↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/126

第7話(二)「撒かれる知恵」

 ――神無月《かんなづき》。


 施行《せぎょう》の小屋は、朝から、人で埋まっていた。


 粥《かゆ》の湯気。饐《す》えた汗の匂い。筵《むしろ》の上に、蹲《うずくま》る影。——長頼《ながより》は、その中を、歩いた。


 兄・久秀《ひさひで》に、施行の差配を、任されている。誰に粥を配り、誰を普請《ふしん》に出し、誰を——別の帳面へ、書くか。


 長頼は、人別《にんべつ》を、取らせた。名を訊き、生国《しょうごく》を訊き、何ができるかを、訊く。


 帳面は、二つ。


 鍬《くわ》を持てる者は、一つの帳面へ。新田を開かせ、道を直させ、堤を築かせる。飯を食わせ、来年の田を、宛《あて》がう。


 もう一つの帳面には——腕に、覚えのある者を、書く。


 その、もう一つの帳面が、揉《も》めた。


「山だと?」


 大男が、立ち上がった。六郎《ろくろう》という。もと、どこぞの足軽くずれである。喧嘩で潰れた耳をして、腕は、丸太のようであった。


「俺ぁ、粥を食いに来たんだ。穴掘りに、売られに来たんじゃねえ」


 小屋が、ざわめいた。同じ目をした男らが、幾人か、六郎の後ろに、寄る。飢えて、なお、腕に力の残る者ども。長頼の斜め後ろで、甚内《じんない》の、行商人のような顔が、すっと、動いた。


 長頼は、動かない。


「売るのではない」


 長頼の声は、低く、平らであった。


「雇うのだ。飯と、銭を出す。穴を掘れば、掘っただけ、出す。……粥をただで啜《すす》って、明日、野垂れ死ぬか。掘って、食うて、生き延びるか。選べ」


「穴で、生き埋めになるのは、御免だぜ」


「では、死ね」


 長頼は、言い捨てた。


「ここで、木の根を齧《かじ》って、死ね。止めはせぬ」


 小屋が、静まった。


 長頼は、六郎の、潰れた耳を、見た。


「その腕を、腐らせるのは、惜しい。……穴の中では、腕の太い者が、頭に立つ。お前のような男が、な」


 六郎の、眉が、動いた。


 ——頭に立つ。飢えた足軽くずれが、久しく、聞かなんだ言葉であった。


「……飯は、白いのか」


「麦飯だ。だが、腹いっぱい、食わせる」


 六郎は、しばらく、突っ立っていた。それから、太い息を、吐いた。


「……掘りゃ、いいんだな」


 長頼は、頷《うなず》いた。頷いて、帳面に、一筆——「六郎、山」。


 そばで、甚内が、薄く、笑った。目は、笑っていない。


「お見事にございます」


「世辞は、要らぬ」


「いえ。……ああいう手合いを、野に放てば、一揆《いっき》の頭になりまする。囲うて、掘らせておくが、いちばん安うつく。兄君の、お考えの通りに」


 長頼は、答えなかった。答えぬことが、答えであった。


 ——選別しながら、救う。


 冷たさと、情けとが、同じ一つの帳面の中に、並んでいた。


 やがて、六郎ら、腕自慢の男らは、猪名川《いながわ》の下《しも》の、古い間歩《まぶ》へ、送られていった。細く、貧しい穴である。銅の気《け》は、乏しい。


「——あのような貧鉱を、なぜ、いまさら」


 甚内が、ひとりごちた。


 長頼は、答えなかった。長頼も、知らぬのである。知っているのは、兄と——もう一人だけであった。


    *


 村は、また、別の難物であった。


 このやり口を、村々で教えて回るのは、久秀《ひさひで》の家来ではない。水江《みずのえ》と沢西《さわにし》——朔《さく》の荘《しょう》から借りた、百姓どもである。


 その中に、ひとり、童《わらべ》がいた。


 彦太《ひこた》という。年は、十一。朔より、二つ下の、まだ、ほんの子供である。沢西村《さわにしむら》の、亡き名主《なぬし》の、遺児であった。父を亡くしてからは、幼いなりに、その沢西を、束ねている。朔の、弟子である。朔より、なお小柄で、手足は、しなやかに、よく動く。継ぎ当てだらけの小袖は、貧しくはあるが、いつも、こざっぱりと洗われている。——貧しさの中の、誇りであった。


