第10話(二)「若鷹の在処」
――如月から、弥生へ。
光秀の在処を、探す。梅の頃から、桜の頃まで――越水の糸は、三国に、伸びた。
久秀は、探索を三手に分けた。
一手は、甚内。伊賀の耳を持つ、行商の顔の男である。これを、美濃へ。土岐、明智の縁者筋を、当たらせる。
いま一手は、利吉。堺を根に、銭を回す商人の網を、越前へ。土岐の縁が朝倉を頼って北へ流れることもあろう。
そして――近江へは。
久秀は、いま一人の男を呼んだ。
「瓦林」
呼ばれて、廊下からぬっと入ってきたのは、痩せて背の高い猫背の男であった。歳は、久秀とそう変わるまい。上質の小袖を着ているが、どこか埃っぽい。旅の匂いの、抜けぬ男である。日に焼けた顔に明るい色の目が、いつも何か面白いものを探すように動いている。腰に飾りけのない鉄扇と小刀。手には、家中の誰も被らぬ野暮ったい笠。
――この越水の城は、もとは瓦林の一族が築いた城である。それが、戦に敗れ三好の手に落ちた。一族は、反三好となって散った。その一族の三男坊が、いまは、城を奪った側の禄を食み、しかも、その奪った男の右腕たる久秀の下で働いている。
道楽者であった。一族の因習を埃のように払って出てきた。久秀の企みを、「面白い」と面白がる。気の乗らぬ仕事は平気で手を抜く。だが、乗った仕事の目のつけどころと、人の懐への入り込みようは――家中の、誰にも真似ができぬ。
「近江へ行け」
久秀が言うと、瓦林は笠のふちを指で押し上げた。
「牢人探しですか。……甚内の領分でしょうに」
「甚内は、美濃じゃ。近江はそのほうがよい」
「へえ」
瓦林の目に、ちらと光が差した。
「――で、その牢人は。面白い男ですか」
(……そこよ)
久秀は、内心苦笑した。この男を動かす餌は、禄でも手柄でもない。「面白いか、否か」――それだけである。
「わしが、遠い近江から呼ぼうという男よ。……つまらぬはずがあるまい」
「はは。……乗りました」
瓦林は、笠を被り直した。
そばに控えた甚内が、ちいさく鼻から息を抜いた。生真面目な、耳の男である。密偵の技を、遊びのように使うこの同輩を、甚内はどうにも好かぬらしい。――だが、久秀は両方を使う。生真面目な糸と、飄々《ひょうひょう》とした糸と。人は一色では網にならぬ。
*
近江は、佐目。多賀の奥の山あいの里であった。
瓦林は、旅の絵師に化けた。笠を目深に、矢立を提げ、里の寺の縁側で山を写生する体で――その実、耳を里じゅうに張った。
三日でその家を見つけた。
土岐明智の流れという、傾いた小家。畑は瘦せ、屋根は傷んでいる。だが、門口だけは、掃き清められていた。貧しても、荒れてはおらぬ。――住む者の、気性が出ていた。
そして、その男を見た。
若い。二十五、六。継ぎ当ての小袖で、畑の畦に立ち、指で何かを算えている。水の引きようか、畝の数か。瘦せた畑を、ただ眺めるのでなく、値踏みするように見ている。
瓦林は、絵師の顔で近づいた。
「――もし。この山、どこから写せば佳う映りましょうかな」
若い男は、ちらと、瓦林を見た。笠の下の日焼けした顔と、埃っぽい上質の小袖と腰の鉄扇に――一瞬で、目を走らせた。
「……絵師にしては」
若い男の声は、静かであった。
「矢立の墨が乾いておられる。三日、この里におられて、一度も絵を描いておられぬ」
瓦林の、笠の下の目が――嬉しそうに細まった。
(……こいつは)
見抜かれた。三日の化けを、畦の上で若造ひとりに。愉快であった。ぞくりとするほど。
*
越水へ戻った瓦林の報告は、久秀を、面白がらせた。
「――いや、参りました。三日の化けを、畦の上で剥がされました。矢立の墨が乾いておる、と。……あの若造、人の嘘を匂いで嗅ぎますな」
瓦林は、笠を膝に置き飄々と語る。
「里の評判は、真っ二つで。『気位が高い』と嫌う者と、『あの御仁の言うことに間違いはない』と頼る者と。……銭の貸し借りで、一度も揉めぬそうで。牢人のくせに筋を通す」
「仕官は」
「口は幾度かあったようで。……断っておりますな。禄の多寡ではない。仕える先を、選り好みしておる。近江の草に埋もれて、なお、来る話を値踏みして、撥ねておる」
瓦林は、ふ、と笑った。
「――面白い男でした。久しぶりに。……あれは拾い物ですぞ、殿」
久秀は、その報告を繰りながら、明智光秀という男の輪郭を、締めていった。
嘘を匂いで嗅ぐ。筋を通す。主を選り好む。――情では、動くまい。世辞は、逆に嫌うだろう。効くのは、筋の通った数字と、仕えるに値する主だという証だけである。勘助が「才を認める一杯」で渇きを癒す男なら、この男は「主を検分し値を確かめてから」膝を屈める男であった。
(値踏みさせて、やろう。存分に。……そのうえで、こちらも値踏みし返す)
美濃の甚内も、越前の利吉も確かな尾は、掴めなんだ。当たりは、瓦林の、近江であった。三国に糸を走らせた探索の費だけが、灯の下の帳面に、嵩んでいく。
(……才の値より、探す値のほうが、高うつくとはな)
久秀は、文をしたためた。勘助のときと、同じ短い文である。用向きも、世辞も書かぬ。ただ、越水まで、来られよ、と。路銀の話も書かなかった。書かぬことが、いちばんこの男には効く。――路銀を案じる文なら、施しと取って、来ぬかもしれぬ。
久秀は承知していた。この文で来る男は、招かれて来るのではない。こちらを、値踏みしに来るのだ、と。
各話に、用語解説を入れさせていただきました。
■用語解説
・弥生…旧暦(和風月名)の3月のこと。
・矢立…墨壺と筆筒が一体になった携帯用の筆記用具。旅先での執筆やスケッチ、記録作成に用いられた。
・瓦林秀重…史実において、松永久秀に偏諱を受けたとされる、松永家家臣。後に家老職を務め、奉行でもあった。
・利吉…前作登場人物。朔が見出した商人で、朔が後押しし、堺での成功を果たしている。酒商人の株を持ち、朔にこき使われ、業種を広げている。
・多賀…近江国犬上郡(現在の滋賀県多賀町周辺)の地名。多賀大社の門前町・街道筋としても知られる。
・佐目…多賀の奥に位置する山あいの集落(現在の滋賀県犬上郡多賀町佐目)。明智光秀の出自・浪人期の伝承地の一つとして語られる。




