第26話(八)「二上山」
――同じ日の、夜である。
日が落ちてから、四百を山の裏へ集めさせた。
旗の下である。篝を四つ焚かせ、そのあいだへ坐らせた。四百というのは、坐らせてみると思うより狭い。前のほうの者の顔は篝で赤く、後ろのほうは肩から上が闇に溶けている。
半分は昨日までこの城の者で、半分は谷から上げた陣借りの衆である。刀を持っている者もあれば、鎌を持っている者もあった。三日前まで、たがいに名も知らなかった者どもである。
勘助は、杖を突いて前に立った。
「――明日から、銭は出ぬ」
最初に、それを言った。
四百が、鳴った。
物が倒れた音ではない。四百人が同時に息を吸い、同時に隣の者へ何か言った音である。
次郎太が横で身構えた。
勘助は、手も上げなかった。
上げれば、袖が動く。動けば、篝の下では見える。杖を突いている手のほうは、はじめから火の外へ置いてあった。
鳴りが収まるのを、そのまま待った。
待ちながら、勘助は次に言う一言を口の中で置き直していた。
――外せば、ここで死ぬ。
四百に囲まれて坐らせているのではない。四百の真ん中に、こちらが一人で立っているのである。坐らせておいたのは、立つのに一拍かかるからであった。その一拍のあいだに次を言い足せる、というだけの一拍である。
思ってから、思ったことを顔から外した。
「かわりに、米を出す」
鳴りが、止まった。
「飯は、日に五合。炊いて出す。……これは、下におる三千と同じじゃ。食うだけなら、この山では誰でも食える」
誰も、口をきかない。
「そのうえに、旗を持つ者には別に五合」
こんどは、鳴りかたが違った。
息を吸う音ではない。隣の者の膝を叩く音が、幾つも混じっている。
「炊かぬ。俵で渡す。持って帰るなり、売るなり、そこもとらの勝手じゃ」
「……お頭」
と、後ろのほうで声がした。
「合わせて、一日に一升にござりまするか」
「一升じゃ」
「四百に——一日、一升を」
「四百にじゃ」
この年、米は銭では買えぬ。銭を積んでも売る者がおらぬのだから、日銭の十文より、俵で持ち帰れる五合のほうが、この場の誰にとっても重い。それを、四百の全部がその場で算えた。
算えた顔が、篝の下でいっせいにこちらを向いていた。
「――それから」
勘助は、懐から包みを一つ出した。
油紙の包みである。掌に載るほどしかない。
開いて、篝のほうへ傾けた。
中のものが、火を鈍く返した。白くはない。灰を薄く敷いたような色である。
前のほうの者が、首を伸ばした。
「……鉛にござるか」
「銀じゃ」
誰も、口をきかない。
大和では、まだ見た者が少ない。灰吹きの銀である。
「首を一つ取った者に、この粒を一つ。米にすれば、一斗になる」
四百が、鳴った。
こんどのは、押さえきれずに洩れた声であった。
「名のある者の首なら、三つ」
「……お頭」
と、次郎太が言った。
「この山には、首を取る相手がおりませぬが」
「明日から、出る」
勘助は、それだけ答えた。
「木沢の残りが、河内から山へ入ってきておる。麓の郷を荒らす者も出よう。……荒らされる前に、捕らえよ」
「捕らえる、にござるか」
「首は、一つで一粒じゃ。……生かして連れてまいれば、二粒」
次郎太が、顔を上げた。
「……生きておるほうが、高うござるか」
「高い」
「なにゆえにござる」
「殿が、そう申された」
なにゆえかは、勘助も知らぬ。知らぬまま、値だけ預かってきたのである。
「――そのかわり」
と、勘助は言った。
「銀は、この山では食えぬ。この谷では、誰も両替してくれぬ。……町へ出れば、どこでも通る」
言ってから、包みを閉じた。
閉じる音が、四百のあいだで聞こえるほど静かであった。
「ゆえに、そこもとらは町まで生きねばならぬ」
*
「――与三。伝次。孫六。……そこもとと、その三人じゃ」
勘助は、次郎太を含めて四人の名を呼んだ。
組頭である。四百を百ずつに割って預けてある者どもであった。
「明日から、この四人は松永の家中に召し抱える」
四人が、それぞれ違う顔をした。
