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第25話(三)「信貴山、暮れて」

 日が、落ちた。


 二の曲輪の西の空だけがまだ赤く、その赤いところへ、荷を担いだ者の影が一つずつ入っては出ていく。柴の山は黒い塊になり、油の匂いだけが、暗くなってからのほうが強くなった。


 勘助は、次郎太を呼んだ。


 「十八を、木戸のところへ戻せ」


 「……戻す、と」


 「座らせよ。荷を解いて、地べたに座らせる。刃を抜いた者があれば、その者から拙者が死ぬ」


 「――我らは、何をしに上がり申した」


 「拙者を、ここまで上げに来た」


 次郎太が、その顔を見た。


 「……お一人で、行かれるか」


 「一人でなければ、話にならぬ」


 次郎太は、それきり訊かずに下がっていった。


 勘助は、館のほうへ歩き出した。


 二の曲輪から庭へ下り、そこからまた段を上がる。段は五つあり、上がりきるのに人の三倍かかった。


 途中で、三人とすれ違った。俵を背負った者、長持の端を持った者、空の背負子を担いだ者である。


 二人は、通り過ぎた。


 荷が重い。重い荷を担いだ者は、目に入ったものを頭が拾わぬ。


 三人目が、背負子を下ろした。


 下ろしたとき、懐から何かが落ちた。暗くて、何かは分からなかった。


 「――誰じゃ」


 声が、裏返っていた。


 下ろしざま、蔵の前の柴の束から一本抜いた。生木である。刃物ではない。腰に刃物があったなら、そちらを抜いていたであろう。


 「誰じゃと訊いておる」


 若い。二十歳には、なっていまい。


 「山本勘助と申す」


 「そんな名は、知らぬ」


 「知らぬはずにござる」


 搦手で松明を持っていた者である。名も訊かずに通したのは、この男であった。


 足音が、寄ってきた。


 荷を担いだまま、四人、五人と集まってくる。集まってから、誰も何も言わない。言わずに、輪だけが縮んだ。


 勘助は、杖を放した。


 土の上である。落ちた音が、ほとんどしなかった。


 両手を垂らしたまま突っ立つ。片足では、それだけで前へ傾く。


 傾いている者を、人は殴りにくい。


 「――うぬ」


 棒が、来た。


 肩。土。膝から先に落ちた。


 声が、いくつも重なった。


 「斬れ」


 「待て、待て」


 「誰ぞ、呼んで来い」


 二度目は、来なかった。


 当てるつもりで振った者の当たりかたではない。骨まで届いておらぬ。振り下ろす途中で腕の迷った者の、その迷ったぶんだけ浅い。


 「――与市が、戻らぬ」


 と、その若い者が言った。


 「戻らぬのに、なにゆえ、おまえが立っておる」


 答えは、持っていなかった。


 九年、こういうことを言う側にいた。


 「――やめよ」


 輪の外から、声がした。


 誰も動かない。動かぬので、もう一度言った。


 「やめよと申しておる。……荷を担げ。日が落ちる」


 輪が、崩れた。


 崩れぎわに、若い者が棒を柴の山へ投げ戻した。投げ戻してから、しばらくその場を動かなかった。


 勘助は、杖を拾った。


 拾うのに、片手を土について、一度膝を立てねばならなかった。誰も、手を貸さなかった。


 残ったのは、髪の半分が白い男である。


 「……何者じゃ」


 「山本勘助と申す」


