第22話(一)「春の支度」
――天文十年(一五四一年)師走(十二月)の初めである。
京から紙が来なくなって、ひと月になる。
紙、というのは下知の紙である。
人と人の争いごとを裁いて、判を押した紙が、京から下りてくる。判を押すのは公方様であり、管領様であった。紙が一枚下りれば、鍬を持って睨み合っていた村が、その日のうちに散る。
その、判を押す人が、京にいなくなった。
公方様――将軍・足利義晴様は、霜月の初めに京をお出になり、近江の坂本へ移られた。管領様――細川晴元様は、北岩倉から軍勢を出しておられる。木沢を討つためである。
近江からは、殿へ兵を出せと文が来ていた。殿――三好長慶様は、管領様の下におられる。こちらは、その殿の祐筆である。文を書き、判をもらい、銭を数えるのが役目であった。
その返事を、遅らせている。
遅らせましょうと申し上げたのは、こちらであった。
――待つあいだに、何が起きるかを知らねばならぬ。
知らずに待てば、待っているのではない。ただ止まっているだけになる。
帳場へ、三人を呼んだ。
柳田甚内、明智光秀、山本勘助。
三人とも、銭で買った男である。
「知らねばならぬのは、三つじゃ」
三人は、黙って聞いていた。
「一つ。河内の家宰が、どちらへ付くか」
甚内が、膝を進めた。
伊賀の出で、人を使って人の家の内を見る。三人のうち、いちばん古くからいる。
木沢長政は、もと畠山の家来である。管領様に取り立てられ、河内と大和と山城の南を押さえて、幕府の内でも指折りの力を持つに至った。その男が、去年、管領様と切れた。
切れた者は、討たれる。
河内は、畠山という家が守護をつとめる国である。その畠山に、当主がいま二人いた。高屋の城に一人、紀伊に一人。七年前に高屋を追われたほうが紀伊におり、追ったほうが家宰である。
家宰とは、主に代わって家と国の実務を回す筆頭の家臣をいう。畠山では、家宰が守護代を兼ねる。名を、遊佐長教という。
その遊佐が、いま木沢と河内を分けて治めていた。
二人で分けているのだから、片方が消えれば、残るのは一人になる。
――どちらへ付くかで、春が変わる。
遊佐が木沢に付いていれば、管領様の兵は河内へ入れぬ。遊佐が離れれば、木沢は背中を空けたまま戦うことになる。
「手の者を、河内へ入れよ。銭は、十五貫まで遣うてよい」
「二つ。木沢に付いた国人どもが、いつまで付いておるか」
光秀の目が、動いた。
美濃から来た二十五の男で、算用と紙の始末をする。今年の如月に買った。
国人とは、その土地に根を張って田と人を持っている侍のことである。小さな城を構え、頼まれれば兵を出す。誰かの家来のようでいて、誰の家来でもない。木沢の三千という兵は、そういう者どもを寄せ集めた数であった。
寄っている者は、離れるときも黙って離れる。
「兵は数えるな。文を数えよ」
「……文を」
「歳暮の使いじゃ。去年、幾家から出たか。今年、幾家から出たか。遅れておる家は、どれか」
歳暮の使いを出すのは、来年もこの御方に付いております、という挨拶である。出さぬのは、まだ決めかねております、ということであった。
「三つ。木沢の兵糧が、いつまで保つか」
勘助が、杖を膝の脇へ寝かせた。
片目が潰れ、片足を引いている。九年の牢人暮らしの果てに、去年の師走に買うた。城と戦を見る目は、畿内に並ぶ者がない。
「大和へ入って、荷駄の道筋を割れ。信貴山と、二上と、飯盛じゃ」
いずれも木沢の城である。大和と河内の境に、南北へ三つ並んでいる。
「蔵を覗くには及ばぬ。入る荷を数えればよい」
人の数に日数を掛ければ、要る米の量が出る。ならば逆に、運び込まれる荷を数えれば、その軍勢が幾日戦えるかが読める。
「……承って候」
三人とも、なにゆえ、とは訊かなかった。
訊けば答えねばならず、答えれば、こちらの持っているものが知れる。
――木沢が消えれば、殿の上から一つ消える。
それだけは、はっきりしていた。
いま兵を出せば、木沢を討ったのは三好だということになる。手柄はよい。だが、討った者は、討たれた者の跡を欲しがる者どもと向き合わねばならぬ。木沢が消えたあとの河内に、誰が立つかは、まだ決まっていない。
