第10話(四)「若鷹の在処」
――弥生。光秀を迎えた、その日の昼である。
久秀は、家中の主だった者を集めていた。片目の勘助を、弟・長頼の下に。若い光秀を、己の下に。軍と、兵站の要をこの二人に預ける――そう申し渡した。
一同は、頭を垂れた。異を唱える者はない。
だが、久秀の目は垂れた頭の、その下の面を読んでいる。
古参の一人が、勘助の眼帯からそっと目を逸らした。忌むように。別の一人は、光秀の継ぎ当ての小袖に、口の端をわずかに下げた。――昨日まで、同じ釜の飯を食うてきた朋輩を飛び越えて。どこの馬の骨とも知れぬ、しかも片方は異形の者が、いきなり上に据えられる。面白かろうはずがない。
(妬むな、と言うても詮ない)
久秀は、咎めなかった。咎めれば、不平は地の下へ潜るだけである。潜った不平のほうが、たちが悪い。
一同が、それを面に出さぬのは、久秀が日頃締めているからであった。私語を慎み、下知に従う。ゆえに、いまは飲み込む。頭を垂れる。
――だが、飲み込んだものは腹の底に残る。
(この妬みは、働きで黙らせるよりほか、ない)
勘助が城を取ってみせ、光秀が兵糧を回してみせる、その日まで。久秀は、この面白くない顔の群れを抱えていく。買うた駒の値は、召し抱えた日で払い終いにはならぬ。家中の腹の底に、小さな棘が、幾本か埋まった。――それも、人を買う値のうちであった。
*
夜。
越水の、外郭の櫓の陰である。
一つの影が、闇に溶けている。息を殺している。甚内の手の者であった。昼は、しがない小商人の顔をした男が、いまは、庇の下の闇に、貼りついて動かぬ。
主命である。――召し抱えたばかりの、二人の牢人から目を離すな。
新参の器を、値踏みするためか。裏切りの芽を、摘むためか。それは、聞かされていない。聞かされぬのが、この稼業であった。ただ、見て、覚えて、報せる。それだけである。
闇の先、灯の点る小部屋に、二つの影があった。
片方は、片目に眼帯。片方は、若く背筋の伸びた。――勘助と光秀であった。
光秀の声が、低く洩れてくる。
「――山本殿。間歩の砦、あと二月で普請が成ると伺いました。……その間の、人足の飯。米で、いかほど、見ておられます」
無愛想な声が、返す。
「兵站の御仁か。……穀の勘定は、そちらの領分であろう」
「領分ゆえに、伺うのです。砦の縄張りを知らねば、要る飯の量も、運ぶ道も、算えられませぬ」
しばしの沈黙。やがて眼帯の男が、ふ、と、笑った気配が、あった。
「……よかろう。絵図を、見せる」
紙の擦れる音。二つの影が、絵図の上に寄る。
それからの二人は、水を得たようであった。片目の男が、指の欠けた手で縄張りをなぞる。若い男が、そこへ、米の数と日数を乗せていく。攻めの話でも、守りの話でもない。城を、いかに養うか――その一点で、二人の言葉が噛み合っていく。
闇の中の影は、その理までは、解せぬ。だが、分かることが一つあった。
――この二人、互いを認めはじめている。
無愛想な城取りが、若造の問いに、いちいち答えている。理詰めの若造が片目の答えに、いちいち、頷いている。武辺と算用。まるで畑違いの二人が、絵図の上で、静かに手を結びかけていた。
やがて、絵図が巻かれた。
光秀の声が、ふと、調子を、変えた。
「……山本殿。一つ、腑に落ちぬことがござります」
「なんじゃ」
「――松永様は、なぜ貴殿を召された」
眼帯の男が黙った。
「貴殿は、駿河の場末におられたと聞く。それがしは、近江の山の草の底。……いずれも、名の通った身ではござらぬ。世に、埋もれておった者にござる。その、埋もれた二人を松永様は、名指しで居所まで違えず迎えに寄越された。まるで――」
光秀の声が、低くなった。
「初めから我らの名も、在処も知っておられたかのように」
長い沈黙があった。やがて、勘助の低い声が返した。
