第9話(三)「片目の軍師」
――越水の、一間。
勘助は下座に座った。
片目に黒い眼帯。引きずる足を崩さぬように庇って。指の欠けた手を膝の上に置いて。——嘲りを待つ構えであった。九年、そうしてきたように。どこからどんな目が飛んでくるか。片目の底でそれを測っている。
上座に久秀がいた。
まだ病み上がりの白い顔である。だがその目は勘助の眼帯を見なかった。引きずる足も欠けた指も見なかった。
見なかったのではない。
——値踏みに値せぬものを初手から勘定に入れておらぬ。
そういう目であった。
久秀は挨拶を抜いた。世辞も抜いた。名乗りすらそこそこに一枚の紙を二人の間に広げた。
墨で引いた城の絵図である。曲輪と堀と土塁。ある城の指図であった。
「この城の、欠陥を」
久秀は言った。
「三つ、言うてみよ」
*
勘助は束の間、久秀の顔を見た。
嘲りが来ると思うていた。剣を舞えと言われると思うていた。——絵図であった。
片目が絵図に落ちた。
その一瞬で勘助の何かが変わった。
庇うていた足の強張りが消えた。嘲りを測る底光りが消えた。代わりに片目の中で火が灯った。九年、誰にも見せる相手のなかった火である。
「——一つ」
声が、変わっていた。無愛想なぼそりとした声が絵図の上では熱を帯びる。
「横矢が、掛かり申さぬ」
指の欠けた手が絵図の土塁の線をなぞった。
「塁線がまっすぐにござる。折れがない。堀に取りついた寄せ手の横腹を射る所がどこにもない。矢は、正面からしか、飛ばぬ。……城が片目で戦うようなものにござる」
久秀の扇子を持つ手が止まった。
(横矢……それは、わしも、見た)
「二つ」
勘助は止まらぬ。
「虎口が一重。ただの切れ目にござる。枡形に囲うておらぬ。ここを破られれば寄せ手は、そのまま奥の曲輪まで駆け抜け申す。城の喉が開けっ放しにござる」
(それも……見た。わしが、見えたのはそこまでよ)
「三つ。馬出が、ない」
久秀の眉がわずかに動いた。馬出——口の前に構える出丸のこと。名は知っている。だがそれがこの絵図に無いと見抜くのは久秀の目にはできなんだ。
「口の前に馬出を置き申さぬ。ゆえに、城から討って出るにも丸腰で身を晒すことになる。守るばかりで攻めに転じられぬ。……籠って死ぬための城にござる。生きて勝つための城ではない」
「——そこまでで」
と久秀が言いかけた。三つ、と言うたのである。
だが勘助は聞かなかった。
火が点いた男は止まらぬ。
「四つ。切岸が緩い。斜面が甘うござる。この寝かせ方では、鎧武者が這い上がれ申す。削り直して垂直に、近づけねば」
「五つ。竪堀がない。斜面を横に走られ放題にござる。寄せ手が城の腹を自在に回り込む。斜面を縦に刻んで横の足を止めねばならぬ」
「六つ。寄せ口から主郭まで、道が折れておらぬ。攻め手が息も切らさず一息に、駆け上がる。道を幾重にも折って横矢の前を這わせて、なんぼにござる」
「七つ。詰めの曲輪に水の手が見えぬ。囲まれれば——三日で渇き申す。城は、水で落ちるものにござる」
言い切って勘助は口を噤んだ。
火がすっと引いた。
——しまった、という顔をした。三つと言われて七つ、まくし立てた。また出しゃばりが、と。九年、そうやって疎まれてきた。才を剥き出しにするたびに人が退いた。
勘助はうつむいた。片目を伏せた。
*
久秀は笑った。低く短く。
「面白い」
伏せた顔が上がった。
「三つと言うたに、七つ数えたな。……よかろう。こちらも返す」
久秀は扇子の先で絵図を指した。
「馬出の無いのと、切岸の甘いの。——その二つは、欠陥に数えぬ」
勘助の眉が動いた。
「馬出なくば、後から土を盛ってこしらえればよい。討って出る口が心細くば、兵を厚く置けばよい。切岸の甘さも、鍬を入れて、削り直せば済む。……いずれも、銭と人手と日数の話だ。城の骨を引き直す話では、ない」
——そういう目で城を見る者を勘助は知らなんだ。
縄張りを兵で読み地の形で読む。だがこの男は普請の費で読んでいた。どれが直せてどれが直せぬか。銭と人手の算用で。
「かわりに」
久秀は続けた。
「そなたの、数えなんだものを、二つ」
片目が見開かれた。
「一つ。この城は守るに兵が要りすぎる。曲輪が多い。これを人で埋めるに幾百要ると思う。その兵の飯は誰が運ぶ。……堅い城ほど多くの口を抱えて飢える。攻められる前に兵糧で音を上げるぞ」
勘助は答えぬ。答えられぬ。それは城取りの目ではない。城を養う者の目であった。
「いま一つ。——櫓が、足りぬ」
久秀は絵図の上に指を立てた。地から天へ。
「横矢を塁線の折れだけで取ろうとするな。高い櫓を上げよ。上から射下ろせば、まっすぐな線でも横は取れる。この城は、地の面ばかり見て天を忘れておる。……ここに、櫓を並べて上げるがよい。ずらりと途切れなくな」
言うてから久秀はふと口を噤んだ。
まだ建ててもおらぬ櫓がいま絵図の上にずらりと見えた気がした。
*
勘助はしばらく声もなかった。
値踏みしに来たのである。どうせ見世物、と。——その値踏みが覆っていた。
この、成り上がりの祐筆は城を知っている。いやそうではない。城取りの拙者が地の面を七つ読んだその上に。天と兵糧を二つ積んで打ち返してきた。九年、絵図一枚広げさせてもらえなんだ拙者に初めて絵図の上で渡り合うた男であった。
「……参り申した」
低く、洩れた。
久秀は首を振った。
「いや。数えたのは、そなたが多い。七つのうち五つは動かぬ。足せたのは二つ。引けたのも二つ。……差し引き負けはこちらだ。城取りにかけて、そなたが、上よ」
そう言うて久秀は扇子を閉じた。とん、と手のひらを打つ。
「そなたの値打ちは、三つ目で知れておった。三つで足りたのだ。……止めるのをよした。あとの四つは聞いておきたくてな。当代無双とやらの底を」
(底は、見えなんだ。……よい買い物よ)
「城取りと軍配当代無双」
朔の言葉に偽りはなかった。むしろ釣りが来る。
■用語解説
・横矢(横矢掛かり)…城壁や土塁に接近・取り付く敵に対して、側面(横方向)から矢や鉄砲を射かけられるよう塁線を曲折(折れ)させる城郭構造。
・虎口…城郭の曲輪(郭)の出入り口のこと。
・枡形(枡形虎口)…虎口の前面に作られた四角い空間。城門を二重に配置するなどして進入した敵の進行を阻み、周囲から集中攻撃を加える構造。
・馬出…虎口の直前に設けられる小さな小曲輪(出丸)。城門を直接攻められるのを防ぐとともに、城兵の安全な出撃拠点となる。
・切岸…敵の侵入を防ぐため、曲輪の周囲の斜面を削り立てて垂直に近い人工的な崖とした防御構造。
・竪堀…山城などの斜面に上から下へ縦方向に掘られた溝。敵兵が斜面を横方向に移動(移動・回り込み)するのを防ぐ。
・水の手…城内における井戸や湧き水、引き水などの水源・給水施設のこと。籠城戦において最も重要とされる。




