第13話(三)「山の品書き」
――同じ日の、午である。
膳が二つ、矢倉へ運ばれてきた。
麦の混じった飯に、若布の汁。それに、湯で抜いた筍へ味噌をつけたものが、小鉢に三切れずつ、湯気の落ちきらぬまま盛られていた。
下女が筍の器を置くとき、熱いので指を二本だけ立てて持った。置いてから、その二本の指をそっと耳にあてた。誰にも見られていないと思っている。
久秀は箸を取らない。膳が膝の前へ来ても、目はまだ紙の上にあって、指だけが国の名の列を上から下へ、ゆっくりと降りていく。
朔は、いったん立って手を洗った。手桶の水で指の間まで丁寧に洗い、それから膝へ戻ってきて、巻を膳の当たらぬところまで脇へ寄せてから、ようやく筍に手をつけた。
よく噛む。汁を、二度おかわりした。
――この小僧、飯だけは歳のとおりに食う。
久秀は、ようやく箸を取った。取ってからも、目は紙の上にあった。
一切れだけ、口へ入れる。
土のにおいがした。湯で抜いても、山から出たものの匂いは残るものである。塩と味噌のうしろから、その匂いが上がってきた。
——うまい。
そう思って、それから初めて紙から目を離した。
「殿」
朔が箸を置いた。
「摂津の一つは、のちの世で、天下を取る者の蔵を満たしまする」
久秀は、誰じゃとは問わなかった。
問えば、また別売りだと言われるに決まっている。それに、この男が今日いちばん知りたいのはそこではない。
「その者の蔵を満たす山が、いま、わしの手の届くところにあるのか」
「はい」
久秀の指が、動いた。
摂津の列を上から順に降りていく。指が、止まった。
摂津国川辺郡 銀銅 大
川辺郡である。
久秀は、その四つの列を三度読んだ。読みながら、この男の頭の中で紙が一枚、入れ替わっていた。
——去年の八月、この小僧から一点で買うた書付がある。
来年の秋、殿は一庫の城をお囲みなされます。されどその囲み、月が変わらぬうちにご自身で解くことになりましょう。囲みを解かせる者の名と、その後の顛末、お買い上げになりますか。
——あれは、城攻めの首尾の話であった。
囲んで、解いて、退く。負けはせぬが得もせぬという顛末を、久秀はこの七ヶ月のあいだ、来年の秋にそういうことが起こるという「知っておるだけの話」として、帳面の間に寝かせたままにしてきた。
いま、あの紙は日取り表になった。
一庫城は塩川の城である。塩川の城の下に、この山がある。
久秀は指の腹で、その一行を押さえた。押さえて、ゆっくり離した。
離して、また戻った。
「……朔」
「はい」
「一庫の塩川は、いまどうしておる」
「殿がよくご存じのはずにございます」
「今は、味方でござる」
久秀は舌を打った。
味方の国人の山である。討つ名目はない。作れぬこともないが、作るのは己ではなく管領のほうがよく、その紙が上から降りてくるのを待つのが、祐筆という役目の得手である。管領が動くとすれば——
久秀は指を折った。
四月。五月。六月。七月。八月。
半年である。半年、この一行を見ながら待つ。
二切れめの筍を、久秀は強く噛み切った。
「石見は」
朔は、答えなかった。
久秀は巻をもう一度めくった。石見の名は、どこにもない。銀の出る国として、この頃はもう畿内でも噂になっていて、大内と尼子がその山を挟んで噛み合うておるそうな、という話は、評定の座でも一度か二度、耳に入ってきている。
その国の名が、この目録には無い。
久秀は、しばらく巻を見ていた。
「……もう、誰かの山か」
「はい」
(この人は、載っていないものを読む)
朔は、それだけを胸のうちで思った。
「載っておらぬのは、それゆえか」
「売っても、銭になりませぬゆえ」
「よい商人だ」
久秀は巻の端を指で弾いた。
「但馬に、銀があるな」
「ございます」
「誰の国じゃ」
「山名の領にございます」
「遠いのう」
久秀はそれだけ言って、指を離した。
三切れめの筍を口へ入れた。
噛んでいるうちに、味が分からなくなった。
塩の味も、土のにおいも、どこかへ行っている。顎が動いているだけである。それでも久秀は膳を押しやらず、若布の汁までさらって、飯を一粒も残さずに食った。この男は、腹が立っているときほど食い残さない。
食い終えて、椀を置いた。
「買えぬ山ほど、欲しゅうなる」
久秀は言った。
「……名物と、同じ病よ」
朔は少し笑ったが、すぐに笑いを引いた。
「殿。一つ、申し上げておかねばなりませぬ」
「申せ」
「富を生む山は、人の目につきまする」
久秀は椀の縁を指で撫でた。
「銀は、匂いまする。荷が動けば、人が数えまする。数える者が一人おれば、噂は十人に渡りまする」
「西宮で、そなたが申したことだ」
「はい。山は、吹屋よりも隠れませぬ。穴は動かせず、人は毎日通いまするゆえ」
「では、この紙も匂うか」
朔は、その問いに間を置いた。
「……いまは、この紙がいちばん匂いまする」
久秀は答えなかった。
答えずに、巻を巻き戻した。巻き戻して、紐を結び、膝の前へ置いた。
朔が退がった。
矢倉に一人になって、久秀は膳の残りを見た。若布の汁が、少し冷めている。
