第26話(一)「二上山」
――天文十一年(一五四二年)弥生(三月)十九日の、朝である。
河内の太平寺で、木沢長政が三好方に討たれて中一日になった。昨夜のうちに、大和の信貴山城は焼けずに開いている。
布の裂ける音が、していた。
曲輪の隅である。莚を敷いて十人ばかりが座り、膝の上で布を裂いていた。半分は昨日までこの城の者で、半分は谷から上げた陣借りの衆である。裂き終えたものを脇へ積み、積み上がると別の者が竿へ巻いていく。
埃が立っていた。長く畳まれていた布ほど、裂くと白い粉のようなものが出る。日の当たるところだけ、それが浮いて見えた。
竿は、明け方に山で伐らせた。青いままなので重く、乾いた竿よりよく撓る。伐り口から匂いが立って、それが布の埃と混ざっていた。
「――百と、四十六にござる」
と、次郎太が言った。
「昼までに、あと幾つ出来る」
「布の残りから見て、六十は参ろうかと存じます。それより上は、裂く手が足りませぬ。……十人で、これがせいぜいにござる」
「二百は要る。足りぬな」
「二百でござるか。……なれば、あと五十ぶん、どこぞから布を出していただかねばなりませぬ」
次郎太は、それだけ言って腰を上げた。歯が一本欠けていて、そこから息が洩れるので言葉の尻が掠れる。
勘助は、積んだ布の山を見ていた。
杖は、脇へ挟んである。右の足が利かぬ。潰れた左の目は、日を映さない。九年の牢人暮らしで残ったのは、この躰と、数を数える癖だけであった。
城の広間の幔幕を下ろさせ、渡りの帷も外させてある。それでも足りぬので、城の者の家から麻を買い上げていた。買い上げるといっても、銭は谷の口で四百に渡す日銭から出るのだから、旗が増えれば、その分だけ日が減る。
「……銭で、買われまするか」
と、明け方に、麻を持ってきた男が訊いた。年かさで、手の甲に古い火傷の痕がある男である。
「買う。麻の値は西宮で幾らか知らぬが、そこもとの言い値でよい」
「……取り上げられるもんじゃと、思うておりましたで。城の御方が、家へ来られたときは」
「取り上げれば、二度目が無い。明日も明後日も、この谷から布を出してもらわねばならぬ。今日ひとりで済む話ではないゆえ、銭で買う」
男は、しばらく黙ってから束を下ろした。
下ろしてから、もう一束持って参りましょうか、と言った。
勘助は、要らぬと答えた。要るのだが、この家の分はそれで終いだろうと見たからである。
*
その次郎太が、蔵のほうへ歩いていった。
蔵の戸には縄が回して結んである。結んだ端に、紙が一枚貼ってあった。昨夜、木沢弥六郎秀種がそこへ花押を据えたものである。守っているのは、昨日までこの蔵の物を守っていた者どもであった。
次郎太が、その紙へ手を伸ばした。
「――そこは、開けぬ」
手が、止まった。
「あの中でござれば、布は幾らでもござろうと存ずるが」
「あろうな。城の蔵じゃ、幔幕の替えも旗の布も、ひととおりは入っておろう」
「なれば、なにゆえ開けませぬ」
「その戸の紙は、昨夜こちらが貼らせたものじゃ。貼らせた者が己で剥がしては、貼った意味が無うなる。……いま欲しいのは布ではのうて、あの紙が効いておるという評判のほうよ」
次郎太は、伸ばした手をそのまま下ろした。訊き返さなかった。銭で雇われた者は、雇い主の理由を訊かない。訊いたところで日銭が増えるわけではないからである。
勘助も、理由は言わなかった。
昨夜、この蔵の中身は残らずこちらの物になっている。唐の物も、伊勢の物も、書付も、みなであった。
ただ一つ、米を除いて。
――米は、蔵にある。焼かねば、そのままにござる。
己で、そう言った。産み月の女がこの城にいて、その女が産むのは木沢の血である。焼かずに済ませるために出した口が、いま蔵の戸を閉じていた。
次郎太が戻ってきて、また布を数えはじめた。
数えながら、訊いた。
「――二上山と申すのは、遠うござるか」
「四里じゃ」
「四里」
次郎太は指を二本折り、また伸ばした。日銭を算えたのである。
「なれば、明日の分も出さねばなりませぬ。歩いた日は、歩いた分だけ食いますゆえ」
「食うであろうな」
「食いますとも。手前も若い時分は、一日に七合食いましてござる。いまは、これゆえ」
欠けたところへ舌を当てて、ちと吸うような音をさせた。