――この冬は、耳で取る。
紙は来ぬ。兵は出さぬ。出さぬかわりに、人を出す。
*
――河内である。
越水から南へ、丸一日。淀を渡り、石川を遡ったところに、畠山の本城があった。
河内の空は、乾いていた。
石川の瀬は細く、河原の石が白く乾いて見える。その向こうに丘が横たわり、丘の上に城があった。高屋の城である。
塀の内に、屋根が二つ見えた。
一つは高く、一つは低い。低いほうが大きい。
木戸の前で、田島宗治は荷を下ろした。
柳田甚内の手の者である。塗師の顔で人の家へ入り、住みついて、見たものを帳面に取る。師走の初めに越水を出た三人の、頭であった。
背負っていたのは塗師の道具箱で、蓋の合わせ目が黒く光っている。指の腹も、爪のあいだも黒い。漆は落ちぬものであった。
供が二人、少し離れて立っている。
三人が揃って木戸を抜けるのは、あまりよくない。三人と数えられるからである。だが今日は、揃って入る。塗師が一人で正月の御用を取りに来るほうが、かえって話が細い。
木戸番は、木札を数えていた。
指を舐め、一枚ずつめくって数える。数え終えると、また上から数え直す。二度数えて、それから顔を上げた。
「塗師が、三人か」
「正月の御用にござります。手が、足り申さぬもので」
「どこの」
宗治は、屋敷の名を言った。
木戸番は、その名を知らぬ顔をした。
知らぬのではない。覚えていないのである。札の数を数えているだけで、書いてある字のほうは読んでいない。だから数え直す。数だけは、二度数えれば合う。
「……聞かぬな」
喉の奥が、乾いた。
宗治は道具箱の蓋を開け、上の段を抜いて、木戸番のほうへ傾けた。刷毛と篦と、布に包んだ砥石が並んでいる。
匂いが、立った。
漆と膠の、鼻の奥へ張りつくような匂いである。慣れぬ者は、たいてい顔をそむける。
木戸番が、そむけた。
「……入れ」
札を一枚、投げてよこした。
拾って、懐へ入れた。指が、少し遅かった。
*
城下の道は、思ったより広い。
両側に町屋が続き、軒の下に薪が積んである。師走である。どの家も煤を払い、戸を洗い、正月の支度をしていた。
宗治は、煮売りの前で足を止めた。
麦の粥に菜を落としただけのもので、塩気のほかに味はない。それを受け取り、両手で持った。
熱い。
熱いものを、一息に啜った。
喉が焼けたが、かまわなかった。啜っているあいだは、手が震えぬからである。
――この男は、掴んだものの意味を考えない。
考えぬことが、この稼業で長く生きた理由であった。震えぬのは度胸ではない。震える隙のないほど、手を動かしているだけである。
椀を返して、また歩いた。
供の二人は、もう別の道へ入っている。一人は湊のほうへ、一人は寺の門前へ。三人で入って、三方へ散る。それだけの段取りであった。
道の先で、宗治はもう一度、丘を見上げた。
塀の内の、高い屋根と、低くて大きい屋根。
高いほうに御当主がおられ、低いほうに家宰の屋敷があるのだという。同じ塀の内である。
――近いな。
思ったのは、それだけであった。
*
――師走も、半ばになった。
宗治は、家宰の屋敷へ入り込んでいた。
正月の御用を請けた塗師として、十日ばかり通っている。手が足りぬというのは本当で、実際、朝から晩まで研いでいた。
作事場は、北向きであった。
漆は日に当てると縮む。だから塗師の仕事場は、どこも北を向いている。板の間に莚を敷き、その上に品を並べて、塗り重ねては乾かすのを繰り返す。
乾くのを待つ日のほうが、塗る日より多い。
莚の右手には、椀と折敷が伏せて並べてあった。正月に使う品である。これは急ぎで、年内に納めよと言われている。
用人が、上がってきた。
瘦せた男で、算用のできる手をしている。指の節が墨で汚れていた。
「これじゃ」
莚の左の端に、別のものが置かれた。
黒漆の、蓋つきの箱である。角の塗りが薄くなり、下の木地が透けていた。古いが、悪い品ではない。むしろよい品であった。塗りが薄くなるほど使われた、ということである。
