第18話(二)「銀、湧く」
――葉月四日の、夜である。
越水城の一間に、灯が一つ。
蚊遣りの煙が畳の上を這っていた。夏の夜の風は生温く、雨戸を繰っても涼しくはならぬ。外の草むらで虫が鳴きはじめている。蝉の声が絶えて、まだ幾日も経っていない。
久秀は、閉じた扇子で掌をとん、と打った。
打って、やめた。
音が癖になっている。癖の出る夜は、たいてい算えごとの済んでいない夜である。
西宮から馬で戻るあいだ、久秀は蔵の中のあの山を頭の裏に置いたまま、堺へ払った銭と播磨へ回した鉛の駄数と、あと八日という数とを、順を変えては並べ直していた。並べ直しても、答えは一つしか出てこない。買うしかない、という答えである。
――買うしかない者から取るのを、なんと申したかの。
その一語を、久秀は坂の途中で思い出した。
*
朔が入ってきた。
十四になる。背は去年の秋から拳ひとつぶん伸びた。伸びたぶんだけ袖と裾が合わなくなっている。
膝をついて頭を下げた。
下げてから、顔を上げるより先に言った。
「……皿の話に、ござりまするな」
久秀は扇子を止めた。
「言うておらぬぞ」
「はい」
「なにゆえ分かる」
「西宮の煙が、二本のままにございますゆえ」
朔は、そこで少しだけ首を傾げた。
「殿が窪地へお下りになって、竈を増やせと仰せられなかった。ならば増やす話ではございませぬ。増やす話でないのに私をお呼びになるのは、詰まっておる話にございます」
久秀は答えなかった。
答えるかわりに、脇の文箱を引き寄せて蓋を開けた。
蓋の合わせ目が、乾いて鳴った。
中から出したのは、書付ではない。
帳面である。
去年の秋から使っているもので、綴じ紐が一度切れ、結び直したところだけが太くなっている。久秀はそれを繰った。
繰りながら、指は迷わなかった。
弥生の頁で、止まる。
「読め」
「……なんの、書付にござりましょう」
「書付ではない。そなたの申したことじゃ」
朔は膝を進めて、覗きこんだ。
己の言葉が、他人の字で並んでいた。
銀ヲ含ミタル銅ニ 鉛ヲ添エテ溶カス
鉛ハ 銀ト仲ガヨシ
銅ガ先ニ固マリ 鉛ト銀ハ マダ溶ケテオル
ソノ頃合ノ違イヲ使ウテ 鉛ト銀ダケヲ絞リ出ス
アトハ 灰ノ皿ニ載セテ焼ケバ
鉛ハ灰ニ吸ワレテ消エ 白キ銀ノ玉ダケガ残ル
「弥生じゃ。西宮の、吹屋の前でな」
久秀は帳面から目を上げなかった。
「わしは、人の申したことを書く。……そなたのも、書いてある」
朔は、何も言わなかった。
「白い銀の玉は」
「……」
「一つも、残っておらぬ」
久秀は、笑わなかった。
笑わぬことが答えであった。
去年の夏、この小僧は同じ調子で己の死にざまを売った。値切られても声の高さの変わらぬのを、久秀はあのとき見ている。
見ているから、今夜は違う手で来たのである。
*
久秀は、まず膝を正した。
正してから、帳面を朔のほうへ指一本で押した。
「一つ。六点の中身を渡すとき、そなたは灰の皿まで話した。……話した先までが、六点の内であったはずじゃ」
朔が口を開きかけた。
久秀は扇子の先をわずかに上げた。
それだけで朔は口を閉じた。
灯の芯が、ぱち、と鳴った。
「二つ」
蔵で見てきたものが、そのまま瞼の裏にある。俵の山と、その脇に寄せた灰色の山と、人がひとり通れるだけの真ん中の一筋と。
「申したとおりに、やらせた。三度じゃ。……皿は焼き締まり、銀は灰へ消えた」
朔の顔が、わずかに動いた。
「話した先を売らねば、先に払うた六点は、鉛の山にしかならぬ」
「……はい」
「三つ」
久秀は、そこで扇子を畳へ置いた。
置いた音はしなかった。
