第3話(後)「雌伏の買い物」
茶室に戻ると、香が焚き直されていた。
「銭の種、と申したな」
「はい。——殿。荒銅は、いま、いかほどで動いておりましょう」
「銅の値なら、堺の相場が」
「あの銅には、銀が眠っておりまする」
扇子の音が、絶えた。
「……何と申した」
「銅を吹くとき、銀は銅に抱かれたまま、気づかれずに流れてゆきまする。そこへ鉛を混ぜて溶かせば、こんどは鉛が、銀だけを抱いて出て参りまする。——絞り出した鉛から銀を上げる、仕上げの吹きようは、また別の品。順の参りましたときに」
「頭から尻尾まで、切り売りよの」
「術の名は、南蛮吹きと申しまする」
久秀は、長く黙った。
銅から銀が湧く。あるはずのない話である。だが、あるはずのない村を、この童は現に作ってみせた。
「銅から銀が取れるなら、堺の商人が、とうに始めておろう」
「誰も、銀が居ることを知りませぬ。……知られておらぬ銀は、無いのと同じにございます。無いものは、盗まれもいたしませぬ」
供の老剣客——玄斎が、薄く目を開けた。それだけである。
(銭の種、か。……この童、わしの帳尻の先回りをしおる)
音のせぬ銭が先——矢倉の上で組んだ算用の、これが最初の一歩である。細い尾根の一歩目に、誂えたような踏み石が置いてある。売り手が置いたのだと分かっていて、なお踏みたくなる置き方である。
「よかろう。三点、払おう」
「その前に、いまひとつ、お断りが」
朔は、居住まいを直した。
「山と金気の品は、目録が別にございます。品書きに載せてございますのは、いわば蔵の表口。中の棚は、目録をお求めのお方にだけ、お開けいたしまする」
「……売る気で見せておいて、それか」
「目録も、知恵の内にございますれば。——三点」
売らぬための工夫まで、売り物にする。昨日も見た手口である。だが、腹は立たなかった。表口にあれだけの品を並べる商人の、棚の奥である。見たい、と思わされている。
「併せて、六点。……持ってゆけ」
払ってから、ふと、引っかかったものがある。
「時に。南蛮吹きの南蛮とは——どこの、南蛮じゃ」
朔の指が、膝の上で止まった。
一拍、あった。
「——さあ。名づけた者に、お訊きくださいませ」
「妙な商人よ。品の名の出所も知らぬまま、売っておるわ」
久秀は笑い、それきり忘れた。忘れなかった者が、この座にひとりだけいる。
「人の在処も、もらおう。二点であったな」
「これは、いささか毛色が違いまする」
朔は、指を、揃えた。
「品ではのうて、名の並びにございます。世に埋もれた才が、いま、どこで、どのように燻っておるか。……その一覧を、お渡しいたしまする」
「一覧、とな」
「たとえば——堺に、若き数寄者がひとり。家業は傾き、茶の道にのみ、生きたがっておりまする。美濃を、教養の牢人が、さすろうておりまする。仕官の口を、探しあぐねて。……甲賀には、武技に長けた、年若き者も」
久秀の指が、膝の上で、数を追うた。
「いずれも、名と、在処ばかりよの。人となりも、口説きようも、値も、書いてはおらぬ」
「左様にございます」
朔は、頷いた。
「これは、山と金気の目録と、同じ仕立て。名の並びが、いわば蔵の表口にございます。……そこから先、いずれの一枚を開くかは、殿の、御随意に。一枚ごとに、その者の身の上と、欲しがるものと、口説くための費えを——そのつど、お売りいたしまする」
「切り売りの、そのまた切り売りか」
久秀は、呆れたように言うて、それから、得心した。
「——才は、どこにおるか分からぬゆえ、高くつくのじゃ。居所が分かれば——安いものよ」
名の並びを、頭の隅に、畳んで蔵う。いずれ、そのうちの一枚を、己の手で開く日が来ることを、この時の久秀は、まだ知らぬ。
日が、傾きかけていた。
「最後に、いま一つ」
久秀は、扇子を置いた。置いてから、訊いた。
「茶の湯の書付は、ないのか。名物の在処。茶の流れの、先の先。……そういう棚は」
朔は、すぐには答えなかった。
膝の上で、指が揃えられた。
「——ございます」
「値は」
「いまは、売りませぬ」
茶室が、静かになった。釜の湯だけが、細く鳴っている。
「いまの殿がお持ちになれば、その知恵は、殿を殺しまする。名物は……持つ者を、選びまするゆえ」
久秀は、朔を眺めた。長く、眺めた。
欲の底に座っていたものを、この童は、売り物の棚に持っている。持っていて、売らぬと言う。矢倉の上でわしが独りで組んだ順を、この童は、とうに読み終えている——。
それから、笑った。声のない笑いである。
「知っておるわ。わしの勘定でも、茶は後回しじゃ。——じゃが、覚えておけ」
扇子を取り、とん、と掌を打った。
「その棚は、いつか開けさせる。しかるべき時に、しかるべき対価でな」
朔は、両手をつかえた。答えは、しなかった。
久秀は帳面を引き寄せ、筆を執った。二十点が、二日で三点に減っている。心細さというものを、この男の筆は知らぬらしい。一行ごとに、とん、と扇子が鳴る。帳面を締める男の顔は、散財した男の顔ではない。良い買い物をした男の、顔である。
買えなかった品は、帳面に載らぬ。載らぬ品ほど、人は覚えているものである。
(この男は、二十点を三点にして、眉一つ動かさなかった。……売る相手を、間違えたかもしれない)
蝉が、ようやく鳴き出した。
一、採掘の奥義目録 三点
一、南蛮吹き 三点
一、人の名簿 二点
残り 三点
■用語解説
・荒銅…鉱石から溶かしただけで不純物を多く含んだ粗銅のこと。
・堺…和泉国(現在の大阪府堺市)にある自治都市・港湾都市。1540年当時、豪商らによる自治が行われ、日本屈指の商業・物流・茶の湯の中心地であった。
・南蛮吹き《なんばんぶき》…粗銅に鉛を加えて溶かし、銅から銀を抽出する高度な精錬技術(銅銀分離法)。史実では16世紀末頃から日本で広まったとされる。
・金気…鉱石や金属の成分、あるいは鉱山・精錬技術全般のこと。




