第13話(四)「山の品書き」
――同じ夜の、灯の下である。
点のことを考えたのである。
——零。
こんな数を己の帳面に書いたのは、生まれて初めてであった。
零というのは、何も買えぬということである。
買えぬものの中には、山の各論がある。水の癖も、鉱の走りも、古い間歩の図も、いまは一つとして手に入らぬ。
——それだけではない。
久秀は目を閉じた。
閉じると、黄が見えた。
*
武野紹鷗という男がいる。
堺の納屋の主である。革を扱い、銭を動かし、荷を捌く。三好家へは古くから出入りしていて、久秀も帳面の上で、この男の名を幾度も書いた。
——先代には、難儀な時分に救うてもろた。
紹鷗はそう言う。先代とは三好元長、主の父である。九年前、堺で死んだ。生きていたころに受けた恩を、この商人はいまも返し続けている。
返しかたが、茶であった。
主に茶を教えているのは、この男である。
久秀が座に呼ばれるのは、その筋である。祐筆であるから、主の行くところへは付いていく。付いていって、末に座る。座敷へ入る道は、己の数寄が開けた道ではない。主の家が開けた道であった。
——呼ばれはする。教えは受けておらぬ。
その隔たりが、この一年、久秀の胸のどこかに小さく刺さったままであった。
ひと月あまり前、荷の用で堺へ下った。それを聞きつけて、紹鷗が使いを寄越した。この日は主の供ではなく、久秀ひとりであった。ひとりで呼ばれたのは、初めてである。
*
四畳半であった。土壁は光を吸って、昼だというのに座敷の奥は薄暗い。窓は一つきりで、その一つから入る光が、釜の湯気を斜めに切っている。音は湯の音だけであった。人が四人いて、それでも湯の音だけが聞こえるという座敷を、久秀はこの男のほかに知らぬ。
紹鷗という男は、点前のあいだ一言も喋らぬ。
喋らぬくせに、客の背が伸びたか縮んだかを、あとで正確に言い当てる。
客のうちの一人が、北向道陳であった。
堺の舳松に住む男である。本職は医師だという。三十の半ばを幾つか過ぎたあたりで、痩せて、背が高く、指が長い。人の脈を取る指であった。その指が茶碗を持つと、別の生きもののように見える。
——目利き、という言葉が世にある。だが、この男を見ていると、あれは目の話ではないと分かる。
指の話である。
水屋には、若い者が一人いた。道陳の弟子だという。茶碗を運び、末で控えて、それだけで退がった。久秀は、その顔を見た。名は、聞かなかった。
茶が果てた。
道陳が、床脇の袋戸を開けた。
*
出てきたのは、大きな袋であった。
網が掛かっている。紐が四方から寄せてあって、その紐を道陳が一本ずつ、順に緩めた。緩めるのに、ずいぶん長くかかった。急いでいないのである。急がぬのが作法であり、急がぬことで座が焦れるのを、この男はよく知っている。
袋が落ちた。
壺であった。
葉茶を納める壺である。両手で抱えねば持てぬ大きさで、肩がゆったりと張り、そこから胴へ、女の腰のような線で落ちていく。肩には耳が四つ。小さな耳で、丸く、使い込まれて角が取れている。
久秀の目は、まず釉へ行った。
肩の上のあたりから、釉が流れている。
とろりと流れて、胴の半ばで止まっていた。止まったところに、厚い縁ができている。溜まって、盛り上がって、そのまま冷えて固まった縁である。焼かれた日に、この釉はたしかに動いていた。動いて、止まった。その止まった一瞬が、二百年か三百年か、そのままの形で残っている。
色は、飴とも枇杷ともつかぬ。
ただ、その中に細かい黄の粒が沈んでいた。
一面にではない。肩のあたりに濃く、胴へ下るにつれて疎らになり、釉の止まった縁のところでまた寄り集まって、そこだけ帯のようになっている。土壁の乏しい光を、その粒が一つずつ拾って返した。
——松の花粉を、撒いたようである。
久秀は、銘を聞く前にそう思った。
「松花と申しまする」
道陳が言った。
言われて、久秀は喉の奥が鳴るのを飲んだ。名が、見たものと寸分ちがわぬ。名を付けた者は、この粒を見て付けたのである。何百年か前の唐土の窯で、誰かが土を捏ね、誰かが釉を掛け、火が勝手にこの粒を作り、それが海を渡って、この四畳半の畳の上に置かれた。そのあいだの誰も、この壺を割らなかった。
