第2話「己が末路」
日が翳った。
蝉の声がふつりと絶える。夕立でも来るのか、庭の土が湿った匂いを立てはじめていた。
「品書きは、ただで差し上げると申したな」
「はい。まずは口立てにて。書付は、後日に整えまする」
朔は指を折った。
「まず、先々の歴史。向こう数年、畿内の家々がどう浮き沈みするか——その大筋で、三点」
「ほう」
「銭の種。荒銅から銀を絞り出す術。三点」
「人の在処。世に埋もれた才が、いまどこで燻っているか。二点」
「安いところでは——一年後の、とある戦の勝ち負け。一点」
「ほかに、農と医と、工の類がひと山」
指はまだ余っていた。
「値は私が付けまする。買う買わぬは殿が」
久秀は扇子を膝に立てて聞いている。目は動かない。値踏みの目とは、動かぬものである。
「その品書きとやらには、何が書いてある」
「品の名と、値と、効き目の口上をひと筆。……中身は、お買い上げののちに」
「口上だけで、中身の察しがつくこともあろう」
「——察しのつく口上は、書きませぬ」
久秀は小さく唸った。売らぬための工夫まで、売り物のうちである。
「して。品書きの筆頭には、何を置く」
「——殿の、御一生を」
売り手が買い手の命を品書きの頭に据えた。
「値は」
「五点。……この品書きで、いちばん高うございます」
「高いか安いか、分からぬの」
久秀は茶碗を指の先で回した。手つきに、迷いがない。
「買おう」
並の買い手なら、まず一点の安物で、この童の真贋を測るであろう。
この男は、真贋も測らぬうちに、いちばん高い品から買うた。欲しい物から、買う。数寄者の買い方である。
「己の末路を銭で購う男は、古今にそうはおるまいよ」
「では——その前に、一つ」
朔は居住まいを直した。
「後の世が、貴方様をどう語るか。それから申し上げまする」
「ほう」
「爆弾正。……のちに貴方様が名乗られる官の名に、爆ぜるの字を被せた綽名にございます。釜に火薬を詰め、火を放って、城もろとも爆ぜて果てた男——と」
久秀は黙って聞いている。
「戦国の梟雄、とも。主家を乗っ取り、公方様を弑し、大仏を焼いた。三つの悪をひとりで為した男と、後の世は語りまする。……ぎりわん、なる戯れ言葉もございます。時の天下人を、ただ一度裏切っただけの男を、大悪人と呼んでよいものか——という、後の世の軽口で」
「待て」
扇子が上がった。
「いまひとつ、異国めいたのがあると申したな。昨日」
「……ぼんばあまんにございます」
「ぼんばあ。なんじゃ、それは」
「異国の語にて。爆ぜる男、ほどの意かと」
「ふむ」
久秀は、口の中でその音を転がした。ぼんばあ。犬でも呼ぶような響きである。
「されど」
朔の声が低くなった。
「実際の貴方様は、そのいずれでもございませぬ。爆ぜて死んだは作り話。三つの悪も、後の世の盛り話にございます」
「……」
久秀はしばらく黙っていた。
庭で、最初の雨粒が土を打った。
「——作り話のほうが、面白いではないか」
この男、こういうところがある。おのれの悪名を、人の付けた値のように眺めるのだ。安いか、高いか。それだけを量る。
「では、品をいただこう。私の一生とやらを」
朔は一つ息を入れた。
「九年後。三好の御家は大きな戦に勝ち、長慶様が京を差配なさいます。公方様も、管領様も、京を追われて」
「……ほう」
「殿はその下で、算用と謀をもって重きをなし、やがて一国の主に。祐筆の身から、城持ちの大名に上られまする」
「悪くない買い物じゃの、いまのところは」
「それから二十年余ののち」
朔の言葉がそこで途切れた。
膝の上の手が、握られている。玄斎が、わずかに膝を直した。
「五年のうちに御舎弟がたが次々に身罷られ、若殿も長慶様も。……御家は裂けまする」
「私は」
「殿は……」
喉が鳴った。生きて目の前で茶を飲む男に、その死にざまを告げる。少年の声が、初めて淀んだ。
「三十七年後の、秋。大和の信貴山なる城で——城を枕に、御自害なされまする」
雨音が強くなった。
久秀は茶碗を置いた。音は立たなかった。
「誰に、攻められて」
「その時の、天下の主に。……名は、この品には含まれておりませぬ」
「ほほう。死にざまは売っても、相手の名は別売りか」
「商いに、ございますれば」
久秀の肩が小さく揺れた。笑ったのだ。
「時に、朔よ。この先の世は、その書付の通りに流れるのか」
「——歴史は、川にございます」
朔は庭の雨を見た。
「私の書付は、今日の川筋を写した絵図。されど殿と私がこれから石を投げ込めば、流れは変わりまする。大きな石を投げるほど、絵図は古びて、あてにならなくなる」
「ならば、そなたの品は、使うほどに値打ちが下がる」
「はい。……ゆえに、お早めに」
「言いおるわ」
久秀は立って、障子を細く開けた。雨の中で、越水の城下が煙っている。
三十七年。指を折るまでもない。齢七十まで生きて、城を枕に死ぬる。この乱れた世に、それは長いのか、短いのか。
「……存外に、長いの」
呟きは雨音に消えた。
その晩、久秀は帳面に、次のように記した。己の死に値を付けた男の筆は、乱れもしなかったのである。
一、松永久秀 人生の大略 五点 残り 十五点
■用語解説
・爆弾正…後世、松永久秀が平蜘蛛を抱いて爆死したという伝説から生じた異名。「弾正」は久秀が将来受領する官名(弾正少弼)に由来する。
・梟雄…残忍で猛々しく、野心が強い人物のこと。
・公方様…室町幕府の最高権力者である足利将軍のこと。1540年当時は第12代将軍・足利義晴を指す。
・弑する…従者や子が、主君や親など目上の者を殺害すること。
・ぎりわん…未来の歴史シミュレーションゲームにおいて、松永久秀のステータス「義理」が最低値の「1」に設定されていることに由来するネットスラング。「義理が1しかない男」というパロディ的呼称。
・三好長慶…三好家の当主で、久秀の主君。1540年当時は19歳。史実においては、当時は別の名を名乗っていたが、本作では一般に通じた「長慶」の名で表記する。後に主君・細川晴元を破って畿内を制覇し、「日本の副王」と称されるまでに勢力を拡大する。
・管領…室町幕府において将軍を補佐した最高職。1540年当時は細川晴元(右京太夫)を指す。晴元はかつて三好長慶の父・元長を自害に追い込んだ仇であるが、1540年現在は長慶や久秀が仕えている主君(現在の上司)にあたる。