*
――その夜である。
帳面の間には、灯が一つしかない。
油皿の芯が短くなっていて、油の匂いが板の間の低いところに溜まっている。膳は下げさせた。この男は、考える夜には何も食わぬ。
堺からの文が、文机の隅に置かれてある。
利吉のものである。銅の買い口は落ち着き、跳ねていた相場も引きました、とある。それだけであった。久秀は文を畳んで脇へ置いた。二月のあいだ人の胃を焼き、利吉に冷や汗をかかせ、買い口を三つに割らせるところまで追い込んだ話が、こうして一行で終わることもある。
久秀は巻の紐を解いた。
そして、白紙を二枚、文机に並べた。
——写しは、己の手で取る。
朔が城下の長屋で品書きを書くとき、いつも茶会の会記の体裁を借りていることを、久秀は前から知っている。拾われても、ただの道具の覚え書きに見えるようにしてある。小僧の知恵である。
その知恵を、今夜は主が使う。
一枚めには、国の名と、鉱の名と、大中小の一字だけを写した。山の名は書かない。
二枚めには、山の名だけを写す。ただし、山の名では書かぬ。
——近ごろの侍は、誰も彼も道具の名を紙に並べる。
数寄の流行りである。持ってもおらぬ茶入の名を覚え、聞いただけの掛物の名を書き留め、それを人に見せて悦に入る——そういう紙が、いまこの国には掃いて捨てるほどあって、誰も本気で中身を読んではおらぬ。
会記ほど、人が読まぬ紙はない。
久秀は筆を細いものに替えた。
丹波の貧しい山の一つに、霜夜と書いた。次の山に、白鷺。その次に、松風。
無い名である。どこにも実の物はない。だが、どこかの数寄者の帳面に一度は書かれていそうな、いかにも在りそうな名であった。
——唐物の名は、いくらでもある。無い名を作っても、誰も咎めぬ。
書きながら、この男は少し楽しんでいる。
摂津の三つに名を付け、阿波の四つに名を付け、丹波の残りに名を付けた。付けるたびに、良い名を思いつくと惜しくなって、その名を貧しい山へ与えるのをなぜかためらい、ためらったうえで、それでも与えた。貧しい山にこそ、大層な名を与えねばならぬ。人の目を、そこへ集めるためである。
そうして、最後に川辺郡が残った。
久秀は筆を止めた。
止めて、しばらく紙を見ていた。
灰。
そう書いた。
一字である。銘といえば銘に見えるが、誰も欲しがらぬ名であった。人が読んでも、素通りする。
――この男、いちばん好きなものには、いつも名を付けたがらぬ。
矢倉で欲の底を浚ったとき、名も地も位も削いだあとに残った茶碗一つに、この男は名を付けなかった。付けなかったのではない。付けられなかったのだと、いまなら分かる。
書き損じが出た。
名を選び直すたびに一枚が要らなくなり、それが膝の脇へ積み上がっていく。紙は高い。だが今夜のこれは裏も使わせられぬ。
久秀は二枚を仕上げた。
紙を裂いて、寸法を揃えた。裂ける音が、灯の下で乾いて響く。糊を舐めて指の腹へつけ、それで端を貼り合わせてから、紙の上を手のひらで二度撫でて落ち着かせた。舌に、糊の甘くも苦くもない味が残った。
一枚は帳面の間の櫃の底へ。
もう一枚は、寝間の刀掛けの下へ。
——二つ揃わねば、読めぬ。
上出来だ、と久秀は思った。
思ってから、膝の脇の束を持ち上げた。
火桶へ、一枚ずつ落としていく。紙は端から縮れ、字が見えなくなり、それから燃えた。焦げる匂いが立って、油の匂いと混ざった。
十枚ほどを焼いて、久秀は手を止めた。
*
一、摂津国川辺郡 銀銅 大 ――一庫。塩川ノ山。今ハ 味方
一、去年八月ノ書付 ――囲ミノ顛末。今日ヨリ 日取リ
一、石見 載ラズ ――既ニ 誰カノ山
一、但馬 生野 銀 ――山名ノ領。遠シ
一、待ツ ――四月、五月、六月、七月、八月
一、朔ノ申スニハ ――此ノ紙ガ 一番 匂ウ
一、書付 二ツニ分ケ 納ム
――一枚ハ 国ト鉱ト大中小。一枚ハ 山ノ名。山ノ名ハ 道具ノ名ニ写ス
――二ツ揃ワネバ 読メヌ
一、川辺郡ノ名 ――灰
一、書キ損ジ 焼ク
一、堺ヨリ 文 ――買イ口 落着。相場ノ跳ネ 引ク
■用語解説
・石見銀山…石見国(現在の島根県大田市)の銀山。1526年に博多商人の神屋寿禎が本格的に開発し、1533年に灰吹法が導入されて産出量が飛躍した。当時これを争っていた大内氏と尼子氏は、いずれも中国地方に数ヶ国を領する西国の二大勢力で、摂津の三好家が手を出せる相手ではなかった。
・生野銀山…但馬国(現在の兵庫県朝来市)の銀山。伝承では平安期に鉱脈が知られ、天文11年(1542年)に守護・山名祐豊が本格的な採掘を始めたとされる。のちに織田・豊臣・徳川の直轄となり、近代まで稼働した。
・多田(多田荘)…摂津国川辺郡(現在の兵庫県川西市・猪名川町周辺)一帯。古くから銀・銅を産する鉱脈が知られ、清和源氏発祥の地としても由緒を持つ。一庫城の塩川氏が、この地の国人であった。
・国人…中世後期、一国の内に土着して独自の領地と家臣を持った在地領主。守護や守護代に従いつつも自立性が高く、利害に応じて主を替えることも珍しくなかった。