一人は口を開け、一人は膝を立てかけ、一人は隣の者を見た。次郎太だけが、動かなかった。
「扶持は、追って沙汰する。……目に立つ働きをした者は、順に上げる。組の者でも同じじゃ。名は、帳に残る。残った名は、殿の目に入る」
四百が、鳴った。
こんどの鳴りは、いちばん長かった。
勘助は、それが収まるのを待たなかった。
待たずに、次を言った。
「名を書いた者に出す。明日の朝、机の前へ並べ。名と、齢と、在所と、手に職を訊く。訊かれたことに答えぬ者には、出さぬ」
「……手前どもは、もう帳に載っておりまするが」
「あれは、銭の帳じゃ。銭の帳は、明日で終いになる」
「なれば、新しい帳に」
「載せ替える。載せ替えた者だけに、米も、銀も、扶持も出る」
勘助は、そこで一度、四百を端から端まで見た。
見て、次を言った。
「盗った者は、斬る」
誰も、動かない。
「麓の家でも、蔵でも、この山の内でもじゃ。拾うたのも、盗ったと数える。……それから、十人ずつ組にする。組の一人が盗れば、その組の十人が三日食わぬ」
後ろのほうで、誰かが低く何か言った。
言ってから、慌ててやめた。
「――八郎」
と、勘助が呼んだ。
名を呼ばれた者が、いっとき固まってから立った。二十歳そこそこの、頬に古い痣のある男である。
「弥五。……市松」
二人が、立った。
三人とも、立ったきり動かない。
「昨日の暮れ、麓の家の戸を蹴ったのは、そこもとらじゃな」
答えは、返らない。
「返さずともよい。麓の者が、朝のうちに言うてきた。……歯の欠けた頭の御方に言うた、と言うておったわ」
次郎太が、横で目を伏せた。
朝のうちに聞いて、勘助には言わなかったのである。言えば、こうなると知っていたからであった。
「昨日のことじゃ」
と、勘助は言った。
「昨日は、まだ言うておらなんだ。言うておらぬことで斬るのは、筋が通らぬ」
三人の肩が、わずかに下りた。
下りたところへ、続きが来た。
「ゆえに、斬らぬ。……銭を返せ。三日ぶん、みなじゃ」
「――三日ぶん、にござりまするか」
「三日ぶんじゃ。それから、名を消す」
次郎太の顔が、そこで動いた。
勘助は、次郎太を見なかった。
「名を消された者は、この陣に入れぬ。入れぬだけではない。……そこの頭が、次の陣で人を集めるときも、そこもとらの名は呼ばれぬ」
「……お待ちくだされ」
と、痣の男が言った。
「名を消されては、飯が」
「食えぬな」
「手前は、どこへ参ればよろしゅうござる」
「知らぬ」
勘助は、それだけ答えた。
答えて、それきり見なかった。
そのときである。
四百のなかほどで、もう一人、立った。
勘助は、その男を呼んでいない。
「……手前も、おりました」
三十がらみの男であった。頬に痣は無い。顔も、覚えが無い。
「昨日の暮れ、あの戸の前におりました。蹴ってはおりませぬ。……外に立って、見ておりました」
勘助は、答えなかった。
答えられなかったのである。
麓の者が言うてきたのは、三人であった。三人と聞いて、三人ぶんの始末を決めて、ここへ立った。四人目は、算えていない。
篝の薪が、崩れた。
四百が、こちらを見ている。二百の顔が篝で赤く、あとの二百は闇の中から見ていた。
――ここで詰まれば、明日の朝、机の前に誰も並ばぬ。
勘助は、そう思った。
思って、口を開いた。
「――名は」
「留吉と申します」
「留吉。……そこもとは、消さぬ」
「なにゆえに、ござりまする」
「立ったゆえじゃ」
言ってから、勘助は己の言うたことを聞いた。
立てば済む、ということになる。蹴った者は、明日から、蹴ったあとで立てばよい。
言い直すなら、いま言い直すよりない。言い直せば、四百は、一度決めたことが二度目に変わるのを見る。
勘助は、言い直さなかった。
「銭は、返せ。三日ぶんじゃ。……名は、帳に残す。残して、その下へ印を一つ付ける」
「印、にござりまするか」
「そこもとが次に何かしたときに、その印を見て決める。……立って得たものは、それだけじゃ」
男は、坐った。
坐ってから、両の手を膝の上で握っていた。
三人は、しばらく立っていた。
