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第24話(二)「一庫、落つ」

 ――弥生(三月)十八日の、夜明けである。


 東の空が薄く、木戸の内の物の形が、一つずつ見えてきた。


 夜のあいだ嗅がずに済んだものが、明るくなるにつれて匂いはじめる。血と、糞と、焼けていない硝の匂いである。


 戸板は、置かれたままであった。


 松永長頼は、その前へ立った。


 左の肩が、上がらない。夜のうちに骨まで来たものが、明るくなって重さを増している。


 顔を、はじめて見る。


 去年の秋、四十七日囲んだ。囲んだあいだ、この城の主の顔を見たことがない。二の木戸の下まで、声だけが降りてきたことがあった。あのとき何を怒鳴っていたかは、風で切れて分からなかった。


 白髪の混じった、日に灼けた顔である。


 眉の間に、深い皺が二本。


 目は、開いていた。


 この男は、聞いていた。


 木戸の内へ担ぎ込まれるあいだ、担ぎ手の息も、木戸の閂の外れる音も、名を呼びながら寄ってくる己の家の者の声も、全部聞いていた。聞いて、一声も出さなかった。


 「――刻限を」


 小者を呼んで、そう言った。


 明るくなるまで待った。夜のうちに済ませてもよかったのである。首は要る。恩賞の証となるものであるから、暗いうちに獲れば、それだけ早く越水へ出せた。


 待った。


 東の空が白みきったところで、片をつけさせた。


 己では、手を下していない。


    *


 城中の者を、麓の館へ下ろした。


 山の上は水も薪も限りがある。下ろすのは、そのほうが早いからであった。


 庭に、子が一人立っていた。


 十ばかりであろう。母らしい女が後ろから肩を掴んでいるのを、振り払いもせずに立っている。


 書役が、帳を抱えて長頼の脇へ来た。


 「この子の名は、人別へ書きまするか」


 長頼は、答えなかった。


 答えずに、庭のほうへ顎をやった。


 「連れて行け」


 庭には、誰もいなくなった。


 夕方に見ると、隅の土が新しく返してあった。


    *


 翌る朝、館の広間に帳を出させた。


 「城中の者、幾人」


 「女と子を入れて、百と三十ばかりにござる」


 「ばかり、では困る」


 書役は詫びて、数え直しに行った。


 その間に、家の者の頭が来た。


 右目の下に古い傷のある男で、去年もこの谷にいた。四十七日囲んで、一月半、飯を食って、何も持たずに帰った側の一人である。


 「長頼様」


 「うむ」


 「城中の者を、いかがなされます」


 長頼は、帳の紙を繰っていた。


 「一月半、でござった」


 頭は、そう言った。


 去年の話である。


 その一月半で、この男が持って帰ったものは、何も無い。


 「去年は、波多野の衆が曳いて帰ると申されました」


 「うむ」


 「三好長慶様が、それをお断りになった。人は取らぬ、と」


 「聞いた」


 「そのかわりに、帰りの兵糧をお出しくださった。銭でにござる」


 頭は、それを見ていた。長頼も、同じ陣で見ていた。


 「あれは、長慶様のお銭にござる」


 「うむ」


 「今度は、うちだけにござる」


 声は荒くない。荒くないぶん、退く気がなかった。


 書役が戻ってきた。


 「百三十二にござります」


 長頼は、うなずいた。


 「書け」


 「は」


 「一人ずつじゃ。名と、在所と、齢。一族と、家中と、分けよ」


 書役が、筆を止めた。


 「……分けて、いかがなされまする」


 「一族の女子供は、寺へ遣る。髪を下ろさせよ」


 「男子は」


 「昨日、済んだ」


 書役は、それきり訊かなかった。


 髪を下ろせば、家は絶える。絶えるが、殺してはいない。殺せば恨みが残り、生かして置けば旗になる。剃らせれば、そのどちらでもなくなった。


 「家中の者は」


 「谷から出せ」


 「……荷は」


 「持てるだけ持たせよ」


 庭に並ばされた者どもが、一人ずつ前へ出る。名を訊かれ、在所を訊かれ、齢を訊かれる。答えぬ女があった。書役は名の欄を空けたまま、在所と齢だけ書いて先へ進めた。


 「名は、あとでよい」


 あとで訊きに来る気は、たぶんない。


 列の半ばで、筆が止まった。


 女が一人、子の手を引いて立っている。


 書役の指が、帳の欄を押さえた。一族の側である。


 子は、小袖を着ていた。裾の丈が合っていない。誰かの物である。


 髪は、垂らしてあった。


 「名は」


 「……およしと、申します」


 答えたのは、女のほうであった。


 「齢は」


 「十二に」


 書役が、筆を下ろしかけた。


 下ろしかけて、長頼を見た。


 長頼は、帳を見ている。見たまま、言った。


 「己で申せ」


 子は、答えない。


 女の手が、子の手を握り直した。


 庭の者どもが、こちらを見ていない。見ないようにしているのが、見ていると同じであった。


 「……申せ」


 「……およし」


 子の声である。


 子の声であったが、女子おなごの声ではなかった。


 書役が、筆を置いた。


 女が、膝をついた。


 「この子は、女子にござります」


 「うむ」


 「女子に、ござります」


 「うむ」


 二度、うなずいた。


 うなずいて、それから顎で示した。


