第26話(四)「二上山」
――同じ夜である。
得物は、改められた。
杖を渡せと言われて、渡した。若い者はそれを両手で持ち、目の高さまで上げてから返した。仕込みの有無を確かめる手つきではない。そういう作法だと教わったとおりに動かしているだけの手であった。
人数も訊かれた。十人足らずと答え、その十人足らずを門の外に残すと言うと、若い者はそれで得心した。
灯を近づけられた。
潰れた左の目と、地面を擦る右の足を、若い者はひととおり見た。見て、目を伏せ、伏せてからもう一度見た。
――この躰が、いちばん確かな証文になる。
杖一本で歩く男を、六十人のいる城が恐れる道理がない。恐れられぬということは、通されるということであった。
訊かれなかったことが、一つある。
誰の許しで通すか、である。
あとで分かったことだが、若い者が走っていった先は、渡りの端に座っていた年かさの侍のところであった。城代のところではない。
この城には、通すなと言える者がいるはずであった。
いるのに、そこへは誰も訊きに行かなかった。
内は、暗かった。
曲輪に人がいない。篝が二つ焚いてあるだけで、そのあいだが黒く抜けている。土が踏み固められておらず、踏むと足の下で粉のように崩れた。幾日も、掃いていない。
曲輪の隅に、五、六人が固まっていた。
北を向いている。北は尾根で、尾根の向こうに何があるかは、ここからでは見えない。
見えぬものを、この者どもは日の暮れからずっと見ていた。
武具を積んだ小屋の戸が、開いたままになっていた。
中は、半分ほど空である。
持ち出したのではない。持って出た者がいるのである。
渡りの板が、三枚おきに剥がしてあった。
剥がして、焚いたのである。城の板を焚くのは、いちばん最後にやることであった。それを、この城はもう始めている。
井戸の縄が、新しい。
新しいのは、古いのを誰かが持っていったからであった。縄は、煮れば食える。
「……秀種様が参られたと、広間へお伝えいたしまする。しばし、こちらでお待ちを」
と、若い者が言った。
「図書助様は、広間におられます」
秀種の足が、止まった。
「――叔父上は」
「は」
「叔父上は、いま召し上がっておられるか。……この刻限に、広間においでとは」
若い者は、灯を持ち替えた。
持ち替えただけで、何も言わなかった。
持ち替えるときに、灯が下を向いた。向いた先に、この者の足があった。草鞋の緒が切れて、藁で結び直してある。結び目が古い。
「……広間へ、御案内いたしまする」
風が、渡りを抜けた。
尾根から下りてきた風である。煙の匂いが、そこにも来ていた。
*
広間へ通された。
灯は四つ。
四つとも板の間の隅に寄せてあり、真ん中が暗い。油が悪いのか、灯のあたりだけ魚を焼いたような匂いがした。
人は、その暗いところに座っていた。数えれば六十はいる。座りきれぬ者が縁側と渡りにまで押し出され、そこから首だけを伸ばして中を覗いているので、灯の届かぬところに人の輪郭ばかりが幾重にも重なって見えた。
城の広間にこれだけの者が入るということは、外の曲輪に人がいないということである。
上座に、太った男が座っていた。
具足は着けていない。小袖の上に袖無しを重ねただけで、胡座の膝が左右へひらいている。眉が薄く、長政にも秀種にも似ていなかった。
膝の前に、折敷が出ていた。
椀が二つと、皿が一つ。皿には、魚の骨が残っている。
勘助は、下座の柱際に座った。
杖を横へ置き、それきり動かなかった。
使者は、主の名を出すまで名乗らぬものである。名乗らぬあいだは、座敷にいても人ではない。壁と同じであった。壁でいるあいだは、何を見ても構わぬ。
六十人の中に、食っている者は一人もいなかった。
「――秀種」
と、上座の男が言った。