 「いずこから、入られた」


 「水の道から。搦手の木戸を、開けていただいた」


 男の顔が、動かなかった。


 動かぬのが、動いた証拠である。


 「……開けさせた者は」


 「平群の孫六にござる」


 「――孫六か」


 声が、そこで低くなった。


 低くなったのが、いちばん危なかった。


 「……日の暮れ前に、油が三つ上がったと聞いた」


 「上げ申した」


 「あれか」


 「あれにござる」


 弥三右衛門は、そこで何も言わなかった。


 言わずに、館のほうへ顎をやった。


 「幾人」


 「二十にござる。うち十八を、木戸のところに座らせ申した。荷は解かせてござる。刃は帯びたままにござるが、抜けば、拙者が先に死に申す」


 「……なにゆえ、それを申される」


 「調べれば分かることを、先に申すのがいちばん安うござる」


 男は、しばらく黙っていた。


 「弥三右衛門と申す」


 「宿老の」


 「さよう」


 勘助は、頭を下げた。


 「――斬れば、済むと思われるか」


 「……」


 「済み申す。拙者の首は一つ、木戸に座っておるのは十八にござる。二百がかりなら、四半刻もかかりますまい」


 「なれば、なにゆえ来た」


 「斬っても、今夜は焼けぬゆえにござる」


 「……」


 「柴に、露が置き申した」


 日が落ちて、一刻になる。


 弥三右衛門は、動かなかった。


 動かずに、そのまま蔵の前まで歩いていった。


 柴の山へ、手を当てる。


 当てたまま、しばらく動かない。


 それから、その手を鼻のところへ持っていった。


 嗅いでから、袴で拭いた。


 一度拭いて、もう一度拭いた。


    *


 広間の灯は、油皿が一つであった。


 焼く支度の城であるから灯台も屏風もとうに麓へ下ろしてしまい、畳は上げられて板の上にむしろが二枚敷いてあるきりである。柱の脇に、油の樽が一つだけ運び込んであった。館ごと焼くつもりなのである。


 留守居は、その樽の脇に座っていた。


 「――木沢秀種と、申す」


 討たれた木沢長政の、従弟にあたるという。


 声が、低い。低いというより、大きく出す気のない声であった。


 「山本勘助にござる」


 「……いずこの」


 「三好の、松永久秀が家中の者にござる」


 「三好」


 秀種の目が、そこで動いた。


 松永の名は届いていない。届く道理もなかった。三好は、届いている。昨日、河内でこの家の主を討った側の名である。


 「――軍勢は」


 「谷の口に、四百」


 「上げられたのは」


 「二十にござる」


 秀種は、しばらくその数を見ていた。二十では、この城の門は破れぬ。四百でも破れぬ。破りに来た者の言う数ではなかった。


 「……谷の口、と申されたな」


 「さよう」


 「攻めに来た者は、谷の口には並び申さぬ。門の下へ参る」


 「並んでおり申す。道いっぱいに」


 「……道を、塞いでおられるか」


 と、弥三右衛門が言った。


 「塞いではおり申さぬ。座らせてあるだけにござる」


 「同じことにござろう」


 同じことである。


 この城の者は、今日じゅうに山を下りて在所へ散る手筈であった。散る道は、谷の口を通るよりほかにない。野を片づける手が回るのは明日からで、今日のうちなら通れる――そう算えて、朝から荷を下ろしてきたのである。