「鉛の山を抱えた者に、その先の値を付けるのは、商いか」
朔は答えなかった。
久秀は声を落とした。
「……それは、商いではない。取り立てじゃ」
蚊遣りの煙が、途中で折れた。
朔は膝の上の手を動かさなかった。
久秀は、この一語をどこで覚えたかを己で知っている。
水無月の末、都賀荘の蔵の前であった。梁の下まで麦の積まれた蔵を開けさせておいて、その麦から二度取ると言いに来た日である。大利喜二郎という百姓が、笑いも怒りもせずに、京から一通、越水から一通、と指を折ってみせた。増えたのではない。割れたのである。あの郷は、どちらへ払っても払わぬわけにいかなかった。
――払わぬわけにいかぬ者から取るのを、取り立てと申すのだ。
二月前、この男は取り立てる側にいた。
いま、取り立てられる側から物を言うている。
言うている当人が、そのことに気づいていないわけではなかった。
気づいたうえで、使うている。
*
「……口上に、偽りは、ございませぬ」
朔が、そう言った。
「偽りとは申しておらぬ」
久秀は、帳面の頁を指で押さえた。
「その灰の皿を、そなたは中身に入れた。入れずにおけば、筋は通った。……入れたゆえ、通らぬ」
朔は、目を落とした。
落として、しばらく上げなかった。
「……灰が、いけませぬ」
「なんじゃと」
「そこらの木の灰では、持ちませぬ。灰汁を抜いて、木を選んで、篩うて、搗き固めねばなりませぬ」
「聞いておらぬ」
「申しませなんだ。……申さぬと、決めておりました」
「……ほう」
「申さぬと決めておきながら、灰の皿のことだけを口にいたしました。そこが、私の落度にございます」
朔は、そこではじめて頭を下げた。
「……理は、立ちましてございます」
久秀は、しばらく朔を見ていた。
「……値を申せ」
「灰吹きの法が、二点」
「皿は」
「骨の灰の皿が、三点にございます」
「〆て五点」
「はい」
「南蛮吹きに六点払うて、まだ五点取るか」
「六点は、銀を集める法にございます。五点は、銀を取り出す法にございます。……別の品にございます」
朔の声は、また平らに戻っていた。
「では、引くか」
「定価は、引きませぬ」
久秀の眉がわずかに動いた。
「筋が通らぬと申したぞ」
「筋が通っておらぬのは、私にございます」
朔は、指で帳面の端を久秀のほうへ返した。
返す手つきが丁寧であった。
「引かぬのと、詫びぬのとは、別にございます」
「屁理屈を申すな」
「屁理屈ではございませぬ」
朔は顔を上げた。
「人が死なぬための品は、引きまする。……銀の出る品は、引きませぬ」
久秀は黙った。
皐月の山で、この小僧は正価五点の三品を二点に落とした。落として、理由らしい理由を言わなかった。あのときの三つは、崩れを止める組木と、毒を知らせる小鳥と、指を差して声に出す作法であった。どれも、人が死なぬための品である。
――なるほど。
線が、引いてある。
引いてあることを、いま言うたのである。
久秀は、しばらく黙っていた。
「……西国には、その灰を拵える者がおろうな」
「おりまする」
「呼べばよい」
「呼べませぬ」
「銭を積んでもか」
「西国の山では、その灰の拵えようを知る者を、幾人と数えられるほどしか置いておりませぬ。名も、外へは出ませぬ」
「囲うておるか」
「囲うております」
朔は、そこで一度だけ顔を上げた。
「……銭で動く者なら、とうに動いております」
久秀は、それを聞いていた。
聞きながら、腹の立っている先が、この小僧ではないことに気づいた。
銭では買えぬものが、また一つある。
水無月に一つ知った。文月に、もう一つ知った。今夜が、三つ目である。