「――堅い城か、とは訊かぬのか」
「訊いて、どうなりましょう。堅かろうが柔らかろうが、手前どもは旗を担ぐだけにござろう」
勘助は、竿の一本を取って、先を見た。
堅い。信貴山よりよほど堅く、河内と大和の境を塞いで、畠山の高屋の城を睨んでいる。木沢は去年からその高屋を囲んで、まだ落としていない。囲みを解かずに、この春、二上山から河内へ出たのである。
出るときに、三千を置いていった。
置いていったのは、人だけである。
城が空けば、大和が動く。国人どもは木沢に降っていたのではない。刃を交えずにおるだけの相手であった。本の城から人が消えたと知れれば、その日のうちに顔が変わる。帰る道の途中で背を突かれる。
――置いて、正しい。
置いて正しかった。ただ一つ、置いた者が帰ってこなかっただけである。
残された者は、残された意味を失う。備えは、備える相手が消えれば、ただの人の群れになる。
「……その三千は、いかがなりましょう」
「放っておけば、散る」
「散れば、こちらの手間が省けまするな」
「散った者は、二度と集まらぬ」
勘助は、そう答えた。
集めたければ、散る前に一度、一つところで数を見せねばならなかった。
*
勘助は、地面に杖の先で描いた。
三つ、描いた。
一つ目は、菱を三つ重ねた形である。二つ目は、線を二本、横に引いただけのものであった。三つ目は、輪の中に何かを入れた形で、その場で考えたものである。どこの家の紋でもない。
周りに、布を持った者が集まってきた。
「これを、写しなされ。竿の先から三尺のところへ、まっすぐに置くのじゃ。歪んでも構わぬが、傾けてはならぬ」
「……墨は、いかがいたしましょう。城の墨は、昨夜みな箱へ詰めて運び出されましてござります」
「竈の煤でよい。焼いた柴の炭でも構わぬ。……遠くから見えればよいのじゃ。近くで見られるころには、話が済んでおる」
城の者の一人が、二つ目を指した。
「これは」
「管領様の御紋じゃ」
指した手が、止まった。
脇にいた陣借りの一人が、短く鼻を鳴らした。
「……二本、引くだけにござりまするか」
「二本じゃ。……この国でいちばん重い紋が、いちばん描きやすうできておる」
「――なれば、公方様の御紋も、これで描けまするな」
「描くな」
「なにゆえにござる」
「二つ引きなら、間違えたと言えば済む。……公方様は、済まぬ」
誰かが、笑いかけて咳にした。
「この輪の中に何やら入っておるのは、どこの家の紋にござる。……拙者は、見た覚えがござらぬ」
「どこの家でもない。いま、そこで考えた」
その者は、意味が分からぬという顔をした。
分からぬまま、写しはじめた。
次郎太が、後ろから覗いていた。
「……三好の御紋だけでは、いけませぬか」
「三好の旗だけを立てれば、向こうは三好の数しか算えぬ。……旗は、人がのうても立つ」
次郎太の目が、二つ目の紋へ移った。
それから、三つ目へ移り、しばらくそこで止まった。
止まってから、こちらを見た。
「――旗だけ、にござるか」
「旗だけじゃ」
「……人は、足りませぬぞ」
「そこもとは、いま幾つ数えた」
「……二百と、幾つかに」
「向こうも、そう数える」
次郎太が、口を開けたまま勘助を見た。
開けたまま、しばらく閉じなかった。
欠けたところから、息が洩れている。
昼までに、旗は二百と幾つになった。
並べて立ててみると、菱も、線も、輪も、同じ形のものが一つも無い。煤で描いた者と炭で描いた者では黒さが違い、布の白さも家ごとに違う。近くで見れば、揃っていないことがすぐに知れる。
「……近づかれたら、知れまするぞ」
と、次郎太が言った。
「近づかせぬ。麓より上へは、誰も入れぬ」
「されど、四百で三千の門は囲めませぬぞ」
「囲まぬ」
囲めば、端から端まで数えられる。数えられて困るのは、こちらのほうであった。
「……向こうにも、数える者はおりましょう」
「おろうな」
勘助は、それだけ答えた。
数える癖のある者ほど、この手にかかる。数え終えるまでやめられぬからである。
■用語解説
・二上山…大和と河内の境に立つ、二つの峰の並んだ山。麓を竹内の道が越え、大和から河内へ抜ける喉もとにあたる。木沢長政はこの喉もとを押さえるため、天文のはじめに山上へ新しく城を構えた。




