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第27話(二)「木沢の帳面」

――話は、六日前に戻る。


 笠置の城を開けたのは、光秀である。


 行ったのは、弥生(三月)十八日である。兵は連れていない。連れたのは木津の在の名主が一人だけで、用件は年貢の納め先を訊くことである。城代に帳を見せよと願い、断られ、その日のうちに退がった。


 翌る十九日、麓で城の者二人に会い、十年ぶんの数の食い違いを見せた。


 したのは、それだけである。


 三日目の夜に、城代は家の者の手で死に、城は開いた。


 順を追えば、こうなる。


 連れて行ったのは、木津の在の名主である。


 この男は年に二度、郷の年貢と段銭を納めに、あの坂を上がっている。門の番も、受け取る役の者も、顔を知っていた。


 光秀は、その後ろに付いた。


 名乗りは、偽らなかった。偽れば、あとが使えぬ。


 偽ったのは、用のほうである。


 名主が城代へ申し上げたのは、こうであった。


 ――今年の年貢は、どちらへ納めればよろしゅうござりましょうか。


 この郷は、もとは南都の寺の荘である。年貢は奈良へ上げ、代官は在地の家が代々勤めていた。それが十年ほど前、木沢が山城の守護代になったときに替わっている。代官を己の手の者に据え替え、年貢も段銭も城へ上げさせるようになったのである。


  ――代官職を、押し取られたのじゃ。


 名主は、そう言った。言いかたに、腹の底の残りがあった。


 その木沢が、前の日に討たれている。報せは、夜のうちに麓まで下りていた。


 押し取られた代官職が元へ戻れば、納め先は奈良になる。戻らぬうちに城へ納めてしまえば、寺からは納めておらぬと言われる。逆に寺へ納めて城が残っていれば、こんどは城が兵を出す。


 どちらへ納めても、二度納めることになりかねない。


 二度は、納められぬ。


 だから、この問いには誰でも会う。銭が入るか入らぬかの話は、主が誰であっても続くからである。


 城代は、会うた。


 帳を見せよと願うのは、そのあとである。


 ――欲しいのは、帳ではない。


 笠置は、取れぬ城である。木津川の南の岩山に載っており、三十人も籠れば守れる。こちらは名主と、供が二人であった。


 取れぬものを前にしたときは、中を割る。


 割るには、割れ目がどこにあるかを、先に知らねばならぬ。


 割れ目は、たいてい銭のところにできる。


 光秀は、河内で押さえた帳のうち相楽さがらかのぶんを二度読み、名主の家に残る控えと突き合わせてあった。二つは、合っていない。


 合っていないことは、もう分かっている。


 分からぬのは、抜いたのが誰かということであった。


 ――出せば、この男は抜いておらぬ。


 主は、前の日に死んでいる。死んだ主の、十年前の年貢の帳である。惜しむ理由が、どこにもない。出して困るのは、その帳に己の仕事が書いてある者だけであった。


 ――出さねば、抜いておる。


 どちらへ転んでも、こちらは損をせぬ。出れば帳が手に入り、出なければ、誰を狙えばよいかが分かる。


 城代は、すぐには答えなかった。


 答えぬあいだ、膝の上の手が、袴の縫い目を一度なぞって止まった。


 「……木沢の御ためにござる」


 と、城代は言った。


 主が前の日に討たれているのに、御ためと言うたのである。


 筋の通った願いを、筋の通らぬ言葉で断る者は、言えぬ理由を持っている。


 主が生きておれば、主の物ゆえ出せぬと言えばよい。主が死んだのなら、次の主が決まるまで預かると言えばよい。そのどちらも、言わなかった。言えば、次の主に渡すことになるからである。


 ――この男の手が、あの帳の中にある。


 光秀は、そう読んだ。


 読んで、口には出さなかった。出せば、この男は今夜のうちに帳を焼く。


 退がった。


 軍使で来ているのではない。年貢の話で来ているのだから、断られれば退がるよりほかにない。


 退がりぎわに、名主が一つだけ願った。


 「……納め先がお決まりになりましたら、麓へ人をお下しくださりませ」


 城代は、うなずいた。


 うなずかせておけば、城の者が下りてくる。


 下りてくるのは、城代ではない。枡を入れ、書付を切る者どもである。


    *


 翌る、十九日である。


 年貢を納めるのは麓であった。城の者が下りてきて、郷の庭で枡を入れ、その場で受け取りの書付を切る。年に二度、決まった作法である。


 二人、下りてきた。


 光秀は、名主の家でこの二人に会うた。


 会うて、名主の控えと、河内で押さえてきた帳を並べた。渡すほうと受け取るほうが、それぞれ控えを持つ。片方だけでは何も出ぬが、二つ並べれば、差が出る。


 六つ、合わなかった。


 減っているのは、いつも同じところであった。


 光秀は、その六箇所を順に指した。


 指しただけである。


 言う要が、無い。六度とも、受け取りの書付を切ったのはこの二人であり、城へ上げた帳を書いたのも、同じ二人であった。同じ手で書かれた二つの数が、六度、食い違っている。


