第13話(一)「山の品書き」
――天文十年(一五四一)弥生(三月)の末である。
越水城の矢倉に、日が長く伸びていた。
板の間が温まって、埃と乾いた木の匂いがしている。何も燃えていない部屋の匂いであった。障子は上げてあり、沢筋から下りてくる風が、板の間に長く伸びた日の帯を横に切るようにして通っていく。半月前まで西宮の吹屋で金気と鉛の甘いにおいを吸っていた鼻には、この匂いがひどく薄く、どこか物足りなくさえ感じられた。
久秀は、まだ巻を出させていない。
先に、己の帳面を開いた。
指で紙を送って、止める。三、という字がある。己の書いた字であった。
筆を取り、硯へ寄せて——置いた。
「朔」
「はい」
「三つとも、出すことになるな」
「はい」
「ならば、検める」
――この男、買う前に品を検める。茶碗でも人でも同じことをして、指で撫で、日にかざし、持ち主の顔をひとわたり見る。検めているあいだは、値のことを口にせぬ。口にせぬかわりに、指が覚える。
「どれほど、確かじゃ」
朔は膝の前に巻を置いたまま、手を触れずに答えた。
「山の在処は、指で押さえられまする。……なれど、掘り口は指では押さえられませぬ」
「聞こえがよいな。噛み砕いて申せ」
「山師を遣わして、十日で見つかる山がございます。地の面に鉱の出ておる山でございます」
「出ておらぬ山は」
「沢を三つ四つ、当たらねばなりませぬ。ふた月」
「それでも出ぬ山は」
朔は、そこで一度だけ目を伏せた。
「……私が参らねば、分かりませぬ」
久秀は、その一言を頭の隅へ置いた。置いただけで、いまは取り上げぬ。
「何が出る」
「金。銀。銅。鉄。鉛。錫」
「けっこうなことだ」
「……それに、名の無い石が」
「名の無い石とは何じゃ」
「いまの世では、石にしかなりませぬ」
久秀は膝の横の扇子を見た。見て、開かなかった。
「石を売るか」
「はい」
しばらく、松の音だけがしていた。矢倉の窓から入ってくる沢筋の風は、弥生の末になってもまだ冷たく、板の間に落ちた日の帯のふちを、なぞるようにして抜けていく。
「阿波に、赤い石の山がございます」
阿波は、主家の本国である。久秀の指が帳面の縁で止まった。
「掘れば鉄になりまする。なれど、いまの吹き方では脆うて、鍬にも刀にもなりませぬ」
「では、石ではないか」
「炉を変えれば、鉄になりまする」
久秀は黙った。
「……炉は」
「別の品書きにございます」
「またしても、別売りか」
久秀は笑った。声を立てて笑ったのは、この半月で初めてであった。笑いながら、この男の頭のなかでは算用が動いていて、笑いのほうは顔の表側だけで済ませている。
「朔。……石にしかならぬ石を、わしはなぜ買う」
「いまは、石にございます」
朔は答えた。
「のちに、宝になりまする。石のうちは、誰も欲しがりませぬ。宝になってから買えば、宝の値を払わねばなりませぬ」
久秀の指が、帳面の縁から離れた。
「——待てる者だけが、安う買えるということか」
「はい」
そういうことであったのだ、と久秀は思った。
雌伏と決めたのは、五年の辛抱をしのぐためであった。木沢が凋むまで、主の代がしかと座るまで、腹の中の欲に順を付けて待つと、この男は矢倉で己に約した。ただの辛抱である。辛抱に理などなかった。
いま、その辛抱に理が付いた。
――待つことは、値を下げる。
この一行のために三点払うても、この男は惜しくないと思ったであろう。
「石を読む目を、そなたはどこで得た」
朔の背が、わずかに伸びた。
「異国の学問所で、土の理を学びました。土は、石の砕けたものにございますゆえ、石のことも」
「土か」
「はい。……田を作るには、まず下の石を知らねばなりませぬ。石が違えば水の抜けが違い、水の抜けが違えば穫れるものが変わりまする。石の色、草の生えよう、沢の水の味——山ひとつを歩けば、下に何が寝ておるかは、あらまし分かりまする」
久秀は、この小僧が一息にこれだけ喋るのを久しぶりに聞いた。品書きを売るときの声とはどこか違って、値の心配をしていない声である。
――この小僧、石の話をするときだけ、歳のとおりの顔になる。
十三である。
買うたものの中身を検めるつもりで問うたのに、検めているうちに、売り手の顔まで見えてしまった。
「よい」
久秀は帳面を閉じた。閉じて、膝の前へ押しやった。
「出せ」
*
一、朔ヲ 検メタ
――十日ノ山。ふた月ノ山。ソレデモ 出ヌ山
一、金銀銅鉄鉛錫、及ビ 名ノ無キ石
一、阿波ニ 赤キ石 ――鉄ニ 成ル。炉ハ 別売リ
一、待テル者ハ 安ク買エル ――此ノ一行、三点ノ値ハアル