立っていて、やがて一人ずつ坂を下りていった。誰も、その背を見なかった。見た者が二人ばかりいたが、その二人はすぐ目を伏せた。
篝が、一つ爆ぜた。
「――明日からは、斬る」
と、勘助は言った。
「今日は、名で済ませた。明日から先は、名では済まぬ」
四百が、動かない。
動かぬまま、坐っている。
「解け。飯は、あちらへ行けば残っておる」
立ちはじめた者どもは、来たときより静かであった。
*
坂を下りながら、次郎太が言った。
「……きついことを、なさる」
「きつうはない」
「きつうござる。あれらは、三日ぶんの銭で三日ぶん働いた者にござる。旗も担ぎ、斜面も歩きましてござる」
「働いた。働いて、麓の戸を蹴った」
「……」
「そこもとは、四百の頭じゃ。頭が銭を握っておるうちは、四百は頭の言うことを聞く。銭が切れた日から、聞かぬようになる。……聞かせるものを、今日わたしたのじゃ」
次郎太が、こちらを見た。
「――米に、名を書かせるものにござるか」
「そうじゃ」
次郎太は、二足ほど黙って歩いた。
「……四人目は、御存じなかった」
「知らなんだ」
「麓の者は、三人と言うて参ったのでござろう」
「三人と聞いて、三人で足りると思うた」
次郎太が、こちらを見た。
「なれば、あの印は」
「いま作った」
「……作られたのを、四百が見ておりましたぞ」
「見たであろうな」
勘助は、それを認めた。
認めて、しばらく歩いた。
「四人目が立ったのは、こちらの得にはならぬ。あれは、三人が名を消されるのを見て、消されるくらいなら先に立ったほうが安いと踏んだのじゃ。……踏まれたということは、こちらの手を先に読む者が四百の中に出たということよ」
「読めるほうが、都合がよろしゅうござろう。読めれば、言うことを聞きまする」
「読める者は、読んだうえで外れを探す。明日から、留吉のような立ちかたをする者が出る。出れば、そのたびに印が増える。……印の増えた帳を、誰も怖がらぬようになるのは、そう先のことではない」
「なれば、いかがなさる」
「知らぬ」
勘助は、それだけ答えた。
答えてから、杖を突き直した。突いた先が、思うたより深く土へ入った。
次郎太は、しばらく黙って歩いた。
黙ってから、言った。
「……手前の名も、その帳に載っておりまするな」
「載っておる」
「なるほど」
欠けたところから、息が洩れた。
笑ったのである。
笑ってから、言った。
「……もう一つ、伺うてよろしゅうござるか」
「うむ」
「手前ども四人を、松永に召し抱えると仰せられたが」
「申した」
「殿の御下知は、ござるか」
「無い」
次郎太が、足を止めた。
止めたのは一足だけで、すぐまた歩き出した。
「……無いものを、四百の前で仰せられたか」
「申した」
「あとで通らなんだら、いかがなされる」
「そのときは、拙者の扶持から出す」
「……御身の扶持で、四人が食えますか」
「食えぬ」
勘助は、それだけ答えた。
「そのうえ、拙者の扶持は、いま四百の日銭と同じ袋に入っておる。分けておらぬゆえ、幾ら残っておるかも知らぬ」
「……分けておられぬのか」
「分ける暇が無かった」
嘘である。
暇はあった。分けなかったのは、分ければ己の取り分が幾らかを知ってしまうからであった。知ってしまえば、次に何かを買うとき、その額を先に思い出す。
次郎太は、しばらく黙って歩いた。
黙ってから、また息を洩らした。
こんどのは、笑いではなかった。
――判の無い紙が、これで幾枚目になる。
勘助は、数えなかった。
数えないことにしている。数えはじめると、そのうち書けなくなるからであった。
「――封は、明日切る」
と、勘助は言った。
「担ぐ手は、下の三千から出す。己の食う物は、己で担がせる。……そのほうが、道々で減らぬ」
尾根の向こうに、信貴山がある。
あの城には、産み月の女が一人残っている。卯月の初め、十日ほど先である。焼かぬと言うたのも、蔵に手を付けぬと言うたのも、はじめは城を開けさせるための口であった。
口が、いまは縄になっている。
その縄を、明日、己で解く。