 その道の上に、四百が座っている。


 「……あの者どもは、幾日座り申す」


 「銭の続くかぎり」


 「銭が尽きれば」


 「働き申す」


 弥三右衛門の目が、動いた。


 働く、というのが何を指すかは、この老臣も知っている。麓の家の戸を蹴り、蔵を割り、人を攫う。銭で来た者どもが、銭の切れたあとにやることである。


 「動くなと言うてあるのは、こちらの銭で買うた静けさにござる」


 勘助は、そう答えた。


 「買えるうちは、静かにござる」


 弥三右衛門は、それきり訊かなかった。


 「……樽を、三つ上げられたそうな」


 庭で聞いたことを、この老臣が道々に申し上げたのであろう。


 「上げ申した」


 「中は」


 「水にござる」


 秀種の指が、樽の縁の途中で止まった。


 弥三右衛門の顔が、そこで動いた。


 弥三右衛門のほうが、先に算えたのである。油は十ではない。七つである。露の置いた生木に、七つ。


 「……なにゆえ、それを明かされる」


 「日の落ちてから栓を抜けば、いずれ分かり申す。……分かるのは、抜いたあとにござる」


 弥三右衛門は、答えなかった。


 答えずに、膝で寄って、油皿の芯を掻き上げた。


 掻き上げる要のない芯であった。


 右の肩が、上げると痛む。棒の当たったところである。


 「――焼けと、誰が申された」


 秀種の指が、また止まった。


 止まったまま、答えない。


 油皿の火が、一度だけ細くなった。芯が下がったのである。弥三右衛門が膝で寄って、竹の先で芯を掻き上げた。


 「……誰も、申されておらぬ」


 と、秀種が言った。


 「殿は、河内で討たれ申した。何も、申されずに」


 この男には、己で決めたことが、ない。焼くと決めたのも、そう決まっているからであった。


 「なれば、なにゆえ焼かれる」


 「焼かねば、二上山が門を開け申さぬ」


 「――二上山から、使いは参り申したか」


 秀種が、顔を上げた。


 「……参っており申さぬ」


 「なれば、どなたが、開けぬと申された」


 「……」


 「……知り申さぬ」


 と、秀種が言った。


 「一門のことは、拙者の知るところではござらぬ。城のことだけ、預かって……」


 「殿」


 と、弥三右衛門が言った。


 言うたきり、あとを継がなかった。継ぐ気で口を開いて、やめたのである。


 油皿の芯が、また下がった。


 「……河内へは、参っておりませぬ」


 秀種の声が、そこで低くなった。


 「留守を、願い出申した。拙者から、願い出た。……奥が、月が近うござったゆえ」


 「……」


 「許された。殿は、笑うて、許された」


 膝の上で、手が組まれた。


 「行った者は、皆」


 そこで、切れた。


 切れたまま、あとが出てこなかった。


 残りは、勘助が算えた。


 行った者は、皆討たれた。願い出た者だけが、生きている。


 「……二上山の門を開けるのは、焼いた者にござる」


 顔を上げずに、秀種が言うた。


 「戦にも出ず、焼きもせなんだ者に、開く門はござらぬ」


 「焼けば、開き申すか」


 「……開き申す」


 「焼いて参れば、迎え入れられ申す。木沢の名で、扶持も出る。……一門の衆は、皆それで拾われており申す」


 「幾ら、出まする」


 「……存じませぬ」


 「焼かずに参られたら」


 「門は、開き申さぬ。売った者と見なされまする。……売った者を入れれば、次はその門も売られると思われますゆえ」


 これも、誰かが言うたのを聞いた話である。


 秀種は、そこで一度、口を閉じた。


 閉じてから、開いた。


 「生まれる子が、木沢を名乗れませぬ」


 低い声である。低いが、この男がはじめて、己の息で言うた。


 勘助は、そこではじめて、その顔を正面から見た。


 恐れているのは、こちらではないのである。


 「……柴が、濡れてござる」


 と、弥三右衛門が言った。


 庭で手を当ててから、ここまで一言も言わずにいたのである。


 秀種の顔が、上がった。


 「置いたか」


 「置いており申す。上のほうは、絞れば垂れるほどに」


 「……油は」


 「十と、数えており申した」


 弥三右衛門は、そこで言葉を切った。


 「……七つにござる」


 言わずに済んだ言葉である。


 柴へ手を当てたのは、弥三右衛門ひとりであった。乾いておる、と言えばそれで通った。通せば主は決めずに済み、栓は抜かれ、火は点いた。


 「――明日の、日の落ちてからにいたす」


 と、秀種が言った。


 言うたが、誰も動かなかった。


 「明日は、露が置き申さぬか」


 と、弥三右衛門が言った。


 「……分からぬ」


 答えたのは、秀種のほうであった。


 「置き申す」


 と、勘助が言った。


 「この時分は、毎晩にござる。夜のうちに置いて、日の高うなるまで乾き申さぬ」


 「……なれば、日の高うなってから焼く」


 「焼けまする」


 勘助は、否まなかった。


 「昼に焼けば、河内からも奈良からも見え申す。この城は、高うござるゆえ。……煙の立つところへは、人が来る。来た者が見るのは、まだ蔵の空いておらぬ城にござる」


 秀種は、答えなかった。


 弥三右衛門が、そこで一つ息を入れた。


 「――待つと決めたのは、どなたにござる」


 主に、そう訊いたのである。


 「――弥三右衛門」


 声が、大きく出た。


 出たところで、続きが無かった。


 「……いや」


 「……」


 「よい。……訊いてくれるな」


 秀種の指が、樽の縁へ戻った。


 戻ったが、なぞらなかった。


 手順が、切れたのである。


 日の落ちてから抜くという段取りのあるあいだ、秀種は何も決めずにいられた。露が置けば、その段取りは無い。無くなったところに残るのは、決めるという仕事だけであった。


 勘助は、その手を見ていた。


 「……お尋ね申す」


 「うむ」


 「上がってくるとき、板場の前を通り申した」


 秀種が、こちらを見た。


 「竈が、二つに割れており申す。大きいほうは、今朝二百人ぶんを炊いたあとにござった。下男が、地べたに釜を置いて底の焦げを擦っておった」


 「……」


 「小さいほうには、小鍋が掛かってござる。中を、見申した。……粥にござった。菜も、味噌も、干し魚も入っておらぬ。白湯に米を落としただけのものにござる」


 「……」


 「同じ日に、同じ屋根の下で、二百人ぶんの飯を炊き、その脇で白湯の粥を炊く」


 秀種の目が、油皿のほうへ逃げた。


 「そのうえ、灰まで別に掻き出してござる。――別火べっかにござろう」


 (――知っておられる)