「塗り直せ、と」
「そうじゃ」
宗治は、蓋を裏返した。
裏の隅に、細い字で書き付けがある。読める字ではなかったが、読めなくてもよい。塗師が見るのは、どこが痩せているかだけである。
「……どちらへ、参りまする」
「紀伊じゃ」
用人は、それだけ言った。
言ってから、少し足した。
「公方様の御仲立ちでな。和睦の使いが、持って参る」
隠しごとではない。京では誰でも知っている話であった。この屋敷の者は、どの品がどこへ行くかを言うことに慣れている。言って差し支えのないものしか、外の職人には触らせぬからである。
「いつまでに」
「弥生の初めまでじゃ」
宗治は、うなずいた。
三月先である。
右手の椀は、年内。
左手の箱は、弥生。
どちらも、道理にかなっている。急かされなかった。それだけのことである。宗治は篦を取り、角の痩せた面から研ぎはじめた。
作事場の障子は、庭のほうが一枚だけ開けてある。
漆は湿りを好むが、風は嫌う。だから開けるのは一枚と決まっていた。その一枚の隙から、庭の隅が見える。
荷が、括ってあった。
柳行李を二つ重ね、上から縄を掛けて、脇を締めてある。旅の荷である。
宗治は、その縄を見た。
結び目が、左へ倒れている。締めたあと、余りを一度だけ内へ折り込んで押さえてあった。
――同じ手だ。
三日前にも、同じ荷が同じ場所に置かれていた。そのときも結び目は左へ倒れ、余りが内へ折り込んであった。
人の手には癖がある。塗りにも、括りにも出る。同じ癖の手が、同じ荷を、幾度も作っている。
幾度、とまでは分からぬ。
宗治が見たのは、二度である。二度見たということは、見ていない日にも作られていた、ということでしかない。
篦を持ち直した。
庭を見ていたのは、数えるほどの間であった。それより長く見れば、見ていたことになる。
下女が、湯を運んできた。
箱を運ぶときとは、持ちようが違う。湯桶は腰のあたりで下げているが、品を運ぶときは胸の高さで抱えていた。膝の高さで持って、いつか叱られたことのある顔をしている。
その下女が、土間へ下りたときであった。
廊下を、人が通った。
衣ずれの音だけが、板を滑っていく。作事場の者は、誰も顔を上げなかった。上げてはならぬのだ、と宗治は察した。
音が、遠ざかった。
――遠ざかって、戻ってきた。
障子のところで、止まった。
瘦せた、背の高い老人である。柔らかい顔をしていた。人を叱ったことのない顔である。
その御方は、莚の上の箱を見た。
右手の椀は、見なかった。
それから、宗治を見た。
「弥生の初めじゃ。遅れるなよ」
それだけ言って、行った。
用人が板へ額をつけていた。下女は土間で動きを止めたまま、湯桶を胸の高さに持ち上げている。
宗治は、篦を持ったままであった。
持ったまま、手を動かしていた。
弥生である。
三月先の月の名が、師走の作事場に落ちて、そのまま残った。
――守護代が。
塗師ひとりに。
下りて来た。
わざわざ下りて来て、日を言った。
しかも、年内に納める椀のほうは見なかった。
宗治は、そこから先を考えなかった。
考える者は、長く生きぬ。持ち帰るのは二つでよい。弥生の初め、という日と、それを誰が言ったか。
篦の先が、木地を撫でた。
外では、荷車が通っているはずであった。井戸で桶を上げる音も、子どもの声も、常のとおりに続いているはずである。
聞こえなかった。
何ひとつ、聞こえなかった。
■用語解説
・高屋城…河内国古市郡(いまの大阪府羽曳野市)の丘に築かれた畠山氏の本城。石川と大和川に挟まれた要地で、南近畿の出入り口にあたる。戦国のころは守護代・遊佐氏が城を預かり、河内の政の実際はここで決まった。
・家宰…主家の家政と領国の実務を統べる筆頭の家臣。守護代を兼ねる例が多い。主に代わって下知を出すため、家が乱れれば主より重くなる。河内の遊佐氏はその典型であった。
・間者…他家へ入り込んで内情を探る者。忍び・草・乱波などとも呼ばれた。専業の者ばかりでなく、商人・職人・僧など、往来しても怪しまれぬ生業を持つ者が多く使われた。




