも!」
ウーターニャが差し出したのは未開封のリップ。
「未開封やね…」
「イサナの為に買ってきたんだな」
私の為…?
ワルサーの顔にメイクを施してしてみたいだけなのでは…?
まぁ、いいか。
「仕方がないなぁー。ん」
「え、あっ、私が塗ってあげていいの?」
「嫌なら自分で適当に塗る」
「やる!やってあげるわ!」
下ろし立てのリップの角を落とすために自分の手に幾度かリップを滑らせた後に私の右頬に軽く手を添えてウーターニャがリップを塗ってくれる。
「イサナの唇って柔らかいのね。……ステキ」
「へ?」
薄情者のものと言われる私の薄い唇を褒められて私は呆ける。
自分の方こそそんなにぷるぷるした美味しそうな唇をしていて何を言うのだろうか、この子は。
私は髪の毛のセットの為に背後に立っていたいすずの後ろに回り込むと、いすずは自然と振り返ってくれる。
私は仁王立ちになり、ワルサーに呼び掛ける。
「ご要望通りドレスアップしましたよ?これで満足ですか?」
叶球に出現する代わりにワルサーが要求してきたのは思い切りめかし込んだ私の姿を見せることだった。
食後にいすず達3人に着替えなくてはならなくなったので離席することを伝えると「せっかくのパーティーなんだから私とイサナの女の2人だけじゃなく、皆でめかし込みましょう!」とウーターニャが呼び出した家から小さい頃の服を持ち出して来たのでマリルドといすずも正装をしている。
いすずからは小学生の卒業式感が漂っているが2人ともそれなりに様になっている。
『…手を抜きましたね。イサナはもっと美しくなれるはずです』
「んだとこのやろー。全力じゃー!」
『そんなにこの俺に愛されることが怖いのですか?』
「愛してなんかない癖によく言うよ…」
『そんなわけ』
「…そんなわけ?」
反論するワルサーに迫るつもりで私はいすずに詰め寄ってしまう。
いすずは思わず後退をし、私が座っていたソファーの背凭れにぶつかり追い詰められる。
私はいすずを逃がさぬように背凭れに両手を付いていすずの身を挟み込み、更にいすずの脚の間に膝を入れ身動きを取れなくする。
「え、ちょ、ちょっと!?」
額がぶつかり合いそうになるほどの至近距離に、顔を真っ赤にして慌てるいすずを無視してワルサーに向けて話し続ける。
「仮に私がワルサーに応じたとして…それで君が満足できるわけじゃないでしょう?この体を得たら次は男の体の自分と恋愛したくなるんだよね?それが叶えば無性別の体かな」
『その可能性は有りますね』
「一瞬だって満足できやしないのに、軽々しく愛してるだなんて言葉は使わないで」
『嫉妬、ですか』
「まさか。私もワルサーもまだ恋なんか知らないのに」
『…そのリップの色似合いますね。キスして欲しくなる』
ウーターニャに聞かれても大丈夫なように言葉を隠して話したせいか、会話が上手く噛み合わない。
いや、ワルサーと会話が噛み合わないのはいつものことか。
私はソファーの背凭れから離れていすずを解放する。
いすずは脱力して床にへたり込む。
「今…何が起きたと?」
「壁ドンじゃね?ん?ソファドン?」
「ソファドン!?私もして欲し…ううん、なんでもない」
顔を赤くしていたのはいすずだけではなかったようで、ウーターニャが両手で顔を隠して蒸気を上げている。
一方私はまだ苛立ちが収められず、リップを拭い取るように左手の甲で唇を擦る。
『手の甲にキス、ですか。イサナは優しい』
「…手は男の子なんだね。骨張って固い」
『それは俺の手の味の感想ですか?』
「ばーか」
「あー!!」
折角のリップを拭いとったことを咎めてウーターニャが声を上げる。
「イーサーナー!?もー何してるの!リップがほっぺにまではみ出てしまってるじゃない!」
「うはは!口裂け女だ!」
「あーあ、綺麗やったのにー」
