第9話(二)「片目の軍師」
熱の引けた三日ののち久秀は、人払いした矢倉に朔を招いた。
まだ頬はこけている。だが目の光は戻っていた。乾いた、品定めの光である。
「一つ、割る」
久秀は言った。銭ではない。点の帳面の話である。
「人の、品書きよ。前に名だけ見せてもろうた。あの中の、一枚を開いてくれ」
朔は久秀の顔を見た。まだ病み上がりのその白い顔を。何か言いかけてやめた。それから静かに口を開いた。
未来の言葉を和語に翻しながら。
「……駿河に、牢人がひとり。今川の家に仕えたいと、九年、望んで、容れられぬ者。片目、片足。城取りと軍配に、当代、並ぶ者がないと」
「名は」
「山本勘助」
久秀はその名を胸の内で二度、繰った。
「九年、望んで、容れられぬ、と申したな。……九年もの間、才ある者を、なぜ、今川は、捨て置く」
朔は少し間を置いた。
「才ゆえ、ではありませぬ。……見目ゆえに」
久秀は目を細めた。
片目、片足。当代無双の才をその一事のために九年、腐らせている家がある。——才を量らず姿を量る。世の値踏みとは大方、そういうものであった。
「もし」
と朔は続けた。この童はいつも問いで道を示す。
「もし、その者の躓きが才ではなく、見目にあるのなら。……才だけを御覧になる主がひとりでもあれば。その者は、どうなりましょう」
久秀は答えなかった。
答えは決まっている。
朔はそれ以上、語らなかった。城取りの何たるかも軍配の理もこの童は口にせぬ。ただ在処と躓きだけを置いていった。——そういう約定である。策は久秀が己で汲む。
(才を買うにも、まず、在処という品が、要る)
久秀は点の帳面に筆を下ろした。
*
在処を探るのは甚内の役であった。
柳田甚内。行商人の顔をした耳の男である。その耳の糸は伊賀の山を越え東海道を駿河まで伸びている。
「——おられました」
半月ののち甚内は物腰やわらかに報じた。
「駿河の、場末の道場に、居候の形で。剣を教え、飯を、食うておるとか。……片目に、黒い眼帯。足を、引いておられます。指も、幾本か、欠けておると」
「近づけたか」
甚内は薄く笑った。目は笑うていない。
「それが……なかなかの、難物にございます」
*
難物であった。
甚内の手の者が幾度か勘助に近づいた。そのたびに弾かれた。
一人は剣の腕を褒めた。京流の太刀筋、見事にござる、と。勘助はたちまち顔を背けた。世辞を嘲りと取ったのである。「見世物の口上なら、他所で聞け」——そう追い返された。
一人は銭を包んだ。路銀の足しに、と。勘助はその包みを土間に叩きつけた。施しを受ける乞食ではない、と。九年、頭を下げ続けてなお折れぬ矜持が銭一包みに火を噴いた。
一人は間の悪いことにその眼帯に目を遣った。ただ遣っただけである。勘助はそれを見た。見て無言で扉を閉じた。
甚内の報告は久秀をうならせた。
(世辞に、怒る。銭に、怒る。見目を見られて、口を、噤む。……面倒な男よ)
だが久秀は笑わなかった。
面倒な男の面倒の一つ一つが久秀には地図に見えた。
世辞を嘲りと取るのは真に才を認められたことが一度もないからである。銭に怒るのは欲しいのが銭ではなく認められることだからである。見目を見られて口を噤むのはその一点で九年、殺され続けてきたからである。
——ならば。
触れてよいのは才のみ。見目には指一本、触れるな。施しはするな。あの男が九年、渇いてついぞ与えられなんだ一杯を差し出す。ただそれだけでよい。
(値切る品では、ない。……あれは、正面から、口説く品よ)
久秀は文を一通、したためた。短い文であった。用向きも世辞も書かなかった。ただ越水まで来られよ、と。路銀の話も書かなかった。
*
年が、明けた。
駿河から片目の男が越水へ下ってきた。
雪の東海道を足を引きながらひと月かけて。招かれたというよりは——値踏みしに来たという足取りであった。
(どうせ、また、見世物であろう)
道々、勘助はそう思うている。
摂津の成り上がりの祐筆が片目片足の牢人を珍しがって呼びつけた。座敷に据えて酒の肴に剣でも舞わせるつもりであろう。九年、そういう目に飽きるほど遭うてきた。
嘲られたら席を蹴って帰る。
そう決めて勘助は越水城の門をくぐった。
片目の底に冷えた光を宿して。
■用語解説
・山本勘助…片目・片足が不自由とされる軍師・築城家。史実(伝承)では、その容姿から今川氏への仕官が叶わず長年流浪していたが、後に武田晴信(信玄)に召し抱えられ軍略や築城で大きな活躍を見せたとされる。
・今川…駿河国(現在の静岡県中部)を本拠とする名門大名・今川氏。1540年当時は今川義元が当主を務めていた。
・軍配…合戦において軍勢の進退や配置を陣法・兵法に基づいて指揮・采配すること。
・路銀…旅をするための費用・旅費のこと。