 「連れて行け」


 女は、叫ばなかった。


 叫ばずに、子の手を離さなかった。離さぬ手を、家の者が二人がかりで開いた。


 開くのに、しばらくかかった。


 庭の隅の土は、昨日返したばかりである。


 同じところを、もう一度掘ることになる。


 ――一つ、数え落としていた。


 長頼が気にしたのは、そこだけであった。


 列は、また動きはじめた。


 長頼は、その筆の動きを見ていた。


 頭は、脇に立ったままである。


 「谷から出したあとは、いかがなされます」


 「知らぬ」


 「……野に出れば、拾う者がござる」


 「拾えばよい」


 「うちが、拾いましても」


 長頼は、帳から目を上げなかった。


 「うちは、拾わぬ」


 「なにゆえにござる」


 「百十三を売れば、幾らになる」


 頭は、言わなかった。


 「売る手間を、日で言え」


 「……七日か、十日か」


 「十日、この谷にいるか」


 頭は、黙った。


 黙って、それから一度だけ頭を下げて退がっていった。


 ――谷を出れば、帳には載らぬ。


 載らぬものを、長頼は数えない。


 蔵は、開けさせた。


 開けると、埃と鼠の匂いがした。俵は積んであるが、去年の年貢を麓から取り上げたものである。籠っていた者どもには、一粒も回っていなかった。


 「炊け」


 長頼は、そう言った。


 「うちの荷から出せ」


 日の高くなるころ、館の庭で粥が炊かれた。囲んだ側の米で炊いて、囲まれた側へ出す。


 ――歩かせるためである。


 飢えた者は、谷の途中で座る。座られては、片づかぬ。


 粥の匂いが庭に立つと、並びの前のほうから、鼻をすする音がした。


 昨日まで、この者どもは山の上で粥も食えずにいる。匂いだけが先に腹へ届いたのである。


 子を先に食わせた。並びの後ろの老いた女が椀を受け取るとき、両手が震えて汁をこぼした。


 こぼした分は、誰も足さなかった。


    *


 三日目の夕である。


 詰の城の櫓へ上がった。


 谷を隔てて、向かいに山がある。城は無い。木の生えかたを見るかぎり、人の手が入ったこともなさそうであった。


 去年は、この櫓に上がっていない。


 谷を隔てた尾根から、この山を見ただけである。


 その尾根で、脇に杖を突いた男がいた。


 ――なぜ、あちらに城を置かぬ。


 そう言った。


 取ればよいか、と長頼は返した。取っても、囲みが延びるだけにござる、と男は答えた。それきり、その話は終わった。


 道の者を呼んだ。


 「あの山は」


 「……獅子山ししやまと、申すそうにござります」


 長頼は、それきり見なかった。


 櫓を下りる。


 下りながら、帳のことを考えていた。城中の者、百三十二。寺へ遣るのが十八。谷から出すのが百十三。


 足して、一つ足りない。


 足りない一つは、庭の隅にある。


 麓の四百には、指一本触れていない。


 城の者しか、裁いていなかった。


    *


 谷から出す者の列は、四日目の朝に動いた。


 木戸のところで、それを見ていた。


 谷の口の先、道が林へ入るあたりに、人が立っている。


 二人か、三人。


 荷を持っていない。どこの者とも見えなかった。


 「あれは」


 「……存じませぬ」


 「よい」


 列の後ろのほうに、老いた足軽がいる。


 あの夜、木戸を開けた男であった。


 旗を見て開けた。松明の数を数えかけて、途中でやめた。やめさせたのは、河内、という一言である。


 ――倅がおると申した。


 三郎、と言った。旗を持つ役を、いただいておりました、と。


 あの夜、谷の口に旗が一本あった。


 その旗を、長頼は立てて木戸を通った。


 長頼は、書役を呼んだ。


 「あの夜、谷の口で討った者の名を出せ」


 「……名は、控えておりませぬ」


 「二十二と、数えたはずじゃ」


 「首は、数えましてござる」


 名は、数えていない。


 ――要らぬからである。


 老いた足軽が、木戸をくぐって出ていく。


 長頼は、そちらを見なかった。


 見ずに、書役へ言った。


 「越水へ、出せ」


 帳は、その日のうちに発った。


 七日、待った。


 返事は、来ない。


 ――二度は、申さぬ。


 兄は、そう言った。


 言ったとおりであった。


 城は、落ちている。


 落ちた城を、誰のものにするかは、この帳には書いていなかった。


■用語解説

城請取しろうけとり…落ちた城、あるいは明け渡された城を、勝った側が正式に受け取ること。まず蔵と武具を検め、次に城中の者を数え、最後に城の鍵と縄張の絵図を受ける。検めの済んだものから順に、勝った側の裁量に移った。

落飾らくしょく…髪を下ろして僧や尼になること。落城のあと、敵方の一族の女子供をこうすることが多かった。俗世の縁が切れる建前ゆえ、家を継ぐ者にも、家を再び起こす旗にもならぬ。殺せば恨みが残り、そのまま置けば旗になる。剃らせれば、そのどちらでもなくなった。

人別にんべつ…人を一人ずつ、名・在所・齢で数え上げて帳に付けること。またその帳。年貢や役を課すためのものであるが、落城のあとの処置でも、まずこれを作ってから誰をどうするかを決めた。数えねば、分けられぬからである。


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