第27話(一)「木沢の帳面」
――天文十一年(一五四二年)弥生(三月)二十四日の、夕である。
二上山の城に、三千の口があった。
木沢長政が太平寺の野で討たれて、七日になる。散らずに山へ残った木沢の兵と、日銭で雇うた四百人と、一度は下りかけて戻ってきた者ども。その三千人を、松永の家来が二人で抱えていた。城を誰が預かるかは、まだ決まっていない。決まらぬあいだも、口は毎日ひらく。
銭は、一昨日で尽きた。
残っているのは、いま坂を上がってくる米だけである。
俵は、一人が一俵ずつ背に負うている。縄で括って肩から回し、腰を落として登ってくる。当節の俵は男が一人で負えるだけの嵩に括るもので、それ以上に詰めれば、坂で潰れる。
担いでいるのは、この城の者であった。三日前まで、この坂を下りていった者どもである。
光秀は、大手の門の脇に立って、それを数えていた。
百と、九十七。
二百には、三俵足りない。道々で濡らしたぶんと、担ぎ手が食ったぶんである。谷を三つ越えて二日、三百人で担いで、目減りが三俵なら上出来であった。
この米で、四日ぶんである。
二十七日の暮れまでで、終いになる。
三千の口が日に十五石を食い、旗を持つ四百人に扶持を出せば十九石になる。谷の郷から買える分は、もう買い尽くしていた。
米は、あと一箇所にしかない。
一昨日の暁、光秀は二つの帳の差からそれを見つけた。木沢が鵤の法隆寺へ預けた米である。三百石は超える。
寺の蔵にある米は、寺が出すと言わねば出ない。
出させるには、証が要る。
証は、いま坂を上がってくる櫃の中にある——はずであった。
俵のあとから、櫃が三つ来た。
棒を通して四人で担いでおり、俵より歩みが遅い。下ろすときに、一人が膝をついて角へ手を添えた。
中身を知っている者の手である。
櫃の脇に、頭に布を巻いた男がいた。信貴山の蔵の前に立っていた者だと、荷を率いてきた者が言う。押し退けられて倒れたのだと言う。
布の巻きようが、丁寧すぎた。血の染みかたも浅い。棒で打たれた者は、たいてい耳の後ろが腫れる。この男は、腫れていなかった。
訊かなかった。
訊けば、答えねばならぬ者が出る。
「――遅うござったな」
と、後ろで声がした。
勘助である。杖を突いて、坂のほうを見ていた。
「道が悪うござった。王寺の先で川が出ており、馬が渡れず、麓で半日待たされましてござる」
「そちらの話ではござらぬ。……三日前に、そこもとが要ると申した物が、いま着いた」
勘助は、坂のほうを見たままであった。
「封は切っておらぬ。切ってもよかったのじゃが、開けた者と読める者が別というのは、よろしゅうない。……開けた者は、何が入っておったかしか覚えぬ」
「――かたじけのうござる」
「礼を言われる筋ではない。間に合うたかどうかは、そこもとが決めよ。……こちらは、担がせただけじゃ」
勘助は、それだけ言って坂を下りていった。
嫌味ではない。この男の言うことは、たいてい起きたことのままである。
*
下された下知は、短い。
――紙じゃ。木沢の帳面を、兵より先に押さえよ。
それだけであった。太平寺の野で、馬に乗る間際に言われたもので、あとの説きようは一つも付いていない。
押さえて、二日、考えていた。
殿が欲しておられるのは、帳面か。
帳面そのものではあるまい、と光秀は思う。木沢の去年の年貢の高を知って、松永の何が変わるものでもない。
帳に書いてあるのは、数だけではない。
誰から、いつ、何を受け取ったか。誰へ、いくら渡したか。どの寺へ何石預け、どの郷の名主に幾ら融通し、どの家の使いに幾らの路銀を持たせたか。
十年ぶんを並べれば、木沢という家が誰と通じていたかが、そのまま出る。
銭は、口よりも正直である。
誓紙は幾らでも書ける。使いは何とでも言う。だが、銭を渡した先だけは、渡した側の帳に残ってしまう。
――河内の誰が、いつから木沢へ寄っておったか。
――大和の国人のうち、木沢へ請文を差し出しておったのは幾家か。
――そして、そのうち何家が、今度は三好へ寄ってくるか。
木沢が滅んだあと、畿内の家々がどう組み直されるか。その組み直しの下絵が、あの束に入っている。
殿は、それを見たいのであろう。
読んだうえで、光秀はもう一段、先へ行った。
その下絵は、束を開けば見えるというものではない。十年ぶんの帳を並べて、どの数がどの数と繋がるかを拾い出せる者がいて、はじめて絵になる。
束は、読む者がいなければ、ただの束である。
そして、読める手が足りぬ。
三好は、急に大きくなった。摂津の下郡を回し、上田を討ち、塩川を落とし、いま河内へ手を伸ばしている。いずれも、この一年である。城が増え、郷が増え、段銭の割り付けが増える。増えた分は、誰かが数えて、書いて、帳へ載せねばならない。
兵は、集まる。
頭数なら、銭さえあれば明日にでも揃う。飢えた年である。食わせると言えば、いくらでも坂を上がってくる。