 大きな、黒い目をしている。一度見たやり口は、そっくり、覚えてしまう。人の口真似も、うまい。物言いは、どこか、師の朔に、よく似ていた。飢えた村に入っても、まず、笑い話の一つを、こしらえる。「ため息をつくより、笑い話を探せ」——それが、彦太の、掟であった。


 その彦太が、いま、余所《よそ》の村の、痩せた田の畦《あぜ》に、立っている。松永の、田の教え役として。十一の、教え役である。


 百姓は、疑る。


「童《わっぱ》が」


 古株の百姓が、鍬にもたれて、彦太を、見た。作爺《さくじい》という、村でいちばんの、年寄りである。顔じゅうの皺《しわ》に、泥が、詰まっている。


「乳臭い小僧に、田の、何が分かる」


 彦太は、怒らない。にっと、笑った。


「おらにゃ、分からん。……けど、朔殿《さくどの》の言うことなら、間違いねえ」


「その、朔とやらも、童ではないか」


「ああ。おらより、二つ上の、童だ。……けど、その童に、村がふたつ、救われた」


 作爺は、呆《あき》れた。呆れて、毒気を、抜かれた。


 彦太は、訛《なま》りの強い声で、続けた。


「稲は、虫に、やられたろう。田は、空《から》だ。……その空の田を、冬のあいだ、遊ばせておくのは、もったいねえ。稲を刈ったあとの田に、麦を蒔く。一枚の田から、年に、二度、穫れる。この田を、一枚、貸してくれ。実らなけりゃ、おらを、笑え。種は、松永が、償《つぐの》う」


「田に、麦じゃと」


「ああ。冬のあいだだけ、田を、麦畑にするんだ」


 作爺は、鼻で、笑った。だが、田を一枚、貸すことは、承知した。飢えている。断る、余裕も、なかった。


 彦太は、その一枚の田を、麦畑に、変えた。水を落とし、稲のない乾いた土を、鍬《くわ》で、起こす。神無月のうちに、種を入れねば、間に合わぬ。


 まず、麦の種を、塩水に、浸ける。浮いた粒を、掬《すく》って、捨てる。


「なんで、捨てる。もったいねえ」


「浮くのは、中身の、痩せた粒だ。沈む種だけ、蒔《ま》く。……いい子だけ、育てるんだ」


 村の子らが、集まってきた。飢えて、目ばかり大きい子らである。塩水に浮く籾を、珍しげに、覗き込む。一人が、指を、浸けて、舐《な》めた。塩の辛さに、顔を、しかめる。彦太は、笑った。


 ——久しぶりに、その村で、上がった、笑い声であった。


 彦太は、帳面を、使わぬ。畝《うね》の幅を、腕で示す。水の深さを、指で示す。「こう、こう」と、体で、覚えさせる。字の読めぬ百姓にも、体でなら、伝わる。


 ——学問は、紙の上にばかり、あるのではなかった。


 日暮れ、彦太は、村外れの、小屋に、泊めてもらった。


 薄い粥を、一椀、出された。出したのは、痩せた女房である。己は、食わずに、彦太に、出した。


「坊《ぼん》……この田、ほんとに、麦が、実るんか」


 女房は、彦太をそう呼んだ。


 彦太は、椀を、置いた。


「実る」


「いつじゃ」


「初夏だ。梅雨の、来る前に。……稲より、早い」


「それまで……この子が、保つかね」


 彦太は、答えられなかった。


 女房の膝で、痩せた子が、眠っている。あばらが、息のたびに、上下する。細い、細い息であった。


 彦太は、粥の椀を、女房のほうへ、押し返した。


「……おっ母《か》あが、食え。おらは、城で、食ってきた」


 嘘であった。彦太も、朝から、水しか、飲んでいない。十一の腹が、鳴りそうになるのを、こらえた。


 ——この夜のことを、彦太は、久秀にも、朔にも、言わなかった。


 帳面に、載らぬことであった。

■用語解説

・普請《ふしん》…土地の開墾や治水工事、道や堤の整備、建築・土木工事全般のこと。

・人別《にんべつ》…住民や流民の氏名・身元・年齢・素性などを調べて帳面に記録・把握すること。

・足軽《あしがる》…武家社会における最下級の歩兵・兵士。戦がない時期は食い詰める者も多かった。

・猪名川《いながわ》…摂津国(現在の兵庫県川西市・伊丹市・池田市周辺)を流れる川。

・塩水選《えんすいせん》…水や塩水に種子を浸し、比重の違いを利用して身の詰まった良い種(沈むもの)と痩せた種(浮くもの)を選別する農法。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。