――その三つ目に、この小僧の品書きだけが、値を付けておる。
「……分かった」
久秀は言った。
「値は動かさぬ。では、何を寄越す」
朔は少し黙った。
長い黙りではない。
「順を違えたのは、私の落度にございます。落度は、値ではのうて、品で償いまする」
「品と申したな」
「炉の立て方の図を、一枚」
久秀は鼻から息を抜いた。
「紙か」
「図にございます。土の按配、風の入り口の高さ、灰床の深さまで」
「紙じゃな」
朔は答えなかった。
久秀は扇子を取った。
取って、開かずに、掌をとん、と打った。
「紙は、要らぬ」
「……は」
「八日のうちに、紙を読んで、書いてあるとおりに立てて、火を入れる。それができる者が、あの窪地におるか」
朔の目が一度、下を向いた。
久秀はそこを見ていた。
「そなたが、来い」
蚊遣りの煙が、まっすぐに立ちなおった。
朔は動かなかった。
膝の上の手も、顔も、動かない。
動かないまま、一拍あった。
一拍だけであった。
「……承知いたしました」
「幾日で立つ」
「六日、いただきまする」
「土は、誰が練る」
「私が、練りまする」
久秀は、それを聞いて少しだけ意外な顔をした。
意外な顔をしたが、理由を訊かなかった。
訊く用がなかったからである。
「点は」
「点には、載せませぬ」
「なにゆえ」
「いま、そこにある物にございますゆえ」
久秀は扇子でもう一度、掌を打った。
「三つ目は」
「ございませぬ」
「なにゆえ」
「……落度は、二つぶんしか、ござりませぬゆえ」
久秀は鼻から息を抜いた。
笑ったのではない。
笑ったのでは、なかったはずである。
*
朔が下がった。
廊を行く足音が二つ折れて消えるまで、久秀はそこに座っていた。
それから帳面を繰った。
墨を下ろす。
一、灰吹 ――買ウ
一、骨ノ灰ノ皿 ――買ウ
一、おまけ 炉ノ図
一、実地 六日 ――小僧、西宮ニ 立ツ。土ハ 己デ 練ルト申ス
三行目の字が少し大きい。
書いたあとで気づいたが、書き直さなかった。
この男の得意は、筆の先に出る。
一、灰吹法 二点
一、骨灰の皿 三点
一、借入 二点 ――二年にて返す
残り 一点
書いて、久秀は、筆を、止めた。
*
控えの間で杖の音がした。
「殿」
勘助である。
「なんじゃ」
「……あと、八日にござる」
久秀は答えなかった。
答えぬことにしている。
灯の芯が一度、横へ倒れて、また立った。
点数消費話、ちょっと冗長ですかね?
あれもこれもと詰め込んだら、全体的に想定よりもかなり長くなってしまいました。そろそろ、戦争話が増えてくる予定ですが。このペースだと、完結まで900話くらいになってしまう…。ご意見、いただけると嬉しいです。
■用語解説
・灰吹法…鉛に吸わせた銀を、灰の皿の上で焼いて取り出す法。熱を加えると鉛だけが灰へ吸われ、あとに銀が残る。天文2年(1533年)に石見へ伝わった、当代でもっとも新しい技である。要は灰の拵えようにあり、灰汁を抜き、木を選び、篩って搗き固めた灰でなければ、熱で焼き締まって鉛を吸わなくなる。西国の銀山はこの灰の作りようを秘事として囲い、知る者を山から出さなかった。
・骨灰…獣の骨や鹿の角を焼いて作った灰。木の灰にくらべて鉛を吸う力が強く、取りこぼす銀が少ない。これを搗いて水で練り、型で押し固めたものが灰吹の皿になる。
・灰汁…灰を水に浸して得られる上澄み。または灰に含まれる、そのえぐみの成分。灰吹の皿を作るには、まずこれを抜かねばならない。抜かぬまま焼けば灰が溶けて固まり、鉛を吸う力を失う。