書ける者は、そうはいかぬ。
おらぬのではない。松永にも三好にも、帳を付ける者はいる。いるが、城が二つ増え、郷が三十増えたぶんだけ、手が増えてはくれぬ。銭を積んでも、すぐには出てこない。寺で十年習うか、家で三十年書き続けるかしなければ、あの手にはならぬからである。
――足りぬまま、書けぬ者に帳を持たせるとどうなる。
二年で郷が荒れる。数が合わなくなり、合わぬまま割り付けが下り、下りた先で人が逃げる。直すのは、はじめから書ける者を置いておくより、よほど高うつく。
分かっていて、いまはそうするよりほかない。
――ならば。
光秀は、坂の下の火を見た。
あの下に、二千九百幾人かの名が並んでいる。昨日まで木沢の郷を回し、木沢の段銭を割り付け、木沢の帳を書いていた者どもが、その中にいる。
いま、飯の列に並んでいるのである。
殿は、帳面を押さえよと仰せられた。
書いた者まで押さえよ、とは仰せられていない。
仰せられていないことをするのは、あの片目の男の役である。
光秀は、櫃の高さをもう一度見た。
勘助は、城を二つ開けている。杖が一本と、人の乗っていない旗と、木沢の一門が一人。それだけであった。
己が二日駆けて持って帰ったのは、馬二頭ぶんの帳である。
――功を競うておるのではない。
そう思ってから、光秀は己の思いようを検めた。
競うておらぬのなら、なぜいま、櫃の高さを見た。
荷を率いてきた者が、もう一つ持ってきていた。
折った書付を、竹の筒へ入れてある。山城から回ってきたものであった。
――笠置の城、去る二十一日の夜に開き申し候。城代、家の者の手にて相果て候。
――城中の者、三十四人、ことごとく残り居り候。門の番も蔵の鍵も、これまでのごとく相勤め居り候。旗は、いまだ立て申さず候。御下知を待ち申し候。
名が、書いていない。
書けなかったのである。松永の家来でない者が、松永の家来へ宛てて出している。名を書けば、書いた者が城を取ったことになる。取ったのは光秀であって己ではない——名の無いところに、そう書いてあった。
三十四人が残った、というのが要であった。
主を討った夜に、討った側は逃げるのが常である。逃げねば、次に来た者に討たれる。逃げなかったのは、次に来る者が誰であるかを、あの二人が郷で聞いて帰ったからであろう。
旗を、待っている。
旗の無い城は、城ではない。人のいる石垣である。
木沢の旗は下ろした。次の旗は、まだ上がっていない。その隙に木津の川筋を上ってくる者があれば、三十四人では一日と保つまい。
筒井が来るか、木沢の残りが戻るか、山を越えて伊賀の者が下りてくるか。
伊賀は、去年の霜月に一度来ている。
公方様の御下知で動いた者どもだと聞いた。夜のうちに崖を上がり、曲輪へ火を入れて、明るくなる前に引いた。城は落ちなかった。落ちなかったが、それきり塀の一枚は焼けたままである。
木沢は、その前の夏に、平群谷から人足を取って笠置を普請している。石を吊る縄が切れて、谷の者が幾人か死んだ。
普請して、焼かれて、直しきらぬうちに主が死んだ。
三十四人しか残っていないのは、そのためであった。
光秀は、その二行を二度読んだ。
――立てぬ、という道もある。
旗を立てねば、山城に松永の城が一つ増えたことは知れぬ。知れねば、誰の下知で取ったのかも訊かれぬ。
訊かれても、答えられぬ。あの城を取れとは、誰も言っていない。
だが。
旗を立てぬというのは、あの三十四人に、おまえたちは誰の下でもないと言うことである。誰の下でもない者は、明日ほかの旗が来れば、そちらへ付く。付いて、当たり前である。
城を隠せば、城を失う。
それに、と光秀は思った。
獲った物を隠す家来は、いずれ、隠したことのほうを疑われる。
殿は、獲るなとは仰せられていない。仰せられていないことをしたのなら、獲ったと申し上げるのが筋であって、獲らなかったことにするのは筋ではない。
筋を外すのは、外さねばならぬときだけでよい。
光秀は、荷を率いてきた者を呼んだ。
「――戻るのは、いつじゃ」
「明日の朝にござる」
「一筆、持たせる。……それと、旗を一本」
書いたのは、二行であった。
――旗、立てらるべく候。松永の旗にて、相違なく候。
――城中の儀、これまでのごとく相勤めらるべく候。
名は、書いた。
書かねば、向こうが動けぬ。名の無い書付で人を動かせば、動いた者が咎を負う。
書いてから、もう一枚を取った。
殿へ出す分である。
――山城笠置の城、当方の手に入り申し候。
書いて、しばらくその一行を見ていた。
落ちた、のではない。開いた、でもない。
この城は、誰も攻めていない。
攻めていない城が手に入ったことを、どう書けばよいのかが、分からなかった。
分からぬまま、そう書いて、封をした。
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