あと、二十八分
一話完結の連作短編です。
鳥目シアンから始まる、彼女たちの世界をお楽しみください。
20:32
目が覚めた。
何かに迫られたような、誰かに呼ばれたような気もした。枕元のスマートフォンを手繰り寄せると、画面には二十時三十二分と表示されていた。
「……えっ」
今日は二十一時から配信だった。
眠気の残る頭で、恐る恐る数字を確かめる。間違いない。あと二十八分しかない。
夕方、少しだけ横になるつもりだった。アラームもかけたはずなのに、止めた記憶がない。
上体を起こしてベッドの縁に腰掛け、配信までに必要な手順を頭の中で辿る。
パソコンを起動して、配信ソフトを立ち上げる。モデルの動作と音声を確認して、待機画面の準備。それから配信告知もしないと。
顔を洗う時間はないかも。多分、ギリギリっぽい。開始時間を少し遅らせた方がいいかもしれない。
当社比ではかなり高速な皮算用を終え、ようやくベッドから立ち上がった。
20:38
パソコンが立ち上がるのを待ちながら、スマートフォンでSNSを開いた。
遅れる可能性だけでも、先に知らせておこうか。
『すみません! 今日の配信、少し遅れるかもしれません』
そこまで入力して、指を止めた。
まだ遅れると決まったわけじゃないのに、こんな告知をしていいのだろうか。かといって、予定時刻になってから知らせるのも申し訳ない。
十分だけ遅らせようか。
いや、自分の計算を信じよう。
投稿欄を閉じると、見覚えのある狐面のロゴが目に入った。華やかな衣装をまとった狐耳の女性が、雑誌の表紙を飾っていた。
「へえ、すごいなあ」
雑誌の表紙なんて、どんな気分なんだろう。自分にもいつか、こんな機会があるだろうか。
ふと顔を上げると、パソコンはとっくに起動を終えていた。
スマートフォンを伏せて、キーボードに手を伸ばした。
20:43
モニターにはいつもの部屋と、私が映っていた。
濃紺のジャケットに白いシャツ。青い瞳と、インナーカラーの覗く長い黒髪。見慣れているのに、今日は何だか様子がおかしい。
椅子に座り直してカメラに顔を向けると、画面の中の私も正面を向いた。
「んー?」
何だか、目が細い。
少し首を傾げると、画面の中でも同じように首が傾く。動作に問題はなさそうだ。
そこでようやく、自分がまだ眠そうな目をしていることに気づいた。
背筋を起こし、意識して目をぱっちりと開いてみる。
すると、今度は口元が気になった。笑っているつもりはないのに、画面の中では口角が上がっている。どうやら寝起きで、口元まで緩んでいたらしい。
口元を引き締めると、ようやくいつもの表情に戻った。
「よし、よし」
確認しているうちに、頬に髪が落ちてきた。手で払ったものの、また同じところへ戻ってくるのが煩わしい。机の端に置いてあったヘアゴムを取り、顔まわりの髪も含めて、長い髪を頭の上にまとめた。
マイクを有効にして、いつもの声量を意識して声を出す。
「あー、あー。こんばんは~」
喉の奥にまだ眠気が引っかかっているようで、声が少し掠れていた。手元に用意した水を一口飲み、もう一度試す。
「こんばんはー!」
今度は声の掠れも気にならなかった。ようやく、頭もはっきりしてきた気がする。
口の動きも問題ない。待機画面に切り替え、BGMを流して音量を確認する。
あとは、いつもの配信告知だけ。思ったより余裕がありそうだし、顔くらいは洗ってこよう。
『21時から配信です! もうすぐ始まるよー!』
SNSに告知を投稿したあと、洗面所に向かった。
20:59
待機画面を流したまま、手元のメモに目を通す。今日話すつもりだったことが、箇条書きでいくつか並んでいた。昨日の深夜テンションで書いたものだからか、後半は自分でも少し意味が分からない。
まあ、話し始めれば思い出すだろう。
残り一分。
さっきまで足りないと思っていた一分が、BGMを聞いているうちに、妙に長く感じられた。
21:00
時計の数字が切り替わる。
待機画面からいつもの部屋へ切り替えた。
「こんばんは! 鳥目シアンです!」
ここでしか見えなかった時間は、別の話に続いているかもしれません。
気になったことがあれば、もう一話だけいかがでしょうか。
関連する短編:『今日も楽しかった。――たぶん。』
配信が終わったあとの日常を描いた一編です。