いすずの目から左頬にはみ出されたリップの惨状を知ったワルサーが言葉を失っている。
「へーんだ、もっと変なメイクにしてやれ」
『イサナ!?』
私はてるの助くんに6階にある買ってみたもののまともに使ったことのないまま忘れられていた自前のプチプラコスメを持ってきて貰うとリップを大きくはみ出して口の回りにぐるぐると塗り、再びいすずに見せる。
いすずは大笑いをして床に倒れ、ウーターニャは呆れている。
残念ながら左側の顔に塗ろうとしたリップは攻撃と認定されたからか防護魔法で弾かれてしまったのだが、思い通りにいかなかったことが可笑しくて堪らない。
マリルドはそこまでやるならアイメイクで私の顔をパンダにしようと言い出し、私はその提案を受け入れる。
面白くなってきたのかマリルドもいすずも、そしてウーターニャまでも仮装メイクを開始し、皆でお互いの顔を見て大笑いする。
「ウーターニャめっちゃウケるっちゃけど!?」
「一番最後にメイクし始めたのにその面白さってスゲーわ」
瞼の上に大きなきらきら少女漫画の瞳を描いたウーターニャが勝ち誇っている。
ウーターニャのことを笑っているいすずとて、顔面にへのへのもへじの文字を書き、やり過ぎな程変なメイクだ。
マリルドは絵の具まで使用して何処ぞの国の国旗のようにカラフルな顔面になっている。
私は右側だけを眉毛をこれでもかと言うほど太くして、目の周りを黒く塗り、両頰いっぱいにリップを塗り付けただけなので1番地味になってしまった。
「先陣を切ったと言うのに負けてしまった…。皆面白い顔になって悔しい」
『イサナは酷過ぎます…俺と同じ美しい顔にそんなメイクをするだなんて』
「鼻毛も描いてやろ」
『イサナ!?』
手加減してやったと言うのに文句を言うので更に酷いメイクに仕上げる。
「ねーねー、わたインスタントカメラ持っとるけん皆のこの顔撮っていい?」
「いいねー撮ろう」
「カメラ?」
どうやら質実の國以外ではカメラが存在していないらしくマリルドが疑問符を投げ掛ける。
代わりの魔法があるのだろうか。
「あぁ、現像魔法みたいなものね」
そう言ってウーターニャはポーズを決めて魔法陣を展開、魔法石を弾き飛ばして手を握り込んで魔法を発動させると人差し指がぽうっと光る。
その指で宙を四角く擦って画角を決める。
「全員いらっしゃい。いい?撮るわよ?」
全員が光る画角に収まるようにわちゃわちゃと詰め寄るとウーターニャは笑顔を作って指を鳴らす。
すると1枚の写真がひらりと舞い落ちて来た。
「これでしょ?」
「おー!写真だー」
「うはは!みんなブスだなぁー」
「なははは!マリルドあんたもね」
「うーん、もっと変になれるはず…」
『ごめんなさい、俺が間違えていました。イサナはいつも通りが1番綺麗です』
「あはは!謝っても止めないもんね。この写真はてるの助くんに頼んでヘプタグラム城に永久に保管してもらうもんね!」
「それってわた達の恥が残されるってことやない!?」
「嫌よ、イサナやめて!」
私は手にしていた写真を奪われそうになるのをジャンプで躱し、てるの助くんに写真を託す。
「誰がなんと言ってもお城に保管し続けてね。仮に私が破棄をお願いしたとしてもそれは拒否するんだよ」
「こらー!」
てるの助くんがこくこくと頷いて写真を消して城の何処かに保管する。
「あ!」
額装された写真が暖炉の上に飾られたことにマリルドが気付く。
急ぎ蹴り飛ばして粉砕しようとしたのだが、写真に届く前にマリルドの脚は弾かれてしまう。
「いいじゃん。持ち出しできないんだから私達が生きている間に画像の流出は起きないよ」
「死んだ後に流出する可能性はあるってことやん!」
「ワルサーは死なないよ。ね?」
『イサナが死なせてくれないのでしょう?』
ワルサーはもう気付いているはずだ。
私なんかの為に【終極の願い】を費やす価値はないということに。