 己の奥の話をされているのが分かっていて、この男はまだ手を動かさぬ。動かせば、当たったことになるからである。


 「喪の別火なら、城じゅうで火を落とし申す。外から貰うか、さもなくば断つ。板場の一つだけを分けるということは、ござらぬ。……そのうえ、御先代の御遺骸は河内にござる。この城の誰も、触れておられぬ」


 弥三右衛門が、こちらを見た。


 この老臣は、勘助が何を言おうとしているかに先に気づいたのである。


 「――産の、別火にござるな」


 秀種は、はじめて樽から手を離した。


 「いつにござる」


 しばらく、答えが無かった。


 「……卯月の、初めと」


 「十日あまり」


 勘助は、そこで指を折った。


 「二上山まで、平の道なら四里。輿も通り申す」


 南である。この城からは、尾根が邪魔で見えぬ。晴れた日に一つ下の曲輪へ下りれば、二つ並んだ峰の頭だけが見える。


 「……」


 「その道は、王寺を抜け、葛下かつげの里を通り申す。……いま、その道を木沢の名で通れまするか」


 秀種は、膝の上へ目を落とした。


 「通れませぬな。なれば、山道にござる。谷を三つ越え、輿は通り申さぬ。担ぐなら、四人では足らぬ。八人。八人を出せば、その分の荷が残り申す」


 「……八人、出す」


 と、秀種が言った。


 はじめて、こちらの言を継いだのである。


 「荷は捨て申す。米も、鍋も置いてゆく。八人で担げば、輿は通らずとも越え申す」


 言うてから、もう一つ言いかけて、口を閉じた。


 閉じたまま、蔵のほうへ目をやった。


 勘助は、それが何かを訊かなかった。


 「越えられまする」


 勘助は、否まなかった。


 「越えて、二上山の門を叩かれる。門は開き申そう。城を焼いた者ゆえ。……開いた先に、産屋を立てるのはどなたにござる」


 「……」


 「一門の衆が、幾家も入り申す。入った順に、部屋が埋まる。あとから参られた御方の奥が、どこで産まれるか」


 秀種の喉が、動いた。


 「米は、どこから出まする。取り上げる女は、二上山におりまするか」


 秀種は、答えなかった。


 「――もう一度、同じことをなされよ」


 顔が、上がった。


 「……なんと」


 「河内へ行かず、留守を願い出られた。……もう一度、同じことをなされよ」


 「……」


 「一度目で家を失うたのなら、二度目に失うものは、ござらぬ」


 秀種の膝の上で、手が組まれた。


 組んで、そのまま動かない。


 「――卑怯な」


 と、言った。


 「さよう」


 勘助は、否まなかった。


 「卑怯にござる。……されど、嘘は一つも申しておらぬ」


 油皿の火が、また細くなった。今度は、誰も掻き上げなかった。


 「城が残れば、部屋が残り申す」


 勘助は、そこから先を急がずに言った。一つずつ置くように言った。


 「産の火も、いまの竈のままでよろしい。取り上げる女は、麓の谷におり申す。冬に歩いたとき、二人おると聞いてござる。米は、蔵にある。焼かねば、そのままにござる」


 「……」


 「焼けば、その全部が無うなり申す。無うなったものを担いで、その山道にござる」


 誰も、何も言わなかった。


 「――産まれるのは、木沢の血にござろう」


 秀種の肩が、動いた。


 しばらく、答えが無かった。


 「……残らぬ」


 と、秀種が言った。


 「焼いても、残り申さぬ」


 言うてから、己の言うたことに驚いたような顔をした。

■用語解説

別火べっか…忌みや穢れに触れぬよう、日常の火とは別に火を立て、そちらで煮炊きすること。産のときは竈も鍋も灰も分け、同じ屋根の下でも混ぜない。喪のほうは家の内で分けるのではなく、外の火との行き来を断つ。

産屋うぶや…子を産むために、母屋とは別に建てる小屋。産の穢れを家へ入れぬためのもので、産の前から入り、産のあと日を数えて出た。小屋を建てられぬ家では、部屋を一つ仕切って代わりとした。

扶持ふち…家中の者を養うために主から出す米や銭。土地を与える代わりに、頭数と日数で計って渡すもので、土地を持たぬ家来はこれで暮らした。行き場を失った一門の者を引き取るときも、まずこれが出る。


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