「……わしも、それは思うた」
灯が揺れる。
「見世物に呼ぶにしては、道が遠すぎた。あの御方は、わしの名と片目と九年の燻りまで、初手から知っておられた。……誰が、教えた」
「さあ」
光秀の声に、笑いは、ない。
「……ただ。あまりに、我らをご存じでした。名も、在処も、九年の燻りも。ただの聞き込みや、風の噂であそこまで知れるものにござろうか。……まるで、ずっと以前から、我らを、見知っておられたような」
勘助は、答えぬ。答えられぬ。
「――薄気味が悪いほどに、こちらを言い当てておられた」
闇の中の影が、その言葉に身を固くした。
聞いた。たしかに聞いた。この二人、召し抱えられて幾日も経たぬうちに、早くも触れてはならぬあたりへ、鼻を利かせはじめている。
影は音もなく、庇の下を離れた。この一部始終、あるじ甚内へ。甚内から松永へ。――報せねばならぬ。
*
その夜半、久秀は、甚内の報せを、灯の下で聞いた。
聞き終えて、しばし目を閉じた。
(……早いな)
召し抱えて、幾日も経たぬ。その二人が、もう品書きの匂いを、嗅いでいる。さすが、と言うべきであった。才ある者は、己を掘り当てた鍬の、その出所まで疑う。凡庸なら、招かれた幸運に、酔うだけのところを。
(買うた者が、賢しいのは……よし悪しよ)
賢いゆえに、働く。賢いゆえに、疑う。その両方が、同じ一人の内にある。
久秀は、まだ、二人に、朔のことを、明かす気はない。品書きの出所を明かせば、この二人は、朔をどう値踏みするか。――まだ、早い。器を、見定めてからである。
それまでは。
(甚内の目を、放しておく。……この二人の疑いが、どこへ伸びるかを見る)
買うた駒に、見張りを付ける。厭な、主であった。だが、いちばん奥の帳面を守るには、そうするほかない。信じて、抱えるのではない。疑いながら、抱えるのである。
夜も、更けた。
小者が、遅い夜食を、運んできた。湯漬けである。冷や飯に、熱い湯を、かけただけの。梅干しが、一つ。
久秀は、それを、かき込んだ。味も素っ気もない。ただ、腹を温めるための、飯であった。奥の間には、いまごろ、静の、温かい膳が、調うていよう。だが、今宵は、帳面が先である。
湯漬けの湯気の向こうで、灯が揺れた。久秀は椀を置いた。
久秀は灯の下で、点の帳面を繰った。
米の帳面。銭の帳面。そのいちばん奥の、点の帳面。此度も、一枚割った。人の品書きの一枚。だが、勘助のときと違うことが、一つあった。探索に費やした銭である。甚内の路銀。問屋の心付け。寺への喜捨。美濃、近江、越前――三国に糸を走らせた、その費。締めて、銭、十二貫。
久秀は、筆を、下ろした。
一、近江ノ牢人 明智光秀 召シ抱ヘ 久秀ニ付ク 兵站・文書
一、探索ノ費 銭十二貫 ――才ノ値ヨリ 探ス値ノ 高ウツクコト アリ
一、家中ニ 妬ミノ芽 ――働キニテ 鎮メヨ
一、勘助・明智 早クモ 我ガ見通シヲ 訝ル ――甚内ノ目、放ツナ
書いて、久秀は、筆を、置いた。
政の才が、一つ増えた。手が二組になった。だが、その二組はいずれも賢すぎた。使える駒ほど、御しにくい。
外では、桜が散っている。
久秀は、灯芯を掻き立てた。
手が二組。まだ、足りぬ。だが二組増えた。
――若鷹は、籠に、入れた。片目の狼も。あとは、この二頭がどこまで高く飛び、どこまで深く、こちらの底を覗こうとするか。
それは、まだ誰にも知れぬ。
一、消費なし
残り 三点
品目に、こんなものはどうか?ってアイデアがあれば、感想でください。参考にさせていただきます。
■用語解説
・人足…土木工事や荷物の運搬、兵站作業などの肉体労働に従事する作業員のこと。
・貫(貫文)…中世における通貨(銅銭)の単位。銭1,000文(1,000枚)を1貫とし、当時の米1石前後に相当する価値を持つ。