「息災であったか」
「……は」
「息災であろうな。河内へ行かなんだのじゃから、傷の一つも負うてはおるまい」
秀種は、答えなかった。
男は、椀へ手を伸ばした。
伸ばして、一口啜った。啜る音が、座敷の端まで届いた。飲み終えてから、袖で口を拭き、それから折敷を少し脇へ寄せた。
寄せただけで、下げさせはしなかった。
「長政様が討たれて、三日になる」
「……三日にござる」
「その三日のあいだに、そなたは何をした。信貴山に籠っておったのか、それとも別のことをしておったのか」
声は高くならない。
喉の奥で押さえて出す声である。長く続き、途中で切れず、切れぬまま次の句へ入っていく。聞いている側が、いつ答えてよいか分からなくなる喋りかたであった。
「城を、開けたそうじゃな。麓の者が、そう言うておったわ」
「開け申した」
「焼かずに」
「焼き申さぬ」
「そのうえで、開けた相手のほうへ回ったか。……城と一緒に、己も渡したのじゃな」
図書助は、勘助のほうを見なかった。見ずに、顎で示した。
「――一門を売って、おめおめと、その者どもの先に立って参ったか」
秀種は、答えなかった。
図書助が、今度は正面から勘助を見た。
「……そこな者が、三好の使いか」
「さようにござる」
と、秀種が答えた。
「名は」
秀種が、口を開きかけた。
「――申されるな」
と、勘助が言った。
この座敷で、勘助が出した最初の声である。六十の顔が、いっせいに下座を向いた。
「拙者の名は、この城が誰の物になるかが決まってから、申し上げる。それまでは、名乗るだけの値打ちがござらぬ。……どうぞ、御一門の話を先に」
図書助は、しばらく勘助を見ていた。
見ていて、鼻から息を出した。異形の牢人が一人、下座で杖を横に置いている——それだけのものと見たのである。
秀種は、動かなかった。
「長政様に、なんと言い開きする」
答えは返らない。
図書助は、そこで少し身を乗り出した。
「……あの日、長政様は北へ進まれた」
声が低くなった。
「河内へ出て、崩れかけて、それでも北へ進まれた。なにゆえか、分かるか」
「……」
「山の向こうから、出てくるはずのものを待っておられたのじゃ」
座敷が静かになった。
「使いを出せば二日かかる。出さずとも出てくるはずのものを、あの御方は待たれた。待って、来なんだゆえ、囲まれて討たれた」
図書助は、椀へ手を伸ばしかけて、やめた。
「秀種。そなたが山を下りておれば、長政様は死なれなんだ」
秀種は、答えなかった。
答えなかったが、答えられなんだのではない。
勘助は、柱際から見ていた。
――違う。
正しゅう聞こえるのは、数を言わぬからじゃ。
そして、この座敷の者どもは、その数を知っている。
知っていて、三日、誰も言わなかったのである。
*
勘助は、座敷を見ていた。
六十人が、誰も動かない。
止めもせず、囃しもせず、ただ聞いている。下を向いている者が多かった。中に一人、二人、上座の折敷のほうを見ている者がいる。見て、すぐ目を伏せる。
伏せてから、また見る。
――皆、それを見ておる。
この座敷にいる者どもが何を待っているのか、勘助には分かってきていた。
「秀種。聞いておるか」
「……聞いてござる」
「では、答えよ」
秀種が、顔を上げた。
上げるまでに、長くかかった。
「……申し開きは、いたしませぬ」
と、言った。
「山を下りなんだのは、拙者にござる。それは、動き申さぬ」
「――叔父上」
と、秀種が言った。
「信貴山に、幾人おられたと思し召す」
図書助は、答えなかった。
「三百にござる。城の者と、麓から上がってきた人足を入れて、三百にござった」
図書助が、口を開いて、閉じた。
「この城には、三千」
声は上がらない。