割らなかった、ということが久秀にはこたえた。
「ご覧じませ」
道陳が、袱紗ごと膝の前へ押した。
久秀は、両手を出した。
冷たい。
そして、重い。
抱えた掌に、肩の丸みがぴたりと来た。人が抱えるために作られた形ではない。葉を納めて蔵に置くための壺である。それが、抱えてみると、抱えるために作られていたとしか思えぬ落ち着き方をした。
指を、釉の止まった縁へ滑らせた。
そこだけ、わずかに厚い。爪の先ほどの段になっていて、指がそこで一度つかえる。つかえて、越える。越えたところは、また滑らかであった。
久秀の指は、その段を三度往復した。
——その三度を、この男はいまも順に数えられる。
三度めで、己が算えていることに気づいた。
——幾貫だ。
いや、貫では買えぬ。この壺は、銭で動くものではない。動かすには、家がいる。名がいる。座がいる。そして、そのどれも、この男はまだ持っておらぬ。
顔には出さなかった。
出さなかったが、北向道陳は、脈を診る目で久秀を見ていた。
*
「松永殿は、よい目をしておいでじゃ」
道陳が言った。
褒めている。声にも顔にも、嘲りは一片もない。ただ、その言葉のあとで、この男は壺を静かに引き取り、袱紗ごと膝へ戻して、それきり久秀のほうを見なかった。
見る用が、済んだのである。
久秀は両手を膝へ置いた。壺のあった重さが、掌からゆっくり抜けていく。抜けきらぬうちに、次の話が始まった。
「久秀殿」
紹鷗であった。
「持たぬもんを、嘆きなはんな」
久秀は目を上げた。
「無いことを嘆いとったら、いつまでも無いままですわ。……無いままで済ませられる眼を、こしらえなはれ」
「……」
「そのほうが、あんさんには効きますえ」
枯れた、諭すような声である。堺の者の言い方で、角が立たぬ。
——それは、持っておられるお方の申されようだ。
久秀はそう思った。思ったが、口には出さなかった。
「……嘆いてはおりませぬ」
そう言った。
紹鷗は、それに何も返さなかった。返さぬかわりに、久秀の顔を少し長く見た。この男は、客の背が伸びたか縮んだかを、あとで正確に言い当てる。
袋の紐が締められる音がした。
一本ずつである。順に、ゆっくりと。
*
帰りは船であった。
堺の湊は、いつ来ても魚と塩と、日に灼けた縄の匂いがする。荷を担ぐ男が怒鳴り、犬が走り、銭を勘定する声がそこかしこで立っている。世の中はこちらのほうだ、と久秀は思った。あの四畳半のほうが、たぶん間違っている。
間違っているものが、掌から抜けてくれぬ。
船が越水へ着くまで、久秀の右の掌は、丸いものを抱えた形を覚えていた。
*
灯の下で、久秀は目を開けた。
文机の上に、紙が二枚ある。
国と鉱と大中小。道具の名を並べた紙。どちらも紙である。
黄の粒は、一つもない。
紙であった。紙は、掌に重さを残さぬ。
*
一、如月 堺 紹鷗ノ座敷
一、北向道陳 所持 ――唐物茶壺 銘「松花」
――肩ニ耳四ツ。釉ハ 胴ノ半バニテ止マル。其ノ縁ニ 黄ノ粒
一、拝見 一度 ――両手ニテ。返ス
一、紹鷗ノ言 ――持タヌモノヲ、嘆クナ
■用語解説
・武野紹鷗…1502〜1555。堺の豪商にして茶人。連歌を三条西実隆に、茶を村田珠光の系譜に学び、唐物の格式に頼らぬ簡素な茶へ道を進めた。千利休・津田宗及・今井宗久らを育て、後世の茶の湯の骨格を作った人物とされる。
・北向道陳…1504〜1562。堺の舳松町に住み、本職は医師であったとされる茶人。能阿弥の系統に東山流の茶法を学んだ高名な目利きで、虚堂の墨蹟や茶壺「松花」など名物を多数所持した。門弟の千宗易(のちの利休)を武野紹鷗に推薦した逸話で知られる。
・葉茶壺…摘んだ茶葉を詰めて保管する大振りの壺。当時は茶葉そのものが貴重品であり、それを納める唐物の壺は道具の中でも格が高く、「松花」「松島」「三日月」は天下の三名物と称された。封を切って新茶を出す「口切り」は、茶会の最も晴れやかな趣向であった。