 年かさのほうが、板の上へ身を寄せた。


 寄せて、しばらく見て、それから背を起こした。


 「――兵糧の代にござるな」


 言ってから、口を閉じた。


 閉じたが、遅かった。


 あとは、早かった。


 この二人は、十年、書けと言われて書いてきた者どもである。抜いた者の名も、抜いた月も、はじめから知っていた。知っていて、書いていたのである。


 知っている者に、知っていることを見せるのは、易い。


 易いが、見せただけでは、人は動かぬ。


 動かぬのは、動いたあとの行き先が無いからであった。


 木沢は、公方くぼう様の御敵に付けられて討たれている。


 御敵の家中の者は、放っておけば御敵の家中の者のままである。籠っても開けても、木沢の名で禄を食んでいた者は、いずれ誰かの沙汰を受ける。首を落とされるか、追われるか、どちらにせよ、明日の飯は無い。


 この二人が己の首を見ているあいだに、光秀は三つ話した。


 一つ。討った者に咎めは無い。咎めが無いということは、この城の内で誰が誰を討っても、上は一人も咎めぬということである。


 二つ。城代どのは籠ると申しておられるが、籠って死ぬのは城代どの一人ではない。籠るということは、御敵のままで死ぬということであった。


 三つ目は、いちばん短かった。


 ――開ければ、そこもとらは、明日から同じ仕事をすればよい。


 帳を付けておった者は、帳の続きを付ければよい。数えておった者は、数えればよい。段銭を受け取りに下りてきておった者は、同じ郷へ同じように下りてくればよい。


 城が開けば、そこにいた者は御敵でなくなる。ならぬどころか、要る者になる。


 松永にも、三好にも、帳を付ける者はいる。


 いるが、足りぬ。


 ――こちらは、そこもとらが要る。


 これが、三つの中でいちばん効いた。


 処される側に置かれた者へ、要ると言うたのである。


 誰の手であるかは、光秀は最後まで言わなかった。


 言えば、松永が決めたことになる。松永が決めたことをこの二人が行えば、それは下知を受けた仕事である。仕事であれば、しくじったときの責めは下知を出したほうにあり、行うほうは、いつでも手を止められる。


 言わずにおけば、決めるのは向こうである。


 己で決めた者は、手を止めぬ。


 発つ前に、名主へ一つだけ言い置いた。


 「――今年の年貢は、奈良へ納められよ。……城へは、納めずともよい」


 裏づけは、無い。城がどうなるかも、まだ分からぬ。


 それでも、この男は十年ぶりに、納め先を人から言うてもらったのである。頭の下げかたが、来たときより深かった。


 言うたことが正しかったかどうかは、秋になれば分かる。


 言い終えて、十九日の夜のうちに馬を出した。二十日の朝、二上山へ着いている。


    *


 ――待たなかった。


 待っていれば、あの城が開くところを見ていた。開かぬところも見ていた。


 どちらであったかを知らぬまま、二十日から今日まで、帳場で人の名を書いていたのである。


 いま、この門の脇で、開いたと知れた。


 開けたのは、光秀の言葉である。


 言葉が城の門を開けるまでに、二日かかった。二日のあいだ、あの城の中で何が言い交わされたかを、この目は一つも見ていない。


 城代の顔も、見ていない。


 見る用が無かったからである。欲しかったのは帳であって、城ではなかった。


 城は、ついてきただけであった。


 ――売ったのは、明日の仕事じゃ。


 城でも、命でもない。


 飢えた年に、御敵の名を外して、明日から食える口を一つ差し出しただけである。それだけで、人は主を替える。替えるどころか、主を片づけてまで替える。


 その、片づけたほうの手を、光秀は見ていない。


 見ていないものは、帳にも書けぬ。


 書けぬものは、明日には、無かったのと同じになる。


 ――なったことに、しておこう。


 そう決めたことだけを、光秀は覚えておくことにした。


    *

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