「二上山から高屋までは、半日にござる。三千のうち、千でも下ろしておられれば、長政様は囲まれてはおられぬ」
図書助の口が、開いた。
開いたまま、言葉が出なかった。
勘助は、その数を今朝まで己の目で見ていた。曲輪も、厩も、飯を炊く釜の数も見て、それから山を下りたのである。
「――山を下りるべきであったのは、どちらにござる」
図書助は、答えなかった。
答えぬかわりに、鼻から息を出した。
「――蔵は」
と、秀種が言った。
図書助の口が、開いたまま止まった。
「この城の蔵は、いかがなされました。中身も、鍵も」
「……わしが、預かっておる」
「城の者に、出されましたか。三日のあいだに、一度でも」
「出せば、無くなるわ。蔵は、減れば戻らぬ」
「出さねば、いかがなさる」
秀種は、そこで息を継いだ。
「――出さねば、人が無くなり申す」
座敷の空気が、動いた。
誰かが動いたのではない。縁側に近いところで、一人が膝を立てかけ、立てかけたまま止まったのである。
「三日で、幾人減ってござる」
と、秀種が言った。
答える者はいない。
「昨夜は、幾人にござった。一昨日は幾人にござった。……三日ぶんを、順に言われよ」
「……知らぬわ」
「知らぬはずが、ござりませぬ。この城から出るには、木戸を通らねばなりませぬ」
秀種の声は、まだ低い。
「門を出るには、木戸を通る。木戸の番は、叔父上が置かれた者にござろう」
図書助が、椀を置いた。
置いてから、鼻から息を出した。
笑ったのである。
「――数えて、どうする」
「は」
「減っておるのは、承知しておる。承知したうえで、放してある」
座敷が、静かになった。
それまでも静かであったが、静かの質が変わった。
「米が無いのじゃ」
と、図書助が言った。
「この飢えた年に、二千も三千も抱えて、どこから食わせる。……減ってくれねば、蔵が保たぬ。出ていく者は、出ていけばよい」
言い終えてから、椀へ手を伸ばした。
伸ばして、また一口啜った。
「道理であろう」
誰も、何も言わなかった。
六十人が、下を向いたままである。向いたまま、動かない。
――この者どもは、いま、己が何と言われたかを聞いた。
減ってよい分だ、と言われたのである。
勘助は、坂を上がるあいだに数えていた。
数を数えるのは、この躰に残った癖である。曲輪の篝が二つ。渡りに人が三人。武具を積んだ小屋は半分空で、広間に六十。
三千は、まだこの山にいる。
いるが、曲輪へ一人も出ていない。
――出ておらぬのではない。出るところを、誰にも見られとうないのじゃ。
木戸の番は立っている。立っているだけで、誰も止めない。止める者がおらぬと知れた城では、はじめの十人が下りるまでが長く、そのあとが速い。
まだ、はじめの十人が下りていないだけであった。
それも、今夜のうちであろう。
言った当人は、恥じていない。恥じておらぬから、椀へ手が伸びる。
秀種の膝の上で、指が一度だけ動いた。
「……その道理を、この者どもの前で仰せられまするか」
「聞かせて悪いことを言うたか」
「叔父上は」
と、秀種が言った。
「黙れ」
「叔父上は、河内へ参られましたか。長政様が北へ進まれたあの日に、この城のどこにおられましたか」
図書助の口が、また止まった。
止まって、閉じた。
「……城を空にはできぬ。誰ぞが残らねばならぬ」
「――残られたのは、御自ら願い出てにござるか。それとも、命じられてにござるか」
図書助は、答えなかった。
勘助は、柱に凭れたまま目を細めた。
同じ問いを、一段上げてもう一度置く。昨夜、己が使った手である。秀種は、それを後ろで見ていた。見て、覚えたのであろう。
覚えるのが速い男だとは、思っていなかった。
覚えたものを、この若い一門がどこで使うつもりなのかは、まだ分からない。




